捨てた心に砂をかけた
高校に入学してから出会った女の子は、真っ赤な髪の毛が印象的で、いつだって笑っているような子だった。
そんな女の子には三人の幼馴染みがいて、そこにいる時の笑顔が一番可愛くて輝いていたと思う。
幼馴染み以外との交流も多く持っていたその女の子は、よくMIOちゃんと呼ばれていて、俺も自然とそう呼ぶようになっていた。
その呼び名は幼馴染みの間で使われていたもので、自然とそれが広がったらしい。
本人が笑いながら言っていたが、そのせいで時折苗字やフルネームを確認されるとか。
そんな女の子――MIOちゃんとは、高校一年生の間、とても仲良くさせてもらった。
周りから見ると俺が振り回されていたようで、仲良くさせられていた、らしいが。
兎に角、彼女とは一年生の頃同じクラスだったと言うだけで、二年生にはクラスが離れてしまった。
離れたのを確認した時に、彼女が一番に言った言葉は「教科書忘れたら、借りに行くね!」だったのを、未だに覚えている。
それくらいに衝撃的だったのだが、本当に借りに来た時の方が衝撃的だった。
そうして二年生になって、教科書を借りに来る以外で出会ったのは放課後の廊下。
絵の具汚れの目立つ白衣を羽織った俺は、何となく部活が行われている美術室から出て、運動部が活動をしているグラウンドを見ていた。
野球部にサッカー部に陸上部などなど、皆が大きな声を上げて練習に勤しんでいるのを見ていたのだ。
他にも吹奏楽部の楽器の音が聞こえて来たが、何の曲なのかは分からなかった。
夏になれば大会があって、吹奏楽部はその応援のための曲を弾き鳴らすのだろう。
これぞ青春、といった青春の代名詞だ。
「あれ、崎代くん?」
一年間で随分と聞き慣れた声がして、グラウンドから声の主へと目を向ける。
そこにいたのは、予想していた人物、と言うよりは積み上がった本だった。
分厚い本が何冊も積み上がっていて、それを持っている人物が予想していた人物だろう。
横向きになって俺を見る彼女は、相変わらず派手な赤い髪をしていて、にっこりと人好きのする笑みを浮かべる。
本を支える腕がぷるぷると小刻みに震えているのを見て、上から半分を奪う。
のんびりとした口調でお礼を言われて、苦笑が浮かび上がる。
「何してたの?」
「資料集め、だよ。図書室の古い本見せてもらっててね、借りてきたの」
よいしょ、と彼女は持っていた本を支え直す。
腕は震えていないが大分疲れたのか、深い溜息が聞こえて来た。
そんなもの借りれるんだ、頼めばね、なんて会話をしながら彼女の足を向ける先へ俺も歩き出す。
俺は入学して直ぐに美術部に入ったが、彼女は幼馴染み達と一から部活を設立したらしく、毎日楽しそうに活動拠点たる部室へ行くのを見ていた。
今日も今日とて、部活を頑張っているらしい。
「確か……創作部、だっけ」
「うん。そうだよ!」
「主に何してるの?」
部室の場所が分からないので、彼女よりもワンテンポ遅らせて歩く。
彼女はそれに気付いているのか、笑いながらそうだなぁ、と呟き足を動かす。
ひらりふわり、短めのスカートが揺れる。
「名前の通り創作全般なんだけどね」
彼女の視線が宙へと向けられる。
細められた目は、何か眩しいものを見ているようで、彼女自身がキラキラと光をまとっているように見えた。
楽しそうな彼女の横顔を見ながら、その口から紡がれる言葉に頷く。
創作部――MIOちゃんの幼馴染みの一人が発案したらしいが、元々常に四人でいることが多かったらしく、特に反対意見も出ないまま部活を作ることになり、じゃあこれで、と出された部活動名らしい。
発案した幼馴染みは、手先が器用で創ることが好きなのだ、と楽しそうに言う。
「兎に角、何かを創るんだ。小説も書くし絵も描くし、この前はドールハウスの設計図作ってお人形も作って並べたよ。部室に飾ってあるんだ」
創ること全般が活動、らしい。
そんな曖昧なものでいいのか、俺には良く分からないけれど、彼女が楽しく話しているので多分問題は無い、のだと思う。
ドールハウス、と呟けば、勢い良く彼女のかおがこちらに向けられて「見に来る?」なんて聞かれてしまった。
見たくないわけじゃないが、他所の部室はどうにも居心地が悪いので、遠慮したかったり。
それでも小さな星でも飛んでるみたいな目を向けられれば、上手く断れるような気がしない。
緩く視線をズラした所で、廊下の奥からこちらに向かって歩いてくる人物を見付けた。
「……MIOちゃん」
俺なんか見えてないみたいに、小走りで彼女の方へと駆け寄る女の子。
ふわふわと癖のある髪が揺れるのを見て、お人形ってこういう髪のかな、なんて考えてみる。
「作ちゃん!どうしたの?」と嬉しそうに笑いながら問い掛ける彼女。
彼女が足を止めたので、俺も必然的に足を止めることになって、駆け寄って来た女の子を見やる。
MIOちゃんよりもほんの少し、本当に少しだけ身長が高くて、ふわふわの髪で、無表情。
スカートを揺らして立ち止まった女の子は、じっと彼女を見上げて本を奪う。
「……だから、ボクも手伝うって言ったのに」
溜息混じりに吐かれた言葉。
声自体は小さくて、ぽそぽそとしていたが、透明感のある何故か耳に残るものだった。
奪い取った本を抱える姿は、何故か彼女よりも危なげに見えて口が開く。
ただ、開いた口からは空気しか出て来なくて、まともな言葉なんて紡げない。
ふわりと向けられた目と俺の目が、バチリと音を立てるように合ってしまい、言葉が出なかったのだ。
真っ黒な瞳に俺が映っていて、光のないそれを見て、開っ放しの口から吐息を漏らす。
「先、戻ってる」
立ち止まった時と同じような流れで、女の子のスカートが揺れて、そこから伸びた足が前へと進む。
軽やかな足音で、やっと我に返った俺は、開っ放しだった口を閉じる。
横では彼女が小さく笑っていた。
照れてるんだよ、という声が聞こえて、視線を向ければ楽しそうに笑う彼女。
赤い髪が小刻みに揺れて、俯き気味で顔が見えないけれど、確かに笑っていることが分かる。
くすくす、聞こえる笑い声に、肩を落とす。
そうして横から伸びて来た腕は、俺の持っていた本をその腕の中に収めてしまう。
「作ちゃんはね、ちょっと人見知りなの」
顔を上げて笑う彼女は、事も無さげに言って、だから気にしないでね、と俺に軽くぶつかって笑い声を漏らした。
あはは、と声を上げて笑う彼女に、俺は力なく笑みを返して、白衣の裾を握る。
「またね。崎代くん」
「……うん。また、ね」
にっこりと向けられた笑顔に、白衣から離した手を左右に軽く振って見せた。
これまた軽やかな足音を立てて去っていく小さな背中。
さっきの女の子の方が身長が高いと思ったが、何故か彼女の背中よりもあの女の子の背中の方が小さい気がした。
作ちゃん、彼女の口から二回も零れた名前。
きっと幼馴染みでMIOちゃん、のような渾名なのだろうけれど、何故か酷く女の子の名前が頭から離れなかった。