胸を蝕む呪いの解き方を教えてくれよ
キャンバスに閉じ込めてみた彼女は、本当にお人形のようだった。
ふわふわの髪に真っ黒な瞳と薄い表情は、正直普通に見ていてもお人形のようなのに。
あれで着ている服が制服じゃなくてゴスロリとかだったら、もっとらしいんだろうなぁ。
ぺたり、キャンバスに色を乗せて筆を止める。
視線をキャンバスの奥に向けてみるが、そこにはキャンバスに閉じ込めたモデルはいない。
そのことに軽く息を吐き、筆を水の入ったバケツへと投げ入れる。
「先輩、終わったんですか?」
近くで同じようにキャンバスと向き合っていた後輩が、俺に気付いて顔を上げた。
音楽を止めたヘッドフォンを下げながら、うん、まぁ、と歯切れの悪い返事をする。
途中と言えば途中なのだが、今日はこんなところだろう、とも思う。
「飲み物とか買って来ましょうか?」
絵の具の付いたエプロンを外そうとした後輩に首を振り、立ち上がる。
パレットを椅子の上に置いて、絵の具だらけの白衣を着たまま、自分で行くよ、と笑う。
少し休憩をして、飲み物を買いに行くために、鞄の中から財布を取り出せば、後輩は少しだけ不満そうな顔をした後に、ストン、と椅子に座った。
財布を白衣のポケットに入れて、軽く出てくることを告げながら美術室から出る。
廊下に出た瞬間に、美術室とは違う空気が肺を満たす。
絵の具の匂いのする美術室とは、やっぱり違うな、と深呼吸をしてから歩き出し、どこの自販機を使おうかと校内の間取りを思い出した。
結構色々な場所に自販機が置かれているが、その中身は場所ごとに微妙な違いを見せる。
そのため、飲みたい物がその場所にしかないこともあるので、先に何が飲みたいかを決める必要があるのだ。
それが面倒なら、購買でもいいんだけど。
何がいいかなぁ、なんて考えながら廊下を歩いていると、外の自販機に人がいるのを、窓から確認出来た。
もう初夏にもなるのにブレザーを着込んだ小さな人影には見覚えがあって、窓を開けてみた。
新鮮な空気が頬を撫でて、夏の匂いがする。
「作ちゃん?」
身を乗り出すようにして、自販機の前に佇む背中に声を投げた。
ピクリとその背中が動き、緩やかに首を向けられて、予想通りの人物であることが確認出来る。
「崎代くん?」
同じように俺の名前を呼んで、瞬きをする作ちゃん。
その手には長財布が収まっており、自販機で買ったようなものは見当たらない。
邪魔しちゃったかな、と苦笑を浮かべれば、別に、という言葉と一緒に首を振られた。
のんびりとした足取りで窓に近付いて来た作ちゃんは、先程までは気付かなかったが、ブレザーだけじゃなく、その中に更に黒っぽいカーディガンを着ている。
暑くないの、と口を突いて出た質問に、作ちゃんの黒い瞳が自分の体を見下ろして「崎代くんも白衣着てるでしょう」と言われてしまった。
俺のは絵の具で制服を汚さないようにするためのものなんだけれど、特に言うことでもないので笑っておく。
少しだけ不満そうに眉を寄せた作ちゃん。
キャンバスに収めたそれよりも、全然表情豊かだと思うけれど、普通よりは表情筋は硬い。
「作ちゃんも自販機でお買い物?」
「……ポーカーに負けたの」
ぺたりと壁に背中を付けて、壁を挟んで俺と隣り合うような位置で口を開く。
何となく質問に答えているようで答えていない。
緩く笑ってポーカー?と問う。
勿論ポーカーと言うカードゲームを知らないわけではないが、今は部活動の時間じゃなかったのかなぁ、とは思うわけで。
そんな俺の思いを感じ取ったのか、ちゃんと部活してたから、なんて言われてしまった。
別に疑っているわけじゃないんだけどねぇ。
よいしょ、と軽い掛け声を漏らしながら窓の柵に手を掛ける。
「え、何してんの」
訝しむ作ちゃんに笑って、作ちゃんの正式な隣に降り立つ。
一階って便利だね、と言えば、軽い溜息が返ってくる。
ふわふわの横髪を耳に引っ掛けながら俺を見る作ちゃんは、お人形みたいに可愛いけれど、ちゃんと生きてる人間だ。
本人に許可を得ることなく、キャンバスに収めてしまったけれど、バレた何を言われるだろう。
上靴のまま地面を叩けば、作ちゃんが嫌そうに顔を顰めて、壁から背中を引き剥がす。
「作ちゃんは何買うの?」
「エナジードリンク」
隣に並んで歩き出し、横目で問い掛ければ、サラリと返ってくる答えに苦笑する。
確かにエナジードリンクは外の自販機にしか売っていないけれど。
財布の中身を見下ろしている作ちゃんは、話を続けるように「崎代くんは?」と問う。
まだ決めてないことを告げれば、じゃあ何でこっちの自販機来たの、と厳しいお言葉。
作ちゃんと一緒にいたかった、なんて言ってみたらどんな反応をしてくれるのだろうか。
目を見開くだろうか、口を開けてしまうだろうか、眉を顰めるだろうか、破顔するだろうか。
どれもしっくりこない。
緩く笑う俺を一瞥して、小銭を自販機に投下する作ちゃんは、光ったボタンを迷わずに押した。
ピッ、ガコン、一連の音を聞いていると、オメデトウ、モウイッポン、なんて機械音が聞こえて作ちゃんと二人、顔を見合わせる。
当たるんだ、と呟いた作ちゃんは、ゆらりと指先をさ迷わせてココアを押す。
ガコン、缶が落ちてきて、後三回それを繰り返す。
エナジードリンク、ココア、無糖の缶コーヒー、緑茶、ミルクセーキ。
多分缶コーヒーは文ちゃんのもので、緑茶がオミくんのもので、ミルクセーキはMIOちゃんのものだろう。
大体普段教室で飲んでいるものも、そんな感じだ。
文ちゃんは「安っぽいこの味が意外と癖になる」なんて、褒めてるんだか貶してるんだか分からないことを言いながら、缶コーヒーを飲んでいたし、オミくんはお昼にはお茶を持参していたし、MIOちゃんは女の子らしく甘党。
作ちゃんは、なんてぼんやり考え出し、財布を握り締めたところで、ズイッと押し付けられるココアの缶。
ひんやりしたそれに驚いて、目を丸くする。
薄いガラス越しに見る作ちゃんは、早く受け取って、と言うように目を細めた。
「作ちゃん、くれるの?」
「ココア嫌いだっけ?」
噛み合せる気のない答えだけれど、そっと手を出してその小さな缶を握る。
夏の暑さからか、缶の側面には水滴が浮かびつつあり、しっとりと俺の手の平を濡らす。
「……今度は崎代くんも、ポーカーしに来ればいいよ」
真っ黒な目を細めて、薄い唇を引き上げた作ちゃんは、満面の笑みとは言い難いけれど、綺麗に微笑む。
財布だけじゃなく缶も握りしめてしまう俺に気付かない作ちゃんは、もう戻るね、と身を翻す。
校則に沿った長さのスカートがふわりと空気を孕んで膨らむ。
小さな背中を見ながら、こめかみを伝う汗を拭う。
袖口に付いていた絵の具が滲むのを見て、あーあ、と呟きながら、もう一度だけ財布とココアを握り締めた。