開かずの間 前編
私立黄泉坂高校、それが俺たちの通う学校の名前だ。
生徒数1200人、偏差値60程度の取り立てて目立った特色もない平凡な高校。
しかしその歴史は古く創立されたのは明治時代、校舎も昭和初期に建設された。
赤煉瓦造りの外壁に時計台、窓にはめ込まれたステンドグラス、アーチ状の高い天井ーー詳しくは知らないがゴシック建築というらしい。まるで魔法学校の如く荘厳な雰囲気を醸し出している。
で、俺が何を言いたいかというと……この学園は幽霊が多い!
古い建物は幽霊が集まりやすく、長い歴史の中では非業の死を遂げた生徒もいるわけだから当然だ。
そして数が多ければ人間に悪さをする幽霊も多く、怪談話は後を絶たない。
おそらく『開かずの間』とやらもその手の怪談話のひとつだろう。
しかし俺はボッチ。その手の情報を教えてくれる友達がいないため当然初耳だ。
どんな噂なのか、そもそも場所がどこかさえも知らない。
「今際さん、開かずの間ってどこにあるんだ?」
俺の3歩前を歩く今際は振り向きもせず、
「部室棟よ」
「ああ、部室が集まっているっていう」
そういえば入学式の時に聞いたな。部活に入っていないから一度も行ったことはないが。
「なに? そんなことも知らないの。ってことは『開かずの間』の噂も……」
「知らない」
「もっと早く言いなさいよ。はぁ、仕方ないわね。この私が直々に教えてあげるわ」
仕方ないわね、というわりにその声はずいぶん嬉しそうに聞こえた。
今際は歩く速度を緩め、俺の横に並ぶと得意気に語り始めた。
「ほら、ウチの学校って部活が多いでしょ。
部に対して部室が全然足りてなくてね、本来なら全部埋まってなくちゃいけないの。だけど、なぜか部室棟には空室がひとつあるの」
「……幽霊が出るからみんな嫌がって使いたがらないってわけか」
「そう。その部屋に1人でいると肩を叩かれたり、物が勝手に動いたりするらしいわ。あと誰もいないはずなのに、窓から人影が見えたり。
その部屋を使おうとした部はいくつもあったみたいだけど、3日ともたず出て行っしまったらしいわ。
それでいつからか『開かずの間』と呼ばれるようになったんだとか。
あ、ちなみに黄泉坂高校七不思議のひとつに数えられているからね」
ま、よくある怪談話だな。
害もなさそうだし、それになにより『開かずの間』。開かないのだから入ることもできまい。
これは早く帰ることができそうだ。
それから階段を降り渡り廊下を通りーー。『部室棟』に到着した。
後から増築したのだろう、部室棟は一般的な鉄筋コンクリート製だ。校舎のように洒落た細工は見当たらず、無機質な印象を受ける。
長い廊下にずらりと並ぶ薄汚れたドア達、部屋名札には部活名。
何人もの生徒とすれ違い、ドアの向こうから笑い声が漏れ聞こえてくる。
まさに青春の1ページ。俺とは関係ない世界がここには広がっている、そう考えると少し寂しい気持ちになった。
「ここよ」
今際が足を止めたのは2階の角部屋だった。
部屋名札は空欄、ドアは汚れひとつ見当たらないほど小綺麗で。
他の部屋とは明らかに雰囲気が違う。
嫌な感じもより一層強くなり、キーンという耳鳴りがしてきた。これは幽霊が近くにいると起こる現象だ。つまりこのドアの向こうにはーー。
「じゃ、俺はこれで帰るからからな。お疲れ」
しかし今際に襟首を掴まれてしまう。
「は? 何言ってるのよ。これからが本番でしょ」
「だって入れないだろ。開かずの間なんだから」
「入れるわよ、ほら」
今際は通学鞄から鍵を取り出し、俺の目の前に突き付けた。
「まさかこれ、開かずの間の鍵か?」
「そうよ、生徒会長に頼んで貸してもらったの」
開かずの間、結構簡単に開くじゃねえか! なんという名称詐欺。
今際は鍵を開けると、
「さ、初仕事よ。室内の偵察をしてきなさい」
顎をクイッとし偉そうに俺に命令する。
その瞬間、俺の中でプツンと何かが切れる音がした。
「もう付き合ってられるか!俺は帰るからな!」
「あらあら、私にそんな口を聞いていいのかしら」
「言っておくが、泣いても無駄だからな。3度は同じ手は通用しない。
もはやお前の涙は無価値だ」
「馬鹿ね、知らないの?女には涙の他にもうひとつ武器があるのよ。ほら……」
そう言うなり、今際は自分のスカートをめくり上げる。
普段は隠れている部分がゆっくりと露わになっていく。
今際の太ももはやはり、いや想像以上に素晴らしいものだった。
適度にむっちりと肉付きがよく、黒ストッキングの生地が伸びて肌が少し透けて見えてーー。
俺は生唾を飲んで、その様子を見守る。
そしてついに太ももあたりに付いている濃いライン、通称ランガードが見えた。ストッキングの伝線防止のために作られたはずなのに、なぜこんなにえっちなのか。
もう少し、ほんのちょっぴりスカートが捲れればパンツが……!
そこで我に返った。慌てて今際から背を向ける。
「ちょっ、何やってるんだよお前は!」
「色仕掛けに決まってるでしょ!」
「い、色仕掛けぇ?」
「パンツ見せて上げるから言うこと聞きなさい! ほら、好きなだけ見なさいよ! この変態!」
今際が目の前に回り込んできた。視界に入らないよう、首を大きく捻る。
「へ、変態はお前だろ! 自分からスカートめくり上げて」
「勘違いしないでちょうだい!わ、私は本当は恥ずかしくてすごく嫌なのよ!
でもアンタが言うこと聞いてくれないから仕方なくやっているだけなんだから!」
俺だって本当は見たいわ! もっと言えばその太ももを撫で回したいわ!
なんて言えるはずもなく、無言で首を捻る。しかし今際も正面に回り込んでくる。
こうしてボールを合うバスケットボール選手のように激しい攻防戦が始まったーー。
「わ、わかった。言うことを聞くからもうやめてくれ……」
「わかればいいのよ。フフン!」
勝ち誇る今際。
ムカつく。でも素晴らしい太ももが見れたのはラッキーだったな。
「じゃあ、開けるぞ」
今際が無言で頷く。
大きく息を吐くと、ゆっくりドアノブを捻る。ドアは何の抵抗もなく開いた。
ほんの数センチ開いた隙間から漏れてくるのは、全身の毛が逆立つほど冷気。
ドアを押す手が止まる。
本当にこの部屋に入っていいのだろうか、そう逡巡しているとーー。
ドン
背後から強い力で押された。大きくバランスを崩し、前のめりで倒れる。
全体重がかかったドアは勢いよく開き、支えを失った体が空を切る。
そしてそのままゆっくりと、いやゆっくりに感じたのはきっと俺だけだろう。とにかく俺は床に叩きつけられたわけだ。床に積もっていた綿ぼこりがふわふわと舞う。
痛みと共に生まれてきたのは激しい怒りの感情だった。その矛先は当然ながら押した人間、今際に向かう。
「何するんだ! この馬鹿!」
「ぷぷ、ちんたらしてるから手伝ってあげただけよ」
今際は悪びれるどころか、いたずらっ子のようにクスクス笑っていた。
こんなに女の子を殴りたいと思ったのは初めてだ。
と、今際の顔から笑顔が消えた。
「……そんなことより。どう、何か変わったことはない?」
そうだ、俺が今立っている場所はーー。
室内を見回す。
あまり広くない。だいたい10畳くらいか? 奥行きがある細長い部屋。
出入り口のちょうど正面に大きな窓があるが、カーテンは締め切られているので薄暗い。
意外にも片付いており、部屋の隅にいくつかの段ボールが置かれているのみだ。
しかし妙に肌寒い。もう5月なのに真冬のようだ。
いくら日当たりが悪い部屋とはいえ、この寒さは異常だろう。
そして部屋の奥からこちらを見つめる人影がひとつ。
こんなに薄暗いのに、目を凝らさなくてもその目鼻立ちまではっきり見える。
間違いない。コイツは幽霊だ。だけど……なんでだよ?
俺は首を傾げる。そこに立っていたのは明らかに中年男性、ただのオッさん。
見間違いかと思い目をゴシゴシと擦ったが、確かにオッさんだった。
歳は60くらいか。禿げ上がった頭に腹の出た肥満体型、Tシャツ短パン姿。
いかにも飲み屋とかに生息していそうなありふれたオッさんが窓際に佇んでいる。
これは明らかに異常だ。
オッサンはおそらく『地縛霊』、なんらかの理由でこの部屋に縛られ動けないのだろう。
考えられる原因は2つ。
この場所で亡くなったか、強い思いれがあるか……。どちらにせよ、この部屋に深い関わりがあるに違いない。
しかし見ての通りオッさんである。高校の、しかも部室棟の一室と一体何の関係が? この部室で死んだとは思えないし。
あ、もしかして何か強い思いれがあるのか。実はこの部屋を使っていた部の顧問の先生をやっていたとか?
「ちょっとぉ、何か異常は?」
背後から不機嫌そうな今際の声。
そうだ、何を悩む必要があるんだ。俺には関係ないことじゃないか。
それにこのオッサン、部屋の隅で立っているだけで害はないみたいだし。よし、放っておこう。
「何もないから大丈夫だぞ」
「本当、嘘付いてない?」
「嘘なんて付いてねーよ。ほら入ってこい」
「なんか信用できないわね。もう一度ちゃんと確認しなさい」
覗き込むだけで、一向に部屋に入る気配のない今際。あ、もしかして。
「お前、怖いんだろ?」
一瞬の沈黙。
「はああああぁぁぁ? そんなわけないじゃない。
私は霊能者なのよ。普段から霊には見慣れてるの。恐怖なんて感情はとうの昔に消えたわ」
顔を真っ赤にし、大声で喚く今際。
図星か。
泣き真似やパンツを見せようとしたりとやけに必死でおかしいと思っていたんだ。
1人で来るのが怖いから、俺を道連れにしたわけか。
その時、俺の嗜虐心に火がついた。ククク、これまでの仕返しも兼ねて少しからかってやろう。
「ゴメン。本物の霊能者が幽霊が怖いなんてことないよな」
「そうよ。全くこれだから一般人は」
「じゃあ早く入ってこいよ。除霊するんだろ?」
「……ッツ! その、えーと。そう、敏感なの!
私は霊能者だから悪霊に近付くと、色んなところが痒くなっちゃうのよ」
今際の目が大きく泳ぐ。
「あれ? でも昨日は悪霊に取り憑かれていた俺に近付いてたよな」
「あ、ああ〜忘れてたわ。修行で3日前に克服していたんだったーー。
っかーー、すっかり忘れてたわーー。修行で克服したことをーー」
色々とガバガバだな、オイ。
ようやく観念したのか今際は顔を引き締め、
「そこまで言うなら仕方ないわね。部屋に入ってあげるわ」
零子は部屋に恐る恐る足を踏み入れた。
「ほら、大丈夫でしょ!」
超ドヤ顔で仁王立ちする今際。
しかし黒ストッキングで包まれた2本の細い足は、プルプル震えている。産まれたての子馬かな?
「ふふ、武者震いが止まらないわ」
強がりだけは一丁前だ。よし、仕上げに取り掛かるか。
俺は今際の耳元で、
「わっ!」
と大声を上げた。
「ギャアアアァァァ!!」
今際は大音量の悲鳴をあげると、脱兎のように部屋から飛び出していってしまった。
えっ、そこまでか? そこまでなのか?
呆気にとられる俺。しかしすぐに我に返り、後を追う。
今際は廊下の隅でうずくまっていた。しかもマナーモード中の携帯みたいに小刻みにブルブル震えているし。
ちょっと罪悪感を感じてしまう。
「あの、今際。ゴメンな。ちょっとふざけちゃってさ」
「……違うから」
うずくまったまま、今際が何やら呟いた。
「は? 今なんて」
「違うからね! 私は怖くて逃げ出したんじゃないの!
ちょっと悪霊の霊気にアレされちゃっただけなんだからね!だって私は霊能者なんだから!」
涙目の今際に睨まれる。
ここまで醜態を晒したというのに自分が霊能者と言い張るなんて逆にすごい。
呆れる以上に軽く尊敬の念まで感じ、それ以上何も言えなくなった。
「もう大丈夫。さ、捜査を再開するわよ」
「まだ続ける気なのか! もう帰ろうぜ」
「駄目よ。まだ何もしてないじゃない」
「ちょっ、待てよ」
今際は俺の制止も聞かず、部屋に入ってしまった。何がアイツを突き動かすのだろうか?