裏庭のハート様 中編
裏庭の捜索を続けることさらに10分、零子はため息混じりに言った。
「仕方ないわね、作戦を変更しましょう」
「いや諦めろよ。裏庭の隅から隅、そこら辺に落ちている石までひっくり返して探したのに証拠ゼロだぞ」
「ふっふっふ! 実はこんなこともあろうと秘密兵器を持ってたのよ」
「餌でも使うのか?」
「よく分かったわね、この私の超完璧な作戦を!」
「誰だって思い付くよ。と言うか、餌を持っているなら最初から使えよ! 今までの時間全部無駄じゃねーか」
「う、うるさい! 物事には順序ってものがあるの」
零子が通学鞄から猫缶を取り出した。ぱかん、と缶を開けると魚の匂いが周囲に広がる。
「怪我したら危ないから容器に移し替えて。よし! これで準備完了ね」
「ツナ缶みたいで、美味しそうじゃないか。最近の猫って贅沢なんだな」
「しかもこれはあの有名な『猫まっしぐら』のヤツよ。きっとハート様もまっしぐらに出てくるはず」
全然まっしぐらじゃなかった。待てど暮らせどハート様は現れない。
「えーい、まだよ! まだアイテムはあるんだから!」
ボール、ねこじゃらし、ねずみのおもちゃ、またたび......。猫が好きそうなものを次々出すが、ハート様は一向に現れない。
ついに零子は涙目になった。
「うう、なんで出てきてくれないのよぉ。お小遣い全部突っ込んだのにいぃ」
「最初から存在していなかったんだろ。ほら、いい加減諦めろ」
「シュールストレミングの猫よ!」
「は?」
「箱を開けない限り、猫が生きているか死んでいるかわからない。つまり私が諦めない限りハート様は存在しているのよ」
「もしかして『シュレーディンガーの猫』のことを言ってるのか? しかも意味も合ってないし。そもそも『シュレーディンガーの猫』は量子力学の……」
「そんなことはどうでもいいわ! 私が言いたいのはとにかくまだ諦めるのは早いということなの!」
「いい加減にしろ。こればっかりはどうにもならないだろ。もう手段なんてないし」
「あるわ」
にやり、と怪しげに笑う零子。あ、なんか嫌な予感。
「猫は警戒心が強い生き物、私たちのことを警戒して出てこないのでしょうね」
「零子にしてはまともな意見だな」
「ふふん、もっと誉めてもいいのよ」
「誉めてないから。で、どうやって警戒心を解くつもりだなんだ?」
「これを使うのよ!」
零子が自信満々に取り出たるは黒の猫耳カチューシャ。
「装着!」
掛け声とともに猫耳を頭に付ける零子。そしてドヤ顔で、
「ね?」
「いや、全然意味がわからない」
「カラーリング効果よ!」
「なんで染色が出てくるんだよ。あっ、もしかして『ミラーリング効果』のことを言っているのか? さっきからずっと間違えているが、さてはカタカナ苦手だな」
「う、うるさいわね!相手に伝わればそれでいいの」
零子の顔が真っ赤に染まる。それから誤魔化すように咳払いをすると、
「とにかく『ミラーリング効果』よ。自分と同じ行動や言動をする相手に好意を抱くと言われているわ。つまり、猫のモノマネをしていれば、ハート様も安心して出てきてくれる」
零子は四つん這いになると顔を洗う仕草をし、
「にゃーん☆」
「......」
「ちょっと十夜! なんで目を逸らすの!」
「......」
「無視が一番心が痛むのよぉ! 笑っていいからこっち見なさいよぉ」
すがり付く零子を無視し、明後日の方向を見る。アホさ加減に呆れたというのもあったが、それ以上に俺は照れていた。
零子の頭の上で揺れる黒い猫耳、黒髪せいか本当に生えているように錯してしまう。……ぶっちゃけ超可愛い。
『猫耳萌え~~』とか言っているオタクの気持ちが全く分からなかったのだけど、なるほどこういうことか。
「もー怒ったわよ! これでもくらいなさい!」
「うわっ!」
零子が俺の頭に何かをのせた。このふわふわした2つの突起はまさかーー。
「うぷぷ、十夜ったら以外と猫耳似合うじゃない。か~わ~い~い~!」
嘲笑する零子。男が猫耳なんて付けて一体何の得があるっていうんだ!それに万が一、誰かに見られたらーー。
外そうと猫耳に手を伸ばすが、零子に腕を掴まれる。
「そうはさせないわよ」
「くっ、離せ!」
「猫耳付けていない人間がいたら、ハート様が警戒するでしょ。我慢しなさい」
「猫にミラーリング効果なんてあるわけないだろ! ばーーか!!」
「そんなことないもん! ハート様は特別な猫だから効果あるもん。って言うか、今馬鹿って言ったわね! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだから。十夜のばーーか!!」
「馬鹿はお前だ! こんな方法でハート様が出てくると思ったら大間違「なごーー」
背後から低くしゃがれた老婆のような鳴き声がした。喧嘩をやめ、俺たちは顔を見合わせる。
まさか?
零子が小さく頷いた。俺もすぐに頷き返す。そして、いっせのーせで同時に振り返る。5メートルほど離れた場所に一匹の猫がいて、こちらを静かに見つめていた。
夜を纏ったような真っ黒な全身。
右目は満月のように眩い黄色。
左目は晴れた日の海面の如く澄んだブルー。
そして額には白いハートマーク。
間違いない、この猫はハート様だ。本当に実在していたとはな。しかしなぜこのタイミングで出てきた? 色々おかしいだろ!
零子はドヤ顔で、
「ほら見なさい、私の言う通りだったでしょ」
「た、たまたまだろ。たまたま」
「はー負け惜しみなんて情けないわね。ぷーくすくす」
激しくうぜえ。零子はしゃがんで手を広げる。
「ほーらハート様おいでー。私の使い魔にしてあげるわ!」
こちらに向かってゆっくり歩いてくるハート様。零子は興奮しながら、
「きゃーっ! ハート様がこっちに来たわ!」
しかしハート様は零子の横を素通り。俺の目の前まで来ると、後ろ足と尻だけを地面に付けるように座り込んだ。
まあここまではいい。普通の猫だ。しかし次の瞬間ーー
「なご」
なんとハート様が頭を下げたではないか! そう、例えるなら旅館の女将だ。お客さんに挨拶するとき三つ指をつくだろ? あれによく似ていた。でもその仕草は人間特有のもので、猫がするなんて聞いたこともない。
「おい、零子! 今の見たか」
「見てるわよ……。ハート様がちょっとなついているからって、調子にのらないでよね」
「なつく? ってうわぁ」
スリスリスリ。尻尾をピンと立てながら、俺の足に体を擦り付けるハート様。
実は俺、動物全般が苦手だ。抜け毛とか臭いとか鳴き声とか何を考えているか分からないところとか、論えばキリがない。しかもハート様、首輪を付けていない! 野良猫となるとさらに衛生面がプラスされ、もはや不潔な毛玉にしか見えない。ズボンに毛が付いたらーーうっ、考えただけで鳥肌!
「こら、離れろ」
蹴るのは流石に気が引けるので、しっしと手で追い払う。しかしハート様は離れるどころか、手にじゃれついてくる始末。
そして恐れていた事態が起こる。ハート様の体に触れてしまったのだ!
「うわっ!」
全身を虫が這い回るような嫌悪感。しかしそれはほんの一瞬だった。ふかふかの体毛が、温かい体温が、俺を見つめるつぶらなオッドアイが、思考を根こそぎ奪い取る。
気がつくと一心不乱にハート様をなで回していた。ハート様も機嫌よさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「ちょっと十夜、ハート様を独占してずるい! 私にも撫でさせてよぉ」
「すまん。可愛くて、つい」
自然とこぼれ落ちた『可愛い』という言葉に驚く。まさか猫に対してそんな感情を持つなんて!
ハート様を解放すると零子は待ってました、とばかりにハート様に手を伸ばす。しかしーー
「シャーッ!」
牙をむき出し激しく威嚇するハート様。驚いた零子は手を引っ込める。
「なんで怒るのよぉ〜」
「あれ、おかしいな。さっきは機嫌良さそうだったのに」
恐る恐る手を伸ばすと、ハート様はゴロンとお腹を見せて寝転んだ。
「触っていいのか?」
「んなぁ〜」
了解(?)を貰ったので遠慮なく撫でる。ハート様のお腹はとても柔らかく、しかも撫でる度にバラのいい匂いがした。裏庭に住んでいるせいだろうか? 不思議だ。
不思議といえば、ハート様の見た目だ。野良猫なのに綺麗すぎる。ツヤツヤの体毛に、太り過ぎもせず痩せ過ぎてもいない美しい体型。街中で見る野良猫とは明らかに一線を画している。
「どうやら機嫌が直ったようね。じゃあ私も触る〜」
零子は再びハート様に手を伸ばすが、次の瞬間。
くるん。ハート様は素早く四つん這いに戻ると、
「シャーッ!」
「なんでまた怒るのよ。ハート様って変な猫」
「いやハート様は変な猫じゃない。ただ単にお前が嫌われているだけだろ。ほら、俺にはこんなになついているぞ」
零子に見せつけるようにハート様のピンク色の肉球を触る。ぷにぷにして気持ちいい。これは癖になりそうだ。
「そ、そんなことないわ。霊能者である私がハート様に嫌われるわけないじゃない! よーし見てなさい」
零子はねこじゃらしを手に取ると、ハート様の目の前で振り始めた。
「ほーら、楽しいわよーー。ほらほらほら」
「ふんっ!」
ハート様は鼻で笑うと、そっぽを向いてしまった。......ん、鼻で笑う?
しかし零子は全く気がついていない様子で、くやしそうに地団駄を踏む。なお、生足状態であることを追記しておく。
「きーっ、むかつくぅ! それならこれはどう?」
零子はキャットフードをハート様の鼻先に突き出す。ねこじゃらし同様にそっぽを向くハート様。
しかし俺ははっきりと見た。オッドアイが一瞬大きく見開いたことに。零子も見逃さなかったようで、わざとらしく大きな声で、
「このキャットフードとっても美味しいらしいわよぉ。ネットのレビューでも評価が高くて、文字通り猫まっしぐらなんだって」
「......」
零子から背を向け涼しい表情をしているハート様だが、耳だけはピクピクと落ち着きなく動いている。
この攻撃はかなーり効いているようだ。陥落までもう一歩というところか。
零子は笑いを噛み殺しながら、さらなる追い討ちをかける。
「魚もたくさーん入っているのよぉ。カツオにタイ、それにマグロ!」
『マグロ』という単語が飛び出した瞬間、ハート様が振り向いた。オッドアイはキャットフードに釘付けで。プライドも何もかも投げ捨て、零子の足元でなごなご鳴き喚く。
「仕方ないわね。これを食べたら、私の言うことを聞くのよ?」
「なごー」
「返事したわね! 絶対約束守りなさいよ」
キャットフードを地面に置くや否や、すごい勢いでがっつくハート様。ぺちゃぺちゃぺちゃ。よほど美味しかったのだろう、キャットフードはあっという間になくなり、油の一滴も残すまいと器を舐め回す。ハート様は空になった容器をじっと見つめると、零子の足元で鳴きはじめた。
零子はドヤ顔で、
「ほら十夜、ちゃーんと私になついたわよ。やっぱり隠していても霊能者だってバレてしまうのね。仕方ないわねー、特別に私の使い魔にしてあげるわ」
「……非常に言い辛いのだが、おかわりを要求しているだけだと思うぞ」
「そ、そんなわけないでしょ。ハート様は私になついているわよ! 見てなさい」
零子は手を伸ばすが、
「シャーッ!!」
お約束とばかりに牙を剥くハート様。俺は笑いを堪えながら、
「ほら見ろ」
「ぐぬぬ。餌で釣っても無理ということは、もう手段を選んでいられないわね。奥の手を使うとしますか」
零子は不敵に微笑む。奥の手だと? 一体何をするつもりなんだ!
それから零子はゆっくりと、深く、腰を折り、
「どうしたらハート様がなつくか教えて下さい」
「結局俺任せかよ!」
「減るものじゃないんだからいいじゃない。教えてよぉ、おーしーえーてー」
教えて欲しいのは俺のほうだ。ハート様がなつく理由が全く思い当たらない。むしろ動物には嫌われる方だと思っていた。俺が近づくと犬は吠えるし、猫は一目散に逃げ出すし。
そんなことをぼんやり考えているとハート様と目が合う。すると右の、黄色の瞳だけをぱちっと閉じ、ウィンクしてみせた。
その瞬間、俺は全てを理解した。これまでのお辞儀や鼻で笑う仕草は、偶然や見間違いではない。ハート様が自分の意思で行ったことだ。つまりハート様は普通の猫ではない。『普通』の猫じゃないから、『普通』じゃない俺になついたんだーー。
「無視しないでよぉ。なんで教えてくれないの?」
零子が膨れっ面で言う。
まずい。ハート様を介して俺が霊能者ってバレちゃうんじゃね? なんとかごまかさねば。
「さ、さぁ?」
「あ、目を逸らした。何か隠しているんでしょ!」
「なにも隠してないって」
「そう、つまり私に言えない理由があるってことね」
いつもは抜けてるのに、なんでこんな時に限って鋭いんだよ!零子は眉間に深い皺を寄せてしばらく考え込むと、
「......ハート様が私になつかない理由が分かったわ。そっか、十夜が言いたくないのは当然ね。気がつかなくてごめんなさい」
零子は言葉を切ると、顔を伏せてしまった。長いまつげが顔に影をつくり、そのせいかとても悲しげに見えた。
そうか、ついにこの時が来てしまったのか。いつかはくると思っていたが、まさかこんなに早いとは。安心する気持ちもあったが、それ以上に俺は悲しかった。そうだな、8月31日の心境だ。明日のことを考えるとかったるいというか、もう少し休みたいとか、とにかく名残惜しいというか。今まで気が付かなったけど、俺結構楽しんでたのかーー。
でもそれも終わり。真実を知った零子はどうするのだろうか? 悲しむだろうか? 怒るだろうか? 軽蔑するだろうか?
しかしどんな感情だろうと、俺には受け止める義務がある。俺は覚悟を決めて零子をまっすぐ見据えた。さぁ、こい!




