夢見る爺や
――私はなんと臆病で小心で情けない男なのだろう。
本当の自分をさらすと己と愚息に誓った矢先、覚悟が足らなかったせいでメイドのリタに女としての恥をかかせてしまった。まさか本当の自分を表に出すことで相手まで本性をさらしてくるとは思わなかったのだ。
想定外の展開に愚息は前立腺アシストも虚しく鬼棍棒から水分を奪われたモヤシのように細った。まだ十五歳だというのに言葉巧みに私の愚息を食べようとして、瓶を挿入しようとするリタの戦巧者ぶりに怯え、尻をまくって尻を守って逃げてしまったのだ。
あの後、裸のまま屋敷をうろつくわけにもいかず廊下に置かれた大きな壺の中で息をひそめて事なきを得た。壺から出る時に愚息が引っかかってしまい壺ごと転がったが、朝も早かったからか誰にも見られなかったのは不幸中の幸いだろう。
リタは気の利く良い子だと思っていただけにショックも大きい。リタのように気の利く子に娼婦みたいな恰好をさせれば、私のいやらしい気持ちを汲み取りこうなることは予測できたはず。私の配慮が足らなかったせいでリタに恥をかかせてしまったのをそのままにしておくわけにもいかない。いつか埋め合わせをしなければな。
リタの誘いを断る形で私は逃げ出したのは、我が男根にとっても痛恨の悔恨。本当の自分をさらすのだと決めたのだから、あの時一発キメてしまえばよかったのだ。
女性を都合よく性処理道具として扱うのは男として、なにより領主としてどうなのかと思うので、今更になって「勇気が湧いてきたので一戦頼めないか」などと言えるはずもない。いつまでも引きずるのはやめよう。
「坊ちゃ――旦那様、コファー王国のジィニー王からの手紙です」
朝食を済ませて執務室で下半身を露出させてスリルを楽しみながら政務に取り掛かっていると、執事長のバロールが部屋に入ってきた。坊ちゃんと言い間違えそうになったのか、勃起しているのがバレて勃っちゃんと言おうとしたのかは判然としない。
バロール――彼は私が生まれるよりも前からディオール家に仕えてくれていて、長年我が家名を守り、支えてくれた功労者である。バロールなくてはディオール家もなく、ハイルズ領の発展は彼なしでは成し得なかったと断言できる。
身長は私よりも少し低く、全て白くなってしまった髪を後ろに撫でつけている。背筋はピンと伸びており老いを感じさせない姿勢の美しさ。顔には以前よりも皺は増えているものの、とても九十をこえて墓に片足を突っ込んだ老人とは思えぬ力強さを感じさせた。
私も爺やに対抗するように愚息の力強さを世界に示しているが、愚息は執務机で隠れているのでまだ気づいていまい。
老人の前で愚息をこっそり露出させる――これが私の本当にやりたかったことなのかと言われれば、声を大にして違うと言いたい。メイドが机の下に隠れていて、誰にも気づかれぬように咥えてくれる――そうなるのが理想だったのだが、執務室に最初に入ってきたのがバロールだっただけだ。
とは言え、いざメイドが口でしてくれようとしても、臆病な私は逃げてしまうのだろうな……。何が本当の自分だ。結局一人の女性の心を傷つけただけではないか。
リタとの情けない一件を思い出し、机の下では愚息も首を垂れている。その情けない姿を見て、あまり自分を責めすぎるのもよくないぞと心の中で愚息を慰める。
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
「かしこまりました」
下半身を露出した状態でいつまでも老人と同じ部屋にいるのは息苦しいというか愚息苦しい。早く出ていってくれないものか。
「ぼっちゃ――旦那様……ほどほどに」
ほどほどにとは――まさか下半身を露出させていることがバレていたのか!? だとしたら何故ばれた!? いや、何を慌てているのだ。バレたならバレたで、それでいいじゃないか。
長年ディオール家に仕えてくれていた爺やは、本当の私を知って失望するかもしれない。怒りを覚え、屋敷を出ていってしまうかもしれない。だがそれが本当の自分をさらすということなのだ、何も慌てることは……常識で考えたら慌てるところだな。
「……」
どうなろうとも覚悟の上よ。覚悟を決めなければならない程に私の心は限界だったのだから。
「旦那様、失礼を承知で申し上げます」
きたか――!
ズボンを穿けと言うのか? それとも今日限りでお暇をいただきたく――と言われてしまうのか。どちらにせよ、私は私を変えるつもりはない。かかってこい、爺や!
「どうか私を使ってください」
「誰が使うものかッ!!」
爺やは頭がわいているのか!? 何故私が老人の、それも男の体を使わなければならないのだ。百歩譲って老婆なら接合は無理だが口だけなら――と考えなくもないが、性別が男の時点で選択肢にも入らぬし愚息も入らんわ!
しかしわからないものだな。まさか爺やに男色の趣味があったなんて……。
「……声を荒げてすまなかった。しかし結構だ、間に合っている。私は自分のことは自分で済ませるから大丈夫だ」
男に手伝ってもらうぐらいなら樹の穴に挿すわ。馬鹿なことを言ってないでさっさと部屋から出て行ってくれ。むしろ怖くなってきたから解雇しちゃおっかな。
「……ほどほどに」
「わかっている。だが私は自分を偽ることに疲れたのだ。今は放っておいてくれないか」
執務机の下で愚息を剥き出しにしているのは完全にバレているようだが、男色趣味の爺やに心配されるいわれはない。むしろ私は爺やの方が心配だ。長年連れ添った奥さんが悲しむぞ。
「かしこ……りました」
シコりましただと? ……老人の処理報告を受ける領主など世界広しと言え私ぐらいのものだろうな。嫌な唯一無二だ。
しかし爺やがそんな話をするのは珍しい。朝っぱらから抜くとは元気だな、今後は爺やを自慰やと呼ぶことにするよ――いや待てよ……これは自慰やが私を認めてくれようとしているのではないか? あえて自分も私と合わせようと慣れない男色家の振りや、自慰中毒の振りをし言葉ではなく態度で示してくれているのかもしれない。
思い起こせば自慰やは昔からそうだった。私がすることに文句などつけたことはなく、いつも陰ながら見守り、さり気なくサポートし、そして応援してくれていたように思える。
メイドの新衣装も最終的に自慰やの監修があったのも失念していた。社交界で流行っている胸を開けたドレスのデザインを取り入れつつ、腋と背中の布地までなくしてしまうという革新的な造形は爺やが考案したもの。メイドの気分によってロングとミニのスカートを用意することで日毎の変化をつけて着る者も見る者も飽きさせぬようにつつ、ロングバージョンのスカートはやたらと生地を重くして尻に張り付かせるよう提案した……あのとき私は愚息に雷が落ちたかのような衝撃を受けた。
それだけじゃない、こっそりメイドたちの入浴を覗こうとしたときも素知らぬ顔でベストポジションが書かれたメモ帳を差し出してくれたのも自慰やじゃないか。
自慰や……お前は最初から私が自分を偽っていることに気づいてくれていたのだな? 私が決意したことを見抜き、その上でまだディオール家に仕えようと……。私は自分のことばかり考えるあまり、周りが見えていなかった。本当の自分を誰も見てくれないなどと嘆いていたが、見ていなかったのは私の方だ。私こそ人の心から目を逸らしていたのだ。
「すまない爺や、きつい言い方になってしまったのを詫びる。今までの私は暗い闇の中を彷徨い……いいや違う、私の目は曇っていたのだ。……だがもう目を逸らすことも曇らすこともない。もしこの眼が曇ったとみたら、爺やの手でまた目覚めさせてくれ」
年増の良さを教えてくれたのも爺やだったのだ、私が迷ったら、年の功による性の可能性をまた感じさせてくれ。
「坊ちゃん那様ッ!」
なんだその奇妙な呼び名は。何十年経っても呼び慣れないならもう坊ちゃんでいいよ。
「くぅッ……」
自慰やを見ると、喜びに打ち震えているかのように身をよじり、眉間を指でつまみながら泣き笑いしていた。
今にも本当の意味で昇天しそうだが、まさか尻に棒でも挿しているのではあるまいな? 付き合ってくれるのは嬉しいが年齢を考えろ、それは逝ってしまうからやめるのだ。
「落ち着け自慰や、私はまだ一歩を踏み出したに過ぎない。過度な期待はしないでくれ」
合わせてくれるのは嬉しいが無理はしないでほしい。
本当は入れてないよね? そう匂わせているだけだよね?
「そうでございますね……そうでございますね――! 私としたことが取り乱してしまいました。それではいつも通りの仕事を――まずは、ジィニー王からの手紙を」
「ああ、そうだったな。またあの困った馬鹿王からの手紙か。毎度毎度飽きもせずに」
届けられた封筒を開けて中から便箋を取り出す。貴重な白紙を使った手紙には空白が目立ち、その中心に達筆な文字でこう書いてあった。
『早く結婚しろ』
それだけを書くために庶民はおろか貴族家にも普及していない白紙を使ったのか。これだから王族と言うのは……。
だいたい余計なお世話だ。異常性欲者である本当の私を受け入れてくれる者などそう簡単に見つかるものか。もしそんな者がいるならば、四歳だろうが千歳だろうが結婚して――。
再び自慰やを見る。
いるではないか。本当の私から目を逸らさず、本当の私を受け入れようとしてくれる者がすぐ目の前に。
「どうなさいましたか」
「い、いや、何でもない」
「左様でございますか」
血迷った。やはり性別が女性であるのは最低条件だな。
「実はもう一通手紙が」
「ん? 玉璽の封蝋――これはシャラザードの国王からか?」
「はい」
――シャラザード。
五つの国が牽制し合い睨み合う、世界の中心と呼ばれている中央大陸。その中央大陸から海を隔てて西に、大陸と言うには小さく島と言うには些か大きい、しかし人が暮らすには難のある不毛な地。人によっては魔大陸、または魔界などと呼ばれる地があった。
魔大陸には一万を超える大小さまざまな山があり、その山のうち三十が活火山である。島の東側には魔族の統治する山岳国、シャラザードという王国があり、届いた手紙ははシャラザードの国王からのものであった。
隣国のコファー王から手紙が来たと思ったら、次は魔族の王からか。どうしてこうも私は高位の男にばかり縁があるのだろうな。同じ縁ならば女性がいいのに。
「先に読ませていただきました」
「ああ、かまわん。自慰やが読まなければ我が領は回らない」
「お戯れを……」
「老人と戯れる趣味はない」
冗談でもいい加減しつこいぞ。何回言われても選択肢に入らないからな。戯れたいなら他の男にしてくれ。
「で、内容は?」
手紙は封蝋が砕けており、自慰やが先に読んでいるのは言わずともわかっていた。本来なら地に平伏して開けなければならないところだが、私はその手紙をぞんざいに扱う。魔族自体は好きだが、魔王に敬意を払う義理はない。
「行儀見習い一名とその従者を送るとあります――」
こちらに拒否権はないとばかりの横柄な内容。如何にもあの魔王らしいな。
「が、それは表向きの理由。真意は別にありましょう。行儀見習いというのは建前で、実質的には間諜でしょうな。いかがなさいますか」
「浣腸……?」
魔王が私に浣腸を送る? どういう意味だ? リタも私に瓶を挿そうとしていたが最近はそういうのが流行っているのか?
如何も何もない、さしもの私でもそのレベルはまだ早いと思う。そういうのは段階を踏んで徐々に進めていきたいし、そもそもいきなり遠方の、それも男から浣腸を送られても投げ捨てる以外の選択肢はない。
封筒の中には二枚の紙が入っていた。それとは別に肖像画もあるらしく爺やが執務机に裏向きにして置く。
二枚の手紙には行儀見習いに来る者と従者の経歴が書いてあった。聞いたこともない名の男爵家の娘で、歳は十六だ趣味はなんだと書いてある。
手紙を読み終わり、肖像画を表にして眺めると――。
「こ、これは……!」
「……お気づきになられましたか」
「あぁ……魔王は正気か?」
肖像画の一つは従者のもの。栗色の髪で眼鏡をかけた若い女性が椅子に座っている。問題はもう一つの方だった。
描かれていたのは、私の好みを絵にした様な完璧なスタイルの女性。
赤みのある金色の長い髪。椅子から投げ出すように伸びたすらりとした足。少しきつめの表情で愛想の欠片らも感じられない飾らない表情。こんな女性に初めてを無理矢理奪われたい……そう思わない男はいないだろう。
しかしそれだけではなかった。問題はその絵が全裸なこと。ピューアでも一部の変態貴族の間で流行しているという裸婦画。それを男爵家の娘にさせるなど、これはどういう了見か。
赤みがかった金色の髪で豊満な胸の先が隠れる絶妙な構図。下半身は摘まむように持たれたシーツで肝心な部分が見えないので、下の毛は赤いのか、それとも金なのかと想像力を掻き立てる。
どうして肝心かなめの部分を描いて送らないのだ。見えないのは見えない良さがあるというのはわかる。わかるが、それでも見たいと思うのが男心だろうに。ちゃんと正解の絵も描いて送れよ、ジィニーを真似て『ふざけるな』と一言だけ書いて送り返してやろうか。
「消しますか?」
「なんだと!?」
自慰やは髪やシーツの部分を消せるというのか!? 執事というのはそこまで芸達者なものなのか!?
「……できるのか?」
絵を白塗りにして「はい消しました」とかいったら老人であろうと容赦なくぶん殴るからな。
「…………多少、お時間はいただきますが」
時間が必要か……なるほどな、描き直して自慰やの想像で乳首や局部を描くという意味だったのか。
それでは意味がない。私はその時、その瞬間にあった鮮度の高い真実の乳首や花園が見たいんだ。自慰やが描いたのなら、それはもう裸婦画ではなく妄想の産物、自慰やの空想だ。
「いや、気持ちだけもらっておくよ。これは力でどうにかしていい問題ではない」
「左様でございますか。では受け入れるということでよろしいんですね」
物分かりの良さは健在だな。肖像画の修正を断ればすぐに次の話題へ移るか。
「そうするほかあるまい。行儀見習いと言うには些か歳がいき過ぎているがな」
普通はもう少し子供の頃に寄こすものだろうに。
私は子供が好きだ。性的な意味ではなく、無邪気で無垢な子供を見ていると私の汚れた心が洗われていくような気がするので子供が好きなのだ。
屋敷で働く執事やメイドも、何人かは私が拾ってきた子供たちだ。私は幼い頃に両親を亡くしたせいか、貴族同士の付き合いというのが苦手である。だから下手に貴族の子を雇うよりも気が楽でいいのだ。
「全く、そうでございますね」
ニヤリと笑う爺や。
今日の爺やは表情が豊かだと感じた。自分の本心を隠さぬようにと意識してから他者への関心が増したのかもしれない。
自慰やは何を考えているのかと観察すると、裸婦画を見て笑っていた。
拾ってきた子供たちを教育するのは爺やの務めなのだが、どの仕事よりも張り切って行っているのを思い出す。
九十をこえた老人が十六歳の体を見て笑うか……さては自慰や、貴様ロリコンだな?
だとしたら、それが本当の自慰やなのだな?
私はそれを拒絶しない。何故なら自慰やは私を受け入れてくれたのだから。
☆
私は執事のバロールと申しまして、旦那様を……いえ坊ちゃんを幼い頃から見てきた者でございます。
『神童』
坊ちゃんはそう言うに相応しいお方であったかと記憶しております。
まだ幼き頃、先代当主であられるヴザーキン様は奥方様とともに盗賊に扮した領民により殺されました。子である領民が親である領主に仇をなすなど、いよいよハイルズ領も、ひいてはこの国も終わりかと嘆いたものです。
残された坊ちゃんはあまりにも不憫でした。いっそこの手で……などと考えていたこともありましたが、あのときの愚かな私を止めてくれた妻には今でも頭があがりません。
当時、歴史的な大飢饉により国力の落ちていた我がピューア王国に、その機を逃さんと侵略を企てていた隣国コファー。その企ては実行され、幾度かこのハイルズ領も戦火に見舞われました。
コファーに条約を結ぶために送ったピューアからの使者はことごとく帰って来ませんでした。そして三度目の使者として選ばれたのが、領主を継いで四年経ったばかりのまだ十歳だった坊ちゃんでございました。
陛下は坊ちゃんを、ディオール家を消すおつもりだったのでしょう。
十歳の子供に辺境と爵位を与えたままにしておくのはあまりにも危険。強引だと憤りましたが、王の判断を責められるものはおらず、やり切れぬ想いに胸が締め付けられておりました。
きっとあの時なのでしょうね、坊ちゃんが国に対して強い不信感を覚え、王の在り方について疑問を抱き始めたのは。
ですが王の思惑は上手い具合に上手くはいかず、事はディオール家にとって上手く転がるのです。
コファーには気難しく、気に入らない者は即刻死刑にしてしまう恐ろしい王子がおりました。その王子の名はジィニー。現コファー王国の国王で在らせられるお方でございます。
坊ちゃんは先代コファー王との謁見の前、ジィニー様とお会いしたそうです。詳しくは語られませんが、そこでジィニー様と親交を深め、その苛烈な性格を正したと言うのだから驚きです。
そしてジィニー王子をして『真に心許せる者はペルヴェールのみ。余はやつを守るためならば死ぬことも厭わぬ。奴の為ならば百の国を相手に戦おう。奴に死ねと言われれば喜んで死んでみせよう』とまで言わしめたのです。
坊ちゃんは見事コファーとピューアの間に講和だけではなく、恒久的不可侵条約を締結なさり、一躍時の人となられたのでございます。
それからも『神童』という言葉までかすませる程の政治手腕と誠実な統治は、他国の者から『王の器を持つ男』と称されるほどのものでございました。
そして今日は隣国コファーの王、ジィニー様からの手紙が坊ちゃん宛に届いております。一国の王が他国の一貴族に手紙を送るなど本来はあり得ないことでございますが、それを可能としてしまうのは、やはり坊ちゃんの人となり故なのかもしれません。
「坊ちゃん――」
おっと。つい癖で坊ちゃんと呼んでしまいました。
「――旦那様。コファー王国のジィニー王からです」
「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
「かしこまりました」
いつも通りの坊ちゃんです。
いつしか政務には一人で励むようになり、私の手を使う事はなくなりました。それは頼もしくもあり、悲しく寂しくも思います。
この辺境の地ハイルズ領は以前と異なり、とてもではありませんが一人の人間が統治出来るものではなくなっています。ですが坊ちゃんは、その激務のほとんどを己の手のみでこなしてしまわれます。このままでは早逝してしまうのではないかと心配になった私は、無理やりにでもお手伝いをするようにしておりますが、坊ちゃんの抱える負担の一割にも満たないでしょう。
坊ちゃんには大きな野望、いえ、一つの目標がございます。その目標に向かって走り続けているのは重々承知しております。私はその目標を達成していただくためにも、坊ちゃんのお力になりたいのです。
「ぼっちゃ――旦那様……ほどほどに」
有能過ぎるが故に他人の手を借りれなくなってしまったのでしょう。或いは私の様な老体に鞭を打つよな真似ができないのでしょうね。坊ちゃんは昔から優しいお方でしたから。坊ちゃんの目標のためには長い準備が必要なのはわかっております。ですが全てをお一人でこなすのはさすがの坊ちゃんと言えど難しいかと。
私も準備は着々と進めておりますよ。坊ちゃんのお声がけ一つで、いつでも戦えるようるよう兵たちは鍛えてあります。ですが坊ちゃんからすれば、まだまだ不十分なのでしょうな。
「どうか私を使ってください」
「誰が使うものかッ!」
これです、これなのです。坊ちゃんは声を荒げてまでこの老体を気遣ってくださるのです。
坊ちゃんの目標にはこの老いぼれはついてはこれまいとお思いなのでしょうが、私はそれを納得してはいません。
「声を荒げてすまなかった。しかし結構だ、間に合っている。私は自分のことは自分で済ませるから大丈夫だ」
「……ほどほどに」
私からはもうこの言葉しか見つかりません。坊ちゃんはご自分の身を壊してでも、領民だけではなく私たち使用人すらも守ろうとしてくださるのです。これほどの方が王になれば、どれだけの民が幸せになるか……。
「わかっている。だが私は自分を偽ることに疲れたのだ。今は放っておいてくれないか」
「かしこ……まりました」
自分を偽ることにつかれたとは……まさか……これはまさか!?
いや、まだわかりません。まだ確定したわけではございません。坊ちゃんが「国を盗る」と仰るまで早合点してはいけません。
坊ちゃんが今まで国を盗るために行動しているのは明らかなのです。切っ掛けとなったのは、やはりコファーへ使者として送られたときでしょう。あの時坊ちゃんが仰った「僕が王様だったらなぁ」という何気ない一言。あの言葉が今に続くとは思ってもいませんでした。
勘の良い者どもはどこから嗅ぎつけたのか今更になって「ディオール辺境伯に謀反の疑いあり」などと宮中で騒いでるようですが、疑われるような怪しき情報は全て執事衆が潰しておりますので問題ありませんよ。
執事衆は坊ちゃんに拾われた子供たちを私が育てた、ある種の裏組織。表では執事として働き、裏では坊ちゃんの為に暗躍する影の者。彼らにかかれば噂を流した愚か者も原因不明の病や、偶然の不幸な事故によって消すことなど造作もありません。
事の始まりは忌み子と呼ばれ、親に捨てられた子供たちを坊ちゃんが拾ったことから始まりました。最初は貧民街に捨てられていたパラウド、次に戦争孤児のイゴールでしたか。奴隷商に酷い病を患ったまま売られていたタチバナも坊ちゃんが与えてくれた高価な薬のお陰で完治し、立派に成長しました。直近ではハンスなどの珍しい能力を持った将来有望な者もおりまして、みな拾ってくださった坊ちゃんに絶対の忠誠を誓っております。
「すまない爺や、きつい言い方になってしまったのを詫びる。今までの私は暗い闇の中を彷徨い……いいや違う、私の目は曇っていたのだ」
坊ちゃん……それは……。
「……だがもう目を逸らすことも曇らすこともない。もしこの眼が曇ったとみたら、爺やの手でまた目覚めさせてくれ」
視線を正し、本来見据えるべき目標……。それは目指すべき国の景色が見えたということにございますな――。
「坊ちゃん那様ッ!」
ついに国を盗り、一切の不幸を消し、合切の民に幸福を与えんと立ち上がってくださるのですね。
「ぐぅッ……」
待ちました。長き時を待ちましたぞ!
私を気遣い楽をさせてくれると思えば、見ただけでも逝ってしまいそうな壮大な夢を見させてくださる。これではおちおち墓で眠ることもできません。たとえ死んでも墓から這い出てでも爺やは見届けますよ。坊ちゃんがベルヴェール王となられる、そのお姿を――。
「落ち着け自慰や、私はまだ新しき一歩を踏み出したに過ぎない。過度な期待はしないでくれ」
「そうでございますね……そうでございますね! 私としたことが取り乱してしまいました。それではいつも通りの仕事を――まずはジィニー王からの手紙を」
「ああ、そうだったな。またあの困った馬鹿王からの手紙か。毎度毎度飽きもせずに」
あの苛烈王を馬鹿王などと言えるのは世界広しといえども坊ちゃんだけでしょうな。
ふと視線を感じ、執務机に目をやると、坊ちゃんが肘を立てて私を見ていました。
「どうなさいましたか」
「い、いや、何でもない」
「左様でございますか」
ふふ、何でもないわけがありません。また適当な理由をつけて私を休ませようと考えていたのはバレバレですぞ。一体何年、坊ちゃんの執事をしてきたと思っているのやら。ですが、そういう優しい坊ちゃんだからこそ、その後ろに人がついてくるのでしょう。
「実はもう一通手紙が」
「ん? 玉璽の封蝋――これはシャラザードの国王からか?」
「はい、先に読ませていただきました」
「ああ、かまわん。自慰やが読まなければ我が領は回らない」
む、胸が苦しい。この老いぼれを捕まえて何を仰いますか。過大で過分な評価でございます。元は用心棒や冒険者をやっていた汚れた身、私など坊ちゃんに仇成す者を陰で粛清するぐらいのことしかできませんよ。
「お戯れを……」
「老人と戯れる趣味はない。で、内容は?」
国を盗るのは遊びではない――そう言いたいのですね。
見ている世界が違い過ぎます。急いで目線を坊ちゃんと同じ高さに合わさなければ私は置いていかれてしまうやもしれません。ああ、私があと四十、いえ二十でも若ければ……。いえ、今は若い世代、執事衆がいます。私がなくとも心配はありませんな。
「行儀見習い一名とその従者を送るとあります――が、それは表向きの理由。真意は別にありましょう。行儀見習いというのは建前で、実質的には間諜でしょうな。いかがなさいますか」
「浣腸……?」
魔王から送られてきた手紙の内容を坊ちゃんが疑問に思うのは当然。タイミングが妙なのです。春の収穫祭が終わり、もう夏になろうかというこの時期に十六歳の娘を行儀見習いに見せかけた間諜を出す……実に怪しい。
本来ならばもっと早い時期か、もう少し歳のいった女を妾として寄こすはず。シャラザードは何を企んでいるのか――私も最初はそう思いました。
「こ、これは……」
「……お気づきになられましたか」
流石坊ちゃんです。私なんて執事衆が集めたあらゆる書類を引っ張り出してようやくわかったというのに、もう気づかれてしまったみたいですね。一体どんな記憶力をしているのでしょう。きっと坊ちゃんの頭の中には、王都の大図書館の如き膨大な資料が入っていて、それらを瞬時に、そして自在に引き出すことができるのでしょうな。
「あぁ……魔王は正気か?」
その肖像画に描かれていたのは妖艶で見事な肢体をさらす一目で高貴な者とわかる女性。
一見ただの上等な裸婦画ですが、そのモデルとなっている女性こそシャラザードの国王ゴゴムストリアスの末娘、公の場に一切姿を現さぬ事から陰姫などと揶揄されていたルルアナスタシア姫なのです。
一国の姫君を男爵の娘を装いハイルズ領に送り込んでくる真意が読めません。
ゴゴムストリアスと坊ちゃんは個人的な友好関係にあるとはいえ、油断をしていい相手ではありません。なにせ相手は魔大陸を力で治める魔族の王。その魔王の娘が弱いはずもないのですから。
「消しますか?」
ルルアナスタシア姫がハイルズに足を踏み入れる前に、海で事故に見せかけて消してしまうことを提案します。我が執事衆を動かせば、犠牲を顧みぬならばそれも可能だと思ったのです。ですが――
「何だと!? ……できるのか?」
「…………多少、お時間はいただきますが」
――坊ちゃんは眼を細め、それだけで弱き者なら腰を抜かしてしまうような鋭い視線で私を睨みます。その殺気に近い怒気にあてられ、私はしばらく声を出すことができませんでした。
坊ちゃんは執事衆を我が子の様に可愛がっておられるのでしょう、犠牲をださせることを良しとしなかったのです。全く、どこまでお優しいお方なのでしょうね。我々使用人など使い潰し、消耗品だと思ってくださって構わないというのに。
脳味噌図書館の坊ちゃんのこと、きっと爺やでは思いもよらぬ深謀があるのでしょうな。無策で懐に爆弾を抱えるようなお方ではありません。
では私は私にできることをするとしましょう。まずは手始めにシャラザードへ飛ばしている間諜を戻し、内情を精査してみましょうか。
・ベルヴェール・ディオール
ステータス:ピューア王国ハイルズ領領主 四十六歳
状態:童貞 自分探し 下半身露出 軽度勃起
バロールから見た姿:伏した竜が遂に立ち上がった。
・バロール
ステータス:表・執事長 裏・執事衆筆頭
状態:臥薪嘗胆→解放→カタルシス
ベルヴェールから見た姿:ショタもいけるロリコン




