魔王はただ自由を願う
目覚めたら魔王になっていた。実際に身体中に漲っている力が、俺にその事実を告げている。
石を切り出したような空っぽの部屋には、俺が座るやたら豪華な椅子以外には何もなかった。
「お目覚めになられましたか、魔王様」
そばにいたこの魔物の言葉で、俺は魔王なんだと自覚した。
声をかけてきた魔物は、喋る言葉も、歩く姿も、普通の人間と同じ。着ているローブが映画で見た魔法使いのような点は少し気になったが、それは些細なことだ。そんなことよりも、俺がこの人物を魔物だと断定できる大きな理由があった。
薄暗い緑色の肌は、彼が人間ではないことを存分に主張をしていた。
「まさか、記憶を失っておられるのですか」
「多分な……」
自分が今魔王であることはわかった。だが、それ以上の情報はない。
魔王だの魔物だの、そんなものとは無縁の世界で過ごしてきたはずだ。
素直に状況を伝えると色々教えてくれた。
俺は数百年の眠りからようやく目覚めた魔王らしい。今は配下らしい配下はこの緑の老人しかいないが、かつては人間の大国を三つ同時に相手取れるだけの大戦力を所有していたとか。
「魔王様が直々に戦われれば一つの魔法で一国が吹き飛びます。そのことを考えれば、戦力などさしたる問題にはなりませぬ」
「そんなに強かったのか」
「今は目覚めたばかりで力が出せないでしょうが、ご安心くだされ。すぐに力は戻るでしょう」
それからここは魔王軍の本拠地であったダンジョンの最奥地だった。地上からここに来るにはダンジョンを攻略する必要があり、ここ数百年でそのような勇者は現れなかった。
「とりあえず、よくわからんから地上に出てみたいんだけどいいかな?」
「何を仰いますか!魔王様はここで力を蓄え、世界を恐怖に陥れる役目は我々配下にお任せいただけば良いのです。いずれ四天王も目覚めるでしょう」
「え、世界を恐怖に陥れるの?」
「魔王様なのですから、当然でしょう。そして私も、魔王様の第一の家臣として、当然ながらその役目を果たさせていただきます」
そういうものなのか……。まあ見るからに古い人間? だし、そういうところにこだわるのは仕方ないのだろう。
とはいえ俺もそれに大人しく従うつもりはない。せっかくの魔王ライフだ、好き放題楽しませてもらいたい。
「まずはこれから恐怖に陥れ、支配する世界ってのを見てくるのも必要だろう?仕事は奪わない、しばらくすれば帰るから、ここから出る方法を教えてくれ」
「おお、そうでございましたか。私の知恵が回らないばかりにいらぬ説明をさせてしまいましたな……。どうかお許しを」
戻るかどうかは、外を見て決めればいい。いつまでもこんな老人の魔物と二人きりというのも勘弁して欲しいところだし、ここはひとつ上手いこと言って抜け出すとしよう。
―――
地上に出るにはダンジョンを順番に上がっていくしかなかった。仮にも魔王に向かって襲いかかってくるような魔物はいないと言っていたし、万が一襲いかかってきても、力が出せないとはいえ魔王に傷をつけられるようなやつはここにはいないそうだった。
蜘蛛のような魔物、猪のような魔物、ゴーレム、その他諸々。コミュニケーションが取れるような魔物はいなかったが、俺を見ると道を開けるくらいの対応はしてくれた。
「もう結構きたと思うんだが……」
「え、え?魔王様、ですか?」
「お前は、人間か?なんだ、ダンジョンに挑戦しにきたのか?」
ここにきて初めて人間らしいやつと遭遇した。少しテンションが上がってろくな警戒もせずに話しかけてしまう。もしこれが俺を殺しにきた相手だったらこの隙にやられていたかもしれない……。
「覚えてらっしゃらないのですね……。私はあなたに敗れ、このダンジョンの門番をさせていただいているものですよ」
「ん?いつからやっているんだ」
「そうですね……二、三百年は」
「そうか、ご苦労だったな」
完全に人間の見た目だが、こいつも人間じゃなかったのか……。
「いえいえ、魔王様に敗れるのも、ここでこの役目を授かっているのも、考えてみればそういうものかと納得しております」
そういうもの?
何か引っかかるものを感じながらも、会話を進める。
「もう数百年も経つんだ。もう開放してもいいと思うんだが、これで俺が解放するといえば、また挑んでくるのか?」
「いえいえ、たとえ役目を解かれても、私はここで待ち続けるでしょう」
「何を待つんだ?」
「勇者です。いつか現れる勇者を止め、それでも力及ばずやられてしまう、それが私の役目だと思いますので」
さっきの引っ掛かりが確信に変わる。こいつ、言ってることがおかしい。
「勇者に殺されるために生きるのか?」
「そうなりますかね」
力なく笑う青年を見て、吐き気がした。彼に対してではない。俺が転生したこの世界に対してだ。
死ぬために生きる。人生をそう語るやつもいるだろう。
いずれ人間は死ぬ。それは当然のことだ。
だが彼は、定められた人生に乗っかっているだけだった。それは、“生きている”とは言わない。こんなやつが数百年苦しんでいることに、強い憤りを覚えた。それも、苦しんでいる自覚もなしに……。
「ここから一番近い人の住んでいる場所を教えてくれ」
「森を抜けられるとすぐに王国の王都があります」
彼は、NPCだった。
―――
森を抜けると、なぜか一本の道があった。まっすぐ歩くとすぐに王都へとたどり着く。
魔王を封印したダンジョンと王都が、真っ直ぐつながっている。ありえない。おかしな話だ……。魔王が眠っている間に冒険者が殺到したために道が作られたというのならわかるが、そんな雰囲気もない。いずれ現れる勇者のための道であり、こうして魔王に利用されるなんてことは考えもしなかったのだろう。
世界への違和感が確信に変わりはじめた。
「止まれ、何が目的でこの王都に入る」
門番が予定調和の質問を投げかけてくる。
「旅の者だ。少し街で休ませてもらいたい」
「そうか、ならば良し。だが、魔王が復活したという噂で都は混乱している。巻き込まれたくなければ早く立ち去るべきだ」
この忠告も、決められた台詞でしかなかった。
王都に入るためには門番と話さないといけない。森を抜けて状況を確認した俺は、しばらくこの門番を観察していた。ここまでの台詞はすべて決められたものだった。
旅の者、というキーワードも、他の人間が使っていたものを拝借した。おかげで魔王であるはずの俺が、何の問題もなく王都へ入ることができた。
人だけじゃない、この世界自体ががRPGの世界だ。とんでもないところへ転生してしまった……。
このままいけば魔王は勇者に倒されて終わる。魔王という存在が何人もいる世界なら話は変わるが、なんとなくわかる。この世界の魔王は俺だけだ。
「俺以外に“生きた”人間がいれば、希望が持てる」
俺の旅の目的は、NPCではない“生きた”人間を見つけることになった。
「ようこそ、王都へ」
「この先の森には魔王が封印されている。近づくんじゃないぞ」
「やあ、お兄さんは冒険者なの?僕も大きくなったら冒険者になるんだ!」
街ゆく人々へ手当たり次第声をかけてみる。聞いてもいないのに色々なことを教えてくるところが、昔やったゲームを思い出させる。会話ができないというほどではないが、気づいてしまうと会話をするのも虚しい。彼らは同じようなことを繰り返すだけだった。一言二言で離れ、次の可能性にかけて移動していく。
「何をお買い求めになりますか?」
「よく来たね。泊まっていくのかい?」
店にも顔出す。ここもだめだった。世間話程度で魔王が復活したという愚痴をこぼしていたが、決定的に会話がかみ合わない。いや、噛み合わないのではない。彼らは喋ることができる内容がごくごく少ないんだ。
日が暮れるまで街ゆく人々に声をかけ続けた。結果は、同じだった。
王都ではもう見つけることは難しいかもしれない。俺と同じような立場の人間がいれば、きっといろいろなところを渡り歩いて同じような相手を探すだろう。俺もそうするべきだろうか?
諦めて次の段取りを考え始めた俺に、若い女の声がかかった。
「貴方は、魔王ですね?」
「……は?」
一瞬何を言われたかわからなかった。
相手から話しかけられるなんてこと、想定もしていない。それも、いきない魔王といい当てられてしまうと、どう答えていいかもわからない。
「私を連れ出して。この狂った世界から」
「まさか……」
見つけた。
ドレスを着たその少女は、十代半ば。いや、それよりはもう少し、成長したかしていないかというくらいの年齢だった。同い年くらいだろう。いや、年齢はどうでもいいか。
「貴族の家出娘か何かか?」
「そうね……。それより、貴方も“私と同じ”と思っていいのよね?」
「ああ、俺からも確認したかった。ずっと求めていた相手だ!」
「すぐに追手が来る。まずはここから離れましょう」
結果からみれば、あっとういう間に味方が見つかった。俺と同じ立場の人間は、こんなにもあっさり、すぐに見つかった。
世界に対する希望が広がった。
とにかく今は、この子の言うとおりにしよう。追手が来るというのなら、この子を守らないといけない。
「ひとまずダンジョンに帰るか」
「ダンジョンが住み家……やっぱり魔王なのね。全員、それなりの立場で生まれてくるものなのね」
同じ立場だとわかったからか、話し方もフランクになっていた。
「魔王だぞ。貴族の娘だと、比較対象としては少し弱くないか?」
「あら、私はただの貴族じゃないわ。あの王国の王女、しかも、一人娘だから時期女王よ」
「まじかよ……」
魔王、女王、二人だけで豪華なラインナップだ。他にもいるかはわからないが、いるとすればそろそろごくごく少数人で世界を牛耳れるレベルだ。
「ちなみにもう一人、勇者は確認してるわ」
「勇者か……」
やっぱり勇者はいた。その名を聞くとどうしても身構えてしまう……。
大丈夫だとは思う。俺は魔王だけど、魔王として動くつもりはない。勇者だってそうだろう。こんな狂った世界で、狂ったNPCたちと過ごすより、人間である俺を選んでくれるはずだ。
時期王女だって俺を選んでくれたんだ。それなら……。
「随分と、狭い世界ね」
色んなことを考えていたらいつのまにか元いたダンジョンに帰ってきていた。
連れてきた彼女は、俺と同じように、王都とダンジョンまでの距離の近さに驚いていた。
―――
「さすが魔王様、この短期間で人間の女を攫って来られたのですね。それも、かなりの上玉を」
ここを出て一日も経っていなかったので、ダンジョンの中の道はしっかり覚えていた。最下層まで行きつくと、待っていたかのようにあの緑の魔物が声をかけてくる。
「人聞きの悪いこというな。むしろ勝手についてきたくらいだ」
「魔王様であれば、当然でしょう」
「どういうことだよ……」
この魔物には何をやってもこの調子で褒められ、おだてられそうだな……。
「さて、こんなところに連れてきて、どうするつもりかしら?」
「お前が連れ出せって言うから連れてきたんだろうが……」
調子のって俺をおちょくる余裕はあるらしい。魔物を見ても物怖じない様子だったし、俺と同じように、何か戦闘に関する能力も身につけているのかもしれない。
「まあ、勇者を待つにはこれ以上ないほどおあつらえ向きな場所だし、しばらくはここにいるのも手かもしれないわね」
「そのパターンだと俺、やってきた勇者にやられちゃうじゃん」
「その通りだな」
「え?」
声がした方向を向くと、先ほどまで俺に笑いかけていた緑の魔物が真っ二つに切り伏せられていた。
「おいおい……そんなに悪いやつじゃなかったのに、そいつ」
「お前にとっては、そうだろうな」
随分と話の通じなさそうなやつがきた……。一応王女が背に入るように立ち位置を調整する。
「お前が勇者か?」
「だとしたら、どうする?」
「だとしたら、仲間じゃないのか?」
「仲間?魔王が勇者に言う台詞じゃないな」
こいつ、もしかしてNPCか?
「俺たちは自由だろう?肩書きに縛られる必要はない」
「自由?お前はそうか、魔王というのは確かに好き放題にできるものかもしれないな」
「勇者は違うのか?」
「俺は目覚めたときから勇者だ。王からの命を受け、魔王を殺すためだけに生きてきた」
やっぱりNPCなのか……? いや、目覚めたと言ったな。
「そんな生き方にこだわって、お前はどうしたいんだ?」
「こだわらなければ、何をよりどころに生きていけばいいんだ」
「お前は、この世界の人間たちを見ても何も感じなかったのか」
「感じたさ」
「なら!」
「彼らのように、何も考えず、生まれた時から与えられた役目だけを果たす人生に、どれだけ憧れたか!」
こいつはNPCとは違った……。なのに、何を言ってるのかわからない……。
かみ合わない。こいつは、決定的にかみ合わない。
「俺たちは自由だ。あいつらとは違う。何だってできる。お前もそうだろ? 勇者」
「何だってできる……。確かにそうだ。俺は、身に余るほどの力を持っている」
「だったら、好きなことをすればいいだろ!」
「そうだな、だから俺は、お前を殺す」
「なんでだよ……」
同じ“生きた”人間なのに、どうしてこうも……。
「俺が勇者で、お前が魔王だからだ」
「そんなものに縛られる必要はないだろう!俺も!お前も!」
「これが俺の生き方だ!」
どうしても戦う必要があるのか……。せっかく見つけた三人目の仲間だったのに。
「魔王は、勇者には勝てない」
「“この世界の”魔王は、だろう!」
まとまらない感情を魔力にのせる。
森での移動中に魔法が使えるのか、試してはいた。色々やってみてわかったことだが、魔王にとって魔法に余計な要素は必要なかった。ただ力を込めて腕を振るえば、望む結果が得られる。それが魔王だ。
「さよならだ」
なのに、俺の望んだ結果は、何も得られなかった。勇者の声が、俺の耳にこだまする。
身体が浮遊感に包まれる。
俺は今、斬られたのか。
「お前はもう十分すぎるほどに、魔王だった」
勇者の声が聞こえる。
俺が魔王?
それはそうだ。目覚めたときから魔王だった。どうしようもなく、魔王だった。だから自由に……。
ああ、そうか。
「お前は、勇者……だな」
そうか、確かにそうだ。
王女を連れ去った魔王を勇者が倒しに来た。たったそれだけの、なんてことない、よくある物語だ。
「安らかに眠れ」
薄れゆく意識の中、名前も聞くこともなかった少女の顔が浮かぶ。最期にせめて、彼女の顔を……。
ああ、最期に見た彼女の顔は――。




