story10 告白の決心
あれから一週間。私は詩零くんと連絡を取ることはなく、一人の時間を過ごしていた。
…言うなれば“引きこもり”だ。
「おい、優衣!居るんだろ?!」
朝方、玄関のドアを叩きながら、海璃が叫ぶ。
この一週間、毎日海璃はこうして私に声を掛けにくる。
だけど私はベッドの上で枕で耳を塞ぎ、その声を聞かないよう必死に縮こまっていた。
「もう一週間だぞ!?そろそろ出て来い!」
(…それじゃあまるで、私が一週間ずっと部屋にいるみたいに聞こえるじゃない!海璃の馬鹿!)
買い物するときくらいは外には出ている。…けれどそれ以外は何処にも出かけたくなかった私は、確かに海璃の言うように部屋から出ていない。
(一番の理由は…)
詩零くんと偶然にも、出会ってしまったら。と考えてしまったから…。
「俺、あと一週間したら…帰るってこと、分かってんの?」
「あ…」
急に悲しげに声のトーンが落ちた海璃に、私は海璃たちが合宿でこっちに来ていることを思い出す。
だがトーンはそのままに、海璃は真剣そのものの声で続けた。
「今日、佐木利高校のバスケ部と練習試合なんだ」
「…っ!」
「中学生と高校生って言っても、そんな体格変わんないだろ?
でもやっぱ技量とか違うしさ。だから、いい経験だって…和伊がこの合宿を計画したんだ」
(和伊さんが…)
そう、海璃はバスケ部。
小学校の頃から血筋なのか、背の高かった海璃はバスケットを習っていた。
勿論中学もバスケが強い所を選んだし、高校もそうするつもりだと、お母さんから聞いている。
私はそんな弟に興味は持たなかったし、バスケも…正直そこまで好きではなかった。
だけどニュースでバスケットの試合やサッカーや野球をやっている選手の生き生きとした姿に惹かれた。
バスケに興味を持ち、決定的に火がついたのは、考えるまでもなく…詩零くんのあの試合からだ。
「相手に隆也や直人がいるからって、俺は手加減しない」
(…いつの間に佐伯くんたちとそこまで仲良く…)
弟の社交性には驚きだが、年上相手に呼び捨ては如何なものか。とも思う。
「だけど…詩零には手を抜いても勝てると思う」
「え…」
海璃の言葉をいつの間にか枕を外し聞き入っていた事にも驚いたが、私はそんな事よりも海璃の先程の言葉の方に驚いた。
(海璃が強いのは…お母さんに聞いて知ってる。だけど…詩零くんは強いんだよ?)
あの日の試合が、今も鮮明に脳裏に蘇る。
そこにいる詩零くんに迷いはなく、ただ単にバスケを楽しんでやっているように見えた。
けれど真剣そのもの。…とても、格好いいなと思った。
「詩零くんは、弱くない!」
気づけば、私は玄関まで駆け寄っていた。
パジャマ姿のままだったので、ドアは開けなかったが…両手を扉に押し当てる。
「海璃が強くても、詩零くんはそれ以上に強いんだから…!」
私の声に、ドアの向こうで海璃が驚いたように息を呑むのがわかった。
次いで、ムッとした声が返ってくる。
「だったら、観に来ればいい」
「え…っ?」
「俺は…“姉貴”に応援されればもっと強くなる。…詩零なんて相手にならないくらい」
姉呼びになった時の海璃は、大抵機嫌が悪いときだ。
だけどそれに構うことなく、私はドアから手を離した。
「私は……行けない」
声が小さくなる。けれどドアを隔てたくらいの距離しかない位置にいる海璃には筒抜けだった。
「それは詩零に会いたくないから?それとも…俺の顔は見たくないって事?」
「……っ。」
海璃の顔が見たくないなどと思ってはいない。けれど…詩零くんに会いたいかと聞かれたら…───
(…会いたい)
詩零くんの事が「好き」と自覚した以上、好きな人に会いたいと想うのは当然だ。
しかしそんな気持ちと同じくらい…ううん、それ以上に不安が胸を占める。もし嫌われてたら…と。
会いたくないのではなく…会いづらいというのが本音だ。
「姉貴の気持ちは…分かった。もう、無理に会いに来ないから…安心して」
「海璃…」
やけに素直だなぁ?と思いつつも、ドアから離れた海璃の声が少し遠くなる。
だが次の瞬間。突然閉まっていたドア鍵が、ガチャッと音を立て開く。
「えっ!?」
「なんて、言うとでも思ったか!?」
バンッ!とドアが開いた。しかしチェーンロックが掛かっていた為、少しの隙間しか開かなかった。
それでもその隙間から、海璃が顔を見せる。
「いい加減にしろよ、優衣!お前はごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ!
何引きこもってんだ!?告った訳でも、振られた訳でもないんだろ!?
だったら…当たって砕けろよ!!」
「な、なっ!?」
(砕けたら…終わりじゃない…っ)
隙間から覗く海璃の顔は真剣だった。だからこそ、私は頭に血を上らせ叫ぶ。
「海璃は何も分かってない!私の気持ちも何も知らないのに、大口叩かないでよ!
当たって砕けろって、恋愛もしたことない…海璃が言わないでっ!!」
「お前だって、何も知らないじゃないか!」
「っ!?」
ガッとドアをこじ開けようと、海璃は力を入れる。
「俺が今までどんな想いを抱えて、隠して、何度も消そうとしたのを…お前は知らないじゃないか…っ!」
「海璃…?」
「…っ。何でもない…」
急に俯いた海璃を、私は静かに見つめるしか出来なかった。
だけど、バッと顔を上げた海璃の顔が赤くなっているのに気づきハッとする。
「俺だって…恋愛…くらいしたことある。」
「ま、まあ…もう、中学生だもんね」
何故今この展開で顔を赤らめるのか分からなかったので、取りあえず頷いておく。
するとそれが気にくわなかったのか、海璃は憤慨した。
「俺が恋愛もしたことない、子供だとでも思ってたのか!?」
「は!?そんな事一言も言ってないじゃない!」
端から見たら、もしかしたら恋人同士の痴話喧嘩にしか見えないかもしれない。
けれど断じて恋人ではなく、私達は姉弟であり、これは姉弟喧嘩である。
「ていうか、どうやって鍵を開けたのよ!?」
「はっ、管理人さんに貸して頂いたんだよ!」
(なんでそこは敬語?なのよ…)
鍵をちらつかせる海璃は、さらに続けた。
「だいたい、お前だって恋愛したことないんだろ!?詩零が初めてなんだろ!?」
「っ~!…私だって、彼氏がいたことくらいあるわよ!!」
「え…」
感情に任せて言ってしまった事に、ハッと気づくと私は慌てて口を押さえる。
しかし海璃は目を丸くしたまま、ドアから手を放し、ぼーっと立ち尽くしていた。
そんな海璃の手から鍵(管理人さんが貸した物)を奪い、ドアノブに手を掛ける。
「と、とにかく!…私は……試合、観に行かないから!」
バタン。とドアを閉め、鍵をかける。
するとドアの外で我に返った海璃が、自分の手の中に鍵が無いことに気づき、何やら叫ぶ。
しかしそれを無視し、私は部屋の中に戻った。
そして数分後、諦めたらしい海璃の気配がドアの向こうから消えたのを確認すると、私はドサッとベッドに寝転がった。
「なんだろ、これ…。本当に引きこもりみたい。」
寝返りを打ち、横になった私の目に飛び込んできたのは…初めて詩零くんと会った日に貰った───あのハンカチだった。
「優衣さんに持っていて欲しい。か…ふふ、あの時の詩零くん、凄く人懐っこい笑顔だったなぁ…」
実は一度返したハンカチだったが、詩零くんが私に持っていて欲しいと後日会ったときに渡してきたのだ。
『なんか、それを優衣さんが持ってたら…また、会えるかなって…。…あ、いや!なんか、臭かったですかね?ははっ』
恥ずかしそうに頬を染める詩零くんに、私は少しだけ…好意を抱いていたのかもしれない。
(今思えば…ってやつかな?)
起き上がり、ハンカチを手に取る。
「なんだ…こんなに好きだったんだね、私」
改めて詩零くんへの想いを確認すると、私は深く息を吐き、目を閉じる。そして、ゆっくりと開いた。
「振られるのが怖いのは…恋をしてる人なら当たり前の感情だよね。
だったら、当たって砕けよう」
(海璃の言葉に気づかされたのは…癪だけど)
「それに……私は一度振られてるんだから、怖いものなんて無い…よね?」
だからこそ、もう一度振られることが怖い。そんな想いから、私はずっと詩零くんが好きという気持ちから逃げていたのかもしれない。
海璃の言葉に気づかされたのは…(以下略)。だけど、本当…ごちゃごちゃと考え過ぎてたのかな?
「告白…しよう。私は詩零くんが……好き、だから」
かあっと赤くなる頬を押さえ、私は窓の外を見た。
そこには差し込む太陽の光が、私を優しく照らしていた────
お昼前。午後からある練習試合に向け、翔や隆也たちレギュラー陣はドリブルやパス回し、シュートをする練習をそれぞれ行っていた。
「翔!」
「っ!」
隆也の声にハッと我に返った翔は、自分に向かってくるボールを取れず弾いてしまう。
「何やってんだ!詩零!集中しろ!」
「はい!すみません!」
パス練習をしていた翔は、転がったボールを取りに体育館の端に駆け寄る。
その後ろからパス相手の隆也が駆け寄り、翔の肩をポンッと叩いた。
「どうしたんだ?翔。…大丈夫か?どっか体調悪いのか?」
「いや…そんなんじゃないから、大丈夫」
「そうか?…ならいいけど」
ボールを持ち、元の場所に戻る翔の背中を心配そうに見つめる隆也。
一週間前のあの日、直人から翔を優衣と二人きりにしたと聞いたときは喜んだ隆也だったが、次の日会った翔からは喜び…とは程遠い落ち込んだような表情が浮かんでいた為不思議に思っていたのだ。
(てっきり付き合うんだと思ってたけど…優衣さんも翔に気がありそうだったのに…)
だがそれ以上に心配なことは、あれ以来…翔がよく部活中にミスすることだった。
(振られた…のか?……いや、それはないと思うけど…)
隆也が腕を組み考え込んでいると、体育館の扉が開き、数十人の男子生徒が入ってくる。
見ればどうやら中学生。…その中には海璃の姿もあり、対戦相手だと佐木利高校の面々は気づいた。
合宿先がここ佐木利高校だったのだが、翔たちが午前中使うのなら海璃たちは午後。または逆の時もあり、選手たちがお互いに顔を合わせることは殆どなかったのだ。
「こんにちは、佐木利高校の監督さん。今回は練習試合の申し出、お受け下さりありがとうございました」
佐木利高校の監督に近づいた和伊が、いつものにこやかな笑みを浮かべ手を差し伸べる。
それを若干訝しみながらも、監督は手を差し出し、互いに握手を交わした。
「此方こそ、バスケ名門中学“星宮”と対戦出来て光栄です」
「いえいえ」
お互いに本心を隠した笑い合い。選手たちは呆れたようにそれを見ていた。
だが一人、海璃だけは翔を睨みつけるように見つめていた。
「おい、外人いるぞ」
「ホントだ。でけーなー…」
周りの選手たちが海璃に視線を向け、コソコソと話し合う。
それを聞いていた海璃は、ギロリとその選手たちを見る。
「ひっ…!」
その射殺されそうな視線に体を強ばらせた選手たちの横で、隆也が手を上げながら海璃に駆け寄る。
「よっ!海璃っ!久しぶりだな!」
(知り合いなのか!?)
その友好的な隆也の態度に驚く選手たち。だがそんな隆也の隣に直人が苦笑いを浮かべ並ぶ。
「久しぶりって…一週間前に会ったばかりだぞ?」
(お前もか!?)
もう、何にも驚かない。と固く心を固めた選手たちに、追い討ちをかけるように海璃が口を開く。
「ああ、こんちは…隆也、直人」
(呼び捨て!!?)
中学生に呼び捨てされるって…本当にどんな知り合いだ!?と混乱する選手たちであった。
「それで…詩零翔くん。っています?」
監督と幾つか話を終えた和伊は、選手たちを見渡し翔を探す。
「詩零ですか?……おい!詩零!」
「…はい!」
そこへ監督に呼ばれ、翔が駆け寄ってくる。
(へぇ…この子が詩零くん、か)
和伊が目を細め見つめてくるのに対し、翔はぎこちなく頭を下げた。
「こんにちは…」
「どうも。…ええ、と単刀直入ですけど」
「…?」
翔が顔を上げる。そこには意味深な笑みを浮かべた和伊の姿があった。
「試合前に…1on1やってくれよ」
「えっ…?」
まるで和伊の言葉を引き継ぐように、海璃が翔に近づいた。
その様子に海璃の隣にいた隆也と直人は目を見開く。
「おい、それは…」
「分かりました」
「へっ?おい、翔…」
隆也が海璃を止めようとすると、翔はまっすぐ海璃を見つめたまま頷いていた。
「監督さん…どうでしょう?」
「まあ…ウォーミングアップ程度なら」
翔の答えを見越していたのか、和伊は既に監督に了解を得ていた。
「じゃ、そういうことで…っ!」
漫画さながらに海璃はジャージを脱ぎ捨てる。その下には既に赤色のユニフォームを着ていた。
「よろしく」
「よろしく…お願いします」
お互いに握手を交わす。
言い知れぬ険悪な雰囲気を漂わせながら、翔と海璃はコートの中に入ったのだった。
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