死にかけの感情が、やっと居場所をみつけた
「夏休みに呼び出されるとは思わなかった」
相も変わらず真っ赤な長い髪をしたMIOちゃんは、珍しくその髪をまとめ上げていて、メニュー表に視線を落としたまま口を開く。
何頼んでもいいの?という言葉に頷けば、にっこりと微笑まれてしまう。
一応お金は入れてきたが大丈夫だろうか。
冷房の効いているファミレスで、こっそりと財布の中身を確認する。
MIOちゃんは、こちらを気にすることもなく呼び出し用のボタンを押していた。
「期間限定マンゴーパフェ一つとミルクコーヒー一つ……。崎代くんは?」
突然問い掛けられて顔を上げれば、メニュー表を開いたままのMIOちゃんが首を傾げていた。
伝票を持ったウェイトレスのお姉さんも、にこにこと営業スマイルを飛ばしながら俺を見る。
「アイスココア、お願いします」
こっそりとテーブルの下で財布を閉じながら、笑顔を浮かべてウェイトレスのお姉さんを見た。
同じように笑ったお姉さんが、注文を繰り返してMIOちゃんが頷くのを見ながら、鞄の中に財布を仕舞い込む。
去って行ったのを確認すると、MIOちゃんはメニュー表を閉じて、それで、と居住まいを正す。
今思い返してみればMIOちゃんを呼び出すなんて、初めてのことかもしれない。
まともに私服を見たのも初めてだと気付くと、珍しいものを見れた気分になる。
クリーム色のサマーニットを着たMIOちゃんは、惜しげもなくその肩を露出させていて、水の入ったグラスに手を伸ばす。
既に水滴の浮かんだグラスの側面を、手の平で包み込んで拭いながら「呼び出した理由って何?」と俺に投げ掛けた。
「作ちゃんのことなんだけどさ」
「……作ちゃん?」
口も付けずにグラスを置いたMIOちゃんが、訝しげに片眉を上げる。
多分呼び出された時点で、幾つか投げられる話を思い浮かべていたのだろう。
そして、その中に作ちゃんの話題は含まれなかった。
ただそれだけのことだと思う。
「作ちゃんって、その、自傷癖みたいなのある?」
MIOちゃんの顔から笑顔が消えて、ぽかん、と口と目を開く。
だが、それも数秒のことで大きく空気を吹き出し、ケタケタと笑い声を上げた。
綺麗に切り揃えられた前髪が小刻みに揺れる。
お店であることを思い出したように、体を小さくして震えるMIOちゃん。
何がそんなにツボに入ったのかは分からないが、これでは話にならない。
呼び出した時に本人から、少ししか時間が取れないと言われた。
元々約束していたわけでもなく、突然今日は時間があるかと問い掛けたのは俺だ。
それでも良いと言ったが、この後の予定だと、時間になったら文ちゃんが来るらしい。
「ないよ」
ひとしきり笑ったMIOちゃんは、目尻に溜まった涙を指先で弾きながら答えた。
「作ちゃんはそういうことする子じゃないよ」と続けたので、俺はテーブルの下で手を握る。
固く握り締めた拳にMIOちゃんは気付くことなく笑う。
「そういう、何て言うのかな。まどろっこしいの、作ちゃんは好きじゃないよ」
軽く首を傾けて言ったMIOちゃんに、口を開きかけた俺だったけれど、先程とは別のウェイトレスの声で、お待たせしましたぁ、と響き、口を噤む。
マンゴーパフェとミルクコーヒーを目の前にして、子供のように目を輝かせるMIOちゃん。
小さな星が飛んでいるように見える。
目の前に置かれたアイスココアを眺めながら「ごゆっくり、どうぞー」と言う声に頭を下げた。
MIOちゃんは既に細長いスプーンを持っている。
冷たくて甘そうな黄色の強いオレンジ色を口の中に入れたMIOちゃんの、嬉しそうなこと嬉しそうなこと。
「美味しいねぇ」
「それは良かった」
もっもっ、とアイスやら生クリームやらマンゴーを頬張るMIOちゃんだが、会話は完全に途切れた。
聞きたかったことの答えは貰えたけれど、俺の頭の中にある疑問は解消されない。
ストローの封を切り、アイスココアの中に入れる。
「あ、でも自傷はないけど死にたがりだよね」
赤い舌を覗かせながら吐き出された言葉に、下げていた視線を上げる。
ずるりと耳に入り込んだ言葉は、疑問を解消するために必要なものだと、目敏く、耳敏く反応したのだ。
視線の先では、にこにこと笑うMIOちゃんがいて、マンゴーを口の中に入れている。
ゆっくりと動く唇と顎。
MIOちゃんの口内では、マンゴーがゆっくりと咀嚼されて崩されているのだろう。
ごくん、と細い喉が上下するのを見届け、その言葉の真意を問い質す。
「だから、そのままだよ。見たんでしょ?ここ最近だと……多分学校かな」
細長いスプーンがひらりと揺れる。
銀色のそれが蛍光灯を跳ね返し、細く鋭く光った。
「作ちゃんは生粋の死にたがり。でも、死ねない」
いつも通りの笑顔が、何か、薄ら寒いものをまとっているように見えて、肌が粟立つのを感じる。
ブツブツと鳥肌の立った腕を一撫で。
それを見透かしたように、MIOちゃんの笑顔が深くなる。
正直に言って、MIOちゃんは無邪気に邪気を振りかざすタイプだと思う。
いつも笑っているけれど、時々その笑顔がひどく嘘臭いような、蛇が蛙を睨むような、そんなものに感じることがあった。
作ちゃんは地に足の付いていないような薄い雰囲気を漂わせていて、MIOちゃんは笑顔で色んなものを飲み込む。
他の幼馴染み達も、それと似たようなものを持っている。
多分、仲が良いと思っていても、俺は四人のことを理解出来てはいない。
「私ね、崎代くんのことは好きだよ。お友達として、好き」
「……ありがとう。俺もMIOちゃんのことは好きだよ」
「うん、知ってる。でもね、崎代くんじゃ作ちゃんをどうこう出来るとは思わないんだよね。お友達としては、いい位置にはいられるけど、好き同士とかそういうのは少し違うんじゃないかなって」
出会った頃から、良く響く覇気のある声だと思っていた。
ツヤのある、若葉みたいに青々とした声だと思っていたけれど、今は酷く静かに低く流れる。
地面を這って、ゆっくりと俺の体を登り、耳まで届かせるような、そんな声。
「ねぇ、崎代くん」
三分の一ほど減ったパフェを置いて、MIOちゃんはストローの封を切った。
それをミルクコーヒーの中に沈めて、カラコロと氷の音を響かせるように掻き混ぜる。
薄い笑みを浮かべたMIOちゃんは、何故か作ちゃんと被った。
「作ちゃんのこと、好き?」
カロン、アイスココアの氷が崩れた。