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現代霊能者はバズりたい  作者: tanahiro2010
第二章 神城の過去
15/20

002 狐

「......知らない天井だ」


 目が覚めた瞬間、吐息と共に零れ落ちたのは、そんな言葉だった。


 ぼんやりと霞む視界の中、淡い照明の光が白い天井を照らし、その光が僕の瞳に沁み込んでいく。

 半ば寝ぼけたままの脳に力を入れ、何が起きたのかを整理しようと試みる。


 覚えている最後の光景は、賀茂が唐突に試験だと告げ、霊気を纏いながら互いに殴り合ったこと。

 そして、最後に全ての霊気を拳に込めて、賀茂の頬を殴り抜いたところで記憶は途切れていた。


 そこからの記憶が、ごっそりと抜け落ちている。

 脳裏にはまだ微かに残る、あの時に感じた霊気の奔流の余韻だけが残っていた。


 痛む体に鞭を打ちながら、軋む筋肉を動かし、ゆっくりと上体を起こす。


「えぇ......ここ、どこ?」


 見渡せば、そこはどこか学校の保健室を思わせる白を基調とした部屋だった。


 だが決定的に違うのは、その部屋には窓がなかったことだ。


 ただ白い壁が無機質に広がり、外の景色を示すものは何一つなく、異様な静寂だけが支配していた。

 空気は妙に澄んでいて、無臭で、時間の流れすら感じさせない。


「ドアはあるけど......これ、開くのかな?」


 腹が空いてきた。

 霊気を使った反動なのか、体がエネルギーを欲しているのがわかる。

 だから僕は、一度深呼吸をして、部屋の外に出てみることにした。


「えっと......お、開いた」


 ガラガラと乾いた音を立てて開いた扉の先。


 その光景を見た瞬間ーー僕の呼吸が止まった。


「ーーなんで、鳥居?」


 目の前にあったのは、朱色に塗られた大きな鳥居だった。


 神社の参道に立つような堂々とした佇まいで、先ほどまでいた保健室の無機質な空気とは全く似合わない“神聖”そのものの気配を放っていた。


 鳥居の向こうには澄み切った青空が広がり、雲一つない空が優しく光を落としている。


「え? じゃあ、これって......」


 恐る恐る振り返る。


 ーーそこには、空と虚空だけが広がっていた。

 僕が出てきたはずの保健室は、跡形もなく消え失せている。


 扉もなく、壁もなく、戻るための道はどこにも存在してい、

 ただそこに広がっているのは、途方もなく青く深い空だけだった。


「......まずい、予想は外れた?」


 状況を整理する。


 僕は“試験”の最中に霊気を全開放し、おそらく賀茂を倒した後この場所...先ほどの保健室に運ばれた。


 そして、恐らく陰陽庁とやらが何らかの方法で保健室を出たら僕をここへ移動するように仕込んだのだろう。


 この空間が現実か、それとも霊界なのかもわからない。

 だが、戻る道がないのなら、僕は前に進むしかない。


「......進む、かぁ」


 思わず溜め息が漏れる。


 見上げれば、鳥居の先からは静かで神聖な気配が漂っている。

 霊気が肌を撫で、空間そのものが呼吸しているようにすら感じられる。


 もしこの先に何かが待ち受けているのだとしても、それが僕にとって有害なものではないと信じたい。


 そう思いながら、重い足を一歩前へと踏み出す。


 足元の地面がわずかに鳴き、その音がこの空間に反響する。


 青空の下、朱色の鳥居の向こうへ。


 ーー僕はただ、一歩ずつ、歩みを進めるのだった。


ーーーーーーーーーー


「あぁ......そういや俺、負けたんすね」


 賀茂満哉は、自分が目を覚ましたことをゆっくりと認識した。

 どこか薬品の匂いがする空気、清潔だが無機質な白い天井、身体に走る鈍い痛み。

 保健室のような、簡易な医療設備が整った部屋だった。  神城が目を覚ましたのと、恐らく同じ場所、同じような状況。

 だが、一つだけ大きく違っていた。


 彼の横には、ひとりの女性が座っていた。


「そうね。あなたと神城君は、見事に引き分けたわよ」


 澄んだ声だった。その声に、満哉の身体がビクリと跳ねる。

 反射的に首を横に振る。目に映った女性の姿に、その瞬間、満哉の顔色がみるみる変わった。


 そこにいたのは、   「......姐、さん?」


 思わず声が震えた。

 目の前の女性は、懐かしく、そして苦しいほどに知っている顔だった。自分が、ずっと背中を追い続け、そしてもう二度と会えないと思っていた人物。


「どこか漢字が違う気がするけど......ええ、私はあなたの“姉さん”よ。久しぶりね」


 彼女は微笑み、穏やかに告げた。


 ーー賀茂 詠歌。


 かつて、満哉が誰よりも敬愛し、慕い、そして、この手で葬式を取り仕切った姉だった。

 間違いなく死んだはずの姉が、今、自分の目の前に座っている。

 その現実が、頭の中で何度も弾け、砕け、混乱となって押し寄せる。


「生きて......いたんすか......?」


「もちろん。あなたほどの戦闘力はないけれど、それでも私は強いわよ?」


 笑いながらも、詠歌の瞳の奥には深い翳りが宿っていた。

 満哉は、その翳りの正体を知っていた。


 ーーあの事件。


「じゃあ、あの事件で発掘された姉さんの“死体”......あれは、何だったんですか?」


 声が震えた。

 あの時、確かに自分は見たのだ。無惨な遺体、変わり果てた姉の姿。自分の目で確認し、自分の手で棺を閉じ、自分の声で参列者に告げ、そして自分自身で火葬場まで運んだ。


「......そう。あなたも、あれを見たのね」


 詠歌は視線を落とした。

 小さく息を吐き、その肩がかすかに震えた。


 そうだ。

 賀茂詠歌の“火葬”は、すでに終わっている。

 その現実を自らの手で確定させたのは、この賀茂満哉だった。


 なのに。


「......隠していても仕方がないわね」


 詠歌は顔を上げた。瞳はまっすぐ、揺らぎがなく、けれど深い哀しみと覚悟が宿っていた。


「今の私はーー“妖”よ」


 その言葉の重みが部屋を満たした。

 満哉は息を呑む。脳がその言葉の意味を理解する前に、直感がその異様さを告げていた。


「未練も、恨みも......もう何もない。ただの“思念”の塊。“霊”と“妖”の狭間みたいな存在なの」


「そ、そんな存在が......いたんすか......?」


「ここにいるのよ、私自身がその証拠。誰が信じなくても、あなたなら信じるでしょう?」


 その微笑は、姉が生前見せていたものと変わらなかった。

 それが逆に、満哉の胸を切り裂いた。


 死んだはずの姉が、生きている。しかしそれは、生きているとは言えない存在でーー


 呆然とした思考の中で、満哉は聞き逃してしまったのだ。


 詠歌が、小さな声で呟いた一言を。


「だからこそ、私はもうすぐ消滅するーー」


 その一言を。


 ーーその一言だけを。


 満哉は目を瞬かせ、気まずそうに笑いながら空気を変えようとした。


「......それじゃ、姉さんって“妖”の力とか持ってるんすか?」


 詠歌は少し目を丸くした後、くすりと笑った。


「えぇ、どうやら私は“九尾”とはいかないものの、“六尾の狐”になってしまったみたいでね。

 このように、尻尾を出したり、狐火を灯したり、変装したり......いろんなことができるの」


 言葉と共に、詠歌の背後に六本の白銀の尾が揺らめくように現れる。

 その尾から淡く揺れる青い火の粉が零れ落ち、そして空中で弾けるように消えた。


 伝承に語られる“妖”は、力を持つ。

 そして今、目の前の姉が、まさにその存在となっていた。


「うっわ......姉さんが六尾ってことは......これ、もしかして“九尾の狐”が本当にいたりするんすか?」


「“玉藻前”が、それじゃないかしら。どうやら最近、封印が緩み始めているらしいわよ。出てくるかもしれないわね」


「......敵になったりはしないでくださいよ?」


「さぁ......どうかしらね。私、“本能”には逆らえないみたいだから」


 冗談めかした笑顔を浮かべながら、詠歌の視線は遠くを見つめていた。  

 その瞳に宿る深い光が、決して消えることのない宿命を告げていた。


 神城が謎の空間で困惑していたその時。

 満哉は、最も愛した姉との再会という、別の戦いの渦中にいたのであったーー。


ーーーーーーーーーー


「これ、もう僕どれだけ進んだんだろ」


 鳥居を潜り、ただひたすらにまっすぐ歩き続けて、早一時間ちょっとが経過していた。

 風の音だけが耳を撫で、蝉の声もない。

 どこまでも変わらない景色の中を歩き続けるこの状況に、いい加減、僕は嫌気がさしていた。


「もうさ、やだよ。めんどくさいよ。なんで僕がこんな歩き続けないといけないの?」


 つい、口に出さないようにしていた本音が漏れた。

 言葉にした瞬間、それが現実になったみたいに、身体の奥から重さがずしりとのしかかってくる。


 僕は、割と極度のめんどくさがりや。

 一度「めんどくさい」と口にしてしまったら最後、何か解決策が見つかるか、状況が変わるまでモチベーションがクッソ下がるのだ。

 笑えるくらい単純な性格のせいで、これまでも課題はギリギリ、部活も幽霊部員、学校でも友人と呼べる奴はほとんどいなかった。


 まぁ、そんなのどうでもいいけど。


「だいたいなんなのさ、この状況。え?保健室から出たらそこは神聖な雰囲気漂う神社でしたってか?何も笑えねぇよ。神社なのか寺なのかは知らんが、鳥居があるんならさっさと本殿を出せよ」


 文句を垂れながら歩く先にずっと続くのは、真っ直ぐ伸びた竹と、その合間に立ち並ぶ狐の石像。

 狛犬じゃなくて狐ってことは、たぶんこのクソ長い山道神社もどきではお稲荷様を祀ってるのだろう。


 てか、この予想が外れてたら僕は暴れる自信がある。

 それくらいには、僕のストレスも溜まりに溜まっていた。


 自分の吐息が妙に大きく聞こえる。

 風の匂いは竹の青さと土の湿気だけで、どこにも終わりが見えない道を歩き続けるのは、思っていた以上に精神を削る。


「はぁ......もう疲れた」


 叫んだせいか、喉が乾いた。

 カサカサとポケットを探って、改造ポケットから取り出したのは、小さな紙コップの束。

 取り出したコップを手に持ちながら、深く息を吐く。


「......ったく」


 空を見上げても、見えるのは竹の葉とその間から差し込む淡い光だけ。

 この場所には太陽の位置すらわからない。


 こういう時は、コーヒーでも飲んで気分を切り替えるのが一番だ。


 ーー《霊質変化》


 “霊気“といったエネルギーの質を変化させ、任意の物質に変換する術。

 そうやって僕は、いつもなら缶コーヒー代わりの微糖のコーヒーを作って、一息つくのが常だった。


 コーヒーの苦味と微かな甘さが口の中に広がるだけで、少しは生きている心地がするのだ。


 けれど、その瞬間ーー


 ーーその場に、一筋の光が現れた。


「......え?」


 用意したコップの中に、コーヒーは入っていなかった。

 つまり、【霊質変化】には失敗したということ。


 けれど、術を使ったとき特有の、『体からごそっと力が抜ける感覚』は確かにあった。

 前に【霊質変化】を使ったときは、ほんの少し身体の力が抜けるだけだったのに、今回は明らかに、ドバッと力が抜けていった気がする。


 つまり、霊気自体は使用されているということ。


 この結論から導き出されるのは、一つしかない。


「ーーこれ、多分この光についていけってことだよね」


 現れた光は、スッと進み、竹の林の奥へと続いていく。

 道なんて存在しない。

 ただただ竹が生い茂り、地面には落ち葉と折れた竹の枝が散乱し、明らかに獣道にしか見えないその奥へ。


 正直、疲れそうだし、虫とか出そうだし、服が汚れるのも嫌だ。

 けどーー


「ーー多分、これに従わないと僕はここから出られないんだろうなぁ」


 僕はそう悟って、ため息を吐いた。

 コップをポケットに戻し、光が進んでいく竹の間をじっと見つめる。


 めんどくさい。

 本当にめんどくさい。


 でも、行くしかない。


 その一歩目が、土を踏みしめる感覚をやけに鮮明に伝えてくる。

 背筋を伸ばし、再び光を目で追った。


 ーーまだ終わらないなら、終わらせに行くしかない。


 狐の石像が無言で見下ろす中を、僕は竹林の奥へと歩を進めた。


ーーーーーーーーーー


「ってことがありましたね」


「なかなか衝撃的な出会いだったのね......」


 感動の再会を終え、あの気まずい空気もすっかりなくなったこの空間で。

 そこには、満哉と詠歌が二人並んで、これまであった出来事をゆっくりと話す穏やかな時間が流れていた。


 詠歌が“妖”へと変貌し、“人”としての生を終えたのは今から約十年前。

 まだ二人とも十代前半だった頃の話で、その時止まってしまった時間の分を取り戻すかのように、二人は話し続けていた。

 まだまだ話し足りないことが、顔を見合わせるだけで伝わる。


「私は......そうね、私が死んだあの事件、覚えてる?九尾の眷属が現れて、それを再封印しに行ったあの時のこと」


「......あぁ、そういえばありましたね。俺が姉さんを死んだと勘違いした原因の、あの事件」


「うっ、それは......あの時、会いに行けなかったのは悪かったわ。でも、上の人から“自身の存在を極力秘匿しろ”って言われてたんだから、仕方なかったのよ?」


「......まぁ、はい」


 満哉も納得するしかなかった。

 実際、詠歌の存在が陰陽師の連中や元華族の人間に知られたら、彼女は“消される”か、実験動物として扱われるか、どちらかだっただろう。


 “妖”になるということは、“人”としての枷を外し、概念の一部になるということ。

 つまりーー寿命の消失を意味する。


 彼女の場合は“妖”と“霊”の狭間であるがゆえに、常に存在が不安定で消滅する危険性がつきまとっている。

 だが、もしその不安定さを克服すれば、それは永遠の命を得るのと同義だった。


 いつの時代も、人は“永遠”を求める。

 今もなお、元華族の中には非合法な実験を繰り返し、影で葬られた事件がいくつもある。

 詠歌が上層部から秘匿を命じられたのは、それを見越した懸命な判断だったのだろう。


「その時、一応は封印には成功したんだけどね。残念ながら、最後の一撃で私は死んでしまったのよ」


「......でも俺は、姉さんが“妖”になってでも生きててくれて嬉しいですよ」


「ふふ、ありがと。でも驚いたのはね......死んでから十日後くらいに、私の“妖”としての意識が覚醒した時だったの」


「えっ......?」


 詠歌の瞳がわずかに揺れる。


「その時の私ね、あの再封印した九尾の眷属の記憶を持ってたのよ」


「っ、それって......大丈夫なんですか!?」


「多分、大丈夫......多分、ね」


 詠歌は小さく笑ったが、その笑みはどこか影を落としていた。

 けれど、その表情すら懐かしく、満哉は思わず目を細める。


「......姉さん」


「......なに?」


「また、こうして話せて本当によかったです」


「......私もよ」


 どこかくすぐったい空気が流れる。

 詠歌の口元に浮かんだ笑顔が柔らかく、ずっとこのまま時間が止まればいいとさえ思った。


 ーーその時だった。


「ーー行かなきゃ」


 詠歌が唐突に呟いた。


「......え?」


 次の瞬間、彼女の体から力が全開放される。


 部屋を満たしていた穏やかな空気が、一気に張り詰めた。

 詠歌の瞳がどこか虚を映し、その口からは聞き取れない呪文のようなものが呟かれ始める。


「......ね、姉さん?」


 冷たい風が吹き抜け、鳥肌が立つ。

 直感でわかる。

 詠歌は今、操られている。


「姉さん!!」


 満哉が叫び、吹き荒れる“妖気”の奔流へと駆け込む。

 しかし、一歩踏み込んだ瞬間に吹き付ける暴風が、彼の体を弾き飛ばした。


「っぐ......!」


 視界が揺れ、肺の奥から息が漏れる。

 立ち上がろうとしても、身体が動かない。

 必死に手を伸ばし、詠歌へと叫びかけようとした、その時ーー


「ーーふむ、今代の依代は、割と強いのう...あぁ、こいつはわしを封印したあの娘か」


 その声は、紛れもなく詠歌の口から発せられた。

 けれど、それは詠歌のものではなかった。


「......姉、さん?」


 言葉が震える。

 詠歌の顔をした“何か”が、冷たく満哉を見下ろす。


「ふむ、この依代の弟か。ーー大した強さもない、放置でいいだろう」


 “それ”は詠歌の声で淡々と告げると、満哉へ向かって指を弾いた。

 その刹那、淡い光の粒が一つ、生まれる。


「......え?」


 光が飛ぶ。

 避ける間もなく、それを視認する間もなく。


 ドン、と鈍い衝撃が胸元を叩き、呼吸が止まった。


「あ、ぐ......」


 意識が遠のく。

 崩れ落ちる視界の先で、詠歌の姿をした“それ”は、満哉が倒れるのを確認すると無言で天井を見上げた。


「......さて、封印を解く刻限が来たか。主人を迎える時も近いな」


 瞬間、詠歌の身体が眩い光を放ち、天井を突き破って夜空へと舞い上がる。


 その光の尾が消えていくのを、満哉はぼやけた視界でただ、見送ることしかできなかった。


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