従者のハンスは勘違いしない
俺の名はハンス。ベルヴェール・ディオール辺境伯に拾われた子供の一人で、執事衆の一人として伯の護衛兼従者を任されている。
拾ってくれた大恩ある方にこんなことを言うのは気が引けるが――伯は絶対に頭がおかしい。
具体的にどうおかしいかは説明しにくいが、普段の奇行の数々を目の当たりにし続けた結果、頭がおかしいという結論に至った。
「うぉぉお!?」
今も早朝から伯が壺に入って廊下を転がっているところを目撃していて、俺の理解を軽く飛び越えていくぶっちぎりのイカれぐあいを披露されている。どういう経緯で壺に入り、そして転がってしまったのか、わけがわからなくて俺の頭がおかしくなりそうだ。
昨夜も酒に酔っていたのか、窓から全裸で姿を現し腰に手を当てて高笑いをしているのを目撃した。その前にも裏庭でタンポポの綿毛にイチモツを振り回して起こした風圧で飛ばそうとしているのを見たし、「飛べチンポポ! 風に乗って種を蒔け!」とかなんとか言ってるのを聞いてしまい、声を抑えながら腹筋が砕けるほど笑った。
外の警備をしているのが俺だから良かったが、メイドに見られていたらどうするつもりだったのか。誰か呼んできて反応を窺いたかったが、それで伯が破滅してしまうのは面白くないのでやめた。まぁその程度終わるような人ではないのだけれど。
こんなにもぶっ飛んだ伯だが慕う者は多い。少なくとも屋敷の者たちは全て伯を信頼し慕っている。もちろん俺もそのうちの一人だ。伯は一緒にいて飽きないから。
だが慕われている以上に伯には敵が多い。他国と隣接する辺境にあって、王都に並ぶほどの発展をするハイルズ領は国の内外問わずに疎ましく思われている。北のコファーとは上手くやっているが、北東のアッシュヘン王国の貴族連中はせっせと間諜を送りつけてくるし、隣接する国内の貴族たちも定期的にちょっかいを出そうとしてくる。
伯がその気になればどれも潰せるとは思うが、今のところ本人にその意思はなさそうだ。
「あら、おはようハンス。お父様……ではなくご主人様は?」
伯の入っている壺から離れ廊下を歩いていると一人の女性から声をかけられる。
伯をお父様と言ってから慌てて訂正したのはメイドのタチバナさん。俺と同じく幼い頃に伯に拾われ、それ以来屋敷に住まわせてもらっている者の一人だ。
「まだ見つけていないんです。また裏庭ですかね」
壺に入って転がっているとは言わない。多分見つかったら伯は気まずいだろうから。
「こんな朝早くに裏庭へ?」
「好きですからね」
伯の出現ポイントその一、裏庭。
伯はここでワインを飲みながらぼんやりしていることが多い。満月の夜は必ず裏庭でワインを飲み、儚さを漂わせ寂しげな顔で月を見上げている。その愁いのある表情と満月の風情が合わさる瞬間を、メイドたちからは妊娠確定演出と言われているのを俺は知っている。
「好き? ハンスがご主人様を……? 朝から禁断の愛の告白なんて――」
「伯が裏庭をです。会話の行間を読んで文脈から察してください」
伯も頭がおかしいが、使用人たちも大概だな。
「わかってるって、メイド冗句、メイド冗句」
冗句でもそれを信じる人が出てくるからやめてほしい。
「ハンスはご主人様の従者でしょうに。どうして御主人様がどこにいるかをしっかり把握していないの。そんなんじゃあなたの愛は届かないよ?」
その不愉快な冗句を続ける気か?
壺の中という出現ポイントが新たに登録されたばかりなんだが、それを言っていいか?
「四六時中一緒にいるわけではないですし、この広い屋敷を自由気ままに動く伯を見つけるのは至難の業ですよ。それと愛とか言うのやめてください」
「言い訳しないの、それでも探してくっつきまわるのが貴方の役目でしょう。私に変わってくれるなら変わるのに……ねぇハンス、提案なんだけど」
嫌な予感しかしない。
「あなたメイドにならない? 私が執事服を着て護衛をして、ハンスがメイド服を着て掃除をするの」
ほらな。
「絶対に着ませんよ」
「でもハンスなら絶対に似合うよ?」
「似合う似合わないじゃなくて、俺は男ですからメイドにはなれませんし、なりたくありません」
ただの女装だって嫌なのにそんな勃起な恰好ができるか。俺は見ている側でありたい。
「性別なんて関係ないって。男だから良いと言う人もいるんだよ?」
「どうしてそんなマニアックな奴の為に俺がメイド服なんて着なきゃならないんですか。いやですよ」
目的と手段が入れ替わってないか? 俺にメイド服を着させることが目的になってきている。
「マニアックか。実はね……私もその中の一人なんだ」
「その打ち明け話は意外でもなんでもないですからね」
タチバナさんがそういう人だってのはよくわかっている。今更だ。
「なにハンス、あなた私が男のメイド服姿で興奮する変態だとでも言いたいの?」
「そう言ったんじゃないんですか?」
「はぁ……あのね、私は羞恥で頬を染めながらメイド服を無理矢理着させられている男の子が見たいの。当たり前のように着こなして自信満々に女装している男なんて無価値でしょ」
「訂正しない方がまだましだったパターンですね」
精神的強姦が趣味だと公言するとか極まってるな。
「そんな倒錯した性嗜好を基準にして俺に女装させようとしないでください。付き合いきれないんで俺は行きますよ」
「もう俺はイク……? 朝のお勤め中だったんだね、邪魔しちゃってごめん……」
廊下でイクかよ勤しめるかよ。
「多分違う意味でとらえてますよね。面倒くさいので乗りませんよ。伯を見かけたらタチバナさんが探していたことも伝えておきますから、それでは」
まだメイド服がどうのと喚くタチバナさんと別れ、再び壺が転がっていた場所に戻ると、壺は元あった場所に戻っており伯が入っている気配もない。
「よかった」
「何が良かったんだハンス」
次に声をかけてきたのは執事衆の一人、パラウドだった。
「また父上に……旦那様に無礼を働こうと悪さを企てているのではなかろうな」
パラウドは父上と呼び、旦那様と言い直す。べつに言わされているわけではないんだから皆好きに呼べばいいのに。
「べつに何もしてませんよ」
「何もしないのも問題だ。貴様はすぐに仕事を放棄するからな、また護衛をサボってどこかへ行こうとしているのだろ」
失礼な。俺は仕事をサボったことなんて一度もない。伯が神出鬼没過ぎていつも見つからないだけだ。
昼食の時間に呼びに行ったらどこを探しても見つからず、最終的に使われていない屋根裏部屋で寝ていたような人だぞ。理由を聞いたら一人の時間が欲しかったとか新婚夫婦の夫みたいなこと言ってたし。
「壺に何か入っている気がしたんですが何もいなかったから、あーよかった、と言っただけです」
伯が入ってなくてよかったとな。
「ん? おおう、そうだ、私もさっき壺が動いているように見えて確認しに来たのだった。ネズミの類がいたのならネズミは勿論のこと糞の始末をしなければならない。チェックしておかなければ」
伯、ネズミ扱いされてますよ。
「こ、これは」
まさか糞でもあったのか?
だとしたらそれは伯のぶっ放したモノだ。絶対掃除なんてしたくないからさっさと逃げよう。
「これは父上の……旦那様の毛髪。しかも新鮮なものだ。なぜこんなところに?」
「毛髪があるかないかより、毛で個人を特定できることの方が俺は不思議です」
鮮度も見極めてるし。
「何を言うかと思えば……。私たち執事は父上のコンディションは常に把握しておかなければならないのだ、当然だろう?」
もう父上って呼ぶことにしたんだね。
「見てみろこの髪の毛の艶を。どう見ても父上のものだ」
どう見ようとも誰のものかなんてわからない。それが黒猫の毛だと言われれば、そうなんだろうと思うよ。
「一本の毛じゃ艶も何もないですよ」
「フフッ、ハンスはまだまだ浅いな」
自分のストーカー深度の深さを誇っての「浅い」か? こじらせてんなぁ。
「私レベルになると髪の毛一本で父上の健康状態がわかる」
パラウドレベルの変態に好かれる伯も大変だな。俺なら同じ屋敷に住みたくはないから何か理由をつけて外に出すぞ。
「この毛髪一本の価値がわかるか? 毛根部分には人体の直近の健康データが詰まっているのだ。これを利用し、毛根の様子から父上に現在足りていない栄養素をさぐり、来週からの献立を料理長と協議するための貴重な資料となる。父上の健康管理をする上で、これ以上の手掛かりはない」
「もう病気の域ですね」
「いや、今のところ病の類は見受けられんぞ」
あんたのことを言ったんだよ。
「無論観賞用としても有用だが――」
人の髪を拾って観賞用とか正気か。まさかとは思うが、今まで拾った分を捨てずに集めてたりしないよな……。
「――基本はデータを残すために保存している」
やっぱり保存してるんだ。そら伯も一人の時間が欲しくなるわ。
「あー、俺は仕事があるんで行きますね。それでは伯のデータ収集頑張ってください」
「ん? あぁ、引き留めて悪かった。壺は私に任せておけ、まだ毛髪だけではなく体毛が落ちているかもしれないからな。……独り占めしたことは誰にも言うなよ?」
「言えませんよ」
言ったところで本気で羨ましがる奴が出てきそうで怖いからな。
ストーカー……ではなくパラウドから逃げるように離れ、伯を探して歩く。
こうしてると自分もパラウドのようなストーカーになったみたいでいやだ。パラりたくはないが、これも俺の仕事なので仕方ないと諦めよう。
「――」
「――」
伯の執務室の前を通りかかると、中から執事長と伯の話し声が聞こえた。どうやら今日は素直に執務室にいるらしい。もう猫みたいに鈴でも首につけてもらおうかな。パラウド辺りに提案したら賛成してくれそうだ。
「消しますか――」
「出来るのか――」
不穏な話題だな。何を話しているかはわからないが、重要な話なら執事長からあとで説明があるだろう。
執事長は頭のおかしい者が集まるこの屋敷の中でも群を抜いておかしい。九十という老体でありながら、いまだ現役で働いているのがもう異常なのだが、驚くべきはその性知識の豊富さだ。
俺の性知識の殆どは執事長から教わったもの。執事長の性に対する執念と、その造詣の深さと幅広く押さえたジャンルの心得は一朝一夕で身につくものではない。タチバナさんたちが着ている隙のない隙だらけの革新的メイド服のデザインにも一枚かんでいると言っていたし、まだまだ学ぶべきところの多い方だ。
「あっハンスくん、盗み聞きしてるの? いけないんだー」
「……リタか。違うよ、ただの出待ちさ」
伯が出てくるのを扉の前で待っていると、いつの間にか横に来ていたメイドのリタに話しかけられる。
隙だらけのメイド服を完璧に着こなせるのは、リタがそれだけ勃起な体つきをしているからか。
屋敷で働くメイドには二種類のパターンがある。
一つは幼い頃に伯に救われ、学問を授けられ職業訓練を受けながら育てられ、そのまま屋敷を出ずに残ることを選択した者。タチバナさんなどがこのタイプで、恐らく一生屋敷に残ると思われる。伯が好きすぎるから。
もう一つは執事長が面接し、「坊ちゃんは胸のふくよかな女子が好きだから」という理由で、器量の他に胸のサイズを選定基準にして採用された者たち。こっちはほとんどの場合が他国や他貴族からの間諜であり、器量云々胸云々は半ば冗談で、適当に採否の決定が行われる。そしてその全てが元々いるメイドたちによって正体を暴かれ辞めていく。
リタは後者のパターン、他貴族から送られてきた貴族の娘だったのだが、珍しく間諜ではなく借金の形として雇い入れられたメイドである。伯が一般的な領主だったらとっくに処女を散らして死んだ魚のような目をして働いていただろうに、リタの伯を見る瞳にはいつも熱がこもっている。
あれは恋する乙女の瞳だ。親に売られたというのにどうかしていると思うが、並の順応性じゃないと褒めるところなのかもしれない。
リタは大事そうに空き瓶を抱えているがそれは何のために? いや、聞くのはやめておこう。どうせろくな理由じゃない。
「出待ちですかー。ハンスくんはいいよねー、好きなときにご主人様とお話しできて。私なんて漸く今朝、起こし役が回ってきたのに全然喋れなくて……」
ハンスくんか、嫌な呼ばれ方だな。
俺は自分の股間をハンスくんと呼んでいるので、その呼び方は俺自身が陰茎だと言われている気がして抵抗がある。ちなみに勃起したときはハンスさん、鬼勃起したときはハンス様だ。
「特別俺だけが話しをしていいってわけじゃない。リタだって遠慮せずに話しかければいいじゃないか。伯だって話しかけられれば喜ぶと思うよ」
「無理無理! 絶対無理だよ! ご主人様と話してるとお漏らししちゃうもん!」
それは君が緩いだけで伯は関係ない。
「そうか、伯には利尿作用があるんだな」
伯は間違いなく変態だが、こうやって予測し得ない角度から新たな属性を勝手に付与されていることがある。そのへんは少しかわいそうだなと思う。
「うん、そうかもしれない」
素直に認めるなよ、伯がかわいそうだろう。利尿作用のある人間なんていてたまるか。
残念な子だ。最初はタチバナさんから悪い影響を受けているのかと思ったが、最近はこれがこの子の素だとわかってきた。
伯は頭がおかしいがモテる。メイドで伯を想わぬ者はいない。そして伯を好きなメイドは大体頭がおかしい。伯の頭のおかしさや奇行など、恋する乙女たちにとっては旨味成分を際立てる味付けにしかならないんだろうな。
一方伯はメイドたちをよくみている。と言うか胸ばかり見ている。
下手くそな口笛吹きはじめたらそれが合図だ。わざとハンカチを落としてメイドを屈ませて胸の谷間を見ようとするのだが、俺はおこぼれを頂戴するために伯の後ろに移動すると、何故か俺の視線に気づいたメイドたちは睨んでくるのだった。
どうして俺ばかり睨まれて……ハッ――もしやハンカチを落とすのはメイドではなく俺に対する罠で、俺が本命の囮なのか? 俺がメイドに睨まれている間に伯は一人でおっぱいを……クソッ、まんまとはめられていた! この件は絶対に追及してやる。
執務室の扉が開き執事長が出てくる。どこか嬉しそうだが何か良いことでもあったのだろうか。
それよりもハンカチトラップの件だ。俺を囮に使うとは流石としか言いようがないが、一言文句を言ってやらないと気が済まない。
「ちょうど良いところにいましたねハンス。あとで私の部屋に来てください。大事な話があります」
「はい、それは構わないんですが、もう執務室に入ってもいいですか? 伯がどこか行く前に朝の挨拶をしておきたいので」
挨拶をな。
「坊ちゃんがどこかへ行く――ですか。そうですね、坊ちゃんはどこかへ行ってしまうでしょう。私たちの届かぬ高みへ……そう、天へと」
「え? 伯死ぬんですか?」
それでニコニコしていたんですか?
「まさか。その逆ですよ」
死ぬ逆とは? 生クか? いや、そんなタチバナさんじゃないんだから。
今日の執事長は珍しくキテるな。いつもならわかりやすく最新の性事情を教えてくださるのに、今は難解過ぎて何を言っているのかさっぱり理解できない。
「あ、あの私は行きますね!」
リタが顔を真っ赤にして駆けていく。扉の隙間から伯が見えたのだろう。うぶなこった。
しかし良い背中だな。バックり開いたデザインのお陰で赤くなった背中が丸見えだ。あんな健気な天然ど淫乱に好意を寄せられているのに行為に至らない伯はインポか何かなのか?
いや、庭でタンポポ相手に鬼勃起していたしそれはないか。
・ベルヴェール・ディオール
ステータス:ピューア王国ハイルズ領領主 四十六歳童貞
状態:壺っき 転倒
ハンスから見た姿:Getting Over It
・ハンス
ステータス:執事 執事衆 ベルヴェールの護衛兼従者
状態:平常
・パラウド
ステータス:執事 執事衆
状態:大興奮
・バロール
ステータス:執事長 執事衆筆頭
状態:高揚
・タチバナ
ステータス:メイド
状態:ハンス、メイド服を必ず着させるから覚悟なさい。あなたが涙目になりながらメイド服を着ている姿をお父様の膝の上で頭を撫でられながら眺めたい。そうだ、朝食に睡眠薬を入れて――
・リタ
ステータス:メイド
状態:瓶をどこかに隠そうと思ってたけどタチバナさんに見つかったため逃走