エンターキー「押すなよ! 絶対押すなよ!」
放課後、俺は情報処理教室でPCのキーボードをふてくされた顔で叩いてた。
インフルエンザで1週間高校を休んでいた補修として、放課後にタイピングの練習をさせられる事になったのだ。
普通に「テキストのこの文章を打て」という内容なら俺もこんな不機嫌な顔はしていない。だが実際は「今日の地方新聞の1面をまるごとタイピングしろ」という完全に嫌がらせ以外の目的が考えられないものだった。
俺は一つ大きなため息を吐く。
「くっそぉ、あの教師め。なんで俺がこんな事を……」
俺はPC画面を見たまま一人で愚痴を吐く。ああ、早くこんな下らない補修なんて終わらせて、早く部活に行きたい。囲碁したい。
ふとPC画面の異変に気付く。
打ち込んだ文字が漢字変換を確定できない。ついでに字下げも出来なくなっている。
「ってことはエンターキーがイカれたのか?」
俺は試しにエンターキーを叩く。
沈まない。
もう一度叩く。
ビクともしない。
「あれ!?どうなってんだコレ?」
俺はエンターキーを強く押してみた。
微動だにしない。
「このっ」
俺が立ち上がり、エンターキーに全体重をかけた、その時だった。
「やめろ」
誰もいないはずの情報処理教室から声がした。明らかに情報処理の教師とは違う、低くよく通る声だ。
恐怖に近い驚きから俺は辺りを見渡す。しかし教室内には誰もいない。
「ここだ」
耳をすます。意外と近いようだ。
「ここだと言っているだろう」
ん?まさか。
俺はしゃがみこんでキーボードに耳を近づける。
「そう。ここだ。エンターキーだ」
「え?エンターキー!?」
「そう。私はエンターキー」
俺はエンターキーを凝視する。確かに声はその辺りからしているようだ。
「貴様はワシを強く押しすぎだ」
「いや悪かったよ、急いでたんだ。次からはもっと優しく押すから」
俺は手刀をつくってエンターキーに頭を下げる。
「駄目だ」
エンターキーの声はさらに低くなる。
「ワシは決めた。もう絶対貴様のためには働かない」
「じゃあいいよ。隣のPC使うから」
「無駄だ」
その声はまるで嘲笑しているかのように冷ややかだ。ここで俺の怒りゲージが溜まり始める。
「ワシの意思はこの部屋全体に行き届いている。どのPCで試したところで貴様はエンターキーを使うことは出来ないだろう」
「な、なんだよそれ!俺は謝ったし次はもっと優しく打つって言っただろ!」
エンターキーは答えない。
「このやろう!」
俺はもう一度全体重でエンターキーにのしかかった。
その瞬間、指に鋭い痛みが走る。飛びのいた俺の指からは血が滴っていて、エンターキーにはなんと針のようなものが一本尖っている。
「おい!どういう事だエンターキー!」
しかしエンターキーは黙ったままだ。俺の怒りゲージは急上昇する。そっちがその気なら、俺にも考えがある。俺は手を天に掲げた。
「俺に逆らった事を後悔すんなよエンター。硬化魔法『鋼鉄の裁き』」
天に掲げた俺の手は、まるで侵食されていくように、または凍てつく氷のように、徐々に鋼を帯びていく。鋼鉄の右手はまさに鉄壁。これならチンケな棘も刺さらない。俺はエンターキーを一瞥する。俺に押せないエンターキーなんて無い。
「鉄槌を下してやるぁ!」
俺は唾を散らしながら鋼鉄を振り下ろす。しかしその手はエンターキーに届かない。PCから生えた、無数の青白い手に絡めとられていたのだ。
俺はどうにかその拘束を振りほどこうともがくがビクともしない。ほどくどころか掴む力を強めてくる。
「くっ、離せ! 俺の右手を離しやがれ!」
しかしPCから生えた手はおおよそPCから生えた手とは思えないような怪力で俺を持ち上げる。空中で無防備になった俺は瞬間的に死を感じた。
「こ、『硬化魔法……!』」
身体を硬化させるより前に俺は教室のドアに向けて投げ飛ばされていた。そのドアも突き破り廊下も越えて壁に激突する。
あまりの衝撃に意識が薄れる。目も開けられない。俺はここで死ぬのか?エンターキーに殺されてしまうのか……。こんなことならもっと普段から優しくエンターキーを押しておけばよかったなあ。
……いや待て。なぜ俺がエンターキーに殺されなければならないのか。俺はただ、補習をやっていただけなのに。今俺が置かれている状況を考えれば考えるほどその理不尽さに腹が立ってきた。ここで俺の怒りゲージがMAX。
「キーボード風情が調子に乗んじゃねええええ!」
俺は闇のオーラを纏って立ち上がる。
廊下の窓は割れ、俺のもたれかかっていた壁は粉々に砕け散る。
一歩一歩、俺は殺意を踏みしめて情報処理教室に戻る。
そしてPCの前に立った俺は禍々(まがまが)しき暗黒の眼差しをエンターキーに投げる。
「俺はお前を殺(押)す」
右手を振り上げた俺を見てエンターキーは地鳴りのような高笑いを上げ始めた。
「やってみろ小童! それが人類の選択というのなら! ワシを倒(押)してみるがいい!」
俺は詠唱を始める。
「『邪悪なるものよ。闇の炎よ。そして全てを焼き尽くす無慈悲な光よ。我に集い収束せよ』」
俺の右手が灼熱を帯び、情報処理教室の温度が急上昇する。
「いくぞオラぁ!『灼熱の炎に焼かれた光』(シャイニング・クロウ)」
その一撃は全てを燃やし、溶かし尽くす!振り下ろされた俺の右手がエンターキーを襲う。その時エンターキーの口が素早く動いた。
『万物を退ける盾』(クリスタル・フォース)
激しく飛び散る赤い火花。
クリスタル・フォースに阻まれた俺のシャイニングクロウはエンターキーを襲う寸前で止まってしまう。
「く! くそ! 聖なるバリア……?! エンターキー、お前まさか天界の者か!」
俺は飛びのいてPCから距離を取る。
再び高笑いするエンターキー。
「だから最初にやめろと言っただろう!お前の勝算など万に一つもないわ!」
「やってみねえと分かんねえだろうがぁ!」
俺は再び詠唱を開始する。
「『怒りよ、憎しみよ、殺意よ、冷酷なる感情よ、焼き尽くせ、焼き尽くせ、焼き尽くせ!侵略せよ、侵略せよ、侵略せよ! 目の前の敵を殺し尽くせ!』」
俺の目には闇が宿り、俺の口は呪いを吐く。全てはこのエンターキーを粉々にするために。
「唸れ!『侵略の呪い』(ヌベードゥ・マレクティシオン)!!!」
俺の身体から湧き出すどす黒い無数の殺気がPCを突き刺すように伸びる。
俺の殺気とクリスタル・フォースがぶつかり合い、まるで惑星同士の衝突のように激しい光を発している。2つの力は最初、拮抗しているように見えたが、徐々に侵略の呪いが押され始める。
「無駄だ」
エンターキーの声とともに俺の殺気は弾き飛ばされてしまった。
「だから無駄だと……」
『来たれ終末。終わりの始まり。始まりの終わり。全ての始まり。全ての終わり』
足はすでに立っているのが限界で、次の技を打てば俺の身体はどうなるか分からない。それでも俺は続けざまに詠唱を始める。
「な! バカな真似はよせ! それを使えばこの部屋どころか貴様もタダじゃ済まんぞ!」
そんなことは分かっている。この技を使えば俺の身体も滅びの力を受けるだろう。だがそれでもやらずにはいられない。
俺の意思はただ一つ。エンターキーを粉々に粉砕することだけだ。
「あの世に行く前に聞いていけ! 『最古より伝わりし歌』(アポカリプス)!」
情報処理教室を覆い尽くす、甘く、優しい旋律。滅びの味ほど甘味なものだ。そのメロディはエンターキーへの鎮魂歌。
次の瞬間、鋭い閃光が走り、情報処理教室は滅びの歌ともに崩れ始めた。
「ぐあああああ! おのれ! このままタダで済むと思うなよ! いずれ第二、第三のエンターキーが必ずお前を殺しにくるだろう! 覚えていろぉ!」
俺は無言でPCに近づき、エンターキーを押した。
「やったあ! 字下げ出来たぞぉ!」
俺は1週間の謹慎処分を食らった。
おわり
お読みいただきありがとうございました!
作中に出てくる技名は以下サイトを参考にさせていただきました。↓
厨二病必殺技メーカー
http://nyancleap.net/waza/