story1 再会
桜の舞い散る春が過ぎ、青々とした葉が生い茂る夏が訪れた。
某所、大学の正門前───
「あ!梨亜菜~!」
栗色の癖のある短い髪を揺らしながら、赤色のレース生地に白のドットが入ったワンピースに身を包んだ梨亜菜が私の声に気づき振り向いてくれた。
「あれ、優衣?…授業まだあったよね?」
大人の魅力漂う梨亜菜に目を止める周りの人達はいつもの事なので、気にせず話す。
というより、本人が気にしていない。
「あ、うん…なんか講師の先生が急用とかで、休講になったの」
「あ、そう。……で?」
「……え?」
「いや、え?じゃなくて…用があったから話しかけたんでしょ?」
私の間抜けな返事に、呆れたように眉間に皺をよせる梨亜菜。
だが、特に話しかけた理由が合ったわけではなかった私は視線を泳がせる。
「ええと!……特に話しかけた理由はなくて」
「そんな事だと思った。まあ、とりあえずいつものカフェにでも行く?」
大学で出会った梨亜菜は、既に私の行動を把握しているようです。
なんか凄い…。でも、私の事分かってくれている感じがして嬉しいな…。
「うん!それじゃあ、行こ…──っ!」
梨亜菜に笑いかけ、歩き出そうとした私は一点に視線を止め、動けなくなった。
「優衣、どうしたの?……あ」
動かない私の視線を追った梨亜菜も、その視線の先の人物に気づき怪訝な目を向けた。
私より年上の人だろうか、露出の少し多めな服に身を包み、茶色の長い髪を横で束ねた女性と、楽しそうに腕を組み歩いていたのは……───私と別れた“彼”だった。
「何あれ……腹立ってきた。……一発殴ってきていい?優衣。」
「…………。」
梨亜菜の言葉が耳をすり抜け、聞こえてこなかった。
そんな私に梨亜菜はため息を吐くと、私の手を取り歩き出した。
「え……梨亜菜?」
「…行くよ、カフェ。今日は奢ってあげるから……。ごめん、まだ辛いよね…」
手を引く梨亜菜の頼もしい背中に、私は一ヶ月前を思い出していた。
───人通りの多い駅前に呼び出された私は、彼から突然別れを告げられた。
その理由が『他に好きな子がいる』だ。
最初は怒りが心を支配したけれど、次第に悲しみが心を埋め尽くし、最近ようやく落ち着いてきた頃だった。
だけど、サークルや同じクラスの人達には私達のことが広まっていて、『その情報』はすぐに耳に入った。
『一つ上の人ともう、付き合っている』
それを聞いたとき、頭が真っ白になった。
彼は私との別れに何も感じていないの?…本当は、私と付き合っている時に既に…付き合っていたの?
色々な考えが頭を巡った、だけど私は考える事を止めた。
だって、もう終わったことだから…と、自分に言い聞かせ、私はこの恋を忘れようとした…───
「だけど、いざ目の前に彼が……その、イチャイついているところを見たら…こんなに苦しい」
胸に手を添え、私が俯くと、梨亜菜が飲んでいたアイスコーヒーの入ったグラスを置いた。
「恋ってそういうものでしょ?…すぐに忘れられるようなら、相手のことそんなに好きじゃなかったって事よ。……きついこと言うようだけど、あいつは優衣のこと…そんなに好きじゃなかったのかもね。」
「……っ…。」
梨亜菜の言葉がグサッと胸に刺さる。
物事をキッパリと言う所がある梨亜菜。だけど、それは私や周りを思ってのことだから、私は気にしていない……今は別だけど。
「でもね、優衣。…アンタはラッキーなのよ」
「え?…ラッキー?」
落ち込む気持ちを払い、梨亜菜を見つめる。
「そう。付き合っている女以外を好きになる男なんて、直ぐにまた他の女を好きになるわ。……優衣を振った後付き合っているって言う、あの化粧の濃い女なんて直ぐに別れるわよ。……だからね」
徐に立ち上がった梨亜菜が、テーブルに乗る私の手に自分の手を添え微笑んだ。
「別れてラッキーってこと。……それに、これから色んな出逢いがあって、あんなのよりもっと素敵な人と恋愛できるよ…そして、見せ付ければいいの、あのゲスに。…ね?」
「梨亜菜……」
最後の言葉が気になったが、梨亜菜が私の代わりに怒ってくれていることが伝わり、私は涙ぐむ。
「うん……ありがとうっ…梨亜菜ぁ~!」
「よしよし…。ここ一ヶ月辛かったよね、また愚痴でも何でも聞いてあげるからね…優衣」
「うん…!」
子供をあやすように梨亜菜は頭を撫でてくれた。この際周りの視線は気にしないさ!変な目で見られてもね!……ははは。
「そういえば、あのハンカチの子には会えたの?」
「あ……ううん、まだ会えていないの」
最初から周りを気にしていない梨亜菜は、椅子に座り直して私に問い掛けた。その言葉にバックの中から、赤と青のチェックのハンカチを取り出し、私はため息を吐いた。
「ふぅん…?なんだ、もうあったじゃん!出逢い!」
「っ!?…けほっけほっ!!…ええ!?」
心を落ち着けるように飲んでいたレモンティーを、吹き出しそうになった。
私はテーブルに置いたハンカチを見つめ頬を赤く染める。
「で、出逢いって!ただ、ハンカチを貸してもらっただけだし……それに、相手は高校生だよ?」
「何言ってるのよ…。私達だって一年前は高校生でしょ?」
「う…それは……そうだけど」
梨亜菜のニヤニヤした笑顔に視線を逸らし、私はあの時を思い出す。
──彼から別れを告げられ、涙が止まらなかった私に…『よかったら、使って下さい』とハンカチを差し出してくれた人がいたのだ。
その時は成り行きと、その人の優しさにハンカチを受け取った私だったが…家に帰ってから気恥ずかしくなり、今度会ったらハンカチは返そうと思っていた。
だけど、その人と出会ってから早一ヶ月…。
私は、未だにその人に会えていない。
「……返すのもあるけど、一番はお礼を言いたいんだよね。……でも、相手はハンカチを貸したことなんて忘れてるかも」
ハンカチを手に取り、重くため息を吐く私に、梨亜菜がじれったいと言わんばかりに言った。
「優衣は考え過ぎ……忘れてたら忘れてたで、いいじゃない!優衣がそれで少しでも心が救われたなら、素直にお礼を言えばいいのよ!」
「うん、そうだよね!…あ、でも…会えなくちゃ、お礼言えないよね…どうしよう」
「……。待ってみれば?」
少しの間の後、梨亜菜が思いついたようにそう言った。
私はキョトンと梨亜菜を見つめた後、彼女の言いたい事が分かり、笑顔を見せた。
「そうだね!今日、待ってみるよ…ありがとう!」
「いえいえ、頑張ってね?優衣」
「うん?…頑張るね!」
笑顔でレモンティーを飲み始めた私に、梨亜菜がこっそり…
「恋愛になるように頑張ってね…っていう意味で言ったんだけど……あれは気付いてないわね。まあそこが、優衣のいいところなのかな…?」
と、ため息を吐いていたことに私は気づいていなかったのだった。
───そして、夕暮れのオレンジ色から、夜の闇に変わる頃……公園の、あの日と同じブランコに腰掛け、私は空を見上げた。
「あ!…一番星かな?……あ、違った。もう一つ星があった…」
何気なく見上げた空の星一つに、なんとなく気分が落ち込んできて、私は俯いた。
今更ながら、不安が胸に押し寄せてきたのだ。
その時、目の前に影が落ちた。
「大丈夫ですか…?」
「……え」
頭の上から聞こえた声、それはあの日と同じ、私を気遣う優しい声だった。
その声に導かれるようにゆっくりと顔を上げると、そこにいたのはやはりあの時の人だった。
私は立ち上がると改めて彼の顔を見つめた。
背は私より少し高く、茶色に近い黒い短髪、誰かを思いやれるような優しげな、けれど男の子らしい強さの秘めた瞳。
その整った顔立ちと、高校生のキラキラとした雰囲気に私は見とれてしまった。
「……あの?」
「あ…!ご、ごめんなさい!」
彼の声にハッと我に返ると、私はバックからあの時貸してもらったハンカチを取り出し、彼に差し出した。
「えっと……一ヶ月も返せなくて、ごめんなさい。…あの時は、ありがとうございました」
「………。」
私の差し出したハンカチを見つめ、彼はじっと動かなかった。
やっぱり忘れてるよね…と思い、私はハンカチを持ったまま立ち去ろうとした…が。
「やっぱり、あの時の!!」
「…!?」
突然、彼がハンカチごと私の手を取ったのだ。
驚きに目を丸くする私に、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「公園にたまたま寄ったら、俯いている人がいたから、あの時の人かなって思ってて!ハンカチも覚えていてくれ……っとと、危ない。敬語敬語……すいません」
「……ふふっ」
嬉しそうに話し出し、慌てて敬語に直そうとしたりと、ころころと変わる表情に私は思わず笑ってしまった。
「あ……よかった、笑ってくれて」
「え……?」
聞き返した私に、照れくさそうにヘヘッと笑うと、彼は言った。
「あの時…貴女にハンカチを渡したとき、また会えたらいいなと思ってたんです。それで、今度こそ笑ってもらおうと決めてたから…。笑ってもらえて…よかった」
「っ…!」
彼の真っ直ぐな物言いに、本心でそう言っているのだと分かり、私は恥ずかしくなり頬を少し赤く染める。
(高校生だよね?……大人びてるというか、何というか……)
「あ、ハンカチ…洗ってくれたんですね!」
「え!?……あ、はい!何時でも返せるように、洗って持っていました…。」
「ありがとうございます!……って、すいません!手を握ったままでした!」
バッと手を離しハンカチだけを受け取ると、彼は顔を真っ赤に染め一歩下がる。
(……意外に純情なのかな?)
彼は慌てて後ろに下がった為か、足下にあった小石に躓き、転びそうになっていた。
その反応がまた可笑しくて、私はクスリと笑った。
「あの……」
「はい…?」
笑っていた私に、彼は突如真剣な表情になると尋ねた。
「名前……聞いても、いいですか?」
真剣な表情で何を言うのかと思い、身構えていた私は脱力しながらも、笑って答えた。
「はい…。私は、優衣…朔乃優衣です。」
「………優衣さん。」
私の名を呆然と呟く彼に、私は悪戯っぽく笑い彼を見上げる。
「貴方の名前も聞いていいですか?…でないと、私は貴方のことを『ハンカチさん』と呼んじゃいますよ?…ふふっ」
「ええ!?」
私の発言に慌てた彼は、気を落ち着かせるように息を吐くと、私を見つめた。
「俺は高校二年、詩零翔と言います。」
「…詩零くん、ね?」
「はい…!あの、優衣さん?って呼んでもいいですか?」
「ふふっ…はい」
私が笑って頷くと、詩零くんは嬉しそうに微笑んだ。
「あ!敬語なくていいですよ?俺のほうが年下だし……っですしね!」
「わかった…ふふ…詩零くんも無理に敬語にしなくてもいいよ?」
(だって、さっきから言いにくそうだし…)
笑い声を抑えながら詩零くんを見上げると、バツが悪そうに頭を掻いていた。
「あー…ははは。すいません…大人っぽく見せたかったんですけど…いつも同年代の奴らと話してると、癖というか何というかで……」
「ううん、私は気にしてないから。それに年下って言っても、二年しか違わないし…」
「あ、優衣さんって大学一年なんですか?」
「うん、そうだよ」
そういえば、言っていなかったなと思い口にすると、詩零くんが驚いたように目を見開いていた。
「ん?……な、何?」
「あ、いや…優衣さんって大人っぽく見えるから、二十二歳くらいなのかと…」
「え!?……それって、老けて見えるってこと?」
「いや!そうじゃなくて!え~と…」
少し怒ったように睨みつけると、それを本気で捉えたのか、詩零くんは慌て始めた。
「……ふっ、あはは!」
それが可笑しくて、私はまた笑う。
「あ!からかったんですか!?」
「ご、ごめんね?…ふふ、詩零くんって面白いのね」
「……そんなこと言われたの初めてですよ。それから!大人っぽく見せようとしたのも初めてです!!」
「え……?」
しまった…というような顔になる詩零くん。
私は彼を見上げ、先刻の言葉の意味を尋ねようとした…が。
「お、俺!明日朝練なんで……それじゃあ!」
「あ…!」
詩零くんは私に背を向けると、一目散に公園の出口に向かう。
だが、出口に着くと、彼は私の方を振り返りこう言った。
「また明日、此処で!」
ニカッと効果音がつきそうな爽やかな笑顔を見せると、彼は走り去っていった。
「ふふっ……詩零翔くん、か…」
彼に伸ばしていた手を胸の前で握り、空を見上げる。
夜の闇にキラキラとした星が散りばめられていた。
それは、私の中に灯り始めた幸せの欠片に似ていて、自然と笑顔が浮かんだ。
───二回目の出逢い。
失恋という名の絶望に、足を止めた私を新たな希望へと導いてくれる光……かも?
此処まで読んで下さりありがとうございます!
前回からかなり時間が経過してしまい、すみませんm(_ _)m
次回も遅れてしまう可能性がありますが、これからも読んで頂けたら幸いです。