開かずの間 後編
言い終わってからマズいと気が付いた。
俺は霊能者だ。しかしできることは、
①霊が見える
②霊と話ができる
の2点だけ。
人差し指の先からビームは出ないし、ましてや使い魔もいない。急に襲われたりしたらまず勝ち目はないだろう。
しかし全ては後の祭り。オッさんとバッチリ目が合ってしまった。俺は反射的に顔を背ける。
「おお、坊主。俺が見えるんかい。いやー、驚いたわ。そんな人間はじめてや」
「えっ」
「そんなに身構えんでいいぞ。オッチャンは基本無害な地縛霊だからなぁ」
予想に反してオッさんはフレンドリーだった。でもなぜ関西弁?
まあこの際、細かいことはどうでもいい。話が通じそうな相手で安心した。
「あ、あの、それで話題は戻るんですけど、なぜここにいるんですか?」
「それには深〜いわけがあるんや。実はおっちゃん、生前はタクシー運転手だったんや」
「は、はぁ」
「今はこんななりやけど、昔は痩せてて男前でな。結構モテてたんや。
トヨエツに似てるってよく言われてたんやで。
それで可愛い嫁もらって、あ、結婚したら豚のみたいにブクブク肥えたんやけど。3人の子供にも恵まれてまぁまぁ幸せに暮らしていたんよ。
バブルの時はそりゃあ儲かったんやで。社長さんが万札寄越すから」
オッさん怒涛の自分語りが始まった。久しぶりに人と話せて嬉しいのは分かるが、早く本題に入って欲しい。
口を挟んで機嫌を損なったら敵わないので、仕方なくうんうんと相槌を打つ。
「しかし酒とか煙草、日頃の不摂生が祟ってな。脳の血管が切れてしまったんや。
ま、悪くない人生やったで。子供達も独り立ちして、嫁にも財産残してあるから心残りもなかったし。でもな、死ぬ寸前にあれの存在を思い出してしまったんや。
そして気が付いたらここにいたってわけや」
お、ようやく本題に入ったか。あくびをかみ殺すのが大変だったぜ。
「あれ?」
「おっちゃん昔ここの生徒だったんや。こう見えて若い頃は文学少年で、文芸部に所属していてな。で、その時に書いた文章。若気の至りってヤツや、かなり痛々しい内容でな。
どーーしても他人に見られたくないんや」
ーー文芸部?
聞き覚えのある言葉だな。そういえばさっき今際が……。
オッさんの足元を見ると、『文芸部』と書かれた段ボールが置かれていた。
もしかして。俺の視線に気が付いたのか、オッさんは小さく頷くと、
「そうや、この中に入っている。でもオッチャン死んでるやろ?
どうにもならなくて困っているんや。
これがある限り、オッチャン死んでも死に切れないんや。
幽霊だけに。なーんちゃって、ギャハハ」
ツボにハマったのか、オッさんは三段腹を抱え大爆笑を始めた。
くすりとも笑えねーよ。まさかそんな理由で何年も地縛霊やっていて、怪談にまでなったのか。
「あっ、坊主。今『そんな理由で地縛霊になったのかよ』と思ったやろ」
ギクッ!
「い、いえ。決してそんなことは」
「……現物を見れば分かるで。特別に見せてやるわ」
オッさんから許しが出たので、段ボールを開ける。中から出てきたのは、一冊の古びた大学ノートだった。
紙には『剣士ヒストリウムと光の意思』という文字と、下手くそなキャラクターイラストが描かれていた。
手に剣を持っていることから、おそらくコイツが主人公の『ヒストリウム』だろう。それにしても顎が尖過ぎだな。剣より鋭利だぞ。
ん? よく見るとタイトルの下になにか小さく書いてある。読めない。これはロシア語か?
「うわあぁぁぁぁ!!」
急にオッさんが苦しみだしたぞ。ま、この痛々しさならそうなるよな。
しかし表紙だけでこの破壊力、中は一体どんな魔窟が広がっているんだ?
正直、気になる。ちょっとくらいいいよな? 表紙をそっとめくるってみる。
すると、首筋にナイフを突き立てられたような冷感が走った。
「坊主、それだけは勘弁してくれんか?」
「……はい」
怖っ。
つい忘れていたが、オッさんはやはり地縛霊。これ以上はやめておこう。
「なあ、坊主。このノート燃やしてくれへんや?」
「燃やす? 捨てればいいだけなのでは」
「いやそれでは駄目や。
このノートが誰かの目に触れる可能性を残したくないんや。
それこそ燃やして、この世から完全に無くならないと安心できん」
「燃やすのはちょっと。ついさっき、花火ぶっ放して騒ぎになったばかりですし」
「そこをなんとか!オッチャン一生のお願いやで。
あっ、一生やって。もうオッチャン死んでるのに、ギャハハ」
そういうのもういいわ!
◇
オッさんに根負けし、俺は黒歴史ノートを燃やすことになった。
「ここなら大丈夫かな」
部室棟裏は人気がなくとても静かだ。雑草がたくさん生えており、人が踏み入った痕跡も見られない。こちら側に窓は付いていないようだから、部室棟から見られることもないだろう。
「さっさと燃やしてーや」
ちなみにオッさんも憑いてきている。左肩が重くて仕方ない。早く終わらせよう。
「じゃあ、はじめますよ」
「ああ、頼む」
チャッカマン(今際から無断で拝借してきたもの)でノートに火を付ける。乾燥していたせいか、あっという間に燃え始めた。
「これでやっと終わるんやな」
「あ……」
炎が広がるにしたがって、オッサンが薄くなっていく。そうか、成仏するんだな……。
「坊主、本当に助かったで。ありがとう」
ノートが完全に灰になると、オッさんはいなくなった。消える瞬間、満面の笑顔を浮かべてーー。
ありがとう、か。
すごく久しぶりに言われたその言葉は、心にじんわりしみていく。
悪くない気分だ。
空を見上げる。雲ひとつない青い空に一筋の煙が登っていく。まるで空に架かる橋のようで。俺はさっきの今際の言葉を思い出していた。
『魂はね、煙に乗って天国へ昇るのよ』
どうかあのオッさんが天国へ行けますように。
◇
今際が開かずの間に戻ってきたのは、それから1時間以上後のことだった。キツイお灸を据えられたのだろう、かなりしょんぼりしていた。
「あら、まだいたの。てっきり帰っちゃったと思ったわ」
今際は鼻をすすりながらそう言った。たくさん泣いたのだろう、目が充血していた。
魔がさす、とはこのことだろう。俺はよりにもよって、今際零子のことを可哀想だと思ってしまったのだから。
「……なあ今際、この部屋雰囲気が変わったと思わないか?」
今際は部屋を見回すと、
「そうね、なんか明るくなった? それになんとなく空気が軽いというか。
でもそれって窓を開けているからじゃないの? 」
自信なさげにうつむく今際。長い黒髪がさらりと流れ、顔を覆い隠してしまう。さっきまでの自信はどこへ行ったんだよ。
なんとなくイライラした俺は、ついに最大の過ちを犯してしまう。
「先生に怒られたくらいでなにへこたれてるんだよ! お前本物の霊能者じゃないのかよ!」
今際は顔を上げた。目を大きく見開き、心底驚いてます、という表情をしている。そして口元を綻ばせると、
「そうよ、そうだったわ。私は霊能者! 今回の除霊は成功よ!」
満面の笑みでピースをした。やれやれ、本当に面倒なやつだ。
まあ、今回の件は今際のお手柄という他ない。コイツが体を張らなければ、俺も何もしなかっただろうし。
見ず知らずの、しかも幽霊にあそこまでできる奴はきっといない。ちょっと見直したぜ。
「やっぱり私は天才霊能者ね! それに比べてあんたときたら、なんの役にも立たなかったわね」
……ん?
「除霊の邪魔はするし、先生が来た時は助けないし。むしろ邪魔だったわ。
アンタ本当に何しに来たの?」
怒りで体が震えてきた。落ち着け、俺。
今際は何も知らないんだから仕方ないだろ。そんなことより、彼女の素晴らしいボランティア精神を褒めてやろうじゃないか! うん。
「色々あったけど、部室が手に入ったから良しとしましょう。
今後はここを拠点に、除霊活動をするわよ!」
「ちょ、ちょっと待て!部室が手に入ったってどういうことだよ」
「幽霊をどうにかできたらこの部屋を好きに使っていいって、生徒会長と約束したの。つまり、今日この瞬間からここは私のものよ!」
無い胸を張り、ドヤ顔の今際。
ふざけんな! 結局自分のためじゃないかよ!もう付き合ってられっか。
「そうか、じゃあ頑張れよ」
「何帰ろうとしているのよ。ほら、アンタも部屋を綺麗にするのを手伝いなさい!」
「は? なんでだよ」
「そ、その、ポルターガイストの時は私を守ってくれたじゃない。
少しそう、ほんの少しよ。頼りになるなぁと思ったの。
だ、だから、特別アンタを私の助手に任命してあげるわ! これから一緒に頑張りましょう」
今際はモジモジと恥ずかしそうに、手を差し出した。
白く綺麗な手、爪はマニキュアを塗っているのか真っ黒に染まっていて。
全く、この今際零子という女はーー。
もちろん俺の答えは、
「断る!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今後もだいたいこんなノリで進んでいく予定です。