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最後に「嘘」ってつけるから好きだと云わせて

「心のこもった、素敵な絵ね」


美術部の顧問が俺の描いた絵を見て言った一言が、どうしても忘れられなくて、俺は筆を持つ。

あの時褒められた絵は夏の始まりに、相手の了承もなしに勝手に描いていた、自己満足なものだった。


キャンバスよりも奥にいて、美術室にある丸椅子に座った作ちゃんは、酷く居心地が悪そうに体を左右に揺らしている。

その度に柔らかな髪の毛も揺れていた。

薄い表情は完全に強ばっていて、薄いとかそういう問題じゃない。


俺は筆を持ったまま呼び掛ける。

ふわりと上げられた目は、綺麗な黒なのに、ゆらゆら体と同じように揺れていた。

作ちゃんに絵のモデルを頼んだ時、目も口も開けたままの作ちゃんが可愛いと思ってしまったのだけれど、文ちゃんは終始苦い顔をしていたのを覚えている。


座っているだけでいいから、一度でいいから、今回だけだから、お願い。

頭を下げたまま繰り返す俺に圧倒された作ちゃんが、今と同じ強ばった顔で頷いたのが、この時間を作ったのだ。

でも、俺がそれを頼んだ時点で作られていたのならば、俺のせいだろう。

……と言うか、俺のせいだと思う。


「本読んでても良いよ。音楽聴いてても、お菓子食べてても、小説書いてても何しても、良いんだよ」


ゆらゆら、揺れていた目が足元へ投げられて、俺は筆を持ち直してキャンバスを見た。

相変わらずサイズの大きい白衣は、絵の具まみれだけれど、ヘッドフォンはしていない。

この状況でそんなことをすれば、作ちゃんはますます居心地悪そうに縮こまってしまうだろう。


「……崎代くんは、何、考えてるの」


言葉だけを切り抜けば、責められているように感じるかもしれないが、それに含まれていたのは純粋な疑問だと思う。

椅子に座ったままの作ちゃんは、カーディガンの裾を弄りながら俺に問い掛ける。


「作ちゃんのこと考えてるよ」


「……巫山戯てる?」


全然、と笑いながら答える俺に突き刺さる視線。

白かったキャンバスが少しずつ色付いているように見えなくもないが、まだ序盤だ。

これからどれくらい時間が掛かるだろうか、それまで作ちゃんは丸椅子に座って見ていてくれるのだろうか。


筆を握る手に力が入るのを感じて、ゆっくりと息を吐き出す。

作ちゃんが引き受けた時、文ちゃんはガラスの奥の瞳を細めて何も言わなかった。

多分、MIOちゃんに始まり、オミくんも文ちゃんも、俺よりも俺の気持ちのある場所を知っている。


「……崎代くんは死にたいと思ったことがある?」


「うーん、どうだろう。作ちゃんは?」


「ボクはあるよ。いつだって死にたいと思っているし、生きたいと思う人がいるんだから逆に考える人がいたって良いと思うよ」


いくつか美術室の窓を開けたけれど、入り込んでくる空気は少し冷たくて尖っている。

もうすっかり秋に足を突っ込んだような季節になっていて、絵の具混じりの風の匂いを吸い込む。

作ちゃんはぼんやりと自分の爪先を眺めながら、カーディガンを握り締める。


夏休みが始まったばかりの頃に見掛けた作ちゃんは、本当に今すぐ消えてしまいそうで、儚いを通り越した危うさがあった。

MIOちゃん達もそれを知っていると思うが、それに関して何を考え思っているのか、それは見えてこない。


「でも、MIOちゃんが良く言うよ。『作ちゃんは私達が愛してるから死なないよ。世界に愛されて生きていくんだよ』って」


「世界に愛されて……」


MIOちゃんはきっといつもと変わらない笑顔でそういうことを言うのだろう。

作ちゃんの手を取って、にっこりと笑いながら死なせないよ、とでも言うように。

何となく想像出来てしまったことに苦笑が浮かぶ。


昨日とは違う色の髪飾りの付いた髪が、秋の風に揺らされて、綺麗な折り目のついたスカートも細かく揺れる。

作ちゃんはやはりぼんやりとしていて、カーディガンの袖から覗く指を擦り合わせた。

カチ、カチリ、小さく聞こえる爪の当たる音が、二人しかいない美術室に響く。


「作ちゃん」


ペタリ、キャンバスに色を置いてその奥で座るモデルの作ちゃんを見る。

名前を呼ばれたことで顔を上げた作ちゃんは、長い前髪を整えるように撫でた。

前髪だけは、いつも癖を抑えるように整えられていてふんわりとした柔らかさと厚みだけ見せてくる。


「俺は、作ちゃんのこと好きだけど。それがあると、作ちゃんは死ねないのかなぁ」


モデルを頼んだ時よりも作ちゃんの反応は鋭かったと思う。

表情だけじゃなく、体を強ばらせて、弾けたように立ち上がった作ちゃんの足元で、丸椅子が乾いた音を立てて転がる。


厚みのある前髪がその動きと秋風に揺れて、しっかりと表情を見せてくるから、俺は筆もパレットも強く握るしかない。

嘘だよ、なんて嘘臭い響きしか感じさせないし、嘘でも言いたくないよ、なんて。

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