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溺れる手 後編

 

 鼻に口に耳、ありとあらゆる穴に水が入ってくる。


 く、苦しい。


 この時の俺はパニックに陥っており、足をつくという選択肢がすっぽり抜け落ちていた。水面に手を伸ばすが、掴めるものは何もなく、虚しく水を切るだけ。パニックはますます加速し、激しくもがくが、暴れているせいで身体は浮上しない。


 ああ、完全なる悪循環。

 体力も減ってきて、このまま死ぬのかな、なんて考えてしまう。


 しかしあることに気づいた。

 この光景、どこかで見たような?


 突然、身体が引き上げられた。


「プハッ! ごほごほごほっ」


「十夜、大丈夫?」


 プールサイドから身を乗り出し、俺を心配そうに見つめる零子。どうやら彼女が俺を引き上げてくれたらしい。


「悪霊に引きずりこまれたのねっ! やっぱり早く除霊しないと」


「いや全部お前のせいだから。よくも肘鉄を喰らわせてくれたな」


「てへぺろ☆」


「誤魔化すな」


 お返しとばかりに水をかけてやる。


「きゃっ、冷たっ」


「言っておくが俺はお前の100倍は冷たいんだからな」


 手首が怖いので、復讐もそこそこにプールから上がる。うわ、下着の中までびしょびしょだ。まあ今日は暑いからすぐに乾くだろう。


 それよりもさっきのデジャヴはなんだったのだろう。

 ふとプールに視線を向ける。相変わらず手首は水中を蠢いているーー。


「あっ」


 思わず声を上げる。わかったぞ、デジャヴの正体!


「なあ零子! もしかして手首は人を引き込もうとしているんじゃなくて、助けを求めているんじゃないのか?」


 俺が溺れた時の手と幽霊の手、2つは全く同じこと動きだったのだ! つまり、あの手もーー。

 しかしそうとは知らない零子は疑わしげな目で、


「はぁ、何言ってるの? 相手は悪霊なのよ」


「じゃあ今までに手首に殺された生徒はいたのか?」


「まあ……それはいないけど」


 やはりな。見た目こそ怖いけど、あの手首嫌な感じはあまりないんだよな。


 後は零子次第だがーー。

 零子はしばらく考えると、


「除霊より、成仏させてあげる方がいいかもしれないわね」


「それじゃあ」


「ええ、幽霊を助ける方法を考えましょう」


「助ける方法か……」


「あ、いいこと思いついた。アンタがプールに立っていなさい。それで足を引っ張られたら、引き上げてあげるの」


「無理無理無理っ! 極楽院さんの足に付いた手の跡を見ただろ? かなりの力だ、逆に引きずりこまれちゃうよ。それに幽霊に触られるのってなんか嫌だし」


「幽霊を助けるためよ、頑張りなさい」


「その役、お前がやればいいんじゃないか? 俺みたいな一般人より、霊能者の足の方が食いつきがいいって!」


「別の方法を考えましょう」


 零子と頭を付き合わせ考えるが、なかなか良い案が浮かばない。


 触れずに幽霊を引き上げる方法、か。


「……魚みたいに釣り上げられればいいんだが」


「それよ!」


 俺の呟きに、零子が歓声を上げた。


「いやいや、無理だろ。そもそも針に引っかからないし」


「ふふ〜ん、それもちゃーんと考えたわ。ちょっと待ってなさい」


 そう言うなり、零子は走り出した。


「こら、プールサイドは走るなっ!」


 ◇


 零子が戻ってきたのはそれから10分後のことだった。

 その手には釣竿と……足!?


「釣竿はフィッシング同好会から、足は化学室の人体模型から拝借してきたわ」


「うわっ、これ人体模型の足かよ! まさかお前……」


「その通り! 釣竿と足、合体させまーす」


 零子は釣り糸の先に足を取り付けた。


「これで幽霊も掴みやすくなったでしょう」


「お前また怒られるぞ」


「幽霊が救われることに比べたら教師の怒りなんてちっぽけなことよ」


 零子は足を放り投げた。釣り経験者なのだろうか、なかなか美しいフォームだ。

 釣り糸に繋がれた足は、放物線を描きながら水にぽちゃんと落ちた。


「あとは幽霊が引っかかるのを待つだけね」


 ドヤ顔の零子。しかし足が落ちたのは、手首からかなり離れた場所だった。


「うー、釣れないわね」


「投げ直したらどうだ?」


「そうね」


 続いて2投目、投げました!しかしまた離れた場所に落ちてしまう。

 まあ、零子は手首が見えてないんだから仕方ない。次は俺が誘導してやろう。


「なぁ零子、プールの中心に向かって投げてみたらどうだ?」


「はぁ? 私は霊気を辿って投げる場所を決めてるのよ! 一般人が余計な口出してるんじゃないわよ」


 俺の助言を無視し、明後日な方向に釣竿を振る零子。コイツが無駄にプライド高いの忘れてた!

 当然手首は引っかからずーー。


「飽きたわ」


 そのうち零子は完全にやる気を失った。


「なんか喉渇いちゃった。ジュース買ってきなさい」


「断る」


「アンタ助手のくせに全然仕事しないわねっ! いいわ自分で買ってくるから」


 零子はぶつぶつ言いながらプールから出て行ってしまった。無論、釣竿は置きっ放しだ。


 今がチャンス!


 プールを確認すると、手首は向こう岸近くで蠢いていた。

 俺は釣竿を拾うと、足をプールに投げ込む。

 しかし釣り未経験者の俺、思う方向には飛ばず、かなり手前の場所に落ちてしまった。


 釣りがこんなに難しいとは思わなかった。早くしないと零子が戻ってきてしまう。


 急いで足を水面から出そうとした時だった。それまでランダムで動いていたのが一変、手首が足に近付いてくるではないか!


「えっ、えっ?」


 混乱する俺をよそに、手首はついに足を掴んだ! 同時に重くなる釣竿。


「うわっ、コイツ!!」


 踏ん張り力を振り絞るが、全く引き上げることができない。それどころか向こうの方が力が強い。ジリジリと引っ張られ続け、ついにはあと一歩踏み出せばプールに落ちてしまう地点まで引きずられてしまった。


 もうだめだ!


 釣竿を手放そうした瞬間、後ろから誰かに抱きしめられた。


「諦めちゃだめよ!」


 零子だ。

 彼女は俺の手の上から釣竿を掴むと、


「慌てずゆっくりリールを巻くのよ」


「お、おう」


 もう手首のことなんて吹っ飛んでいた。生暖かい吐息にいい匂い、そして背中には柔らかい2つの膨らみがーーって、ない。コイツ全然胸ねぇのな。まあいいけど。


 妙に冷静になった俺は、零子と協力し手首を釣り上げていく。


 リールを巻き、釣竿を上げ、リールを巻き……。少しづつ少しづつ足と手首が水面に浮き上がっていき、


「もう一息よ! せーのっ」


 一際力をこめると、ついに足が水面から出てきた!

 と、同時に釣竿が軽くなる。


「へっ?」


 急に引く力がなくなったため、俺たちは後ろに倒れこむ。


「痛っ!もう最悪〜」


 悲鳴を上げる零子。だが俺は声を上げることさえできなかった。

 確かに見たのだ。足が打ち上げられた時、見慣れぬ海パン姿の男子生徒が現れたのを。

 彼は一瞬で消えてしまったが、彼の手首は間違いなく、あの蠢く手首と同じものだった。そしてその表情はとても穏やかで。


 プールの中を覗いてみる。しかし手首を見つけることはできなかった。きっともう現れることはないだろう。何年も、いやもしかしたら何十年も続く苦痛から解放されたのだからーー。


 さあと温かい風が吹き、プールの水面に大きな波紋が現れる。夏はこれからが本番だ。


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