階段 中編
4時44分になった。
饒舌だった今際急に静かになる。顔も強張り、完全にびびっている様子だ。降りの時点であのザマだったわけだし、俺が階段を数えよう。
「じゃあ数えてくるぞ」
一段目の階段に足をかけた瞬間、かなり学ランの裾を引っ張られた。振り返るとそこには恥ずかしそうに頰を赤らめる今際がいた。
「い、一緒に数えましょう。特訓の続きよ」
甘えるような声に上目遣い。この時の今際は最高に可愛いかった。いつもなら憎まれ口のひとつでも叩くところだが、素直に頷く。
今際が俺の右隣に並ぶ。こうして近くで見ると彼女の身長は俺よりずいぶん高いように感じる。男としてプライドが傷付くな。くそ、いつか抜かしてやる。
「じゃあ、数え間違いを防ぐために声を出して数えるわよ」
「断る。なんか恥ずかしいし」
「もう!なら私1人で声を出すわ。じゃあはじめるわよ。いーち!」
2人同時に1段目の階段を踏みしめる。
「にーい」
続いて2段目。階段幅が狭いため、互いの手や足が軽くぶつかる。
「さーん」
俺が隣にいるおかげだろうか、今際の足が止まることはない。そうして1段1段確実に登っていき、ついに11段目に差し掛かる。
「じゅーいーち」
残る階段は1段のみ。そうなると合計12段、下りの時と同じ段数か。
賭けは俺の勝ちだ。まあ最初から分かっていたけどな!
「あら、おかしいわね」
今際も気が付いたようで、不満げな表情をしている。
「じゅーに」
最後の段に足をかけた、その瞬間ーー。
な、なんだ?
突然激しいめまいに襲われる。天と地がひっくり返り、そのままぐるぐるとかき混ぜられたような感覚。立っていることもままならず、その場に座り込む。
「ちょっ、大丈夫?」
今際の心配そうな声が頭上から聞こえる。
「だ、大丈夫だ。少し座っていれば治るから」
そのまま目を閉じ落ち着くのを待つ。暗黒の中で静かに時間が流れていくーー。
「ひ、ひゃああああ!!」
絹を引き裂くような今際の叫び声。驚いた俺は目を開いた。
「どうした?」
今際は恐怖に引きっつた顔で小刻みに震えながら、
「あ、あっあうあう……」
「落ち着け。そうだ、深呼吸しろ」
「すーはー、すーはー」
「どうだ、落ち着いたか?」
「少し」
「じゃあ何があったか説明してくれ」
今際は眉間に深い皺をつくると、
「あ……、ありのまま、今起こった事を話すぜ!
『おれは奴の前で階段を登っていたと思ったら、いつのまにか降りていた』
な……、何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった。頭がどうにかなりそうだった。催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ」
このクソ長い台詞を一切噛むことなく言い切った。
全く意味がわからない。何かの呪文か? ポカンとしている俺に今際は、
「もしかしてアンタ、ジョジョ知らないの? これ超有名な台詞なんだけど」
「タイトルは知ってるけど読んだことはないな。あの絵が独特なヤツだろ?」
「えー、それ人生半分損してるわよ! すごい面白いんだから、今度読んでみなさいよ。ちなみに私が1番好きなのは4部よ」
「ジョジョの話は今関係ないだろ。それより何があったか教えろよ」
「……前を見れば分かるわよ」
「前?」
今際から正面に視線を移動する。そこには4階降り口が、ってあれ?
「な、なんで踊り場があるんだ?」
目の前は踊り場だった。階段と階段の間にある狭い平地、椿のステンドグラスがはめ込まれた窓。
踊り場は出発地点で、俺たちはゴールの4階降り口にいなくてはいけないのに。
「だーかーら、言ったでしょ。私たちは階段を登っていたはずなのに、いつのまにか降りていたの。きっと時を止める吸血鬼に、階段の下に移動させられたのよ」
今際は半泣き状態で何やらわけのわからないことを喚いている。
何だよ、吸血鬼って。それもジョジョのネタなのか? 読んだことないから分からねーよ。だが、吸血鬼の仕業でないことだけはわかる。もっと別に原因があるはずだ。
その時ぞくり、と背中に悪寒を感じた。ゆっくりと振り返る。
なんとそこにはーー。
「……おい」
「ど、どうしよう。そうだ、太陽! 吸血鬼だから太陽の光が弱点だわ」
「安心しろ、吸血鬼の仕業じゃないことが分かった。後ろを見てみろ」
「う、後ろぉ?」
今際も後ろを振り返ると、目を大きく見開いたまま硬直してしまった。
俺たちは踊り場にいるわけだから階段下には三階降り口が見えるはずだ。しかし実際に見えるのは踊り場。前も後ろも同じ風景。
降り口がなくなったせいか、さっきより暗くなっていた。そういえば吹奏楽部の演奏も今は全く聞こえない。この世界にいるのは俺のたち2人だけと錯覚するような、恐ろしいほどの静寂。
薄暗い階段、しかしステンドグラスの椿だけが鮮血のように不気味に輝いていてーー。
「ギャーッ!!」
数秒のタイムラグの後、今際は転がり落ちるように階段を駆け下りていってしまった。
「おい、待て」
慌てて後を追いかける。
階段、踊り場、階段、踊り場ーー。
降りても降りても同じ風景。 いつまで経っても三階フロアには辿り着かない。段数が増えるとは聞いていたが、これは増えすぎだ!
階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場、階段、踊り場ーー。
聞こえるのは自分の荒い息遣いと階段の軋む音だけ。同じ場所をぐるぐる回っているものだから気持ちが悪くなってきた。今際め、どこまで行ったんだ。見かけによらず意外と体力あるようだ。
階段、踊り場、階段、踊り場ーー。
階段を何段降りただろうか。
足が鉛より重くなり、心臓が爆発する寸前になった頃、踊り場の隅っこに体育座りをしてる今際を発見した。膝に顔を埋め小刻みに震えている。
「ハァハァ、心配したぞ。今際、大丈夫か?」
顔を上げる今際。案の定、泣いていた。
「ひぐうぅぅ、お、降りても降りても三階につかないのぉ」
「知ってる。あ、そうだ。スマホがあるから電話で助けを……」
「グスッ、無駄よ。私もそう思ってさっき試したけど、つ、繋がらない。メ、メールもダメ」
まさかと思い、自分のスマートフォンも確認してみる。圏外だった。
……あれ、これ思ったよりヤバい状況なのか?
今際がこんな状態だからだろうか、俺は妙に落ち着いていた。小さな子どもに対するようにできるだけ優しく声色で話す。
「安心しろ、帰る方法は必ずある」
「どぼじでわがるのよおぉ」
「だって怪談話になってるんだぞ。以前この場所に来た人間が無事に帰れたという何よりの証拠じゃないか。もし帰れなければ、そもそも怪談話にならないだろ」
半分は自分に言い聞かせていた。今は絶望するより、帰る方法を考えることが大切だ。
しかし今際は泣き止まらない。
「そ、そう言ったって、グス、お、降りても降りても下の階、にっ着かない。ど、どこに出口があるのっ」
「……逆に昇ったら4階に着くかもしれないぞ」
「よ、4階に着かなかったら?」
うっ! 俺は口籠る。
その様子を見て、今際は一層激しく泣き始めた。
「ぜ、全部私のせいだぁあ!! 私が階段を、か、数えようって言ったから!!
ごべんねえ、ごべんねええぇぇ! 私のせいでアンタを巻き込んじゃったあぁぁ」
「い、いや。俺だって結構乗り気だったから、お前だけのせいじゃないって言うか」
「ああああああああああ!!!! 全部わだじのぜいだああああああぁぁ!!
ご、ご飯とか食べれないから、しっ、しっ、しし死んじゃうぅ!!
ババァ、ママァ、お兄ぢゃん、だずげでえええぇぇ!! 」
長い髪を振り乱して泣き叫ぶ今際。ダメだ、これ完全にパニック状態になってる。正気に戻したいところだが、下手な慰めは逆効果だろう。
何か、落ち着かせる方法はないだろうか?
俺は今際零子のことで、知っている限りのことを思い返してみる。衝撃の告白、花火爆発、心霊探偵同好会、ペンキの塗り替え。……思ったよりロクなことがなかった。
今更だが、なぜ今際は自分のことを霊能者だと思い込んでいるのだろうか? 心霊関係のことになると無駄に自信満々になるし。……自信満々? おっ、その手があったか!
俺はわざと大きな声で、
「あー、困ったなぁ。全然帰る方法が分からないや」
「びゃーーーー!」
「仕方ないよなーー。俺は霊感ゼロだからーー。霊感があればきっとなんとかなったのにーー。霊感さえあればなーー」
「……グスッ」
今際が泣き止んだ。よし、いい感じだ。俺はさらに続ける。
「この危機を華麗に乗り越えられたら超カッコいいよなーー。俺、絶対尊敬しちゃうわーー」
今際が何か言いたげにこちらチラチラを見ている。プライドをくすぐる作戦はどうやら成功のようだな。さて、そろそろトドメを刺すとするか。
「はぁ、どこかに霊能者がいないかなーー。俺を助けてくれる超カッコいい霊能者が!」
「こ、ここにいるわ!」
今際がおずおずと右手を挙げた。コイツ本当にちょろいな。
「そうだよ、今際がいるじゃないか! 頼む、俺を助けてくれ」
「はぁ〜、仕方ないわね。この天才霊能者、今際零子がなんとかしてあげるわ」
そしてこのドヤ顔である。見ているだけで無性にイライラしてくるが、泣き喚かれるよりは全然マシなのでここは我慢だ。
「で、これからどうする?」
「まずは周囲を捜索しましょう。何か脱出のヒントがあるかもしれないし。私は階段を調べるから、アンタは踊り場をお願い」
特に反論することもないので黙って従う。
俺は踊り場を捜査を始めた。床に壁、ステンドグラスの窓……。しかし特に変わった箇所は見当たらない。
「ちょっと、来て」
下の階段で捜索していた今際が手招きしている。何か見つけたのだろうか?
「見て、このキズ」
今際が指差したのは、階段手すりだった。長年使い込まれているせいか、ツルツルと妙な光沢がある。よく見ると、鋭利なもので抉られたような十字傷があった。
「これが何だよ?」
「いいから次、上の階段も確認するわよ」
今際と共に階段を登っていく。踊り場を通り過ぎ次の階段へ。今際は階段の半ばで足を止めた。
「やっぱりね。ほら、見て」
手すりを指差す今際。そこには鋭利なもので抉られたような十字傷が、ってあれ?
「さっきの傷と似ているな」
「いいえ、全く同じものよ。しかも傷が付いている場所もで同じ。
おそらく他の階段の手すりにも同様の傷が付いているでしょうね」
意味がさっぱり分からない。なぜ同じ形状の傷が、別の階段に? 今際は俺を心底馬鹿にしたように嘲笑すると、
「ええーー、もしかして分からないのぉーー。
私はすぐにわかったのにぃーー。これだから霊能力ゼロの人間はぁ」
さっきまで大泣きしていたくせに、なんだコイツ。早くも俺のイライラ度はマックスだ。
「ひっ、そんな怖い目で見ないでよ。つまり、この大量の階段は全て同一ものってこと」
「同一のものって。そんなこと現実にありえるわけないだろ」
「現実なら、ね。いい? 落ち着いてよく聞きなさい。……ここは異世界よ」
思わず鼻で笑ってしまう。
異世界ってあれだろ、中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界的な。今際め、恐怖のあまりにも頭がおかしくなったのか?
「むー、信じてないわね。じゃあ下を覗いてみなさいよ。きっとすぐに理解するわ」
この階段は踊り場を挟み『コ』の字に折り返している。つまり『コ』の字の中は小さな吹き抜けになっており、一階の床まで見通せるわけだ。通常なら、な。
今は一体どんな状態になっているのだろうか。正直見るのが怖い。俺は勇気を振り絞り、吹き抜けを覗きこむ。
それは今まで見たどんな闇よりも暗く、深海のような静寂だった。恐ろしい化け物が口をあんぐりと開け、獲物を待っているようでもある。
額にじっとり脂汗が滲む。汗は頰を伝い落ちると、闇に溶けるようにあっという間に見えなくなった。
底がない。
言い知れぬ恐怖に襲われ、エビのように弓なりになりながら後退する。
「な、なんだよこれ。ウチの学校は5階建てなのに、底が全く見えないぞ」
「だーかーら! 言ってるでしょ、ここは学校じゃないの。異世界よ」
「い、異世界って! 魔法は使えないし、エルフとか獣人とかいないじゃないか」
「その異世界とは全然違う!そうね、ジョジョ四部にでてきた『決して振り返ってはいけない小道』みたいなものかしら」
「だから読んだことないって言ってるだろ! なんでもジョジョに例えるのやめろ」
「むう、すごくわかりやすい例えなのに」
零子は少し考えると、
「そうね、私たちの世界とは違う世界、パラレルワールドもしくはこの世とあの世の間、と言えば分かるかしら?
物理法則にも囚われないから同じ階段が無限に連続しても何もおかしくない、というわけよ」
「だけど何で急に異世界に飛ばされたんだよ! 俺たちは階段を登っていただけで、トラックに轢かれていないのに!」
「アンタ、ネット小説から少し離れなさい」
今際は呆れたように溜息を吐くと、
「異世界に行くのは意外と簡単なのよ。ネットなんかで調べるとたくさんヒットする程度にはね。
それはたいてい複雑で、いくつかの手順を踏まなくてはいけないのだけれど。
例えばエレベーターのボタンを決められた順番で押したり、特殊な図形を使ったり……。
おそらく4時44分に階段を上りながら数える、それがこの階段からの異世界行きの条件だったのよ」
それで普段はこの階段に何も感じなかったのか。異世界とか突拍子ないと思ったが、一応合点はいく。今際もたまには役に立つじゃないか。
「で、どうやったら帰れるんだ?」
「……わかんにゃい」
「は?」
「ここが異世界ってわかっただけでも進展でしょ! さあ、帰る方法を考えなさい」
結局俺に丸投げかよ!ちょっと見直したと思ったらコレか。




