往生漠 其ノ肆
「でもそんな世界で一番可愛いれいちゃんだから心配事もある。男だ。悪い虫が、それこそイナゴの大軍みたいに押し寄せてくるに決まっている!
本音を言えば座敷牢に閉じ込めて誰の目にも触れさせないようにしたいのだけど、可哀想だからそんなことはできない。
だから高校は女子校に進学させて、女子高生四コマ漫画みたいな毒にも薬にもならない学園生活を送って欲しかったーー。でもどうしてもお兄ちゃんと同じ高校に行きたいと言ったから、仕方なく本当に仕方なく、この学校に入学させたんだ。れいちゃんのクラスメイトのオス共にには目を光らせていたはずなのに、なんでノーマークだった君がれいちゃんと仲良くなった。
僕は嘆き悲しんだ。食事も喉を通らず三キロ痩せた。この世の全てを呪った。今も悲しくて悲しくて……」
往生先輩はクソ長いセリフを一息に言い切ると、一転、力なくテーブルに突っ伏してしまった。時折嗚咽が漏れ聞こえ、体は小刻みに揺れている。どうやら泣いているらしい。
俺はドン引きである。
なんとなく予想はしていたのだが、いや想像以上に、往生先輩は重度のシスターコンプレックスのようだ。
そうなると零子のボーイフレンドの俺は、往生先輩にとって敵以外の何者でもないということか。
「……つまり零子に近寄るなということですか」
「違う!」
顔を上げた往生先輩の表情は怒りに歪んでいた。
違うのかよ!と脳内でツッコミを入れつつ、俺は少しホッとしていた。どうやら初めての友達ーー零子のことを、自分でも気が付かないうちに大切に思っていたらしい。
「じゃあ一体何の用なんですか」
「僕が言いたいのはね」
往生先輩はそこで言葉を切ると、顔を引き締めた。目を大きく見開き、口を強く噛み締め、まるで何か大きな決断をする前みたいな緊張した面持ちだ。それから大きな深呼吸をひとつすると、
「2人のケッコンを認めます」
俺は自分の耳を疑った。
聞こえてきた音を、そのまま復唱してみる。
『ケッコン』
血痕……は文章が意味不明になる。もしかして結婚? 男女が夫婦になること。それなら文章も成立するが、今この瞬間、往生先輩の口から出るのは不自然ではないだろうか。そうなると可能性はひとつ、聞き間違いだ!
……しかしその淡い希望は、往生先輩の台詞により、打ち砕かれることになる。
「入籍はいつにする? まだ十夜君は15歳だから、最短で3年後か。でも就職して生活基盤がしっかりしてからの方がいいから、大学を卒業して就職3年目の24歳くらいの時? まあそこら辺は2人で話し合って決めていいから。
あ、でも結婚式は絶対やってね。れいちゃんのウェディングドレス姿は絶対見たいし、バージンロードを一緒に歩くのは僕の夢なんだ。お色直しは最低三回は入れてね」
冗談かと思ったが、往生先輩の表情はどこまでも本気だった。
なぜこんな突拍子もないことを言い出したんだろう? もしや俺と零子が付き合っていると勘違いしているのか。それなら早く誤解を解かなくては!
「ちょっと待って下さい! 全然意味がわからないんですけど! 」
「れいちゃんの幸せを考えた結果だよ。僕と2人きりより、結婚して温かな家庭を持った方がいい。寂しいけど仕方ない」
「け、結婚以前に俺たち付き合ってませんから! ただの友達です」
「でも近い将来そうなるんだろ?」
「ならないですっ」
そう俺が言った瞬間、往生先輩の目から光が消えた。
「……つまり君にとってれいちゃんとは『遊び』なのかい?」
「いや遊びとかそれ以前にそもそも付き合ってませんから」
「個室で2人きり、互いの酸素と二酸化炭素をガス交換している。つまり結婚の約束をしたのと同じ!」
「結婚のハードル低くくないですか? それだと世界中婚約者だらけですよ」
「屁理屈を言うな! れいちゃんとイチャイチャしやがって!羨ましい奴め! 」
テーブルで机を殴る先輩。乾いた衝撃音が響き、フードコート中の視線が集まる。
この人やっぱりやべー人だった。そうだよな、零子の兄がまともなわけなかったんだ!
往生先輩は肩で息をしていたが、しばらくすると我に返り、
「……ごめん。僕昔かられいちゃんのことが絡むと、無我夢中になっちゃうんだ。でもね、勘違いしないで欲しいのだけど、僕は君に感謝しているんだ。れいちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
突然頭を下げられ、俺は動揺する。
「そ、そんな、やめて下さいよ!」
「両親が……いなくなってかられいちゃんは笑わなくなった。でも心霊探偵同好会を作ってからは、とてもよく笑うようになったんだ。それもこれもれいちゃんに付き合ってくれている君のおかげだよ」
頭を上げた往生先輩は、優しいお兄ちゃんの顔をしていた。
本当に零子のことを大切に思っているんだな……。凶行も零子を思ってこそ、か。
実は兄弟の絆に弱い俺。凝り固まっていた警戒心が春の雪解け水のようにサラサラと流れていくーー。
「あ、あの彼氏とかは無理ですけど、友達としてなら」
「うんうん、まずは友達からだよね。十夜君は本当に真面目だね。零子を安心して任せられるよ」
「なんか引っかかる言い方ですね。本当に分かってますか?」
「いや〜、十夜君がいい子でよかったよ。全て完璧、零子は幸せものだなぁ」
「か、完璧だなんて。完璧なのは往生先輩の方じゃないですか。頭もいいし、見た目だって」
「いやいや、十夜君は完璧だよ。成績は学年で50位以内だし、校則もきちんと守っているし、実家は都内しかも庭的一戸建てだし、自家用車はレクサスだし、お父さんは一部上場企業の役員でお母さんは専業主婦だし、三親等以内に犯罪者はいないし、ご両親がやや高齢で一人っ子なのはややマイナスだけどまあ最近はいい施設もあるから問題ないよね」
心臓が早鐘を打ち始める。しかし全身を流れる血は驚くほど冷たくてーー。
なぜこの人はこんなに俺のことを知っているんだ?
往生先輩はテーブルに身を乗り出し、キスもできそうな距離まで顔を近付ける。
「十夜君のことはなーんでも知ってるよ。だってれいちゃんの大切な人だからね」
耳元でそう呟いた。かかる吐息は生暖かくて俺は大きく身震いしてしまう。
「じゃあこれからもれいちゃん共々よろしくね。義弟君」
イケメンスマイルでそう言うと、往生先輩はたちまち風のように去ってしまった。
そして俺だけが取り残された。衝撃というか恐怖というか色々な感情がごちゃまぜになり、俺はしばらく固まっていた。動けるようになって自然との溢れ落ちたのは、三流ホラー映画のようなこの台詞。
「生きている人間が一番怖い……」
どうやら俺は厄介な兄妹に目をつけられてしまったらしい。




