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ショウガくせぇ

読みにくいかもしれません

 ピューア王国へ向かう豪奢な馬車。黒を基調として枠には金色、窓は絹のカーテンで隠されている。車輪は最新の技術を用いているので石を踏もうとも揺れはなく快適な移動が約束されていた。


 そんな馬車の中、私、ルルアナスタシアは苛立ちを抑えられないでいた。

 理由は一つ。貧弱な人族の国、その中でもピューアなどという弱小国のハイルズ領という辺境地に行儀見習いとして送り込まれることになったからだ。


「私がどうして人族なんかと……。強きを尊きとする魔族が人族から学ぶことなど何もないというのに。ただでも国内情勢が乱れているというのに、今私を国外に放出するなんてお父様は気がふれてしまったの? ねぇ、教えてマリー」

「あたしにはなんともー」


 従者のマリーは困ったように微笑むだけで話題に乗ってくれない。これもまた私をイラつかせる要因の一つだ。私ははっきりしないものが嫌いだから。


「もしベルヴェールとかいう男が貧弱な奴だと判断したら即刻首を刎ね飛ばしてシャラザードに帰ってやるわ」

「それは困りますよー。冗談でもそんなこと言わないでください」


 強きを尊び弱きを守り導くのが魔族の信念だ。弱き人族の首を刎ねるなんて真似は本当はするつもりはない。弱者をいたぶるのは弱者のすること、やるとしても精々気を失う程度の力で一発殴るだけだ。


「どうせナヨナヨしていて、筋肉なんてスプーンを持つことぐらいにしか使わない貧弱な男に決まっているわ」

「筋肉は歩くためにも使いますよー。あと腰を振るためにも」

「腰? ……人族は魔術で火を出せただけで大騒ぎになると聞いたわ。ベルヴェールは魔術が得意だって話だけど、どうせ大したことないんでしょ」

「魔族の魔は魔力の魔ですからね、魔族と比べたら数段は落ちると思いますよ。人族の中では優秀なのかもしれませんし、我々と比べるのは酷ですよー」


 マリーはさっきから人族を庇うような発言ばかりする。


「あーもう、イライラするわ!」

「ムラムラして悶々とするよりはいいですねー」


 マリーが私をおちょっくているわけではないのはわかっている。この子はこういう抜けた子で、強さに関心がないだけなのだ。


「まだつかないの!? 船で一日、馬車で四日も移動しているのよ。私のお尻が悲鳴をあげてるわ!」

「悲鳴って……さすがに密閉された馬車の中での放屁は犯罪ですよー! 窓、窓を開けなきゃ!」

「悲鳴は放屁の例えじゃない!! てか、するわけがないでしょ!」

「そうでしたかー。ルル様はお肉ばかり食べるから臭いきつそうですから、馬車から飛び出すところでしたよ」

「ド失礼な! 肉は食べるけどしないもん……」


 心底安心したというような顔をするマリー。一人で怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。


「はぁ……こうしてマリーが私のガス抜きをしてくれるのは正直助かるわ。大声を出したら落ち着いてきたもの」

「い、いえ、流石にルル様のガスを抜けと言われてもあたしにはちょっと荷が重いと言うか……。そういうのは男娼を雇ってやってもらってください。専用の器具などもあるでしょうからその辺はあたしが探してきますから」

「そっちの話じゃないし、いつまで引っ張んの!? そういう印象操作はやめて!」

「そうなんですね。驚かさないでくださいよー」


 この子、首の一つでも絞めてやろうかしら。


「そんなに焦らなくてももうすぐ着きますよ、ここはもうハイルズ領内ですし。我慢できないなら気分転換に外でぶっ放してきたら――」


 マリーがまた失礼なことを言おうとしているところで馬が嘶き馬車が止まる。

 何か問題でもあったのだろうか。野盗の類が襲ってきてくれたのならストレスを解消するのに使わせてもらうのだけれど。


「う、馬の声でしたか。姫様の大放屁音かと思って心臓が止まりそうでした……」

「今すぐ止めてあげようか?」


 マリー、お願いだから私を放屁垂れ流しキャラにしようとするのをやめて。


「ルルアナスタシア様、よろしいでしょうか」


 馬車の外から御者の声がする。声の調子は落ち着いているので残念ながら野盗などではなさそうだ。


「ハイルズ領主ベルヴェール辺境伯の使いだと申す者が来ております。護衛、先導を任されたしとのことですが……いかがなさいますか」

「お出迎えですかねー?」


 私は身分を隠し、男爵家の娘として来ている。格の下がる私をわざわざ出迎えに来るとは、もしや私の正体がバレているのだろうか。

 人族は腕力や魔力が少ない分、頭が回り非常に小賢しい。私の正体を見抜いていてもなんらおかしくはない。父上もその程度のことは想定済みだったが、国内でもその姿を隠してきたのだ。一応は隠し通せるなら隠しておきたい。


「私が行ってきましょうか?」

「いえ、私が出るわ。魔族が顔も出せぬ弱き者だと思われるのは我慢ならないから」

「実際はいつも隠れてますけどね」

「うるさいわね……」


 それを言われると私は弱い。

 返す言葉もそれ以上見つからないので、気まずさから逃げるように馬車の扉を開けて外へと出る。


「私がルルアナスタシアよ。そちらはベルヴェールの使いの者か」


 外にいたのは、くすんだ灰色の髪の少年。歳は十六かそこらか。身長は並、肩幅も並、筋肉は少なく魔力も感じられない。如何にも人族らしい貧相な男だ。


「…………はい。俺はハンスと申します。主ベルヴェール・ディオールの命によりお迎えに上がりましたので、これより我らが先導します――」

「いらないわ」

「は?」

「聞こえなかったのかしら? 私は先導などいらないと言ったの」

「そう言われましても……」


 始まった。これが人族の特徴だ。物事をはっきり言わず、相手に意を酌んでもらおうとする。

 私はそういううじうじしたやつが大嫌いだ。




 ☆




 ――ルルアナスタシアをハンスが迎えに行くひと月前の話――




「――そこで坊ちゃんは決意したのです。自分が王になり、弱き者を守り導こうと! ハンス、貴方が何不自由なく成長できたのは誰のお陰ですか?」


 執事衆の作戦会議室に呼び出された俺は、執事長の伯上げ話を延々一時間以上聞かされていた。

 このままだと半日は続くぞ。そろそろ着地点と言うか話の落ちと言うか、結論を出してもらうよう促さないと。


「それは伯が俺を拾ってくれたからですね。しかし伯が王……ですか」

「そう、ハンスのような孤児たちを拾ったのも、イゼルロータス教国にハイルズ特有の治水技術を教授し監督したのも、エウトピア公国独立運動に介入し調印式で仲介役として参加したのも――坊ちゃんの不可解だった、一見己に利のないように見える行動を上げればきりがありませんが、全ては王になるための布石だったのです!」


 どうだろう、本当に伯が王になりたがるか?

 一人になりたくて屋根裏部屋で眠っているような人だし、メイドに扮して侵入した貴族の娘も犯さず殺さず丁寧に敵対貴族の屋敷に送り返すような人畜無害な人だぞ。そんな大層な事を考えているとは思えないが。

 俺たちを拾い救ってくれたのも、イゼルロータスやエウトピア介入の件も、あれは全て伯の善意というか気まぐれからだ。困っている者がいたから助けた、ただそれだけの話だと思う。


 執事長の長い話を要約すると、伯は力なき者を救うため覇道を突き進む覚悟を決めたそうだ。執事長の中では既にそれが確たるものになってしまっており、今更否と言える空気ではなかった。


「そして陛下の……ではなく坊ちゃんの次なる策は、なんとシャラザードの陰姫ルルアナスタシアを領内に引き入れようというものです」


 執事長の中で伯はもう王になっちゃってるんだな。興奮しているからか声量も大きい。間諜に聞かれたらそれこそ大事になるけど大丈夫だろうか。


「ルルアナスタシア? 確か魔王の娘で、その力は魔王をも凌ぐという話でしたよね」


 魔大陸に潜入している執事衆の一人、イゴールからそんな情報が送られてきたのを覚えている。


「ちゃんと情報は頭に入っているようですね。力を尊きとし、弱きを守るのを信念とする魔族。その一つの答えがルルアナスタシアです。坊ちゃんの目指す平和で平等な国と、魔族の信念は非常に似通っています。恐らくは魔族を吸収するおつもりなのでしょうね……」


 話が一気に飛躍したな。一領主が一国を吸収するって、話のスケールが大きすぎないか? 常識で考えて無理だろ。戦争を起こしてどうになかなるもんでもなし、仮に戦争に勝っても領土を切り取る程度で終わりだ。

 それにこちらの旗色が良しと見ればピューア王国軍も遅れて出てくるだろう。そうなれば切り取った領土は国王陛下預かりとなり分配も伯が決められるものではなくなる。


「そこでハンスには一時的に坊ちゃん護衛の任を解き、ルルアナスタシアを当屋敷に迎えるまでの護衛と先導を頼みたいのです」


 やっと話が進んだか。


「はぁ、それは別に構いませんが。でも陰姫――ルルアナスタシアの見た目も詳しくは知りませんし、隠匿されているんですよね?」

「ルルアナスタシアはシャール男爵家の娘という体で来ますので、ディオール家の名を出せばそう名乗る事でしょう。しかしシャール男爵家など百年前に断絶した家名のはずなのですが……。坊ちゃんは気づいておられるようでしたが、無能と謗られるのを恐れて尋ねることができませんでした」


 伯は察しが悪いからそんな難しいことには気づいてないと思うけどなぁ。それとも俺の前では察しが悪い振りでもしているのだろうか。


「魔王からルルアナスタシアと、その従者の姿絵が届いております。馬車の特徴も書かれているので目を通しておきなさい」

「はい……。えッ、これ!?」

「ふふ、ハンスにはまだ刺激が強すぎましたか?」


 強い、強すぎる……なんだこの勃起(エッチ)な女は! スケベ強度が並じゃねーぞこれ!


「坊ちゃんはその絵を見た瞬間、色に惑わされることなくルルアナスタシアだと見破り、千の思考を巡らしていましたよ」


 それはない。伯のことだ、大方この胸を隠す髪の毛をどかせとか、シーツが邪魔だとか考え、俺と同じように千の痴行を妄想していたはずだ。


「執事長、恥ずかしながら俺はルルアナスタシアを迎えに行って勃起しない自信がありません……!」


 本当に恥ずかしいことを言ってる自覚はある。だが執事長の前で性的な隠し事はできない。隠したところで見抜かれてしまうからな。


「恥じることはありませんよ、それは私もですから」


 その歳でまだ勃起できることに驚きです。


「執事長が堪えられずに勃起してしまうなら俺なんて――」

「だからハンスがいいんですよ」

「だから俺が……と言いますと?」


 勃起してしまう俺が良いって、聴き様によっては恐ろしいことなんだが。


「私はこの屋敷の誰よりも先にこの世を去るでしょう」


 執事長は目を瞑り、静かに語りだす。


「私が死んだあと、誰が坊ちゃんを支えるのか……それはハンスのような次の若い世代です。坊ちゃんの目指す国を作るのに必要なのは老い先短い古い人間ではありません。必要なのは未来ある若者の力。ここでハンスが経験を積むことこそが坊ちゃんのために――未来の子供たちの笑顔につながるのですよ」

「……」


 勃起するのが恥ずかしいから迎え役は嫌だという話なのに、国の未来だとか子供の笑顔がどうとか壮大な話にされて綺麗にまとめられた。流石は執事長だ、イチモツを膨らますが如く話を膨らませてくる。



 ――こうして俺は、結局ルルアナスタシアの護衛兼先導役を任されることとなった。




 そして、一か月後の今、ルルアナスタシアを迎えに来たはいいが先導を断られてしまった。


 まぁ、そんなことは想定の内だったのでどうでもいい。魔族は気の強い種族だと聞いていたので、先を歩くなど絶対に許さないだろうと思っていた。一応は困ったふりだけはしたが、相手のしたいようにさせてやるつもりだ。


 それよりも俺を困惑させるのは、ルルアナスタシアの容姿である。


 執事長から渡された姿絵ではルルアナスタシアは赤みがかった金色の髪の絶世の美女、爆乳天使だったはずなのだが、目の前でルルアナスタシアだと名乗り腕を腰に当てて見上げながら睨んでいるのは、九歳ぐらいの子供(ロリ)だったのだ。


 とんでもなく勃起(エッチ)な女性を生で見ることができるからと、ハチャメチャにテンションが上がっていたというのにこれはあんまりである。


「何か文句でもあるのかしら? 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!」

「い、いえ」


 ふざけんな、文句しかねーけど言えるわけねぇだろ。

 執事長から命を受けてから、極上のオカズが手に入るのだからと一週間も抜かずに我慢していたんだぞ。それがなんだこのチンチクリンは。これなら後ろにいる地味な従者の方がよほどいい。


 改めて後ろに控えている従者を見る。名前は確かマリーだったか。

 肩まである栗色の髪と同じ茶色の瞳。きっちり着こまれた服の下には確かな膨らみがある。こちらは姿絵と大差はないので実物通りに描かれたのだろうな。


「ふふ」


 マリーに微笑まれ、思わずこっちも笑い返してしまう。

 メイドたちには睨まれてばかりなのでこれは新鮮だ。やばい、微笑まれただけで好きになりそう。


「貴方、ハンスと言ったかしら? 何を笑っているの」

「あ、いえ、失礼しました。生来頬が緩いもので。それにしても噂通りのお方ですね」

「噂……?」

「はい、魔族は強きを尊きとし、強き者以外には従わぬと伺っております。ですので、噂通りの誇ロリ――誇り高き方だと感服しました」


 少し噛んだ。


「ふふん、わかっているじゃない。その通りよ。弱き者には興味がないわ」


 偉そうに笑いやがって高慢なロリだな。一潮……はロリすぎてアウトだから一泡吹かせてやるか。


「ですので伯――我が主ベルヴェールも強き方ですので、さぞ気が合うことでしょう」

「ベルヴェールが強い? ハッ――」


 あ? なに鼻で笑ってんだよ。今、伯のことを馬鹿にしたのか?

 つーか呼び捨てにすんなよ。言葉には気をつけろ、伯大好き人間の執事長が聞いたらお前みたいなロリガキ一瞬で大人にされるからな。それかタチバナさんだったら二度と男では満足できない体にされて「お姉様」って呼ぶように調教されてたぞ。

 パラウドだったら……あの人は何するかわからないから一番怖いな。


「人族が強さを語るなんて、フフッ、笑わせる才能だけはあるようね。人族の強さなどたかが知れているじゃない。猫が猫の中で強さ比べをして粋がろうとも、獅子には関係のない話よ。(しし)のいないところで勝手に盛り上がってなさいな」


 このロリガキ、うざさ花丸満点だな。俺たちが猫だと? 馬鹿を言うな、少なくとも伯の股間は獅子どころか竜だ。

 子供時分、初めて背中を流させてもらった時、伯の股間のソレを見た俺は、体を洗う用のヘチマかと思ってうっかり握りそうになったことがある。お前みたいなロリガキなんて伯の暴竜迫撃砲(ヘチマドラゴンブレス)を胎に吐かれて一発昇天だからな。


「人族は弱いですか。はぁ、本当にそうでしょうかね」

「当たり前じゃない。人族は馬車に撥ねられて死ぬような軟弱な種族なのでしょう? 魔族なら怪我はしても笑って流す程度の怪我にとどまるわ」


 ……そりゃ死ぬな。強さの基準が馬車に撥ねられても平気かどうかだなんて根本からしておかしいわ。


「確かに仰る通り、()()の人族ならば死んでしまうでしょうね。よくて大怪我をして手足を失うか」

「そうでしょう。だから人族なんて――」

「ですが伯は違います。伯は普通じゃありませんから」

「なに? どういう意味よ」


 窓を開け放って全裸で高笑いして、壺に入って転がる普通じゃない変態です――という話を今しても伯の名誉を汚すだけだからやめておこう。分が悪くなるだけだ。


「もし伯が馬車に撥ねられたなら、伯を知る者はぶつかった馬車の方を心配をするでしょうね」



 ――あれはまだ俺が王都の貧民街で暮らしていた……というよりは何とか生きていた頃の話だ。


 あの日、国王陛下の呼びかけのもと、王都へ各地から貴族が集まっていた。

 いつもより賑わう王都。俺は衛兵の目を盗みつつ金目の物がないかと普段は行かない富裕層の住む城下街へ足を延ばしていた。


 街は神の降臨を祝する聖大祭の時のように賑わい、喧噪の中で俺のような子供が紛れても誰も怪しむことはなかった。俺も滅多に見れない豊かな城下街の街並みを見て浮かれていた。浮かれて、道を疾走してくる馬車に気づかなかったのだ。


 周りの者は皆道の端によけていた。俺はそれに気づかず道のど真ん中に立ち、空を舞う風船を見上げていた。


「馬鹿者ッ!」


 衛兵に見つかったのかと、その怒声に体がすくみ視線を上から正面に戻したときには、俺の目の前に口から泡を飛ばした馬が直前まで迫っていた。


 そして次の瞬間、体がふわりと浮き白い家の壁に叩きつけられた。

 体の痛みはあった。だがそれはあとから感じたものだった。俺は痛みを忘れるほどの光景を目にし、釘付けになっていた。


 紺色のローブを着た男がいた。

 その男は俺が立っていた場所にいて、俺を投げ飛ばし、そして馬とぶつかった。

 この人は死んだ――そう思った。


 だが、男は死ななかった。


「ぬおぉッ!!」


 男はなんと突進する馬の首を掴み持ち上げたのだ。

 馬の四本の足は完全に浮き上がり後ろに繋がる馬車から引きはがされ、天に肛門を向ける形で棹立ちになった馬は、踵を支点にしてくるりと反対を向いた男によって進行方向へと下ろされる。

 残った馬車の本体は男の背中に激突し弾け飛ぶ。御者と、馬車の中から飛び出してきた小太りな男は、悲鳴をあげながら綺麗なアーチを描いて飛んでいった。


 わけが分からなかった。

 何が起きたのか、何一つ理解できなかった。


「怪我はないか」


 へたりこむ俺に手を差し伸べるローブを着た男。その男こそ我が主、ベルヴェール伯だった。


 それからなんやかんやあって執事長に連れられて伯の執事として働くことになったわけだが、あの日のことは一日たりとも忘れたことはない――。



「面白いわね。馬車に撥ねられて馬車の方を心配する? ではあなたはどうなの? ベルヴェールの使いだと言うなら、あなただって強いんじゃないのかしら?」

「まぁ、伯には圧倒的に劣りますが、そこそこはできるかと――ウグッ!?」


 最後まで喋りきる前に腹に猛烈な痛み。腹にめり込む如何にも華奢なルルアナスタシアの細腕。

 地に足はついているものの、三メートルほど後ろへ滑るように飛ばされた。


 このロリガキ、いきなり腹パンしてきやがった。


「ふぅん…………少しはやるようね。骨を折るつもりで殴ったのに」


 想像力皆無か? 腹を殴って骨を折ろうとしたら普通の人間ならその前に内臓が破裂して死ぬだろ。殴るにしてもそれぐらい考えろよ。それとも魔族は挨拶代わりにまず腹パンをかますもんなの? なら挨拶を返してやろうか?


 そこで気づく。俺が痛みを感じていることに。


 こんなロリガキのパンチで地を滑るなんておかしい。俺は防御力だけには自信がある。よほどのことでは痛みなど感じない耐性の強さを買われて伯の護衛を任されていたのだ。その俺に痛みを感じさせるとは、このロリガキ――冗談抜きで強いぞ。


「お戯れはよしてくださいよ」


 まだ痛む腹を撫でる。

 今日食ったものが全部尻から出そうだったぞ。


「ちょっとルル様ダメですってばー。見習い先の使用人をいきなり殴るなんて」


 栗色の髪の従者も慌てて――いるようには見えないが、ルルアナスタシアを抱きしめて止めている。


「いきなりでなければ殴っていいみたいな論調ですけど、人族の国では殴っていい時なんかありませんよ」 


 なるだけ何でもないような振りをしているが冗談抜きで腹が痛い。殴られた衝撃で内臓の位置でも変わったかというぐらい痛い。ロリガキめ、伯の(ヘチマ)をぶち込んで内臓の位置を変えてやろうか。


「ふんっ、耐久力だけは多少あるようね。で、ベルヴェールは貴方よりも強いのね?」


 いや、まず殴ったことを謝れよ。本当なら暴行罪で牢獄行きだぞ。牢にぶち込んで伯をぶち込むぞ。


「はい、耐久力だけではなく――」


 伯と俺とでは比べ物にもならない。イチモツのでかさから体の強さまでな。


「――伯と俺ではヘチマとイモ虫ほどの差がありますから」


 間違えた。伯のイチモツを誇ってどうするんだ。


「ふぅん……ヘチマというものがどれほどの強さなのかは知らないけど、それは楽しみね。ね、マリー」

「私は強いとかそういうのはあんまりー」


 伯が強いと知って笑うとはどういう意味があるのか――と、いつもの俺なら深読みしただろう。だがそんなことはどうでもよかった。俺はマリーが「あんマリー」と言ったのが事故なのか、それとも狙ったものなのかが気になってしかたなくなっていた。


 もし狙ったものなら何かしらの反応をしてやるのが優しさというものだ。しかし、もし事故だったなら一切触れてやらないのが優しさになる。

 どうするハンス、ツッコミを入れるか?


「いいわ、私たちが馬車を先に進めるから後ろから案内しなさい。私の後ろを歩む栄を授けるわ」

「ありがたき幸せ。では俺は後ろからついて行きます」


 マリーの件は自分の中で事故ということで処理し、慇懃無礼に手を動かし腰を曲げて礼をする。ルルアナスタシアはそれを皮肉でやっていることには気付いてはおらず満足そうに頷く。


 その次の瞬間、刺すような気配――とでも言えばいいか。唐突に殺気のようなものを感じる。その殺気の発信源を辿ると従者のマリーが前髪で目を眼鏡ごと隠し、だが確実に俺を睨んでいた。


「後ろから突いてイク……?」


 何か不味いことを言っただろうか。


「はい、俺はいつも伯の後ろをついて行くのが仕事なので、今回もそうしようかと――」

「ンフフ……そうなんですね。辺境伯は後ろからですか……ほほう、それはいいお仕事ですね」

「いや、後ろからついていくのは俺で――」


 マリーはメモ帳らしきものを取り出しサラサラと書き出していく。

 あからさまな諜報活動に唖然としたが、それぐらいの情報が漏れたところでハイルズが揺るぐわけもないのであえて流すことにした。むしろ誤った情報を流しやすいので逆に利用してやろう。


 念のため執事長にはお伝えしておくか。執事長は最初から二人を間諜だと疑っていたが、まさかここまで露骨だとは思わなかった。魔族は脳味噌まで筋肉で出来ているから頭が悪いと執事長は言っていたが、まさにその通りだな。


「まだ屋敷につく前に分かれ道や橋があるので、要所要所で我々がサポートしますので、それまではまた馬車に乗って道なりに進んでください」


 とは言え、この従者には気をつけておこう。ルルアナスタシアの腹パンとインパクトが強すぎて油断していたが、この女も魔族なのだ、強きを誇る魔族が弱いはずもない。何を考えているかわからない分、ルルアナスタシアよりも厄介な存在になるかもしれない。



 ――この時の俺の直感は正しかった。この女マリーは、俺にとって生涯厄介な存在となるのだった。

ベルヴェール・ディオール


ステータス:ピューア王国ハイルズ領領主 四十六歳童貞 

状態:待機勃起


ハンス


ステータス:執事 執事衆

状態:腹痛


ルルアナスタシア・シャール(仮)


ステータス:魔王の娘

状態:九歳


マリー


ステータス:ルルアナスタシアの従者

状態:暗黒微笑

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