開かずの間 中編
ーー再び開かずの間。
「確かに変わったところはないみたいね」
「だからそう言っただろ」
キョロキョロと薄暗い部屋を見回す今際。
ちなみに例のオッサンは、最初見た時から全く動いていない。ま、どうせコイツには見えないから関係ないか。
「なあ、きっと幽霊なんてただの噂だぜ。早く帰ろう」
「いいえ、この部屋には何かいる……。ハッ、ほらあそこ!」
オッサンのいる窓際を指差す今際。心臓が大きく脈打つ。まさか本当は視えるのか?
「あのダンボールに文芸部って書いてあるわね。きっとこの部屋、以前は文芸部が使っていたのよ」
オッサンではなくその背後に置いてあるダンボール箱を見ていたようだ。
ガクッと全身の力が抜ける。
「……だから何だよ」
「え、えーと。こっちじゃなくて、あっち!」
ぐるんと大きく方向転換し、左隅を指差す。
「あそこに幽霊がいるわ! 女の子ね、歳は私と同じくらい。
セーラー服を着ているから多分この学園の生徒よ」
自信満々で語る今際。だが霊の居場所はもちろんその特徴さえも、1ミリもかすらない残念っぷりである。
「ちょっと彼女に話を聞いてみるわ。あ、ちゃんとそこで待ってなさいよ。
ひとりで逃げたら絶対許さないんだからね」
俺の返事も聞かず、今際は幽霊(仮)に歩み寄る。
「はじめまして、私は霊能者の今際零子よ。あなたの名前を教えてもらっていい?」
オッサンから背を向け、何もない空間に話しかける今際。
なんだこれ。目を覆いたくなるほどの痛々しさだ。
止めようかと思ったが、やめた。これはいい機会かもしれない。このまま放っておけば、除霊は十中八九失敗する。
その現実を突きつけられれば、流石の今際の目も醒めるだろう。
自分が霊能者であるというくだらない夢から……。俺ができることは黙って見守るだけだ。
「そう、あなたはここで心臓発作で亡くなったのね。可哀想に……くちゅん!」
しばらくひとり芝居を続けていた今際だったが、くしゃみにより中断する。
鼻を擦りながら、
「……埃っぽいわね。それに電気も付かないから薄暗いし。そうだ、窓を開けてもいいかしら?」
幽霊(仮)に了解をもらうと、今際は俺に視線を向けた。黙って頷く。
「じゃあ開けるわね」
今際が窓の鍵を開けようと、オッさんに近づいた瞬間ーー。
ドン!
何かを叩きつけるような大きな音が部屋に響く。
「何?」
今際がその場で足を止める。
パチン!
次は何かが破裂する音。これは『ラップ現象』!
オッさんに視線を向ける。あんなに人が良さそうだったのに、今は鬼の形相。どうやら怒らせてしまったようだ。
ドン!ドン!ドン!
パチン!パチン!パチン!
音は次第に大きく、激しくなっていく。
今際は恐怖のせいだろうか、その場で固まっていた。とにかくこの場を離れなくては。
「今際! 逃げるぞ!」
俺は今際の腕を無理矢理引っ張り、部屋を飛び出した。
そして素早くドアを閉じる。その瞬間、音は聞こえなくなった。奴は地縛霊、おそらく部屋の外まで追いかけてこれないだろう。
ふう、危なかったぜ。俺はドアに寄りかかるように座り込んだ。
しかしあのオッサンの怒りポイントが分からないな。俺たちは別に悪いことはしてないぞ。
部屋に入ったこと自体を怒っているという可能性もあるが、それならもっと最初の頃にアクションを起こすはずだ。
もしかして窓を開けられたくなかったのか? いずれにしろもう関わらないほうがいいだろう。
そして今際はしょんぼりと頭を垂れていた。
まあそうなるよな。俺だってちょっと怖いレベルだったし。だが、これで少しは懲りただろう。
「ねえねえ、今の『ラップ現象』よ!」
しかし、顔を上げた今際は満面の笑みを浮かべていた。
「あ、もしかしてラップ現象を知らない?
ラップ現象っていうのは、さっきみたいに何もない空間から音が聞こえることで、霊が何かを伝えるために起こしていると言われているの」
「へ、へえ。そうなんだ」
「何その反応。言っておくけど、これはすごい貴重なことなのよ!
これだから一般人は、やれやれだわ」
目を輝かせながら早口で語る今際。あ、あれ? おかしいな。こんなハズでは……。
「さて、この部屋に取り憑いてる幽霊の正体も分かったことだし、除霊を始めるわよ」
零子そう吹かしながら、みたび開かずの間に足を踏み入れた。俺も仕方なく追いかける。
「何言ってるんだお前は。無理に決まってるだろ、やめろ」
俺は過去の経験から『除霊』が容易いものでないことを知っていた。
地縛霊は強い未練を持っている。それを断ち切るのはちょっとやそっとじゃいけないわけで。下手をすればこちらが命を失うかもしれない。
それにコイツの除霊方法といえば数珠でぶっ叩くだけじゃないか。もしや今日もアレをやる気なのか?
俺は想像する。何もない空間で数珠をブンブンと振り回す今際の姿を。
「ププッ、絶対無理だろ」
「ちょっ、アンタ今なんで笑ったのよ。いい? 私には秘密兵器があるのよ!
これを使えばどんな地縛霊も一発なんだから」
今際は自分の通学鞄をごそごそと漁り始めた。
「これを使うのよ!」
にゃーん! 自信満々で取り出したのは手のひらサイズの黒猫のぬいぐるみだった。
「は?」
「間違えた。えーと、おかしいわね。確か持ってきたはずなんだけど」
床にしゃがみ込み必死な形相で鞄を探す今際。鞄の中は役に立たなそうなガラクタばかり。
おかしいな、勉強道具が一切入ってないぞ。コイツ学校に何しに来ているんだ?
「今度こそあったわ! これよ」
今際が握っていたのは細長い筒上の物体、よく見ると表面には『33連発』と赤字で書かれている。もしかしてこれってーー。
「打ち上げ花火よ」
「そんなん見れば分かるわ! で、それどうするつもりだ。お前まさか……」
「もちろんぶっ放すわ!」
絶句する俺を尻目に、今際はドヤ顔で語りはじめた。
「一般人のアンタにも分かりやすく解説してあげるわ。
お墓参りや仏壇に線香を上げるでしょ。
魂はね、煙に乗って天国へ昇るのよ。さらに幽霊は輝く光が嫌い、つまり煙が出て激しく輝く花火は除霊に効果てきめんってわけ。
さ、これで無学のあんたも理解できたでしょ。火をつけるから離れなさい」
今際はチャッカマンの火をつける。ゆらゆら揺らめく小さな炎に照らされる彼女の端正な顔は、大真面目そのものだ。
俺は慌ててチャッカマンを奪い取った。
「ちょ、邪魔しないでよ! 危ないじゃない」
「危ないのはお前だ、バカ! こんな密室で花火を付けたら大変なことになるぞ」
「わかっているわよ。煙のせいで火災報知器が鳴り校内は大騒ぎ、先生に大目玉をくらうわ」
「じゃあなんで!」
「放っておけないからよ」
今際が真っ直ぐに俺を見ている。つり目がちな大きな瞳には一切の曇りがない。
「幽霊はね、強い未練でこの世に縛り付けられた魂のことを言うの。
時間と共に消滅する幽霊もいるけれど、ほとんどはそのまま。いつも救いを求めて永遠にこの世を彷徨う。
そんな幽霊を救えるのは、私のような霊能者だけなのよ」
「だからなんだよ。救ったところで何の得にならないじゃないか。
相手は赤の他人、それも死人だぞ! 下手をすれば生きている人間から頭がおかしいと思われるぞ」
今までずっとそうだった。
誰からも理解されず1人ぼっち。そんなの嫌に決まっているだろ!
しかし今際は優しく微笑むと、
「ねえ、なんでキリンの首が長いか知ってる?」
「は? なんでいきなりそんな話」
「キリンはね、昔首が短かったそうよ。
でも高い木に生えている葉を食べるために、首が長く進化した。
この世にはね、不要な能力なんてないのよ。私の霊能力もきっと神さまが授けてくれたに決まってる。
幽霊を救うことは私の使命なの。私は私だけにできることをしたい」
ツッコミどころ満載なのに、なぜか言葉が出てこなかった。
今際はすごく綺麗で、俺は思わず見惚れてしまったんだ。
「と、言うわけでチャッカマンは返してもらうわよ!」
「あっ、コラ!」
一瞬の隙を突かれ、チャッカマンを奪われる。そして今際は導火線に火を付けたーー。
パン、パン!
激しい破裂音33回とともに、鮮やかな火花が散った。あっと言う間に部屋に煙が充満する。
「うう、煙が目にしみる!」
「ゴホッ、ゴホッ! お前のせいだからな!」
ドアから脱出した俺たちだったが、外はもっと悲惨な様相であった。
煙に火災報知器が反応したのだろう、けたたましい非常ベルが部室棟に響き渡る。
廊下は避難のため生徒達でひしめき合い、怒声や悲鳴が飛び交う修羅場と化していた。
今際の顔がみるみる青くなる。自分のしでかした事の重大さにようやく気がついたようだ。
しかし本当の地獄はこれからだ。
逃げ惑う生徒達の波をかきわけ、こちらへ近づいてくる人物が1人。角刈り筋肉質の中年ーーあれは生活指導兼俺たちの担任の毒島先生だ。
「ん、煙は出ているけど火はない? おい、この部屋で何があった?」
毒島先生は息を切らしながらそう尋ねる。
この状況はまずい。思わず後退りするが、なにかが背中にぶつかった。知らない男子だった。
いつの間にやら野次馬の生徒達に囲まれていた。逃げ場はない……。
今際よ、お願いだから空気を読んで穏便に済ませてくれ。
「心配しないでください。除霊をしていただけです。
この部屋にはですね、悪霊がいたんです。でも大丈夫、花火を使用したことで無事成仏しました」
期待を裏切らない奴、いや今回ばかりは裏切って欲しかったが。
当然のごとく先生は大激怒である。顔に青筋を立てながら、今際を怒鳴りつけた。
「花火だって! 火事になったらどうする気だ!」
「い、いやその、だから悪霊がいたほうが危ないというか」
「何を言ってるんだお前は! 幽霊なんているわけないだろ!」
「います! 先生に見えないだけでーー」
「つまらない言い訳をするな!」
「ひぃっ!」
先生がよっぽど怖かったのだろう、今際は黙り込んでしまった。
「おい、烏丸。お前も一緒にいたんだろ、どういうことか説明してくれ」
くそ、こっちにまで火の粉が飛んできやがった!
ペットショップにいるチワワみたいな目をした今際が、俺をじっと見つめている。
「……すいません。俺は全力で止めたんですけど、今際さんが無理矢理花火に火を付けました」
ま、当然見捨てるが。
「う、裏切り者ぉ!!!!」
「勝手に共犯にするな! 全部お前が1人でやったことだろ」
「そうだけど、ちょっとくらいかばってくれてもいいじゃない! 昨日助けて上げたのにこの恩知らず」
「まだ話は終わってないぞ! 2人共静かにせんか!」
先生に怒られ口を噤む俺たち。くそ、俺はなにも悪くないのに……。
先生は心底呆れたようにため息を吐くと、
「つまり火を付けたのは今際なんだな」
「はい。で、でも悪霊がいたから」
「言い訳は聞いていない! 詳しく話を聞きたいから生徒指導室まで来い!」
「えっ、いや、それは」
「家族を呼ぶぞ」
「うぅ、分かりました。行きます、行きますから家族、家族だけは勘弁して下さい」
急にしおらしくなる今際。流石の霊能者様も家族を突かれると弱いようだな。
「あと烏丸、お前は来なくていいぞ。あんまり関係ないみたいだからな」
「はい」
「それじゃあ今際、行くぞ」
先生の後をとぼとぼ付いて行く今際、2人のために野次馬達が引き道ができていく。
小さくなっていく彼女の背中が妙に物悲しく見えてーー。
ようやく部室棟にいつもの日常が戻ってきた。生徒たちは各自の部室へ戻っていく。そうしてただ1人、俺だけが廊下にぽつんと取り残された。
さて、家に帰るか。
しかし開かずの間に通学鞄が置きっぱなしであることに気がついた。
これで何度目だろうか、しかしこれで本当に最後だろう。俺は開かずの間に足を踏み入れる。
室内は相変わらず埃っぽく薄暗い。そしてオッさんが立っている。
きっとこの部屋はこれからも、ずっと永遠に『開かずの間』なのだろう。
まあ、俺には関係ないことだが。鞄を拾うと出口に向かい歩き出す。
『幽霊を救うことは私の使命なの。私は私だけにできることをしたい』
なぜかアイツの声が反響する。それは俺の心臓の、とてもとても深いところを突き刺して。
気がつくと俺はオッさんの前に立っていた。
「なぜ、こんな所にいるのですか?」