ハムエッグ
何かが鳴いている。
頭に突き刺さるような音と眩しい光のせいで目を開けた。
一瞬、ここは何処なのか、自分が何者なのか分からなかったが、すぐ戻ってきた。
ヤカンの鳴き声がやみ、私のいる部屋を老人が窺っている。
パパだ。
「起きたか?」
部屋に卵とハムの焼ける匂いが充満していた。
あ、私、結婚するんだ。
カチャカチャとお皿がこすれる音を聞きながら思い出した。
「かーさんのように綺麗じゃないが、味は保証する」
台所から現れたパパが私の前のテーブルへ二つのお皿を置いた。
あぁ、このサイコパスめ。どうやったらこんな猟奇的に卵くんを扱えるの。
お箸でつんつんと現場検証をしながら、パパが私の住むアパートで朝食を作っている理由を思う。
変わる苗字。戸籍。
形は変わっても関係は変わらないんだよ、味の保証はしないけれど。
「ちょっとしょっぱいかぁ?かーさんのようにいかんわ」
味噌汁に口をつけガハハと笑いながらテーブルにつく。
「ねぇ、かーさんてどんな人だったの?」
「一億回目だぞ、その質問。それに毎回言うがだったじゃない」
パパはバラバラな卵の白身を箸でつかめず落とす。何度も何度も。
「遠距離恋愛だっけ?」
「そう、遠距離恋愛。出会って結婚するまでそうだった。今はまたあの世とこの世で遠距離してるだけさね」
卵を指でつまみ、にんまりしながらパパは続ける。
「ついに結婚かぁ、遠距離も終わりだな」
ハムエッグの黄身がゆっくりと流れだし、何かを私に連想させた。
「・・死ぬの?」
白身を口に放り込み咀嚼が進むにつれパパの表情が真顔になってゆく。
「・・死なねぇよ。死ねねぇ。娘が結婚すんだよ。金がいる」
ドロっとした黄身がドクドクと薄い皮から流れでている。
「・・もうすぐ、もうすぐだ」
黄色の液体が赤く染まってゆく。
液体の元を追ってゆくと目を開いたままのパパが横たわっていた。
街の喧騒。かけよる人達。
部屋のベランダからそれらを見下げる。
パパは市役所へ私達の結婚届を提出しあと、飛んだ。
若いお嫁さんとの新たな生活。
自殺する理由なんかない。
事故だ。
大丈夫、保険金は娘と私に渡される。
「俺と遠距離、してくれよな」
最後の笑顔。
乾いたハムエッグ。
私はベランダから部屋を見渡したあと、ありったけの悲鳴を用意した。






