烏丸十夜
衝撃的なカミングアウトを受けた翌日、俺は不覚にも遅刻してしまった。
「なんで遅刻したんだ?」
教壇前に立たされ、教師に厳しい尋問を受ける。全く今日はツイてない。よりにもよって一限が数学だなんて。
数学教師の沼田はしつこいことで有名で『ヌメ田』なんて呼ばれており、遅刻なんてすれば30分はお説教だ。クラスメイト40人分の視線が痛い。
「……寝坊しました。すいません」
沼田の顔を見ないようにしながら頭を下げる。
ちなみに寝坊というのは嘘だ。通学路に血まみれのライダーが立っていたので遠回りしたら遅刻しました、なんて理由言えるわけないだろ。どうやら昨日交通事故があったらしい。
今後はあの道は通れないな。そんなことをぼんやり思っているとヌメ田、いや沼田は声を荒げた。
「なんだ、その態度は! 話すときはきちんと人の目を見て話さないか」
俺だって本当はそうしたい。でもーー。
恐る恐る顔を上げる。 痩せ型で眼鏡をかけたいかにも神経質そうな40代前半の男性教師沼田の顔のすぐ左隣、女の顔が浮かんでいた。
青白い肌にボサボサの長い黒髪、俺を恨めしそうに見つめる瞳には光がなくて。もちろん沼田もクラスメイト達も女の存在には気付いていない。つまりこの女は……。
耐えきれなくなり、ほんの数秒で顔を伏せた。
ヌメ田め、なんでよりにもよってこのタイミングで取り憑かれてるんだよ!
「……時間の無駄だな。席に戻りなさい。授業を再開するぞ、教科書35ページを開け」
沼田は持っていた教科書に目を落とす。
俺は安堵のため息を吐くと、自分の席へ向かう。クラスメイト達は既に俺から興味を失いノートや黒板に視線を移している。しかし道中、1人の生徒と目があった。
黒髪の美少女、今際零子だ。俺はあからさまに顔を逸らす。
全く、何が『実は私、霊能者なの』だよ! 本物の霊能者の苦労も知らないくせに。
◇
1番古い記憶は3歳の頃、祖母の葬式の時のことだ。
棺の中に横たわっている祖母と、愛用の座布団の上に座り弔問客に頭を下げている祖母。
祖母が2人いるのことに混乱し、父に訴えたら滅茶苦茶叱られたっけ。
それからというもの俺の人生は理不尽の連続だった。
まず、生きている人間からは気味悪がられる。
まあこれは当然だ。何もない空間にブツブツ話しかけている人間がいたら引くだろ? 当然のように友達はできずいじめられた。
家族からも腫れ物扱いされ、幼い頃はどこへ行っても身の置き場がなかった記憶がある。
逆に幽霊からは嫌になるくらい絡まれた。
幽霊とは、死亡した人間の魂がこの世への未練により現世に留まったものをいう。
そのため常に救いを求めているわけだが、その声を聞き届けられる人間、つまり霊能者はかなり少ないようだ。俺の15年の人生で一度も会ったことがないことを考えると相当だろう。
だから幽霊は俺が霊能者だと分かると、所構わず擦り寄ってくる。授業中だろうが、トイレ中だろうが、好きな女の子の前だろうが……とにかくこちらの事情などお構いなし。
あとだいたい手段が怖い。金縛りやポルターガイストはまだマシな方。
ずーっと追いかけられたり、大事な写真に映り込まれたこともあったけ。小学校の卒業アルバムは今だに見ることができない。
そんな踏んだり蹴ったりの人生を歩んできた俺だが、ある時大きな転機が訪れる。
8歳の夏、ついに『普通の人間のフリ』をすることを思いついたのだ。
幽霊のことを見えていないかのように装い、なるべく幽霊に近付かないようにする。容易なことではなかったが、努力に見合うだけの価値は十分あったと思う。生きている人間の態度は目に見えて軟化し、幽霊との間のトラブルも少なくなった。
そして現在高校に入学して1ヶ月、クラスでの立ち位置もだいたい決まった頃。
俺はなんとか人畜無害なボッチキャラというベストポジションを手に入れた。誰かとつるむこともないが、いじめられることもない。空気のような存在。なんと理想的なんだろう! 後は目立たず静かに3年間を過ごせばいいだけ…… そう思っていたのに。
◇
ホームルームが終了し、さぁ帰ろうかと席を立った時だった。
「さ、行くわよ!」
今際に強腕を掴まれ引っ張られる。その勢いに飲まれ付いて行ってしまう俺。
しかし廊下に出たあたりで我に返り、急ブレーキをかけた。
「イヤイヤイヤ、ちょっと待て。一体どこへ連れていくつもりだ?」
今際は飼い犬のリードの如く俺の腕をグイグイと引っ張りながら、
「もちろん除霊よ。アンタには私の手伝いをしてもらうわ」
目が点になる。
「なんで俺が手伝わなくちゃいけないんだ! 1人で勝手にやってくれ」
「昨日アンタに取り憑いていた悪霊を除霊してあげたでしょうが。
その対価として働きなさい! あ、もしかしてタダだと思ってたの?
そんなわけないじゃない。だって私は本物の霊能者なのよ」
黒髪をかき上げながら早口で捲したてる今際。
……もしかして俺のせいで『自分が霊能者である』という思い込みが強くなったのか?
「ま、どうしても嫌なら現金払いでもいいわよ」
「……ちなみにいくらだ?」
「198万円」
「高ぇ!」
「さ、今すぐ耳を揃え払いなさい! それができないなら私に従うこと」
意地悪い顔をしながら迫ってくる今際。湧いた罪悪感が一瞬で吹っ飛んだ。
「……アホらしい。付き合ってられっか」
「えっ」
「なにが198万円だよ。数珠でぶっ叩いただけでよくそんな大きく出れるな」
「だ、だって、あれは私にしかできない特別な方法だから……」
「霊感商法って知ってるか? もし俺が警察に訴えたら、お前は詐欺罪で捕まるぞ。それでもいいのか?」
今際は唇を噛んで俯いてしまった。
俺は他者との交流を望まない。誰かと仲良くなれば自分が『普通ではない』ことがバレるリスクが高くなるからである。
特に今際は危険だ。
ちょっと可哀想な気もするが、ここで関係を絶っておくのが良いだろう。
「うわーーん! 酷いーー!!」
今際は両手のひらで顔を覆うと、大声を上げて泣き始めた。
「お、おい。どうしたんだよ急に」
「ぐすっ、烏丸君がいじめるーー! えーーん!」
下校やら部活なんやらで今の時間、廊下は生徒たちで溢れている。あっという間に俺たちは注目の的になった。
あっ、あそこでヒソヒソ話をしている女子2人組は確か同じクラスの……。
マズイ。このままだと俺が苦労して積み上げてきた『人畜無害ボッチキャラ』が崩壊してしまう!
「わ、わかったよ。付き合ってやるから泣き止めよ、な」
「最初からそう言いなさいよ。面倒くさいわね」
すぐに顔をあげる今際、しかし目元に涙の跡はない。嘘泣きかよ、騙された!
「それじゃあ、私に付いてきなさい」
今際は超ドヤ顔でいい放つと、つかつかと歩き出した。その後をしぶしぶ追いかける俺。
全く面倒なことになったな。サッと見たら帰ればいいか、30秒くらいで。
「で、どこへ行くんだよ」
「決まってるじゃない、『開かずの間』よ」