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夜露の花

分厚い扉をゆっくりと開けながら、ラットは部屋の外の様子を窺う。

幸いなことに、現在も廊下に人の気配はない。ラット自身の息遣い以外、廊下に響く音もなかった。

「…………よし。行くぞ、王女様」

 ラットは部屋の外に出ると、周囲を見回しながら、室内にいるベラに手招きする。

「ふふっ! なんだかドキドキしますね!」

 ベラは小さく笑いを溢しながら、言われるままに部屋から出てくる。

「……確かにな」

 ラットはベラとは別の意味で、胸が高鳴っていた。

元々、盗みに入る際というものは、侵入する時よりも脱出する時の方が気を使うもの。それに加え、恐らく隠密は素人以下であろうベラを連れて脱出しなければならないのだから、当然、普段とは感じる緊張感のほどが違う。

(新しく脱出経路を探してる余裕はないな。……仕方ない、来た道を戻るか)

 通常、場馴れした盗賊ならば、侵入に使用した経路をそのまま脱出に使うことはない。それはあくまで“侵入に適した経路”であり、それと“脱出に適した経路”は全くの別物だからだ。侵入の痕跡が残っているその経路では、帰るときに不都合が起きかねず、かなりの危険が伴う。

 しかし、一人の時ならばともかく、ベラを連れた状態で、長くこの場に留まることは難しい。多少の危険を冒してでも、最短で脱出できる方法を取る必要があった。

「さあ王女様、俺についてきてくれ。できることなら、なるべく足音を立てないようにな」

 背中越しにベラへ言葉を掛けながら、ラットは廊下を先行する。スリ足のような歩き方で、その足音を限りなく緩和して先に進む。

「かしこまりました、ラット様」

 それに続いて、ベラも後を追って来る。ドレスの裾を掴み上げながら、そろそろとラットに続いた。しかし、やはり素人なのだろう。必死に足音を留めようとしてはいるが、時折、足音が鳴ってしまっている。広い廊下だからだろう、それは反響しながら広がり、はるか遠方まで響く。

(勘弁してくれよ……)

その度に、ラットは身を竦ませた。

 なんとか廊下の端までたどり着くと、ラットは先程通った使用人用の階段を覗き込んだ。相変わらず階段は暗いが、そこに人の気配はない。

 少し遅れて、ベラもその場に辿り着く。ラットに身を寄せるように並ぶと、幼い子供のように、ラットの脇から階段を覗いた。

「ラット様、ここを降りるのですか?」

 ベラは少し怯えた様子で、目の前の階段を見つめている。

「なんだ、嫌なのか?」

「……こうも暗いところは、ちょっと」

 どうも、この階段の暗がりが怖いらしい。確かに、ラットのように慣れていれば、この程度の暗闇はどうとでもなるが、二~三歩踏み出した先すら見えないこの階段は、少女であるベラの目線からすれば、さぞ恐ろしいものなのだろう。

「大丈夫だよ。すぐに慣れるさ」

 ラットはなんとかベラをなだめようと、慣れない優しい声色の言葉を使う。

「で、でも……」

 それでも、ベラは踏み出す決心がつかないらしい。薄く涙をにじませた目で、階段とラットに視線を往き交わせた。

「大丈夫だって! ――ほら!」

 ラットは階段を二段ほど先に降りる。体の半分が暗闇に埋もれるが、そこから出した顔でベラに笑い掛けた。

「なんともないだろ? 暗がりが噛み付いてくるわけでもなし、怖がる必要なんてないさ」

 そう言って、ラットはベラに手招きする。

「うう……わ、わかりました……」

 ラットの説得に、ベラも覚悟を決めたようだ。強く目を閉じると、手招きしていたラットの手を一方的に握ってくる。

「うおっ!?」

 またしても手に伝う冷たく心地のよい感覚に、ラットは小さく驚声を上げた。

「お、おいおい、怖くなんかないっていったじゃあないか。手なんか掴まなくっても……」

「そうは言っても、恐ろしいことには変わりありません……! 目をつぶっていますから、明りのある場所まで導いてください……!」

 ベラは固く閉じた目を開けようとせず。体を縮込ませながら、ラットが手を引いてくれるのを待っている。

(……やっぱり王女様なんだな。どうにも手が掛かる……)

 ラットは小さくため息を吐くと、ゆっくり、やさしく、その手を引いた。

「……足元、気を付けて」

「…………はい」

 二人はそのまま、ゆっくりと階段を下りていく。


                    ※


階段を下りた先、厨房につながる廊下へとたどり着いたラットは、今一度耳を澄ませる。

(足音、風切音、共になし。……見回りは戻って来てないみたいだ)

 人気がないことを確認すると、ラットは後ろにいるベラを引き寄せ、小声で話し掛ける。

「王女様、もう目を開けてもいいぞ」

「は、はい……」

 そう言われて、ベラはゆっくりと目を開けた。

「……っ! ダ、ダメです!」

 しかし、半分も開けないうちに、またそのまぶたを閉じてしまう。

「お、おいおい。ここなら、もう見えるだろう?」

 階段の中とは違い、この廊下には小さく月明かりも差し込んでいる。見えない部分も多いが、歩く分には問題ない。少なくとも、ラットにはそう見えた。

 しかし、ベラは勢いよく首を横に振ると、涙声でラットに訴えてくる。

「無理です! せ、せめて、ラット様のお顔が拝見できるところまでお願いします!」

 ラットの手を握るベラの指先に力が入る。その力量は余りにもか弱く、彼女のひ弱さを十全に表していた。

「……わかったよ」

 ラットはそんな怯えるベラを見て、言葉少なく手を引く。急ぎながらもベラの歩調に合わせながら、廊下を歩き出した。

 そのまま厨房までたどり着くと、ラットは間髪を入れず、入口の扉に手を掛けた。外に誰かいるかもしれないと、一瞬、そんな考えも過ったが、これ以上ベラを怯えさせたままでいるのは心苦しいと、つい無計画に扉を押し開けた。

ラットはそのまま、早々に外へ出る。

ベラの手を引きながらラットが外に出ると、そこでは昼と見紛うほどの月明かりが、目の前の庭園に降り注いでいた。暗闇から出たが故の目の錯覚かもしれないが、それは酷く明るい。まぎれもなく夜だというのに、ラットの目は確かに眩さを感じていた。

幸い、扉の先に見張りの類はいなかった。

「さあ、今度こそ大丈夫だ。目を開けてみなよ、王女様」

 簡単に安全を確認したラットは、握っていたベラの手を軽く持ち上げると、自分の前に誘い出す。

「本当ですか……?」

 ベラは促されるままに歩み出た後、おずおずとまぶたをあげてゆく。途中、まばゆい月明かりに目を一瞬細めたが、ゆっくりと月光に目を鳴らしながら、そのつぶらな瞳を見開いた。

「わぁ……! 夜の中庭とは、こんなにも美しいものだったのですね!」

その目に月明かりを浴びた中庭の花々を写した瞬間、ベラは感嘆の声を上げる。

「なんだ? ここに住んでるのに、見たことがなかったのか?」

「はい。夜分は城より出てはならないと言いつけられていましたので、いつも部屋の窓から眺めるだけでした」

 ベラはそう言うと、中庭の花壇に咲くリリウムに手を伸ばし、熱のこもった目でそれを見つめ始める。夜露に濡れる花を愛でるのも、ベラの願望の一つだったのだろう。

「……お楽しみ中に悪いけど、急いでもいいかな? そろそろだれか来る頃だ」

 ラットは申しわけなさそうにしながらも、ベラを急かしつけた。いつ巡回の兵に見つかるかもわからないこの状況では、長く留まり続けるわけにいかないのだから。

「…………はい」

 後ろ髪を引かれるような名残惜しそうな表情で、ベラは花弁から指を離す。

「悪いね。さあ、こっちだ」

 ラットはそそくさと中庭を駆け抜け、城壁へと近づく。

ベラも後ろの広がる花々へしきりに振り返りながらも、小走りでそれに続いた。

 二人が城壁にたどり着くと、ラットは周囲に人目がないことを確認した後、外套の裏から爪付のロープを取り出して、侵入した時と同様に先端を回し始める。

「……ラット様? なにをしておられるのですか?」

 ベラはラットの行動を見て、不思議そうに尋ねてくる。

「なにって、見ればわかるだろ? このロープを城壁に引っ掻けるのさ」

 ラットはそう言いながら、十分に遠心力の乗ったロープの先端を、城壁の上に投げ込もうとする。

しかし、

「引っ掻ける? なぜそんなことを?」

「えっ!?」

ちょうど手を離そうとした時、ベラから素頓狂な言葉をかけられたラットは、思わず手を止めた。

「な、なぜって……ここから出るために決まってるじゃあないか」

「そうなのですか? でも、そのロープでどうやって外に?」

「どうって……そりゃあ――」

 ベラの質問に答えようとしたラット。だが、出かけた言葉を詰まらせる。

(いや、待てよ? この王女様にロープを城壁の上まで登るなんて芸当、できるのか?)

 ラットは自分の手の平を見つめ、自問自答しながら、指と指を擦り合わせ、先ほどベラと手を繋いだ時の、あの感覚を思い出す。細い指、薄い平、小動物のようなか弱い握力、それらの感触は今でもはっきりと手の中に残っている。

それを含めた上でラットは考える。はたしてこれだけの城壁を、あれだけか弱い握力のベラに登れるのか。

そして、その答えはすぐに結論付けられる。間違いなく“不可能”であると。

 頭上にそびえるこの城壁は、手慣れているラットでさえも登攀にはかなり苦労を要した。高さもそうだが、長年にかけて雨風に打たれていたせいか、城壁の正面は半ば光沢を帯びるほどになめらかで、掛けた足がやけに滑る。少なくとも、この城壁を登るのならば、自重を支えられるだけの腕力を必要とするだろう。

ラットから見たベラの体つきは余りにも華奢で、背丈はラットよりも少し低い程度だが、手足は簡単に手折れそうなほどにか細い。到底、この城壁を登り切れるような膂力があるようには見えなかった。

(ま、参ったな。そこまで考えてなかった……)

 一人で仕事する場合がほとんどだったラットは、同伴する人間に対し、少々配慮に欠けていた。思わぬ形での行き詰まりに、思わず沈して考え込んでしまう。

「……どうかされましたか?」

 そんなラットの様子に気付いたのか、ベラが心配そうに声を掛けてくる。

「あ、ああ。大丈夫。……ただ、ちょっと、別の方法がないかな、と……」

 返答こそするラットだったが、考えごとで頭の中が渦巻いており、ほぼ上の空で相槌を打った。今は一人の少女をどうやって城の外へ連れ出すかで思慮に配分する頭脳の容量を使い果たしている。

「別の方法で……?」

 ラットのただならぬ様子に、それを聞いたベラも顎に指を当てながら考えごとを始めた。

「…………ああ、そうです!」

しばらくすると、ベラがなにかを思い出したかのように手を叩く。

「ラット様、こちらへ!」

 ベラは考え込んでいるラットを尻目に、突然、正面の城壁とは別の方向へ駆け出した。

「あっ!? ちょ、ちょっと待て!」

 ラットは慌てて引き留めようとするが、ベラは振り返ることなく、どこかへと向かって走り去ってしまう。

(じょ、冗談じゃないぞ!? 誰かに見つかりでもしたらどうするつもりなんだ!?)

 考える猶予を与えられることなく、ラットはベラの後を追いう羽目になった。


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