君を知らなければよかったよ
しろくまのキーホルダーが付いた鍵は、作ちゃんを含む幼馴染み達だけが持つ、屋上へと行ける切符だ。
しろくまの首には暗い紫のリボンが巻かれていて、それは自分の物だという目印なのだと、その鍵を貸してくれた人物は言っていた。
秋風が冷たく、屋上に出た俺の体温を奪っていく。
厚手のカーディガンを着ているつもりだったけれど、やっぱり寒いかもしれない。
袖を引っ張りながら、一歩、踏み出す。
聞こえてくる始業のチャイムは、どこか遠くに聞こえて、広い屋上の隅っこに陣取った。
鍵を貸してくれた本人は、しっかりと授業を受けていることだろう。
はぁ、白い息を吐いて膝を抱える。
少しでも体温を奪わせないために、その膝に顔を埋めれば、眼鏡の押さえの部分が当たって痛い。
鍵を貸してくれたあの子も眼鏡を掛けていたけれど、それはちゃんとした視力矯正のもので、俺の眼鏡とは用途が異なる。
俺の眼鏡はあくまでも俺の人相を隠すもので、言うなれば俺自身を隠す蓑のようなものだ。
仕方なく外した赤い縁の眼鏡を傍らに置き、再度同じように顔を埋める。
それからどれくらいの時間が経った頃か、ギイィと金属の軋む音がして、ゆったりとした、確かな足音が聞こえてきた。
コンクリートの感触を確かめるような足音が俺の目の前で止まると、微かな溜息と共に「だから言ったのに」と落とされる。
「お友達では良い関係でいられるよって。教えてあげたのに」
責めるのとは違う、本当に、だから言ったじゃないと言っている。
膝に埋めていた顔を上げれば、予想通りの人物がそこに立っていて、俺が借りた鍵と同じものをその手に握っていた。
しろくまの首には真っ赤なリボンが巻かれていて、それと同じ髪色を見ると、乾いた笑いが漏れる。
「振られたんでしょう」
疑問符なんて付けない直球っぷりに、前髪を掻き上げる。
癖のある髪は昔から湿気で爆発するし、正直言って面倒だったけれど、作ちゃんが一緒だねぇ、と笑ってくれたことがあって、嬉しかったっけ。
何でも作ちゃんに繋がることに、笑いが止まらない。
作ちゃんに絵のモデルを頼んで、ほぼ無理矢理感があったけれど、了承してもらって、丸椅子に座った作ちゃんを絵の具の匂いが充満する美術室で描いていた。
その拍子に零れた好きという言葉には、友情的な意味ではなく、愛情的な意味が大量に含まれていて、それを過敏なまでに感じ取った作ちゃんが発した言葉は「嫌」だったのだ。
それは俺が好きとか嫌いとか、そういうことではない、俺の思いそのものを向けられることへの拒絶。
座っていたはずの丸椅子を倒した作ちゃんは、いつもよりも血色の悪い顔をして美術室から飛び出した。
あの日から、俺は作ちゃんと話せていないし、視線すら合わせて貰えなくなったのだ。
「文ちゃんは作ちゃんが大好きで大切だから、作ちゃんを好きになってくれた人には優しいよね。その優しさが、作ちゃんに好意を受け取ってもらえない人間からしたら、一番残酷だけど」
いつも笑顔が代名詞とも言えるMIOちゃんは、にこりともせずに言う。
何も答えない俺を見て、隣に腰を下ろしたMIOちゃんからは、柔軟剤の匂いがした。
いつか作ちゃんから感じたお菓子のような甘さはない。
MIOちゃんは俺が誰から鍵を借りて屋上へ来たのか、知っているようだった。
暗い紫のリボンが巻かれたしろくまは、正しく文ちゃんから借りたものだ。
「……MIOちゃんも作ちゃんが大好きで大切でしょ」
膝を抱え直して吐き出した言葉に、MIOちゃんはそうだけど違うよ、と返してくれる。
今日も風が強くて、真っ赤な長い髪がバタバタと揺れて、鬱陶しそうに掻き上げているのが見えた。
「作ちゃんが大好きで大切なのは変わらないけれど。私にとっては、神様みたいなものなんだよ」
文ちゃんが庇護なら、私は崇拝だと思う、と続けたMIOちゃんは俺と同じように膝を抱えた。
スカートなのに、とか、いつもなら言うことだけれど今日は上手く言葉が出ない。
ただ、短いスカートにニーハイでは、寒そうだと思う。
バタバタ、バサバサ、赤い髪が揺れるのが視界の端に移り込む度に、燃える炎を想像した。
轟々と音を立てて全てを焼き尽くそうとする、炎。
真っ赤に染め上げて、それが消えた時に残るのは灰と煤の原型のないものばかりだ。
「でも、崎代くんも大切な友達だと思ってた。思ってる。だから、こんな風になって欲しくなかったよ」
寒いのか、鼻を啜ったMIOちゃんは、もそりと膝に顔を埋めてしまった。
何で、どうして、そんな声が聞こえてきそうだ。
それでも俺は、その声に答えることが出来ないから、目を閉じる。
ごめんね、とか、誰に対してなんて分からないけれど、生温い何かが頬を伝ったって作ちゃんが好きだってことは変えられないんだ。




