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story8 失恋?

公園のブランコの前で一人立ち尽くし、私は茫然と詩零くんの駆けて行った方向を見つめていた。

けれどしばらくしてカバンの中の携帯が着信を知らせるべく、震えていることに気づき私はそれを手に取った。


『あ、優衣ちゃん?…和伊です。

この前の電話はごめんね。いきなりあんなこと頼むなんて非常識すぎたよ…ゴメン。違う場所に泊まることになったから安心してね。

だけど今日から合宿が始まるからって、海璃のやつがどうしても優衣ちゃんに会いに行くって言うから、僕も一緒に来てて…って…優衣ちゃん?』


返事がないのを不思議に思った和伊さんの話が止まる。

だけど何か答えたくても、私は返事をすることが出来なかった。


「…っ…ごめっ…なさ…」


『優衣、ちゃん?』


(詩零くんを傷つけた。…詩零くんを怒らせちゃったんだ。…私っ!)


和伊さんの声を耳に、私は嗚咽を何とか抑えようと口を押さえる。

けれど涙が溢れ、携帯を持つ手も震えてしまう。


―――“少なくとも俺は…優衣さんのこと、友達より親しい関係になりたいって思ってました”


詩零くんの好意を寄せる言葉か、またはそれを諦めた言葉か。どちらにも取れる言葉が耳に焼きつき、私は激しく感情が揺れ動く。


(詩零くんは、私のこと…どう思っていたの?…過去形なのは、私が返事をしなかったから…?)


友達だと、簡単に口にしてしまうことが出来なくて、あの時は「知り合い」という表現をしてしまった。

だけど少なくとも、私も詩零くんのことを…友達より親しい関係だと思ってた。

初めて会った時、優しくハンカチを差し出してくれた時、すごく嬉しかった。海璃が私の彼氏だって言った時、複雑な表情をしていたのはどうして?

今日の試合の時…私は、詩零くんのことしか見てなかったんだよ?


様々な言葉が浮かび、一つの単語に結び付く。

それは前に一度、詩零くんとは別の相手にも持った感情の言葉。


(私は…詩零くんのことが―――…好き。)


かあっと頬が熱を持ち、鼓動がトクンットクンッと早鐘を打つ。それは確信はしていなかったが、予想はしていた感情。

けれどその感情に気づいたことで、私の心は不安で埋め尽くされそうになる。


(でも、きっと…詩零くんは、私が自分のことを少しも気に掛けていないと思ってしまった。…だって、そう思われるようなことを言ってしまったんだものっ…!)


「…っ…わた、し…どう、して…」


(素直に…“好き”って言えなかったんだろうっ)


溢れ出る涙は止まることがなく、ただただ頬を伝った。

いつの間にか携帯電話を握りしめ、私は崩れ落ちるように座り込んでいた。


あの日、最悪の日と同じように、地面に吸い込まれていく涙。

それはぼやけて何も見えなかったが、ただ目に浮かぶのは…傷ついた表情をしている詩零くんの顔だけだった。


「ごめっ…しれ、いっ…くん。きず…つけてっ。」


二度目の失恋。そんな言葉が浮かぶ中、突然、私の嗚咽だけが響く公園に、ザッ地面を蹴る音とが聞こえ、一つの影が私の前に落ちた。


「優衣ちゃんっ!!」


「っ!…かず、い…さ―――っ」


その正体が先程まで電話の向こう側にいた人物だと気付いた時には、私は和伊さんの胸の中にいた。

背に回された腕はきつく、身じろぐことも出来ない。

訳が分からず目を見開く私の肩に掛かる和伊さんの息が荒く、此処まで走ってきたことが分かった。


「…電話の向こうで、優衣ちゃんが泣いてるのが分かって…前に家の近くに公園があるって海璃から聞いてたから…もしかしたらって。…当たってて良かったよ。………。」


「かずい、さん…?」


突然無言になった和伊さんの顔は、胸に押しつけられた私からは見えなかった。

けれど次の瞬間、和伊さんはそっと私を体から離した。


「何があったの」


「っ…それ、は…」


顔を覗きこまれ、私はどうしていいか分からず俯いた。

ただでさえ泣き腫らしたみっともない顔なのに、その上泣いていた理由は私が自分の気持ちを言わなかった為に詩零くんを傷つけてしまったことだ。

それを和伊さんに言うのは、迷惑だと思いなおのこと言えなかった。


「“俺”には…言えないこと?」


茶色い短め髪を揺らし、覗きこんだ鋭く光る黒い瞳が私を見つめる。

私の知っている昔の和伊さんではないような、そんな錯覚を起こしてしまうほど、私も和伊さんも大人になったことを実感させられた。

それと同時に、和伊さんが真剣に私の話を聞いてくれる気がして、私は口を開いていた。


 * *  * *


「そう…そんなことが」


詩零くんとのことを和伊さんに話した私は、少し落ち着きを取り戻し、和伊さんと二人ベンチに腰かけていた。


「私…詩零くんに“俺のことどう思っているんですか”って言われて、すごく悩んじゃって…。それで何も言えなくて。

きっと…詩零くんにそれが何とも思ってないんだって風に思わせてしまったんだと思うんです」


誰もいなかったブランコには、今は二人の小さな男の子が遊んでいた。

それを見つめながら詩零くんのことを考えていると、今まで静かに話を聞いていた和伊さんが突然…


「そいつに…一回会ってみたいな」


などと言い出した。


「え…?」


驚いて和伊さんを見れば、ニコッと笑みを浮かべていた。


(顔は笑ってるけど、全然目が笑ってない!?)


「だって優衣ちゃんがこれだけ想ってるのに、しかももうすぐ夜になるって時間帯に女の子を一人置いて帰るその男の顔くらい、知っておきたいじゃん?」


「あ、あの…和伊さんっ?」


ブラックな表情をうまく隠した笑みに、私の背に嫌な汗が流れる。

そこで私の古い記憶が呼び起こされる。


(そういえば和伊さんが引っ越した理由って確か…)


―――十数年前。まだ私が小学生で、海璃が今より御人形のように可愛かった頃(外人の血の影響とは怖いです)。

隣に優しげなおばさんと、少し強面の高校生くらいの男の子が住んでいた。

その高校生は地域では名の知れた不良グループのリーダー……つまり、ヤンキーのトップだった。


しかしある日他校との勢力争い?のような事があり、何人かの高校生が警察に補導された。

その中にはリーダー…つまり和伊さんもいたのだ。


それが高校にバレ、和伊さんは退学処分を受けたらしい。

小さい頃にそう母さんに聞いたけれど、当時は何が起こったのか分からなかった。

和伊さんは、私にとっては不良でも何でもない、ただ友達の多い優しい人だと思っていたから。


だからそれが原因で、和伊さんのお母さんが引け目を感じて遠くへ引っ越した時は…凄く悲しかったことを覚えている。──


(…何年も会っていなかったけれど、根本は不良時代のままなのかな?

というより、このままじゃ詩零くんがボコボコにされちゃう!?)


一気に悲しい気持ちが吹っ飛び、顔を青ざめた私に、和伊さんはふっと笑みを漏らした。


「心配しないで。ただ純粋に顔をみたいなと思っただけだから。

…もう、昔のことからは手を洗ったんだ。まあ…そう言っても、俺のこと怖いよね?」


「あ…。そ、そんな事ないです!」


私の声に、和伊さんは驚いて目を見開く。

その姿に私は、また傷つけるような態度を取ってしまったことに気付いた。


「昔のこと、小さかったから…正確には覚えてません。だけど、私の知ってる和伊さんは優しい人です。

…だから、和伊さんの話を疑ったりしません!」


(無神経だった。…和伊さんはきっと、今でもあの時の事を気にしているんだ…それを私は…っ!)


引っ越してからの和伊さんの事は知らない。

けれど今目の前にいる和伊さんは、とても穏やかで優しい雰囲気を漂わせている。


前も私や海璃に優しくしてくれたけれど、和伊さんのどこか怖い雰囲気を子供ながらに私は感じていた。


今それがないのは、相当な苦労があったのではと…私は思った。


「…やっぱり、優衣ちゃんは…変わらない」


「そう…ですか?ちゃんと成長しましたよ?…もう小学生ではなく、大学生です」


「そうだね、もう子供じゃない。……綺麗になったよ」


「っ!?」


優しげに見つめられ、私の頬が熱を持つ。

それは決して恋ではなく、ただ単に恥ずかしかっただけ……だよね?


「だからこそ…心配なんだ」


「和伊さん…?」


不意に伏せられた瞳に、私が首を傾げると、和伊さんは意を決したように私の方に向き直った。 


「ごめん、さっき電話で言ったこと…取り消す。」


「え…」


「俺……しばらくの間、君の部屋に泊まる」


「……。…えぇ!?」


(そ、それって…!)


一つ屋根の下。和伊さんと生活するのを想像して一人わけが分からず顔を赤くしていると、和伊さんが苦笑いを浮かべた。


「…なんて、ことは出来ないだろうから…隣に住むよ」


「え……ええぇ!?」


突然の和伊さんの爆弾発言に、戸惑うことしか出来なかった。

そんな私を見て、和伊さんは静かに言った。


「優衣ちゃんは、今自分が傷ついているのに…気付いている?」


「私が…傷ついている?」


確かに私は泣いてしまった。でもそれは詩零くんを悲しませてしまったからで…私自身が傷ついている…わけじゃない。

そう、思っていた。


胸に手を当て、俯いた私の肩に、和伊さんの温かい手が置かれる。


「優衣ちゃんは昔と変わっていない。それは…自分のことより、人の心配を先にする事だ。

それは相手のことを大切に思うことだから、良いことだと思う。

だけど……悲しい気持ち、傷ついている自分にも…気づいて?」


ふわっ…と和伊さんにやんわりと抱きしめられる。


「かず…」


「俺は…昔から君のそんな心に救われてた。…だけど同時に、いつも君のことが心配だった」


耳元で囁かれ、私はまた泣きたい気持ちになった。

それは詩零くんへの罪悪感ではなく、自分の傷ついた心の涙だった。


「…うぅっ…──!」


声を上げて、和伊さんの肩にしがみつく。

泣き止んだと思っていた涙が、次から次へと溢れ出る。

その時──思い出したのは、あの元彼に振られた時の想い。


(そうだ…。私、この気持ち知ってる)


それは多分…気づきたくなかった二文字の言葉。

───「失恋」という気持ち。


(……もし、失恋じゃなくても。少なくとも…私は詩零くんを好きだという気持ちを持ってしまった。

でも……きっと、詩零くんは…私のこと)


──嫌いになった。


そんな想いが胸を締め付け、それ以上考えられなかった。

良い方向に考えても、私はきっとそれら全てを悪い方へと曲げてしまうと思ったから。


「昔も…今も。……俺が、君を守るよ」


抱きしめる腕の強さを強めた和伊さんが、そう言ったような気がした。

その言葉に、私はこれから何かが起こりそうで、言い知れぬ不安を抱いたのだった。




ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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