story6 姉弟(きょうだい)
明るい短めの茶髪と碧色の瞳に、日本人離れした顔立ちの私より背の高い目の前の男性に、私は首を傾げる。
(…私を知ってる?…けど、私が知ってる外国人みたいな人って言ったら……)
思い当たる人物の名を思い浮かべながら、取りあえず聞いてみることにした。
「あの…どこかでお会いしましたか?」
「はぁ?…頭大丈夫か?…大学生っていうのは、暇なのか?」
年上相手でも構わず、見下すようなその物言い。
聞くまでもなかったようで、私は思い浮かべていた名を口にする。
「やっぱり…“海璃”!!」
「そうだよ。…弟の顔も忘れたのか?それとも、熱でもあるとか?」
スッと額に手を当てる海璃。
四つ年の離れた弟は何ヶ月か会っていなかっただけで、見上げなければ見えないまでに成長していた。
そんな弟の顔を睨みつけ、手を退かす。
「熱なんてないよ。海璃こそなんで此処にいるのよ…」
「ん?…何って合宿先、此処だから。」
「……へ?」
海璃はまだ中学三年。高校見学ならまだしも、合宿先が高校だということに驚いて固まった私に、海璃が不思議そうに聞いてくる。
「そんなことより、なんで“優衣”が此処にいんの?
大学と此処は離れてるだろ?道に迷ったのか?」
私に退かされた手を今度は私の頭に置いて話す海璃に、私はそれを振り払おうとする。
「ちょっ!なんで名前呼びなの!?しかも呼び捨て!それに、私はそこまで方向音痴じゃ……ない…はず」
今朝の事があり、自信が持てず俯いた私に、海璃が笑いながら頭を撫でる。
「はは!やっぱ、迷ったのか?…ホント、抜けてるところは抜けてるな」
「ほっといてよ!」
「あの…優衣さん?」
爽やかな声が聞こえ、私は後ろを振り返る。
そこには着替え終わったのか、肩掛けバッグを持ち、私服なのか白いTシャツに青いチェックシャツを羽織った詩零くんが呆然と私を見つめていた。
その隣には、同じように呆然と私と海璃を見つめる佐伯くんと桐谷くんがいた。
(うわ…声荒げてるところ見られた?は、恥ずかしい…!!)
かあっと頬が熱を持つのを感じたと思った瞬間、海璃が私の手を引いて背に隠す。
「アンタら、何?…優衣のこと名前で呼んでるってことは、ダチ?それとも…狙ってんの?」
何故か挑発するように上から目線な海璃に、私は軽くジャンプして頭を叩く。
「いってぇー!?」
「初対面の相手に、なんて態度取ってるのよ!詩零くん達はアンタより二つも上よ?…年上相手には、もっと礼儀正しくなさい!」
まるで母親みたいだな…と顔に出す佐伯くんと、え?俺らより二つも下なの!?…と同じく顔に出したと桐谷くんとは別に、詩零くんはどこか複雑な表情を浮かべていた。
そこで何か結論づいたのか、手をポンっと叩くと佐伯くんがおずおずと質問する。
「…もしかして、優衣さんの彼氏?」
「え…?ち、違うよ!」
「そうだけど?」
私と海璃の正反対な回答に困惑する詩零くん達。それを見てニヤリと口角を上げると、海璃は私の肩を抱き寄せた。
「悪いけど、俺がコイツの彼氏なんだよね。だから…優衣のことは諦めてくんない?」
「なっ!?」
(海璃のやつ…絶対面白がってる!!)
ニヤニヤと笑いながら詩零くん達を見る海璃に、私が怒りのあまり突き飛ばそうかと考えていると、今まで静かだった詩零くんが口を開いた。
「本当に、優衣さんの彼氏ですか?」
「…そうだけど?」
いつもと違う雰囲気の詩零くんに、私は海璃から一刻も早く離れなければと試みる。
けれど、同じく詩零くんの威圧的な気配に気づいた海璃が腕に力を込めた為、抜け出せなくなる。
「そう…ですか。」
その一言の後、詩零くんは俯いた。
だけど彼は少しの沈黙の後、顔を上げ笑みを浮かべて私を見た。
「彼氏さんが迎えに来たのなら、送らなくても大丈夫そうですね!
じゃあ、俺はこれで。試合、観に来てくださって…ありがとうございました」
一気に言葉を紡いだ後に一礼して、詩零くんはそのまま俯いた顔を上げることなく駆けだした。
「しれ…っ!」
私は走り去ろうとする詩零くんを呼び止めようとして、横切った彼の表情を見てそれを躊躇してしまう。
何故なら、それは私が体験したことのある感情のものだと気付いたから。
「なんだ…アイツ?」
そんな私の隣で呆然と詩零くんのいなくなった方向を見て、海璃が呟く。
それが合図だったように、私の中で何かがプツンと切れる。
「腕、放して。」
すると自分でも驚くほど低い声が出た。
その声に怯んだ海璃は慌てて腕を放すと、恐る恐る私の顔を覗き込んできた。
「あの…優衣?」
───パシンッ!
「「!!?」」
小気味良い音が響き、佐伯くんと桐谷くんが目を見開く。
それには目もくれず、私は海璃を見つめる。
「…悪ふざけでも…やっていいことと悪いことがあるの、もう大人なんだから解るでしょ!?
海璃がしたことは、最低だから…!もう、口聞かない!!」
驚く佐伯くんと桐谷くん。
そして叩かれ赤くなった頬を押さえて固まる海璃を残して、私は詩零くんの後を追った。
「……で、お前ホントは優衣さんの何なの?」
「……。…弟です」
「……そりゃあ、怒るわ」
私が走り去る時、佐伯くんと落ち込んだ海璃がそんな会話をしている事など気にする余裕はなかった。────
「ま、待って!詩零くん!!」
流石、運動部。
走るスピードがあまりにも違いすぎて、私と詩零くんの距離は縮まる所か離れていくばかり。
遠ざかる背中が、傷ついているように見えて、私の心は焦るばかりだった。
(詩零くんに謝らなきゃ…!)
「あっ!?」
けれどその焦る気持ちからか、お約束…とばかりに、私は何もないところで足がもつれ派手に転んでしまう。
その音に気づき振り向いた詩零くんは、私の姿を見て、慌てて戻って来てくれた。
「優衣さん!
どこか怪我してませんか!?大丈夫ですか!?」
起き上がる私の手を優しくも強く握り、立たせてくれた詩零くんに、私は情けなくも少し涙を見せてしまった。
「ごめんね、大丈夫だよ…心配してくれて、ありがとう」
「!…優衣さん?やっぱり怪我でも…。…っ!」
心配そうに私に伸ばされた手は、触れる前にぎゅっと握られる。そして詩零くんはその手をゆっくりと引っ込めた。
その顔は、何かに耐えているような表情だった。
「詩零くん…?」
「…俺なんかより、彼氏さんに見てもらった方がいいですよね。」
立たせてくれた時に握ってくれた手もスッと放し、側を離れようとする詩零くんの表情は“傷ついている”ように見えた。
「俺、呼んできますから…優衣さんは此処にいて下さい」
それだけ言うと私の横を通り過ぎ、来た道を戻ろうとする詩零くん。
「ま、待って!!」
咄嗟に詩零くんの服を掴む。
驚いて振り向いた詩零くんの顔を見上げ、私は“謝らなきゃ…誤解を解かなきゃ”と考えるあまり、言葉が出てこない。
「優衣、さん?」
「あの、ね…海璃は───」
突然腕を引かれ、言葉が途切れてしまう。
一瞬の出来事に何が起こったのか、よく分からなかった。けれど次第に冷静になっていく頭で理解した。
今、私は…とても温かな温もりに包まれているということ。
そして耳に押し当てられた所からは、少し速い“私のものではない”鼓動がトクトク…と聞こえていることに。
「優衣さん…それ以上言わないで」
小さく紡ぎ出された言葉が、頭上から聞こえてくる。
私は…詩零くんに抱きしめられていた。
「し、詩零くん…?」
「お願い…します」
ギュッと背に回された手に力が込められ、少し痛いくらいに詩零くんの腕の中に閉じ込められる。
私は赤くなっているだろう顔を隠すように、ゆっくりと頷いた。
(ななな、何これ!?…し…詩零くんに抱きしめられるなんて…!!)
改めて自分の置かれている状態に赤面しつつ、上に視線を向ければ、同じ様に頬を染めた詩零くんが私を見つめていた。
その視線にドキッと胸が鳴り、固まる。
(し、れい…くん…)
ドクン…ドクンと鳴る自分の鼓動と、耳元から聞こえてくる鼓動が重なる。
「俺…やっぱり、優衣さんのこと……」
一人言のように囁かれた言葉。
それは詩零くん自身が驚き、けれどどこか納得したように言った言葉のようだった。
私はその言葉の意味が知りたくて、思わず詩零くんの胸元の服をキュッと握る。
「!!!」
けれどその瞬間、詩零くんが私の肩を掴み引き離す。
その行動に目を丸くする私に、詩零くんは先程より一層顔を赤らめ、自分のした行動をやっと理解したようで慌てふためく。
「お、俺…何てことを!す、すみません!!優衣さん!」
「う、ううん…!!」
私も頭を横に振ることしか出来ず、未だトクトクといっている胸に手を当てた。
(詩零くん、抱きしめたの無意識だったんだ……)
無意識だったとはいえ、その行動を起こした“感情”の正体が気になった。
けれど聞こうにも、当の本人は湯気が見えそうなくらい赤くなった顔を手で隠し、私を見てすらいなかった。
「おーい!しょー!ゆいさーん!」
そこへ大声を上げて駆け寄ってくる人物がいた。
其方を向けば、手を大きく振り駆け寄る佐伯くんとその後ろからゆっくりと歩いてくる桐谷くんと海璃の姿があった。
「良かった、あまり遠くへ行ってなかったんですね」
「あ、うん…詩零くんが止まってくれたから……」
追いついた桐谷くんにそう言った私を、佐伯くんが詩零くんの顔と交互に見ながら不思議そうに聞いてきた。
「なんか二人とも顔が赤いけど……そんなに走ったのか?」
「「え!?」」
二人同時に声を上げ、顔を見合わせる。
その瞬間先程のことを思い出し、私も詩零くんもより顔を赤く染めたのだった。
「優衣…さっきは、その…ゴメン。」
言いにくそうにしていた海璃が、スッと頭を下げた。
それを見た私はやけに素直だな…と思いつつ、素直に謝ったその気持ちに免じて許してやることにした。
「もういいよ。解ればいいのっ!」
「…!」
頭を下げると丁度良いところにくる海璃の頭を、クシャクシャッと撫でる。
その行動に恥ずかしそうに頬を染めた海璃は、次に顔を上げると真剣に訴えかけた。
「じゃ、じゃあ!口聞かないってやつも無し!!?」
「え…うん?」
何故そこまで真剣なのか分からなかったが、私が頷くと海璃は嬉しそうにガッツポーズをしていた。
「あれ、怒られたショックじゃなくて、優衣さんに口聞いてもらえないのに落ち込んでたんだろうな…」
「ああ、きっと…いや、絶対にそうだと思う」
佐伯くんと桐谷くんの話を聞きながら詩零くんに視線を移せば、またも複雑な表情を浮かべ、海璃を見つめている姿が目に入った。
(そういえば、まだ誤解を解いてないよ!!)
「あ、あのね!詩零く…!」
――――ぐううぅ…。
私の言葉に重なるようにして、誰かの腹の虫が鳴いた。
「いや~…えっと、お腹空かない?」
えへっと気まずそうに笑う佐伯くんに、私は腕時計を見る。
時刻はもうすぐお昼になろうとしていた。
「じゃあ…皆でどこか食べに行こうか?」
私の提案に、皆は喜んで賛成してくれた。―――――
「えっ…?」
お茶の入ったグラスを片手に、驚き固まる詩零くん。
そんな詩零くんの対面でパスタを食べる海璃を見ながら、私は先程を振り返る。
近くのファミレスに入り、注文を終えた後、私は詩零くん達に海璃のことを説明した。
私が小さい頃に父と母が離婚し、私は母についていった。そしてその後、今の父と出会い、生まれたのが海璃。
実は今の父は日本人とフランス人のハーフで、海璃も少しフランス人の血が入り、髪や瞳の色、顔立ちやらが父に似ている為、よく姉弟ではなく彼氏彼女に見られることが多い事。
それを聞いて、詩零くんはグラスを持ったまま固まってしまっている。
「えっと、分かってもらえたかな?海璃は彼氏じゃなくて、弟なんだ」
海璃の隣に座り、そう言った私の声に詩零くんはハッと我に返る。
「あ、はいっ!こっちこそ勝手に勘違いして、すみませんでした」
「ううん、いいの!元はと言えば、海璃が冗談で言ったのが悪かったんだし…」
頭を下げそうになる詩零くんを制し、私は隣で黙々とパスタを食べる海璃の腕を取る。
「ほら、ちゃんと謝らなきゃダメでしょ?」
「んぐ…。……すんませんした」
きちんと頭を下げた海璃に、今まで静かに話を聞いていた佐伯くんが、背もたれに寄りかかり納得したように言う。
「でも確かに、ハーフな見た目の男と、日本人の女性の組み合わせじゃ『カレカノ』と思われるのは無理ないか」
「そうだな。初対面で姉弟と見抜ける人は、少ないだろうね」
佐伯くんの言葉に、隣でアイスコーヒーを一口飲んだ桐谷くんも納得したように言った。
「うん、だから友達とかには事前に、ハーフの弟がいるんだって言っておくようにしてるの。」
私は対面に座る二人に頷きながらそう言い、ふと先程から話に加わっていない詩零くんが気になり目を向ける。
そこにはずっと浮かべていた複雑な表情は無く、どこか安堵したように、それでいて少し嬉しそうな表情をしていた。
(よかった…誤解、解けたみたい)
私も安心したのか、のどが渇きグラスに手を伸ばす。
けれどグラスは、いつの間にか中身を飲み干していたようで、空になっていた。
「私、飲み物取ってくるね」
それだけ言い残し、私は空のグラスを手にドリンクバーへと向かった。
ここまで読んで下さりありがとうございます!
ここで海璃(弟)を出すことが出来ました!
前に電話越しに登場した海璃。
これからもたくさん?出てくると思うので、よろしくお願いします!
そして、次回も1ヶ月後になってしまうと思いますが、是非読んでみてくださいね!