濃度0.4%の戦い 後編
私は驚いた。何に驚いたって、ルルの言う「強い弱い」が性欲の話ではなかったことに腰と愚息が抜けるほど驚いている。
夜風に揺れる柔らかそうな赤みのある金色の髪と、呼吸に合わせて大袈裟に揺れる触らずとも柔らかいと断言できる胸。油断すれば見ているだけ身寸米青してしまい愚息が賢者の息子になってしまう……そんな男の理想を絵にして絵画から抜け出してきたような女性が求めているのは戦闘ではなく戦闘。
ロリアナスタシアのときならまだしも。美女アナスタシアの姿でそんな真実を告げられては、愚息も私も心の整理が追い付かない。
おもむろにテーブルを蹴り上げるルル。
短いスカートを穿いた女性が脚をあげる瞬間を私の猥褻哨兵眼が見逃すはずもなく、布面積の少ない細かい刺繍の入った黒下着と下半身一帯を瞬間記憶する。その瞬間、私は心の整理を途中で投げ出し、「まぁいいか」と全てを受け入れた。
勃起な体つきになったルルには、その下着では小さすぎた。あと少しで下着がずれて中が見える――というところでテーブルの脚が絶妙なタイミングと、悪意を感じる完璧なルートを通過して隠してしまった。
「見切れてしまった……」
「…………」
無言で私を見下ろすルルが腕を組んで胸を寄せて上げた。
こぼれてしまう、胸が下着からこぼれてしまうぞ! そう心の中ではしゃいでルルの谷間に見惚れていたところで愚息を蹴られ、ベンチごと飛ばされた私とルルの一戦は開幕する――。
ガチガチに鬼勃起して腹に張り付いていた愚息だったが、ルルの蹴りをくらって何が起きたのかと首を傾げるように角度を下げる。
愚息の角度が下がる――即ちそれは外套から飛び出してしまい、愚息が月に睨まれながらルルと対面することを意味していた。だが私も伊達に四十年以上生きていない。焦らず、胸を寄せてあげたルルと、瞬間記憶したばかりの黒下着と下半身を思い出して即座に愚息をマックスボルテージへともっていく。再び愚息は腹を打って私に張り付き、同化したアンコウの雌雄のように離れなくなっていた。
ズボンとパンツが破れてしまっている今、勝負の分かれ目は私がどれだけ勃起を維持していられるかにかかっている。一瞬の油断が命取りとなり、僅かな隙が勝負を決めるだろう……。
汗が頬を伝う。
今の自分が置かれている状況を客観的に考え、愚息と二人で思わず笑ってしまう。状況は絶望的だ。あれほど求めていた露出という変態行為を、今は全力で拒否しているのが面白い。
リタとの一件が若干のトラウマになっているのもあるが、ルルのただならぬ雰囲気に圧され今は出しちゃ駄目な場面だと空気を読んで自重している――と、私を知る者、例えばハンスなどが見ていればそう思うだろう。だが真実は違う。
絶世の美女を前にしてマントの中には丸出しの愚息を隠す……もうこれだけで一晩明かせそうなシチェーションを私は心の底から楽しんでいた。マントが少しでもずれれば社会的に即死するというスリルを感じ、愚息は萎むことなく一層硬度を高めていた。
駆てきたルルの後ろ回し蹴りを体を半身に逸らして腕で受ける。腕を上げればマントが広がり愚息が飛び出す。だが絶妙な角度で身を捻っているので、ルルの方からは飛び出た愚息は見えない。
愚息が見えるか見ないか、パンツが見えるか見えないかのギリギリの攻防。
空中に飛び上がったルルが再び蹴りを放ってくる。空中での連撃とは器用なものだ。
それも体の向きを調整し軽く捌いてやろう……としたのだが、またしても目の前に黒下着が現れ、かつさっきよりもハッキリと見えたせいで思わず力んでしまう。
酔いのせいもあるだろう。力んだ拍子に魔力が漏れ、思いのほか強い力でルルを払ってしまった。
払われたルルが空中で回転していたので慌てて抱き留める。ルルの背中と尻をがっつりつかみ、愚息は未だかつてないほど硬くなり、腹筋にめり込むほど角度を上げた。
「貴方の魔力、いただくわ」
「へぁ?」
抱き留めたルルが私の首筋を吸う。柔らかな唇が吸いつき、生暖かい舌でなぞられる。その瞬間、痺れを伴う強烈な快感が全身を駆け巡った。絶頂に似た腰の抜けるような圧倒的な快感。私は立っているのがやっとだったが、愚息は勃っていることしかできなくなっていた。
ルルは突き飛ばすように蹴りを放ち、月をバックに宙を舞う。
何をされたのか分からなかったが確かなことが一つある。それは私の性感帯は首だったということだ。たった今、それが判明した。
「こ、濃すぎるわ! こんな魔力があるなんて! 全て吸いつくすつもりでやったのにそれができないほど!」
戦いの最中に人の首を吸って嬉しそうに美味しいとは、まるで吸血鬼のようなことを。いや、吸魔がどうと言っていた気もしたな……もしやルルは吸血鬼だったのか?
そう言えばピーマンのほかにもニンニクも嫌っていたように見えたが、そういうことだったのか。そりゃ嫌うわけだ。
ルルが吸血鬼だからと言って、それで今後ルルへの対応が変わるわけではない。魔力は吸われて減るものだが、吸われる度に首を攻めてもらえるなら大歓迎だから。
「吸血鬼……ではなくシャラザードでは吸魔と言うのだったかな。私の魔力は特別でな、御師様が言うには魔力ではなく遺物に近いとのことだ」
「レリック?」
「ハイルズには古代遺跡に繋がる大穴が開くとギルドで説明したのだが忘れたか?」
興味なさそうだったから忘れるもなにも最初から聞いていなかったのかもしれない。
「覚えているわ。でもそれと何の関係があるの」
「まぁ魔力と大差はないのだが、魔力とは少し違うという話だ」
また得意げに詳しく話して退屈そうにされると私がへこむ。つい変わった知識や生きて行くうえで全く役に立たない蘊蓄を自慢げに話してしまうのは私の悪い癖だ。いつもハンスにそれをして、最後にハンスが「知ってます」の一言で終わらせられるたびに悲しい気持ちになる。
私には一般的な魔術が使えないのでルルのように火を放つことはできない。その代わりレリックという力で身体強化を行える。この特殊な感じは嫌いではない。自分が特別な存在になったかのように錯覚させてくれるから。
「じゃあ最初に会った時のアレも?」
最初に会った時のアレ……いや、アレは愚息がルルを跳ね飛ばしただけだ。レリックで愚息が強化されてしまっていたので正解と言えば正解なのだが。
「そうだ」
正直に言えるはずがない。こればかりは一生秘密にして墓までもっていくつもりだ。
そう言えばハンスにはバレていたか。じゃあ死ぬときはハンスも墓に道連れだな。
「そういうことだったのね。レリックの力……通りで私がわからないはずだわ。でも、貴方の力を吸ったからか、私も一段と強くなれた気がするの。力が溢れ出してくる……全て漏れてしまう前に戦いたくて仕方ないわ!」
そう言うとルルはまた宙を舞い、私の顔を狙って蹴りを放つ。
「速いなッ」
漏れるという言葉に気を取られていたせいで反応が遅れた。
躱しつつスカートの中を見ようとするが、さっきとは比べ物にならない速さの蹴りが私の側頭部を狙う。
受けようにも腕を上げれば愚息がバレるので受けられない。しかし躱してしまえば下着が見えなくなる。鞭のようにしなる脚が迫り来る中、一瞬の葛藤を終えた私の決断――それは頭で受けるというものだった。
「ぐおッ!」
「これが決まるの!? どうして!?」
驚いたのはルルだった。
これだけの蹴りを放ちながら当たるとは思っていなかったようだ。
パンツは見せてもらったぞ。あまりの速さに見逃してしまいそうだったし、ブレてよく見えなかったがな。
「なに少しかすっただけだ。気にせず続けて打ってくるといい」
「ふふ、樹の幹でも折れるだけの威力はあったはずなのよ?」
もうルルの目的は誤解なく完全に理解した。ルルは純粋に戦いたくて仕方ないのである。
見てみろ、ルルの嬉しそうな表情を。私はあの表情に覚えがある、あれは屋敷きっての戦闘狂、タチバナが魔物狩りに出る時と同じ表情だ。
だがそれがどうした。ルルが戦闘狂だったとして、吸血鬼だったとして、私たちの関係の何が変わるというのか。今まで普通に過ごしてきたのだから、これからも私たちの関係は変わることはない。
それに戦闘狂だというのは現状私にとってはプラスにしかならない。私はそれを最大限利用させてもらおう……ルルを煽りに煽って下半身を守る薄布と揺れ動き跳ねまわる躍動感ある胸を――。
「――存分に堪能させてもらうぞ! 気が済むまで好きなだけ打ってこい、私がルルアナスタシアの全てを受け止めてやる!!」
タチバナにもこう言うと嬉しそうに全力で寝技をかけてくれるので胸の感触や女体の柔らかさを堪能できた。何度か気を抜いて本当に骨を折られそうになったこともあるが、性欲を発散しつつ危機を乗り越えてきた経験があるからこそ今の私はルルの美貌に怯むことなく真っ向から対峙できるのだ。
「本当に貴方は……ッ!」
首を刈る鎌となったルルの脚が私の首を強打する。少しでも力を抜いていれば本当に刈り取られていたであろう鋭い蹴りを受けながら、捲れ上がったスカートから伸びる鍛え上げられた生足をまじまじと見る。だがスカートはすぐに戻り下着は隠れてしまう。
いかんな、これでは蹴られ損だ。蹴り一発につき0.2秒はパンツを拝みたい。
これほどの美女のパンツを見れたならそれだけで一生のオカズとなるだろう。だがそれだけでは満足できない。私は性に対して貪欲だ。本当の自分をさらけ出すと決めたのだから、姑息な手段を使って堂々と見てやろう。
「シッ!」
私は秘部を見るための秘策を思いつく。その秘策のため続く連撃を受けつつ、大振りな一撃を待つ。
「その程度かルル、あまり私をがっかりさせてくれるなよ!」
がっつりもっこりさせてくれ。略してガッコリだ。
「くッ!」
何度か蹴りを受け、通算四秒分のパンツを堪能したあたりでルルをあえて挑発する。挑発に乗ったルルは回転し背中を見せる。
――今だ。
挑発に乗ったルルの大振りな後ろ回し蹴りの軌道を読み、すんでのところでしゃがんで躱す。それによってルルの黒下着が見放題となった。
最高だ。愚息が腹筋にめり込み腹を突き破ってしまいそうなほどガッコリしている。
「え!?」
だがそれだけでは終わらない。蹴りが当たるものだと疑いもしなかったルルはバランスを崩す。軸足を払って宙に浮かせ、大胆にもルルの尻と股間部分に手を滑り込ませた。
柔らかい……そして滑らかだ。一生こうしていたい……。
無駄な脂肪の一切を廃した筋肉の柔らかさと、汗ばんでしっとりとした肌の感触を楽しむ刹那の時。しかし触るのは目的ではない。私の目的は別にある。
「そぉら!」
「うわわぁっ!?」
立ち上がる勢いを利用してルルを持ち上げて跳ね飛ばす。
「そこからでも打てるのだろ? それともさっきのはただの曲芸だったか」
先ほどの空中からの連撃。それをもう一度やってもらうのだ。そうすれば視界の前には常にルルのパンツがあることになる。少し動くだけで見放題だ。
実を言うとパンツ自体には毛ほどの興味もない。例えばメイドのパンツが廊下に落ちていたとして、私はそれを迷わず懐にしまって持ち帰るだろう。だがそれはごく一般的な行動であり、最低限の教養がある者ならば誰でもすることだ。
ではどうしてルルのパンツに執着しているのか。強烈な蹴りをくらってまで見るのは何故なのか。それは私が穿かれているパンツが好きだからである。
「甘く見てッ!」
「見えるのだから仕方あるまい!」
会話がかみ合っていないが、それはそれでいい。
ルルは私の思惑通り空中に停滞したまま蹴りを放ち続ける。そして私の視界には常時幸せが展開されていた。暴れられて嬉しいルルと、長時間パンツが見られて嬉しい私。互いの利害は完全に一致していると言えた。
だが幸せな時間はそう長くは続かなかった。
空中で私を蹴り、その蹴った場所を踏み台して浮き続ける。長時間の対空連撃を繰り返していたルルだったが、あまりにも私が反応をしていなかったからか、はたまた疲れが出てきたのか、蹴りの精度は下がり鋭さも欠けていく。
そうなればルルが地に足をつけるのは当然の帰結。幸せな時間はそれで終わってしまった。
「ハァハァハァ……」
荒い呼吸をして胸を揺らすルル。同じように今私がハァハァしたらただの変態で衛兵にしょっ引かれて牢獄行だが、ルルがすると色っぽく需要があるから不思議だ。
もう一度ルルを跳ね上げようかとも思ったが、これほど疲れているのだから私の性欲発散のために無茶をさせるものも悪い。オカズは十分に貰った。向こう十年はこの記憶だけでイキてイケる。
「……次で最後にするわ」
「そうか、もう終わりか……」
泣きそうなぐらい残念だ。
私も首や頭部が痛くて仕方ないので、まぁこれぐらいでいいだろう。
「失望した……? 魔族最強がこの程度で」
「魔族最強……?」
それはゴゴムストリアスの称号だったと記憶しているが……。
「もしこの技が貴方に、ベルヴェールに通用しないなら――私は潔く敗北を認めるわ」
ルルが手を払うと周囲には火の粉のようなものが浮く。火の粉はパチパチと小気味の良い音をならしながら徐々に私の周囲に集まってくる。
嫌な予感しかしない。冷静に考えてみろ、驚異の身体能力を遺憾なく発揮し散々曲芸じみた軽業とパンツを見せてくれて、本当の意味で強き者を尊しとする魔族の中にあって最強などと恐ろしい肩書を持ったルルが「これに耐えたら負けを認める」と言ったのだ。臆病にならぬ方がどうかしている。
どうしよう逃げたい。散々ルルの闘争本能を利用してパンツを拝んでおいてあれだが、どうしようもなく逃げたい。逃走本能が全力で逃げろ言っている。
だが――。
「いいだろう、受けて立とう」
「……ベルヴェールならそう言ってくれると思ったわ」
いや、普段なら絶対に言わなかったよ。
ずっと「強い」というのが性欲の話だと思い、自信満々に自分は強いと言い切っていたせいでルルは私を大いに勘違いしているようだな。
しかしこちらも十年分のパンツと乳揺れを見せてもらったのだ、それでルルの気が済むならお礼代わりに受けてやらねばなるまい。それに相手の攻撃を受けて、その上で相手よりも強力な技で勝利をもぎ取るのが御師様直伝ストロングスタイルの基本。ただのじゃれ合いやプレイではなく、勝ち負けを決める真剣勝負だと言うならば受けてやらねば教えに反する。
「お願いがあるのベルヴェール。もしこの術を耐えて貴方が勝ったなら…………」
「ああ、なんでも聞いてやるぞ。遠慮なく言ってみろ」
私を抱いてとでもいうのだろうか。望むところだ。明後日の朝まで眠れると思うな!
「私を――殺して」
「ああ……ああ?」
次の瞬間、視界は眩い光に包まれた。
☆
まき散らした粉塵がベルヴェールを囲うように爆ぜる。
粉塵が連鎖して爆発し続け灼熱の炎を生む。爆炎は球体となり周囲の一切を遮断してベルヴェールを包み、音すらもかき消す。
爆炎で外からは見えない球体の中では無数の熱線が乱反射し、立て続けに爆音を響かせながら連続で粉塵が爆ぜていることだろう。一撃目の爆発、二撃目の球体内への拘束、そして熱線の乱反射。三段構えのこの魔術は四年前に父上を打倒し、二度と使わないと誓っていた技。私の思念により自在に動く粉塵が対象を包み、零距離で発動される絶対回避不能の極大魔術。
この技を使ったあの日から、私は魔族最強となった。
私は褒めてほしかっただけだった。ただ「よくやった。頑張ったな」、そう言って欲しかっただけだった。だけど私には才能がありすぎた。父上はこの技を受けて立ち上がることができず、私に最強を譲った。
きっとこの才能のせいで、勇者の子孫と……。
爆炎が消え、灰色の煙だけが球体の中に残る。成長した私とベルヴェールから吸ったレリックのせいで、以前よりも威力が増していたように思う。
あの日、倒れていた父上を見た私は喜んだ。これで褒めて貰えると。だけどたったの一言も、一度も褒めてもらえることはなかった。「天才には敵わない」と、その一言で終わりだった。
だけどベルヴェールは強さを求める私を美しいと言ってくれた。すごく、すごく嬉しかった。私の努力を認めてくれて、理解を示し、そして褒めてくれたのだから。
ベルヴェールはすぐに私を褒めてくれる。この前も頭を撫でながら「いい子だ」と言ってくれた。ベルヴェールはあのバロールでさえ読めない男。何を考えて「いい子だ」と言ってくれたのかはわからない。きっと深い考えがあったのだろう。だけど理由なんてなんでもよかった、ただ褒められたという事実だけで嬉しかった。
そして今、私を褒めてくれたベルヴェールに父上を打倒した技を使った。
今度は褒めてほしいからじゃない。私を殺してほしいからだ。でも、もしベルヴェールが立ち上がったら、なんと言うだろう。
望み通り、「殺してやる」と言うのだろうか。それとも――。
球体が消え、周囲に一斉に煙が散っていく。
中にいたベルヴェールはどうなっただろう。
まさか死ぬはずもない。死ぬわけがないという確信があったから使ったのだ。
だけど、また父上の時と同じように私が勝ってしまっているかもしれない。ベルヴェールは倒れているかもしれない。
「うぅ……」
この期に及んで私は恐怖した。殺されるのが怖いんじゃない。ベルヴェールが倒れているかもしれないと思い、恐怖で足がすくんできたのだ。
強すぎる私を認めてくれた人。魔族ですら距離を置く私に気兼ねなく近づいてくれる人族の男。
もう二度とそんな者とは出会うことはないだろう。
それを私は……。
「とんでもない術を隠していたな。死ぬかと思ったぞ」
「……へ?」
俯いていた顔を上げると、眼前には傷一つないベルヴェールの顔。黒い瞳が私の視線と交わい、咄嗟に目を逸らしてしまう。
「あっ」
それは一瞬の隙だったはずだ。私が目を逸らした瞬間に、背中へ腕が回され、強引に引き寄せられる。私はベルヴェールに抱きしめられてしまった。
ベルヴェールのマントはなくなっており、衣服もほとんど焼けこげてボロボロになっている。だというのに普段と変わらぬ優しい口調で喋り、そして抱きしめてくれている。
「どうして立っていられるの……?」
「…………」
「あの技を受けて、どうして平然としていられるのよ」
「……そっちか。魔力とは違う、レリックがあると言っただろうに」
答えになっていない気がしたが、どこまでも明確な答えだと気づく。
ベルヴェールは強いから強いのだ。
「泣いているのか……ルル」
言われて気づく。私が涙を流していることに。
泣かないと決めていたはずなのに。泣いたら耐えられなくなってしまうと思っていたのに。
「な、泣いてなんかいないわ」
「そうか。しかし大したものだ、本当にルルは強いのだな。よくここまで体を鍛え、魔術の練度を高めたものだ」
「うぅッ……」
気づけば私はベルヴェールを抱き返していた。褒められたことで、体が勝手に動いてしまった。
私の頭を撫でるベルヴェール。意外と厚い胸、心臓の音が聞こえるほど強く押し付けられている。
少し力を込めたがびくともしない。お腹には堅い何かが当たっている、これは鍛え上げられた腹筋が瘤になったものだろうか。
この腕からは逃げられない。だけど逃げたいとも思わなかった。
この人には勝てないと悟った。心の底から屈服してしまったのだ。
ベルヴェールの腕に抱かれていると、不思議と落ち着いてくる。今なら素直に、自分の弱い部分を全て話せそうな気がする。
もう、観念しよう。
「強きを誇り弱きを守るのが魔族の信念。私はそれをずっと守ってきたつもりなの……」
「そ、そうらしいな」
「私は弱きを守り、強きに挑んできたわ」
「……」
「子供の頃は兄上や父上が私を守ってくれた。だけど私の方が強くなって、私が父上と兄上を守り、国を守る側になって……そして誰も私を守れなくなった。それは誇らしいことだったの――」
だけどそうしているうちに一つの疑問が浮かんできた。最も強い者は誰が守ってくれるのかという疑問……。
しばしの沈黙。ベルヴェールは何も言わずに黙っている。
それはそうだ。ベルヴェールは人族なのだ。魔族の信念や考え方など理解できるはずもない。返す言葉など浮かぶはずもないのだ。
どうして私はベルヴェールにこんな話をしたんだっけ。
「ごめんなさい……人族であるベルヴェールには――」
「ならば私がルルを守ってやる」
「……え?」
「私はルルよりも強い、圧倒的にな。だから私がルルを守ってやる。殺してほしいなどという馬鹿な事は二度と言うな」
それは私がずっと言われたかった言葉だった。自分よりも強い者に言ってほしかったその言葉を、ベルヴェールは当たり前のように言ってくれた。
私を抱きしめている意味も漸く分かった。ベルヴェールは私を守ろうと抱きしめてくれているのだ。言葉ではなく、既に態度で示されていたんだ。
「でもそれじゃあ……」
「強きが弱きを守るのだろう? その信念は魔族だけのものではない」
「う……うぅ、ひぐぅ……」
もう涙も泣き声も堪えることはできなくなっていた。
そうだった、ベルヴェールは強き者が弱き者を守るように、領民や使用人たちを大切にしているのを私はこの目で見てきたじゃないか。
バロールの言を信じるなら、ベルヴェールは私がロゼア家に嫁ぐことを知らない。知らないのに、私が思い悩み苦しんでいることに気づいていた。だから私の気を紛らわせようと屋敷では優しくしてくれて、見守ってくれた。街では手を繋いでくれて、肩車をしてくれて、勘違いをして怒った私をこうして守るように抱きしめてくれている。
私はこの人に守られていたんだ、最初から。
「私は強いと言ったがな……じ、実は弱いのだ」
「ッ!?」
唐突な告白。顔を上げてベルヴェールの表情を窺おうとしたが頭を抱かれて身動きが取れない。
今の言葉はなんだ。何を意味するのだろう。
ベルヴェールはさっき自分で強いと言った。そして本当に強くて、私の魔術を事も無げにかき消し、父上を倒してしまった技を受けても立っている。だというのに、どうして――。
あぁ、そっか。そういうことなんだ。私が抱いていた最も強き者は誰が守るのかという問い、それはベルヴェールにも当てはまるものなんだ。
ベルヴェールが自分を偽っていると言っていた意味もこれで完全に繋がった。ベルヴェールは私と同じで、心の弱さを隠しているんだ。だけどそのことを誰にも言えず、思い悩み、自分を偽り続けてきた。
ギルドでも抵抗せずに殴られていたのは、領民や使用人の心が離れてしまうのを恐れたから。軽く払われただけで私は空中で何回転もしたのだ、ゴロツキなど小突かれただけで死んでしまうだろう。
人に嫌われ、離れてしまうことを恐れる小心者の自分を弱いと評しているのね。
私とベルヴェールが初めて会った執務室。あそこでベルヴェールは「ありがとう」と呟いた。
ずっと頭からはなれなかった。ベルヴェールが何に感謝したのかずっと考えていた。でも今ならわかる。本当の私を知っていたベルヴェールが自分の弱さを隠しきれずに漏らした感謝の言葉だったのだと。
その感謝は確かに受け取ったわ。貴方が私を守ってくれると言うならば、私が貴方を守ってあげる。
「……わかったわ」
「な、何がだ?」
ベルヴェールは今更になって惚けようとしている。自分が弱いと言ったのが今更になって恥ずかしくなったのだろう。なんだか私は、そんなベルヴェールを可愛いと感じた。
「ベルヴェールが私を守ってくれるなら、私がベルヴェールを守るわ」
「……?」
ベルヴェールは覇道を歩むのだとバロールは言っていた。ベルヴェールの強さを知った今、もうそれを冗談だと笑うことはできない。
この先ベルヴェールの唯一の弱点である心の弱さを突き、覇道を阻もうとする者が必ず現れるだろう。そうなったときベルヴェールの弱さを知らず、ただその力に心酔する者たちだけでは守ることができない。だから私が守ってあげないといけないんだ。その役を任されたのだ。
貴方の進む道は誰にも邪魔はさせない。この人が王になるまで私が守ってあげよう。その道の先に私の居場所がなくても構わない。私はこの人の為に生きたい。
「ベルヴェール、貴方の目指している未来……その道程は私が守るわ」
「童貞をまも……うんッ!?」
私を抱きしめるベルヴェールの腕の力が緩んだ。常人なら気づかない僅かな隙。その隙に私は顔を上げて、今度こそベルヴェールの顔を確認しようとした。
抱かれているだけで落ち着いてしまう。この安心感を与えてくれるベルヴェールはどんな顔をしているのか見たかった。だけど月明かりに照らされたベルヴェールの表情はっきりとは窺えない。
なら火の魔術で照らして――と、その時、私を包む安心感が正常な思考を取り戻させた。
私は何をしているの?
月の下で強き者に抱かれる……これって恋人同士がすることじゃなかったかしら? マリーがよく読んでいる恋を題材にした物語にもこんなワンシーンがあった。でもあれは男同士だったけど私とベルヴェールは男と女で……。
火を放とうとしたが即座に取りやめる。私の赤くなった、それこそ火を吹きそうなほど熱くなっている顔を見られるのがたまらなく恥ずかしかった。それにさっきまで泣き顔だったから、きっと酷いことになっている。
でも、もう少しだけこのまま抱きしめてもらっておこう。
無論シャラザードを捨てることはできない。私がロゼア家に嫁ぐまでの間だけでも……いいえ、嫁いだ後でもベルヴェールを守りたい。
この胸が締め付けられるような温かい気持ちはなんだろう。
考えるまでもない、こんな幸せな気持ちにさせてくれるのは一つしかないじゃないか。守り守られる者同士が想い合う気持ち――
「ベルヴェール、あのね……よかったらなんだけど……」
「う、うむ」
「これからは私のことを……その、ママって呼んで?」
「ママか、うむ………………ママ!?」
――この気持ちは母性愛に違いない。
ベルヴェール・ディオール
ステータス:ピューア王国ハイルズ領領主 四十六歳童貞 甲殻類 貴公子
状態:泥酔 マント焼失 鬼神勃起
ルルアナスタシアから見た姿:夢にまで見た真の強き者。可愛い息子。
ルルアナスタシア
ステータス:魔王の娘 魔族最強 吸魔の神子 勇者の子孫の婚約者 自称ベルヴェールのママ
状態:真の姿 母性愛(?)
ベルヴェールから見たルルアナスタシア:夢に見るほどの美女。ママ。
バロール
ステータス:執事長
状態:腰の抜けたマリーをお風呂へ入れるためリタを召喚
リタ
ステータス:メイド 借金の形(残り一千万)
状態:え? あなたも……
マリー
ステータス:ルルアナスタシアの従者
状態:そう、あなたもなんですね……