溺れる手 前編
ついに我が学園もプール開きとあいなった。
水着に着替えた生徒達が次々に水中へ飛び込んでいく。水面に反射する太陽、跳ね上がる水飛沫。男子は女子の水着姿を盗み見て、女子は恥ずかしそうにしている。実に楽しそうな青春の1ページ……の片隅にも載れない哀れな俺。
俺は見学で、プールサイドの端っこに座り無為に時間を過ごしている。一応日陰にいるのだが、照りつける日光で床が熱せられ、サウナの中にいるくらい暑い。
目の前にプールがあると言うのに、これじゃあオアシスの蜃気楼を見ている砂漠の旅人だ。
じゃあ見学しなければいいじゃないかという話だが、そう簡単にはいかない。
実はこのプール、出るのだ。
今もそう、いる。
クラスメイト達が歪めた水面をよーく目を凝らして見ると、水中に何かが蠢いている。
蝋みたいに真っ白な手首。バタバタと暴れながら、水中を漂っている。
もちろん、クラスメイト達は手首の存在に気がついていないーー。
手首に気がついたのは今から3日前、プールの初回授業の時だ。あの50分間は生きた心地がしなかったなぁ。
2回目の今回は『水着忘れた』とか適当な嘘を付いて休んだわけだ。
「あんたも見学だったの」
日傘を差した零子が俺を見下ろしている。半袖スパッツの体操服。太陽光も相まって、零子の脚線美がより一層眩しく見えて思わず目を細めた。
「水着忘れたんだよ」
「ププッ、ドジね」
むかつく。零子は俺の横に座ると、
「ね、私はなんで見学してるか分かる? 」
「えっ、それは……その。俺の口からはちょっと言えないって言うか」
すると零子はみるみる赤くなり、
「バッ、違うわよっ! 」
「うーん、じゃあ泳げないからか?」
「ブブーッ! 違いまーす。この私、霊能者今際零子がプールを休む理由なんてひとつに決まってるでしょ」
「全然分からない。降参、降参」
「ちょっとは考える素ぶりを見せなさいよっ!全く仕方ないわね、正解は私が見学しているのは幽霊のせいでした! このプール、実は出るのよ」
零子が知っているということは、やはり有名な噂だったのか。
驚いた表情を作ってみせると、零子はドヤ顔で、
「10年前、このプールで生徒が溺れ死んだらしいの。それ以来、プールで泳いでいると足を引っ張られるんだって。きっと溺れさせて仲間にしようとしてるのね」
「へ、へえ」
「もしかしてびびってる〜? ダッサ」
「びびってなんかねーよ! びびってるのはお前だろ! わざわざ見学なんてしやがって」
「わ、私が見学してるのは、そうアレよ。幽霊の動向をこう、監視しているの。何かあったら私がーー」
その時、絹を裂くような悲鳴が響いた。プールの中央付近で誰かが溺れている!
体育教師が素早く水中に飛び込み、溺れた生徒をプールサイドまで引き上げる。たちまち野次馬達が取り囲み、見えなくなってしまった。興味をそそられた俺たちは、野次馬の中にとびこんだ。
溺れた生徒は極楽院さんだった。
事故物件に住んでおり、以前俺たちが助けた女の子だ。
水を飲んだのだろう激しく咳き込み、長い髪は乱れ、濡れたスクール水着は豊満な肉体にぴっちりくっついていてーー。不謹慎ながら少しエロいと思ってしまった。
しかしなぜ溺れたんだ? 極楽院さんは運動神経抜群で、そもそもプールは浅い。溺れる要因などないはずだが。まさかーー。
極楽院さんは息を整えると、こう叫んだ。
「誰かに足を引っ張られたの!」
彼女の右足には、真っ赤な手の跡がくっきりと残っていた。
零子はドヤ顔で、
「これは心霊探偵同好会の出番ね!」
◇
そして放課後。体操服姿の俺と零子はプールサイドに立っていた。本日水泳部の活動は休みのため、プールは無人。水面は静かに太陽光を反射しているーー。
「危険な悪霊は除霊するわよ!」
「はいはい」
俺を疑いの目で見る零子。
「妙ね。今回は素直じゃない。いつもなら除霊を止めるくせに」
「どうせ俺が止めても押し切るだろ」
肩をすくめてみせる。
……本当は除霊に乗り気だ。これ以上体育の授業を休むわけにもいかないし、極楽院さんの件もある。断じて零子に同調したわけではないぞ。断じて。
「ようやく助手として自覚できるようになったのね。関心、関心」
「……そんなことよりどうやって除霊するつもりだ」
幽霊は手首のみで、コミュニケーションを取ることは不可能。そして25メートルプールの中を縦横無尽に動き回っている。追いつくのだけでも困難だ。
「安心しなさい。除霊方法ならちゃーんと考えてあるわよ」
零子はビニール袋から塩と酒を取り出した。
「煮物でも作るのか?」
「違うわよ! プールに撒くの。いい? お酒と塩は場を清める効果があるの」
「それは知っているが……。だいたいそれ調理用だろ!」
「これしか準備しかできなかったのよ。でも大丈夫、この天才霊能者今際零子の手にかかれば調理用だろがパパッと除霊できちゃうんだから!」
と、プールの中に塩を投げ込もうとする零子。
俺は慌てて、
「ちょっと待て! 袋ごとなのか? 丸ごとなのか?」
「そうよ。プールは広いからむしろ少ないくらいよ」
「バレたらまた大目玉だぞ。やめとけ」
「溶けるから分からないわよ。ほらどきなさい」
「やめろ!」
俺と零子はもみ合いになった。と、零子の肘が俺の腹に入った。
「ぐふっ!」
呻き声を上げながら後ろにつんのめり、
「うわっ」
濡れた床に足を取られる。
その後はあっという間だった。逆転する世界、雲ひとつない空、高く飛び跳ねる水飛沫ーー。
つまり一言で言うと、俺はプールに落ちた。




