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story3 試合と時間

私の叫びに電話の向こうに沈黙が落ちる。


「む、無理です!!!」


──ピッ…ツー…ツー…。


その沈黙を利用し、一言だけ言い放つと私は電話を無理やり切った。


「………。」


(うん、無かったことにしよう。うん、それがいい!)


「そうだよ、明日は詩零くんの試合があるんだから!早く寝ないとね!」


自分に言い聞かせるようにして、私は明日の用意をしてから眠りに着いたのだった。



───そして、翌日…。


「……どうしよう」


混雑した駅の前、待ち合わせスポットとして有名な犬と猫が向かい合わせで座っている銅像がある。


その象の前で、観戦には全く必要ないのだが動きやすいようスニーカーにショルダーバッグというアイテムを身に付けた私は、携帯を見ながら溜め息を吐いた。


(…詩零くんに教えてもらった会場の場所、朝に改めてメールで来たけど)


「………迷った。」


私の呟きは周りの騒音に掻き消され、もう一度溜め息を吐く。

初めて行く場所のとき程、不安になるものだ。


(だから迷って試合に遅れないように…って早めに家を出たのに…!)


──今から数分前、駅からの道を教えてもらっていた私は一度駅から会場に向かったのだが…そこからが大変だった。


入り組んだ細い道に入ったと思ったら、山道や林道に繋がる道に出てしまったり…。途中で間違えたかな?と思い、戻ろうとして行き止まりに出てしまったり。


挙句の果てには住宅街のど真ん中に出たりと散々な目に…。


そしてやっと此処、駅の前に戻ってこられたのが今である。


(私ってこんなに方向音痴だった!?迷いすぎでしょ!?…ああ、もう!)


側にあったベンチに腰掛け、俯く。


「此処に…長く居たくはないんだよね……はぁ。」


人の足音を聞きながら思いだすのは、あの日のことだ。

あの最悪の…悪夢。


『もう、別れよう』

『他に、好きな子がいるんだ…ごめん!』


そう言って走り去っていった彼の後ろ姿は今でも覚えている。

あの時私はただ怒りの感情だけがあって、呆然と見送ることしか出来なかった。


悲しい感情が無かったわけではないが、一瞬にして目の前が真っ暗になる感覚があったのではと、落ち着いた今は思っている…。


けれど、さすがに振られた場所に一人でいるのは辛かった。

しかも休日ということで、あの時と類似している混雑具合に、余計にあの時の記憶が鮮明に思い出される。


(ホント…何やってるんだろう、私。此処が嫌なら、場所を変えればいいだけなのにね)


そうしたいのに、そうできない。


それは此処を動いたらまた迷うんじゃないかという不安な気持ちと、あの時のことが自覚はないが『トラウマ』になっているようだった。


(はぁ…。なんか、泣きたくなってきたかも…)


手首にあるピンクのベルトの腕時計を見れば、時刻は…十時十五分。

詩零くんの練習試合開始時刻は、十時三十分だ。


(あと十五分。……ホント、私って―――)


自分の不甲斐なさに鼻の奥がツンとして、目の前がぼやけてきたその瞬間。


「…!」


グイッと力強く腕を引かれた。

その勢いのまま、私はベンチから滑るようにして立ち上がる。


そして、自分の腕を掴む手から徐々に上へと視線を向け、掴んでいる人の顔を見て、私は目を見開いた。


「……詩零くん!?」


息荒く、右手で私の左腕を掴み、左手を頬に流れる汗を止めるように置きながら私を見つめていたのは…詩零くんだった。


「っ…はあ、はあ…。…ゆい、さん」


「どうして…。なんで此処に…試合までもう十分もないよ!?」


とりあえず汗を拭いてもらおうとショルダーバックからハンドタオルを取り出し、それを詩零くんに差し出す。


「優衣さん、走れますか…?」


「えっ…?きゃっ!?」


だけどタオルは受け取らず、息を整えた詩零くんは私の返答を待たずに、腕を掴んだまま走り出した。


駅の混雑した人達の間をうまくすり抜ける詩零くんに、引っ張られるようにして私はその後を必死で追う。


「し、詩零くん…皆見てるよ?」


混雑した中を走る私達を迷惑そうに見てくる人たちの視線が、あの時と重なり私の鼓動が嫌な音を立てる。

走っていることも忘れ、私は瞼をギュッと閉じた。


そのせいで足が縺れ、転びそうになったが、それに気づいた詩零くんが咄嗟に受け止めてくれた。


「すみません!でも、俺、今周りの視線を気にしていられるほど余裕ないんで」


「……っ。」


詩零くんの言葉が冷たく突き放すような言い方に聞こえてしまい、私は詩零くんに凭れかかったまま俯いた。


けれどそんな私の気持ちを知ってか知らずか、詩零くんは苛立ったように一人呟く。


「だって、このままだと優衣さんに俺の試合見てもらえないし…。ただでさえ、開始時間まちがえて会わせる顔がなかったのに…余裕なんかないよな…。俺の馬鹿…」


「え…?」


独り言なのだろう、だけどハッキリと聞こえた言葉に私が顔を上げると、詩零くんと目が合う。


その瞳は“あの時”と同じ、優しいものだった。


「すみません、優衣さん。少し走る速度上げます!」


「あっ!」


私をちゃんと立たせると、詩零くんは腕を掴んでいた手を離し、今度はぎゅっと手を握り締めた。

少し汗ばんだ大きな手に引かれ、私は道を駆け抜ける。


どの道を通ったのか分からない。

けれど、走ることに集中していた私は、いつの間にか先程までの暗い気持ちがどこかに消えていることには気づいていた。



────そして…その数分後。

試合開始五分前、私達は目的地に到着した。


「はぁ…はあ…。つ、着いた」


「はあはあ…はあっはあ。こ、此処?」


詩零くんの走る速さは想像以上で、体力はそこそこあるつもりだったが…正直もう倒れそうなくらい限界だった。

それでも息を整えつつ、目の前の建物を見つめると、どうやら高校の体育館のようだった。


「こっちです、優衣さん。…靴はそこに」


正面玄関だろうガラス張りの扉を、早くも息の整った詩零くんが開け、私もその後に続いて中に入る。


そこで手がまだ繋がれたままな事に気付き、私は慌ててその手を解く。


「ご、ごめんね!」


「あ、いえ!俺の方こそ……」


パッとお互いに距離を取り、俯く。


(うぅ…何この沈黙……)


とりあえず靴を脱いで、棚に置く。

すると他にも見学者がいるのだろう…沢山の靴が置いてあった。


「これ、床…結構汚いと思うので、使って下さい」


「あ。…ありがとう」


スッと足下に差し出されたのは『佐木梨(さきり)高校』と文字が印刷された緑色のスリッパだった。


「……優衣さん!」


「は、はいっ!」


スリッパを履いた瞬間、詩零くんに突然名前を呼ばれ動きを止める。


「色々と話したいことがあるんで、試合終わった後……待っててもらってもいいですか?」


「あ、うん…。分かった」


「ありがとうございます!」


律儀に頭を下げる詩零くんに戸惑いつつ、ふと腕時計に目を向ける。


───十時二十八分…。


私は顔を青ざめ固まったが、此処まで急いで来た意味が無くなる!と思い、急かすように詩零くんの背を押した。


「こんなことしてる場合じゃないよ!?試合!遅れちゃう!! 」


「はっ!…そうでした、じゃあ優衣さん…試合見てて下さいね!」


「うん!頑張ってね!」


「はい!」


今日初めての笑顔を見せ、選手の控え室がある方向の廊下を駆けていく詩零くんを見送り、私は目の前の大きな扉を開けた。


ギギギ…と重い音を立て、扉が開くと同時に歓声が聞こえてきた。


「きゃ~!!カッコいい!」


「頑張ってぇー!」


(え……なんで?)


私は驚いたまま、扉の前で立ち止まってしまう。

それもそのはずで、試合開始時間まであと一分はあるのだ。

けれど試合はもう後半戦を開始していた。


「ちょっと、そこにいたら通れないんですけど?」


「あ…ごめんなさい!」


扉を背に呆然と立ち尽くしていたら、後ろから二人組みの少し派手な服に身を包んだ女性達が迷惑そうに私を見つめていた。


私が慌てて扉から避けると、女性達は何事も無かったように歩きながら会話をする。


「ヤダ…もう後半始まってる~」


「ホントだ~…。計算間違えたね」


「何だっけ…“バスケ”のくぉーたー?…だっけ?」


「そうそう。…1クォーター10分で、それを4クォーターやるんだって。で、途中休憩も入るんだけど…。その時間も考えて、飲み物買いに行ったのに…」


「まあ、いいじゃん。後半まだ始まったばかりみたいだし…。

それにしても“十時”から一時間近くも運動するなんて、運動部って凄いよねぇ」


「確かに…よくやるなぁって思うよね!」


そう笑いながらコートの端に歩いていく彼女達の声に、聞く気はなかったがすんなりと耳に入ってきた話に私は座り込みそうになった。


(そんな…だって試合は十時半からでしょ?本当なら詩零くんは間に合って…。…じゃあ、詩零くんは!?)


───ピー…!


考え込んでしまった私の耳に、ホイッスルの音が聞こえてきた。


その音に弾かれるようにコート脇を見ると、青色のユニフォームに身を包んだ詩零くんが同じユニフォームの人と手を叩き合わせている姿が見えた。


どうやら、選手交代のようだ。


「…詩零、くん」


不安そうに私が見ていたからだろうか、詩零くんが私の視線に気付き目が合う。


「────…。」


「…!」 


詩零くんの口が動く。

かろうじて意味を読み取ることが出来た私は、しっかりと頷く仕草をした。


それを見た詩零くんは、嬉しそうに微笑み、コートの中に入っていった。


そしてもう一度ホイッスルが鳴る。


(“最後まで見てて”…か。)


心の中で、先程の詩零くんの言葉を呟く。


「応援してるから、頑張ってね…詩零くん!」


小さな声だったけど、私は想いを込めて叫んでいた。


───後半、詩零くんを入れての試合が始まった。







ここまで読んで下さりありがとうございます!


バスケについての知識はあまり無いので、間違っているようでしたらお知らせ頂けると、幸いです…。


次回も1ヶ月後に更新する予定です!



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