事故物件 其ノ參
しばらくすると女子2人がリビングに戻ってきた。
極楽院さんに促され、零子は俺の隣に腰を掛ける。
「やはり2階は悪霊の巣窟だったわ。直ちに除霊が必要よ」
「……」
「ちょっと無視しないでよ!」
「あ、悪い。少し考え事していて」
「全く私の助手しての自覚ゼロね。もっとシャンとしないとクビよ、クビ!」
真横で騒いでいる零子を無視し、窓に視線を向ける。
激しい雨のせいで外の景色が全く見えない。帰る頃には少し収まっていればいいのだが。
帰る、か。
俺には帰る家があるんだよな。でも極楽院さんはーー。
「お待たせ〜」
極楽院さんがキッチンから戻ってきた。温かい飲み物を持ってきてくれたようで、湯気の立つマグカップが3つお盆に載っている。
「お茶菓子が何もなくてごめんねぇ。でもね、この紅茶すごく美味しいんだよぉ」
カップをテーブルの上に並べる極楽院さん。辛いはずなのに、優しい笑顔を浮かべている。そんな彼女を正視することができず、つい目をそらしてしまう。
極楽院さんは向かいのソファーに腰をかけると、
「ねぇ今際さん。私の家にいる幽霊って、どんな姿をしているか分かる?」
「もちろん。だって私は霊能者だからバッチリ、ハッキリ幽霊の姿が見えてるわ」
すると極楽院さんは大きく身を乗り出す。大きな胸がたゆん、と強調され俺は少しどきりとする。
「教えて欲しいな。やっぱりどんな幽霊がいるか気になるし」
「いいわよ。じゃあ発表するわね。この家にいる悪霊はーー」
零子はそこで言葉を切ると、目を大きく見開き口角を上げ意味深な表情を作った。
コイツなに勿体ぶってるんだよ。表情も相まってスゲーイライラする。
それからたっぷり10秒ほどの沈黙の後、零子は溜めていた息と一緒に吐き出すようにこう言った。
「ーーと、その前にトイレ借りていいかしら?」
こんだけ溜めてソレかよ! 流石の極楽院さんも呆れ顔で、
「うん、廊下を出て2番目のドアがトイレだよ」
「ありがとう」
零子は足早にリビングを出ていった。全く、アイツはマイペース過ぎるよな。
「……」
「……」
そして静まり返るリビング。
今日はなんて日だろう、幽霊の次は極楽院さんと2人きりだなんて!
はっきり言って気まずい。だって俺は彼女を見捨てようとしているのだから。
会話をするのも憚られ、ついつい紅茶ばかり飲んでしまう。
頼む、零子。早く戻ってきてくれーー。
「ねえ、烏丸君」
「!!」
極楽院さんの声に驚き、飲みかけの紅茶が気管に入った。ゲホゲホと激しくむせ込む。
「あわわ、ごめんね! 大丈夫?」
「ゲホッ、だ、大丈夫っ。そ、それより何?」
「あのね、烏丸君にどうしても聞きたいことがあるの」
背筋をピンと伸ばし、太眉をキリッと吊り上げ、なにやら真剣な雰囲気の極楽院さん。
もしや、霊能者だということがバレたのか? そういえばこの家に来て以来ずっと挙動不審だったからなぁ。
「……いいよ。何でも聞いてくれ」
脳内ではどう言い訳するかを考えていた。とにかくこの場を切り抜けよう。
「ねえ、烏丸君と今際さんって付き合ってるの?」
その瞬間、全身の血液が沸騰した。そしてヤカンの湯気みたいに言葉が一気に吹き出した。
「ハァ!? マジわけわかんねーー!!
つかハァ? どうして付き合ってるってことになるんだよ? そもそも俺は零子のことなんかこれっぽっちも好きくないし。つか、あんな変な女マジ無理だし。もしかして俺と零子が付き合ってるイメージがあるー?
それ、どこ情報、どこ情報よーー? 」
なぜか極楽院さんはプッ、と吹き出す。
「ふふふ、ごめん。だってあんまり2人が仲良いから、てっきり」
「ハァ!? 全然仲良くないし。むしろ憎んでるくらいだし。零子なんてワガママで、泣き虫で、そのくせすぐ調子にのって、いつも俺はアイツに振り回させって散々な目に会うし。とにかく付き合うことなんて未来永劫絶対ありえないし」
「あはは、そうなんだ。へぇ〜、あの今際さんがねぇ。ふふっ!」
ますます激しく笑い出す極楽院さん。俺は面白いことなんか言ってないのに!
彼女の爆笑を止めたくて口を開くが、やめた。何を言っても笑いの燃料になるような気がしたから。
それよりも俺が落ち着こう。紅茶を一口飲む。ぬるくなっていたが、火照った体を冷やすには十分だった。
「ふぅ、烏丸君ごめんね。気を悪くしちゃったかな」
少しイラッとしていた俺だが、また笑われたら敵わないので冷静に返す。
「いや別になんとも思ってないし、全然気にしてないから」
「でもよかった、体調は悪くないみたいだね。なんだか元気ないみたいだったから……」
極楽院さんは俺のことを心配してたのか! なんて優しい子なんだろう。それに比べて俺ときたら最低だーー。
罪悪感に耐えきれなくなった俺は話題を変えることにした。
「……俺なんかより、零子を心配してやってくれ。アイツ、なんか今日変だから」
「そうかな? フツーだよ」
「いやいや、絶対おかしいよ。口数が少なくて大人しいじゃないか」
「むしろいつもより口数が多くて元気だと思うけど」
おかしい。俺と極楽院さんの間で、零子への認識がズレているように感じる。
考え込む俺に対し極楽院さんはニヤニヤしながら、
「烏丸君って本当に鈍いんだねえ。つまり、そういうことだよぉ」
「そういうことって?」
「え〜言わないよぉ。そういうのは自分で気がつかないとだめだからぁ」
全く意味が分からん。そういうのって、どういうのだよ?
すると極楽院さんは羨ましそうに、
「いいなぁ。今際さん、私とは全然お話してくれないんだよ。 さっき2階に行った時もずっと黙っていたし。ねえ、仲良くなるコツとか教えてよ」
「コツって言われても。向こうが勝手に絡んでくるだけだから。それに極楽院さんにはたくさん友達がいるじゃん。無理に仲良しなくてもいいんじゃないか?」
零子と違い、明るく優しい性格の極楽院さんはクラスの人気者だ。男女問わずたくさんの生徒に囲まれている姿を教室でよく見かける。
しかし彼女はうつむき目を伏せると、ぽつりと呟いた。
「……でも本当の友達じゃないんだよ」
「え?」
「家のこと相談しても、親身に聞いてくれる人なんていなかった。気のせいだって笑い飛ばす人もいた。私はこんなにも悩んでいるのに」
極楽院さんに幼い頃の自分の姿を重ねてしまう。幽霊の話をしても誰にも信じてもらえず、とても悲しかったっけ。
極楽院さんの気持ちが痛いほど分かるのに、やはり決心がつかない。だって俺ができることといったら霊が見えること、それとせいぜい話せるくらい。
『開かずの間』の時とは違い、あの老婆は強い怨念に包まれている。下手に手を出せば俺までーー。
「でも、今際さんは違ったよ」
不意に顔を上げた極楽院さん、その表情は眩しいほどの笑顔だった。
「私の話を真剣に聞いてくれて、しかも助けてくれようとしている。すごく嬉しかったなぁ。全部終わったら私、今際さんと友達になりたい!」
こんな時は「きっと友達になれるよ」と答えるのが正解なのだろう。
だが、何も言えなかった。友達以前に零子の除霊が成功するわけないことを俺は知っていたからだ。
このまま何もしなかったら、極楽院さんと零子はどうなってしまうのだろうか?
ガチャッ!
バタン!
俺が考えあぐねて口ごもっていると、激しいドアの開閉音がリビングに響いた。
「おまたせ! では霊視の結果を発表するわよ」
零子はソファーに腰をかけると、格好付けるように足を組んだ。スカートが持ち上がって太ももが露わになり、膝部分のストッキング生地が伸び肌が透ける。
「じゃあ発表するわよ。この家に取り憑いている幽霊はーー」
そういう溜めはもういいわ! どうせ見当違いのことを言うんだから、さっさとしろ。
「なんとぉ、おばあちゃんでーーす!! 」
当たっている……だと……? いやいや、たまたまだろ。
「歳はだいたい80歳くらいかしらね。この家で誰にも看取られず、1人で亡くなったみたい。ご飯もろくに食べていなかったみたいで、ガリガリに痩せ細っているわ。可哀想に」
身体的特徴から俺が知らない死因まで知っているなんて。
極楽院さんは興奮した様子で、
「すごーい。そんなことまで分かっちゃうんだね」
「まあね。私は天才霊能者だから。もっと褒めていいわよ」
まさか、零子の霊能力が開花したのか?
……いやそれは流石にないだろう。何かカラクリがあるはずだ。
「ん?」
足を組んだ拍子にスカートのポケットからこぼれたのだろう、床に零子スマートフォンが落ちていた。
なんとなくピンときた俺はスマートフォンを拾い上げる。ロックはかかっておらず、画面には地図のようなものが映し出されている。
これってーー?
「コラァ、零子!」
「痛っ!」
零子にデコピンをお見舞いしてやる。零子は涙目でオデコを抑えながら、
「なにすんのよ!」
「お前、このサイトはなんだ?」
「ちょっ! なに人のスマホ盗み見てるのよ。この変態」
「インチキしたお前が悪い!」
「インチキじゃないもん。霊視が合ってあるか答え合わせしただけだもん」
零子がスマートフォンで見ていたのは『事故物件検索サイト』だった。
該当住所をタップすると詳細が現れ、事故物件となった理由はもちろん死者がいる場合はその死因まで分かる。極楽院さんの家の情報もしっかり載っていた。零子め、どおりで俺より詳しいわけだ。
それにしてもこのサイトすごいな。もし1人暮らしをすることになったら使ってみよう。
零子は誤魔化すように咳ばらいをすると、
「とにかく幽霊の正体は分かったわけだし、早速除霊を開始するわよ」
「除霊ってまさか、また花火をぶっ放すつもりなのか?」
間髪入れず突っ込む俺。
極楽院さんの顔が不安げに歪む。零子は慌てた様子で、
「ば、馬鹿! 人の家でそんなことするわけないでしょ。今回はコレを使うわ」
零子は通学鞄から紙の束を取り出した。
「お札よ」
「へぇ、ようやくまともな、ってん?」
よく見ると不思議なお札だった。毛筆による『悪霊退散』の文字は妙に丸っこいし、発行した神社の名前が書いていない。おまけにこのトカゲみたいなイラストはなんだ?
「まさかこれ、お前の自作か?」
「そうよ! かっこいいでしょう。特にドラゴンのイラストは自信作よ」
このトカゲ、ドラゴンだったのかよ! しかもよく見たら『悪霊退散』じゃなくて『要霊退散』だった。コイツ、よくウチの高校入れたな……。
「なぁ零子。お前、本気でこの除霊が成功すると思っているのか?」
「当たり前でしょ! 私は天才霊能者なんだから!」
「お札が効かないくらい凶悪な悪霊だったらどうするつもりだ?」
なんて意地悪な質問だろう。だが聞かずにはいられなかった。零子の答えが知りたいーー。
零子は切れ長の瞳を瞬かせると、俺の目を真っ直ぐに見つめる。それから小さくため息を吐くと、こう言い捨てた。
「馬鹿みたい。そうしたら別の方法を試すだけよ」
「その方法も駄目だったらどうする? すごく怖い目にあうかもしれないぞ!」
「しつこいわね! 成功するまで続けるわよ! だいたい失敗を恐れていたら、前には進めないでしょうが!」
この時、不覚にも零子がカッコよく見えてしまった。そして自分がひどく恥ずかしく思えた。
俺はいつから自分の可能性を切り捨てるようになったのだろうか?
俺はーー変わりたい!
「わかった。俺も手伝うよ」
「ようやくやる気になったわね。じゃあ手分けしてお札を貼るわよ!」
「なぁ、チーム分けについてなんだが。俺は1人で大丈夫だから、零子は極楽院さんと組んでくれ」
極楽院さんにアイコンタクトを送る。
彼女は俺の意図に気が付いたようで小さく頷くと、
「うん。お札の貼り方とか分からないし、幽霊も怖いから今際さんが一緒にいてくれると嬉しいな」
「……別にいいけど。じゃあ私たちは2階を担当するから、十夜は1階をお願いするわね。あ、トイレ・キッチン・台所を除く部屋全部、一部屋につき1枚、北側の壁に貼ること。あ、画鋲はダメよ。四隅をテープで止めてね」
「ああ、了解だ」
リビングを出て行く2人。ドアが閉まる瞬間、極楽院さんがこちらを振り向きなにかを囁いた。
『あ・り・が・と・う』
これであの2人が少しでも仲良くなってくれればいいのだがーー。
さて、俺も一丁頑張るか。
「おい、ずっと見ていたんだろ? 出てこいよ」
補足
事故物件検索サイトは実在します。我が家の近くの事故物件も載っていてビビりました。