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7話 冗談みたいな日常と、乙女心。


 かなりの大金を棒に振ったレンツォであるからして、今日も今日とて労働依頼に勤しんでいる。

 陽射しを浴びて、土を掘る。子供の頃から馴れた作業である。汗を掻くのも苦ではない。だが、腹は減ってきていた。そろそろ昼休憩も近かった。


「レンツォさーん。お弁当持ってきましたよー。私もお終いですので、お茶の用意をしますねー」

「ちょっと、待っててくれー!」


 間延びしたイラーリアの声に応え、土へ鍬を突き刺して汗を拭った。

 ついでに土埃を払っていると、依頼人である市職員から肘で突かれる。今回の労働依頼はカターニア市内にある公園での植樹であった。


「そのまま休憩入っちまいな。可愛い嫁さんじゃねぇか。大切にしてやんなよ」

「違いますって。下宿先の管理人さんですよ」

「照れるなって。まだなら、さっさと身を固めちまえよ。婚姻は早くて、悪い事はねぇんだよ。そういや、うちのカミさんも昔は……」


 語り出す市職員が鬱陶しくて、そそくさとイラーリアの元へと向かう。彼女は広場の休憩所で野点の用意をしている。

 どうやら言葉通りに今日の配達はこれで終いらしかった。いつもの事だが配達の終いに茶を点てて、一服するのが彼女の休憩時間であった。

 家付き娘にして、下宿先の管理人でもある彼女は前もって依頼をしておけば、昼食の用意をしてくれる。

 範囲はカターニア市内の一部区域に限るが、こうやって自転車を漕いで配達もしてくれた。


「はい。どうぞ」

「ありがとうよ。久々に、お前さんの手料理にありつけるな。楽しみだ」


 このサービス。結構な人気があって、レンツォには中々ありつけない。一日五食までの限定という事もあるのだが、市内での簡単な労働依頼は見習いである紙や、若木向けのものが多かった。


「レンツォさんが街中でのお仕事に就てくだされば、毎日でも、お弁当を用意しますのにー」

「依頼は街のモンばっかじゃないからな。依頼ある所に、冒険者ありってな」


 これは多少の強がりでもあった。錬鉄向けの街中での依頼だと、専門的な知識や技能が必要とされる事が多くなる。レンツォにはそういったモノがあまりなく、得手でも好みでもなかった。

 一応は学府を出たので一般教養程度は持ち合わせてはいる。熟せない訳ではないにせよ、面倒なのである。

 レンツォが基本的に好むのは身体を使う肉体労働であった。そうすると自然に市外や山へと向かうものが多くなる。

 彼が受領する大抵の労働依頼などはイラーリアの配達範囲外での仕事であった。


「冷たいのにしますー? 熱いのにしますー?」

「熱いのを、一杯頼む」


 要するに。あまりイラーリアに料理を頼む機会はなかった。だが、偶にこうして昼食を頼めばレンツォを配達の最後に回してくれていて、お茶を振る舞ってくれている。彼女は茶道を(たしな)んでおり、その淹れる茶も中々美味かった。


「どうぞ。召し上がれー」

「では、頂きます。と」


 一杯の茶をゆっくりと愉しんだ後に箸を手渡され、弁当箱を開けて貰う。これも既に習慣となっている。


「今日のもまた、美味そうだな」


 弁当箱の半分を占める白米の上には梅干しが乗っている。白地に紅。その姿に思わず唾液が溢れる。


「鶏肉がお安かったので、今日の主菜はカラ揚げにしましたよー。レンツォさん、お好きでしたでしょー」


 残り半分には彩りも鮮やかなオカズ達。鶏肉へ衣を纏わせ、サクッと揚げられた大振りなカラ揚げは緑鮮やかなレタスをシーツにして輝く。その隣には金色の卵焼き。寄り添う様に、負けじと赤々としたミニトマトも輝く。脇を固めるのは深緑色のほうれん草のお浸しと、落ち着いた色合いの甘辛く煮た牛蒡の金平であった。


「うん。美味い。カラ揚げも好きだが、俺は君の作る卵焼きが、一番好きかもしれないな」


 レンツォがいつも最初に箸を付けるのは卵焼きである。彼女の作るソレは出汁巻きで、ふぅわりとしていて甘じょっぱい。米にも良く合った。


「もー。お世辞を言っても、何も出ませんよー」


 そう言う割にはとても嬉しそうである。昔から世話好きな女性であった。

 丁寧な仕事を表す様にカラ揚げも下味が効いていて、食欲をそそった。

 大蒜と林檎を使っているのだろう。濃い味付けに酸味が調和していてしつこくない。どのオカズも美味く、米にも良く合った。

 そして、炊き立ての米もまた美味かった。

 イラーリアはとても、料理上手な女性なのだ。


「しっかし、お前さんを嫁さんにって男は、掃いて捨てる程にいそうなもんなんだがなぁ」

「そりゃ、沢山おりますよー。歳の離れたおじ様の、後添いやお妾さんとかですけども。でも、まぁ。もう暫くは、そんな気にはなれませんねー。所詮は傷物ですし。でも、レンツォさんが貰ってくれるって言うのなら、考えちゃうかもですねー」


 イラーリアは家事全般が得意で優しく、気立ても、器量も良い女性であるが、彼女には一点、大きな傷がある。その傷は、身体にある物ではない。

 心と世間体的なものである。

 彼女は婚約破棄をされた、男爵家令嬢であった。



 イラーリア・ルチア=アルトベリ。ネーピ侯爵アルティエリ家の傍流であり、寄子でもあるアルトベリ男爵家の一人娘である。

 六つの歳には王都ロウムの学園へ留学しており、長じては入婿を求めるか、女男爵として家名を背負うべき淑女であった。

 晩婚化が進み、結婚適齢期が上昇傾向にある昨今といえども、女性の二十五は少々焦りの生まれる頃である。


「農家の三男にゃ、男爵様は務まらんだろうよ」

「家は稲作が売りになりましたからねー。農業に覚えがないと、務まりませんので。何も問題ないかとー」

「問題だらけだろうがっ!」


 四代前の男爵家当主に当たるイラーリアの高祖父は、米食に魅了された一人の漢であった。

 米は栽培こそ難しいものの、耕地当たりの収穫量の多さから、古代より可能性を見出されていた穀物である。

 陸稲や水稲などもビタロサのみならず、大陸各地でそれなりに作付けが行われており、多少なりとも稲作や米食の文化があった。

 だが、大陸の広くでは気候や地形が向かず、長い戦災などの影響もあって、主要穀物となるには足りていなかった。


「打倒、ムギ、イモ、モロコシですよー。米こそが、覇権を握るのです。ソバは奥床しいので許します」

「共存させような」


 長年の品種改良から収穫量が多く、滋養も味も良くなった豊富な麦類や、古代ロウム期における大冒険時代に(もたら)された新大陸原産の穀物で、食用の他に飼料用や工業用へも転用されているモロコシ類の一種、同じく新大陸原産の救荒穀物として名高い今ではイモ種の代表などと比べ、米は消費量や生産量において、大きく水を開けられてしまっている。


「何を仰るのですレンツォさん。耕地面積が同等ならば、お米は必ずや奴らを駆逐するでしょう」

「それが難しいんだろうがよ」


 シシリアも土壌や気候こそ一見は稲作に向くが、水田は多くない。というよりもはっきりと少ない。水が、向かない為である。水源が豊富なシシリアであるも、それは霊峰エトナ火山の雪解け水が地下水となって湧いているが為だった。


 エトナは祝福する。

 シシリアを愛し育む者達へ、豊かな恵みを与えた。

 エトナは呪う。

 シシリアへ欲望を抱き侵略せんとする者達へ、無慈悲な滅びを与えた。

 それらはいずれも、ビタロサ統一戦争の後に、現象として齎された慈悲である。


「そんな事はありませんですー。四季と、なだらかで水捌けと地味の良い土壌があり、豊富な水源とがあるシシリアは、お米作りに適した土地なのですよー」


 至極尤もな主張であるが、それは呪われていなければの話だ。現在種籾とされて流通している米は百年程の以前に大陸の遥か東、海を渡ったヤボンから渡って来た品種であった。


「それに、主命なのですよー」

「お貴族様は、大変だよなぁ。百年以上昔の主命を果たすのって、そんなに大事な事なのか?」


 当然です。と頷くイラーリア。

 彼女の家であるアルトベリ男爵家は彼女の父までの四代、使命として稲作の普及に務めている。主君により、任せる。と、命じられたせいだった。

 当時のアルトベリ男爵の仕えたビタロサ王子が、大層なヤボン文化被れであった為である。

 まだ彼が成年を迎えてもいない頃、——当時の成年は十五であった。

 米食を、銀シャリを、寿司をこよなく愛した若き王子は大陸を駆け抜け、海を飛び越えて、当時は鎖国をしていた黄金の国と呼ばれるヤボンへと渡った。

 開国を迫る為である。ヤボンとの貿易は当時の大陸の悲願であった。

 紆余曲折を経て、彼の目的は達せられている。

 そこで持ち帰ったのが美味しいお米の種籾と、最上大業物と謳われる二振りの刀。そして日の巫女と称された、ヤボンの象徴である皇の、その息女であった。



「私の高祖父は、「美味い米を腹一杯食いたいな。我が国でも、作るか」と、仰られた、ガイウス王に託されたのです」

「それで、気候や地形が稲作に向いているシシリアへ入植したんだっけか。貴族の忠義ってのも、大概だよなぁ。そんでもよぉ、お前さん迄、苦労を背負い込まなくても良いんじゃねぇか?」


 その主命が為に、代々を王家の直轄領での代官として務めた富裕なアルトベリ男爵家はイラーリアの父の代では傾いている。家財も底をつき、多額の借金を抱える貧乏男爵家となっていた。

 農政とは金も時間も掛かるものなのだ。地味な研究家気質であるイラーリアの父に、金の工面やパトロン探しの才は乏しかった。


「苦労なんて、何もしておりませんがー?」


 朗らかに笑うイラーリアに、レンツォは肩を竦める。

 そんな筈はない。レンツォがカターニアの学園へ入学した春、イラーリアもまた庶民が就職を目的とする学園へと入学している。

 救世主の聖誕祭である年末の祝祭で、婚約破棄をされたという醜聞を背負って。


 彼女に瑕疵があった訳ではない。寧ろ、非は元婚約者方にあった。彼の家は庶民であるが富裕な王都の商家で、権威付けの為に貴族籍との縁を求めた。

 貧乏な田舎者だが、格式はあるアルトベリ。経済的に援助が必要な貴族と、権威の欲しい商家の利害が一致した。


「彼も悪い人ではありませんでしたし、好きな人が出来たのなら、仕方がないでしょう」


 同じ学舎に通い、仮成人にて婚約を誓約し、成人と共に夫婦となる。

 ありふれた過程を積んで、家庭となるべく男女はしかし、すれ違った。歳を重ねて今更ながら分かった事だが、社会にも出ていない十代など若過ぎる。幼かったとも言い換えても良い。


「家同士の婚約がご破産となったのは残念ですけど、彼はパン派でしたしねー。良い家庭が築けたかといえば、少々疑問は残りますよ」


 伝聞でしかないが、イラーリアは農業や経済などを良く学んだようだし、長じて学園でも優秀であった。恋愛にうつつを抜かす事もなく、程々に社交に出ていて、婚約者との関係も、そう悪いものではなかったそうである。


「だが、婚約者がありながら他の女に目移りし、公衆の面前で女性を悪様に罵って晒し者とするなど、紳士の態度ではない」


 彼女の元婚約者は学園で出会った少女に惹かれ、通じた。

 倫理的には浮気であり、社会的には不倫であった。それ自体は若気の至りとされて、さして問題視はされていない。

 唯一神教は貞淑を尊ぶが、一般社会では自由恋愛が認められている。それは自然な欲求で、止められるものではないからだ。

 婚姻という名の契約が結ばれたとはいえ、世間では心通じ合わぬ夫婦など珍しくもないし、不貞などだって当然あった。

 だが、大人は取り繕うものだ。彼我の立場や利害を考えて、恋という名の病を秘するものである。

 そういった物事が社交性であり、また、社会生物としての人類種には必須技能でもあった。


「別に、私は、他に愛する人がいても構わなかったんですけどねー。彼女は、愛人や妾という立場には我慢ならなかったのでしょうけど。まぁ、愛する人と一緒になれたのですから、なんとかやれるでしょう」


 婚姻は公的な関係である。対して愛人や妾は私的な関係であった。神聖な契約を基軸とするので、婚姻による利益は大きい。当人同士で成り立つ恋人の様な、あやふやな関係とは違って。


「不利益を被った君が、気にする事ではないだろう」


 一般論であるが、婚約破棄は誓約に背くものだ。双方の家族に対する裏切りであり、【決闘】で済むならまだ穏当で、大抵は家同士の戦争の火種にもなる。であるので、滅多にある事ではない。

 社会通例上では、当人達のいずれかに大きな瑕疵がある場合でなければ有り得なかった。例として挙がるのは、目に余る不貞や、犯罪などである。

 婚約破棄を主導したのは恐らく浮気相手なのだろうと、心ある者達は見ていた。

 単純な話で、それをした所でイラーリアの元婚約者には何の利益もないからだ。どころか、不利益の方が余程多かった。


「んー。真実の愛ってものにも興味がありますし、気にはなりますよー。子供も、もう三人もいるそうですしねー。幸せな家庭を築いているならば、それで良いのですー」


 事情を知る者達は彼女に瑕疵がないだろう事は知っていた。だが、貴族子女社会は弱肉強食で、婚活における競争相手が減る事は有益であった。


「家はどうするんだよ。いつまでも、独身貴族じゃマズイだろう」

「ですから、レンツォさんが貰ってくれるなら、何とかなるかなーと。ダメなら、養子でも取りますけど」

「俺は、お前の立場を考えてだなぁ……」


 不服申し立てや司法に頼る事もせず、イラーリアは婚約破棄を受け入れて、傷物と呼ばれていた。

 世間とは薄情なもので、結果論でしかないが婚約破棄をされている以上、犯罪や不貞があったのではないかと疑われるのも無理からぬ事だった。

 高度に情報化された社会では事実や真実よりも呑み易く、都合の良い情報に踊らされるものなのだ。そんな彼女に、まともな縁談など来る筈もなかった。


「まぁ、暫くはお米優先ですので、婚姻はまだまだ先ですねー。なんとしても、アルトペリ米を作ってみせますよー」


 百年を掛けて田植えを続け、また気候風土に合う様に品種改良を行って、米は僅かずつだが収穫される様になっている。作付面積からすると物足りない収穫量であるものの、呪いのせいなので仕方がなかった。

 とはいえ、手間こそ掛かるが生産の途中で浄化や解呪を用いれば、生き残る稲もある。百年前と比べ、その量もかなり増えていた。呪いが弱まった訳ではないが、外来種である米を、エトナは受け入れ始めている。


「実際のところ。野良仕事と解呪なんかで忙しくて、家庭なんて維持出来る気はしませんてー」


 稲作は重労働である。資金も家人も乏しいアルトペリでは人を雇ってという訳にもいかず、一家揃って野良仕事に精出していた。規模も小さく浄化や解呪の必要もあるので、地道な手作業となっている。


「まぁ。俺達もまだ、若いんだし、おいおいな」

「お互いに、三十までにお相手がいなければー。の、約束ですよー」


 軽口を叩くイラーリア。

 いつからだか、彼女とは、そんな口約束をしていた。いつもなんとなく側にいる学園生時代からの女友達で、気の置けない関係だ。


「そっちが平気なら、別に構わないんだけどな」


 気に掛けはするものの、レンツォにもまだ、婚姻を結ぶつもりはない。相手がないならば、イラーリアの言う様に、彼女と婚姻を結びたい。と、思うくらいには、イラーリアは魅力的な女性でもある。だが、まだ早い。レンツォは目標を達していない。


「『英雄』のお嫁さんならば、箔も付くってものですよー。応援していますからねー」


 銅板に記されし者。『英雄』の入り口でもある、銅位階と認められる事が、レンツォの目標であるからだ。

 一般論でしかないが、家庭を持てば出費が多くもなるし、危険を伴う冒険は難しくなる。それなりの生活を求めるならば、稼ぎが不安定な専業冒険者ではいられなかった。


「まぁ。三十までに目標が叶えられないならば、就職して、身を固めるつもりさ。俺だって男だ。夢くらいは見たいんだよ」


 専業冒険者は仕事に融通を付けやすい。

 通常の労働のみでは四十年程勤め上げ、ようやく認められるのが銅位階である。だが冒険者であるならば、公共の利益になる事績や実力が伴っていなければ成し得ない仕事を積極的に請け負えば、大幅に短縮出来た。鉄位階から、そういった依頼を十年弛まず続けていれば、早くに『英雄』と認められる目もあった。


「専業冒険者の、三十歳定年制ですねー」


 イラーリアは揶揄う様に笑った。

 あまり多くもない専業冒険者であるが、三十を過ぎての専業は、更に希少であった。大陸では十八の成人で冒険者登録を行う事が多い。大抵の冒険者達は、このままでは食ってはいけぬと身の丈や身の程を知り、現実と折り合いを付けて正業に就く歳がこの頃だった。

 こういった実情を揶揄して、冒険者三十歳定年制とも呼ばれている。


「実際、ちゃんと働いている奴らには色々差が付けられちまってるからな。夢を追った分だけ出遅れて、人生を台無しにする訳にゃ、いかんだろ」

「就職しても、冒険者としての経験は生きますし、人の縁なんかも大事ですからねー。やるだけやって、後悔の無い様に生きるのが、一番ですー」


 レンツォには米作りという好きな事を、好きな様に続けるイラーリアが眩しい。

 もしも軽い口約束が現実となった時、胸を張れぬでは情けないではないか。とも思う。だから、日々を精一杯に、誠実に堅実に。


「ご馳走様。今日も、良い味だったよ」

「お粗末様でしたー。お米の力ですよー」


 お弁当を平らげて、また淹れてくれた茶を啜る。

 割高になりがちな米を、好きな時に、好きなだけ食べられる様にしたい。それが彼女の目標で、アルトベリ男爵家の悲願でもある。

 だが、実り始めたとはいえど、農業には金も時間も掛かるもの。最悪は養子を取るなどと言ってはいるが、不利の多い稲作へ彼女程に情熱を捧ぐ者は稀であろう。

 想いを次代に繋ぐ為に、どの様な選択をするのか。レンツォにも興味があった。

 悪戯心に、下世話な冗談が口に出る。


「まぁ。あれだ。抱かせてくれるなら、婚約の誓いをしても良いんだが?」

「そういう事は、婚姻を結んでからするものですよ」


 いつもの間延びした口調ではなく、鋭い一言で斬って捨てられる。こういった所も小気味良い。


「冗談だよ。大体よぉ。お前さんには、今一つ色気ってもんが足んないんだよなぁ……」

「デリカシーのないレンツォさんですねー。そんなんだから、モテないんですよー」


 レンツォの好みは色気のある、胸も尻も大きな女性である。

 イラーリアはどちらも標準的なサイズであった。邪魔だからと、髪も短くしている。日頃から野良仕事に勤しんでいるせいか、肌も健康的に日焼けしていて、色気はあまりなかった。


「お米作りも大事だが、お貴族様にゃ、お子作りも立派な仕事だぜ。もしも約束が叶うなら、俺とそういう事をする様になるんだよ。言っておくが、俺は結構凄いぜ。そういう覚悟もしておくこった」


 イラーリアへ冗談とも本気ともつかぬ話を続ければ、彼女の顔は朱に染まる。相変わらずの初々しい反応だった。潔癖で、貞操観念の強い女であった。

 こういった所が、婚約破棄された理由なのだろうなとレンツォは考えている。

 正直な話、十五歳前後の男など、やりたい盛りの猿である。自分がそうだったので、良く知っていた。それを頑なな態度で拒まれれば、他の女へ目移りもしようともいうものだ。

 件の彼女の元婚約殿の恋人は、その頃には既に身籠っていたそうである。だからこそイラーリアは事を荒立てず、穏便に身を引いたのだろう。


「大体は、自称凄いは大した事ありませんけどねー。でも、そっかー。レンツォさんとですかー。全然、想像がつかないのですけどー」

「安心しな。それは俺もだ」


 生意気にも反撃してくる彼女へ言ってやれば、ぬぐぐと可愛らしく唸っている。

 若過ぎて性欲に負けた彼女の元婚約者殿を、レンツォは心底哀れんだ。

 色気のない、身持ちの硬いお米バカであるがイラーリアは可愛らしく、確りとした佳い女だと知っている。


「ですから、デリカシー」


 どんな困難に対しても、軽いノリで、のんびりと立ち向かうのだろう。長い人生である。苦楽を共にするならば、そんな相手が良かった。


「さ。そろそろ休憩も終わりだ。気を付けて帰れよ」

「頑張ってくださいねー」


 片付けをして、手を振る彼女へ片手を上げて応える。

 昼食から戻って来た市職員が何台もの荷車に乗せられた、幾本ものサクラの成木達を見ていた。これらを植えれば、今日の仕事も終わる。



「おーい。兄ちゃん! 頼んだぜ!」


 市職員が声を掛ければ、はいよー。と、レンツォは大きな返事をし、強化を発動させながら荷車へ向かった。

 その逞しい背中を、イラーリアの視線は追っている。学園生時代から変わらない、頼もしい背中を。




 イラーリアが婚約破棄をされ、あえて王都に居る意味もなくなって、帰って来たのが故郷であるカターニアなのは当然だった。

 時間も準備も不充分であった為に、取り敢えずで入学した学園だったが、彼女にとって、決して居心地が良い場所ではなかった。

 噂話に実に盛大な、尾鰭が付いていたからである。


 どうも、イラーリア・ルチア=アルトベリ男爵令嬢は、大人しそうな顔をして、誰にでも股を開く、多情な淫婦であるそうな。

 王都での度の過ぎた男漁りを見咎められて、婚約破棄をされたのだ。とも言われている様だった。

 そんな阿保な噂話を間に受けた猿(男子学生)共が、彼女へ言い寄って来るのだから、辟易するのも、さもありなんである。

 女学生の多くからも噂の真偽を測りかねている様な、微妙な距離を置かれていた。

 仕方がなかった。この学園は就職の助けとするもので、男爵家という下位とはいえ、貴族の出自の者は他にいない。

 そういった醜聞を口にするだけでも争いとなるのが貴族であるのだが、蓋をする様な規律もなければ、共有する常識やマナーもなかった。

 貴族と庶人とは文字通りに、住む世界が違うものなのだ。

 それに、噂の出所なぞ想像に難くない。元居た学園では彼と彼女以外に、根も葉もない妄言を吐く様な、慎みに欠けた者はいなかった。

 恋は盲目などとは、良く言ったものである。

 調べればすぐに分かる事なのに、虚言によって、自らの正当性を主張しようなどという愚行を犯すなど、呆れて物も言えないものだ。

 イラーリアは心底から、今回の婚約破棄には感謝していた。長い人生を共に過ごすには、彼は愚かが過ぎる。

 なので、男子学生達からの下世話なお誘いは丁重にお断りし、下卑た陰口などは黙殺するのも、当然の処世術となる。

 彼女は元々、自身の風評にあまり頓着しない性質であるし、稲作という確かな目的がある。そんな事で揺れる様な、脆弱な精神をしてはいなかった。



「それって、土壌改良の新論文だよな? 頼むっ! 読み終えたら、貸しては貰えないかっ!?」


 切っ掛けは、そんな言葉だった。イラーリアは趣味と実益を兼ねて、本を読む。

 農業には日々、新たな知見が生まれている。それらを貪欲に取り込む事で、米作りに活かせはしないかと考えるのが彼女の趣味である。

 家の悲願にも通じる事なので、実益なのも当然だった。

 授業の合間に会話を楽しむ様な友人を作るつもりもないので、学園での読書はとても捗るものだ。


「構いませんがー。えーと……」

「おお。悪い。俺はレンツォだ。エンナの農家の三男坊で、州兵を目指している。アルトベリ嬢の家も、農家なのか?」


 入学後、数日経った頃だった。授業の合間の読書をしようとしていると、そんな言葉を掛けられた。


「レンツォさん。もしよろしければ、お譲りしましょうかー? この論文、実は家に三冊もあるんですー」


 なんだと? と色めくレンツォ少年だった。

 何故、同じ書籍が三冊もあるのかは単純だ。彼女と両親達それぞれが、同じ様に興味を惹かれて購入した為である。団欒の時間に、良い本を手に入れたのだと、それぞれに持ち寄った物でもある。

 それらが全て同一である辺り、実に似た者家族であった。


「ぐっ。だが、流石にタダという訳には……」


 笑いを堪えたレンツォ少年が逡巡している。真面目な性格なのだろう。提案は嬉しいが、対価の用意がないとの事だった。

 そんな、こんなの問答をしていれば、段々と思い出してくるものである。

 このレンツォという少年も、少々ではあるが浮いていた。

 ここは就職の為の学園で、カターニア近郊の商人や職人の子が多く通っている。

 義務教育を終えた農家の子供は進学したとしても、大抵は地元の学園だ。

 あまり留学して、大都市の学園へ通う子はいなかった。

 偶々であるがイラーリアと同じくして、他にいない境遇となっている。

 それに、彼は旧アルトベリ男爵邸を下宿先としていた。

 男爵家がまだ裕福であった入植当時に建てた屋敷であるが、昔は騎士団を抱えた為に部屋数も多く、今では家族三人で住むよりも、下宿として家賃収入を得る方が経済的であった。

 なお、現在のアルトベリ一家は唯一神教会提供の集合住宅にて起居している。少々手狭ではあるが、格安であった。


「そういえば、レンツォさんは我が家の店子でしたねー。大工仕事はお得意でしてー? 対価としては、屋敷の修繕のお手伝いなどをお頼み出来ればとー」

「任せてくれ。力仕事は嫌いじゃない」


 彼は農家の三男坊である。農業を継ぐ事はないので、どこかへ勤めねばならない。なので、様々な知識や技術に触れる様にしているそうだった。

 なんでも、目標の第一は州兵であるが、徴兵からの正式入隊は難関らしく、色々な仕事を覚えるのは保険でもあるようだ。

 実に堅実で、地に足の着いた考え方だった。


 そうして幾許かの交流が始まれば、中々話の判る少年であった。

 噂話には疎いのか、色眼鏡で見る様な事もせず、穏当な態度をしていた。

 特にイラーリアが気に入ったのは、彼女の様な机上の空論ではなく、実際の農業を識る事だった。

 とても積極的な少年で、学園の空き地を借りて、畑を造ったりもしている。

 土弄りを体験させてくれたし、アルトベリの水田に興味を持って、家の野良仕事を手伝ってもくれていた。

 イラーリアが野良仕事にも出る様になって、伸ばしていた髪を短くしたのがこの頃だった。

 その長い髪は、野良仕事には向かないぞ。と、言われたからである。


 気の置けない男友達。そもそも友人のいないイラーリアの認識において、そんな存在となるのは自然な流れであった。



「胃袋くらいは掴んでおかないと、安心出来ません。レンツォさんは、無自覚たらしですからねー」


 つい背中を見送って、溢してしまうのも仕方がない事だった。

 彼は悪ぶって下世話な冗談などを口にするものの、意外に紳士である。それが、父や祖父にも聴かされた、州軍の流儀なのだろう。

 なんとなく、側にいて、なんとなく、心が通じ合う。二人がそんな関係となるのに、そう長い月日は必要なかった。

 そうなると、人の心とら面倒なもので、好奇心や嫉妬心などが浮かぶ事になるものなのだろう。

 精悍で、生真面目な兵を志す少年は学園内でも人気者になっていく。心寄せる女生徒なども出て来て、お節介にも、関係の近いイラーリアの醜聞などを囁く様にもなった。彼は取り合わなかった。



「なぁ。イラーリア。お前さんの評判、凄く悪いぞ」

「無神経な人ですねー。レンッォさん。そういう事、本人に言います?」

「いやさ。お前さんも否定しないから、無責任な噂話が流れるんじゃないのか? 迷惑してるんだろ?」


 こうやって、遠慮がないのがレンッォ少年だった。

 割と気軽に、人の事情に踏み込んで来るのだが、あまり不快感はない。正論であるし、困っているのなら、力になるぞ。という気持ちが溢れているからなのかもしれない。


「愉快なものではありませんが、実害があるものでもありませんしねー。そりゃ、嫌がらせとかをされたら抵抗しますけど、陰口くらいじゃ、気にしませんよ」


 素気無く袖にした事により、バカな男連中に言い寄られる事は減っていた。替わりに都会の軽薄な男が好みな、下手物喰いだとの陰口が加わったものだが。


「だが、放っておいたら、差し障りがあるだろう」


 彼は田舎者で学も知識もないとの自覚の為か、良く人に話を聞き、学んだ。

 そこでイラーリアの立場や経緯を知ると、お節介にも気にする様になった。その癖に、そういった目では見てこない。根も葉もない中傷だろうと断じて、ごく普通に接された。


「差し障りがある様ならば、いずれレンツォさんにでも、貰って頂きましょうかねー。気にされて、おられない様ですし」

「はぁ?」

「ですからー。後継が必要になりそうなら、レンツォさんで、妥協でもしておこうかなーと」


 それは只の冗談で、軽口だった。貴族やその子女の役目などを知った彼は、事あるごとに、イラーリアの不名誉を回復しようと頑張ってくれていた。別に望んでもいないのだが、悪い気分ではなかった。


「そうだな。三十になっても、お前さんにお相手がなければ、構わんぞ。お前さん程、佳い女は中々ないだろうし、俺も三十までは、結婚するつもりはないからな」

「ならー。お互いに、三十までにお相手がなければ、妥協婚しちゃいましょうかー。あ。勘違いしないで下さいね。あくまでも、妥協ですよ。妥協」


 彼は真剣な顔だった。その時が来れば背負おうという、覚悟の籠った表情で。

 それに、イラーリアの女の部分が疼いた。する事はないだろう。そう思っていた気持ちが溢れる。

 誰が言ったか、ソレはするモノではない。堕ちるモノなのだと。

 確かにこの瞬間に、イラーリア・ルチア=アルトベリは、恋に堕ちた。


 ——多分だけど、彼は私の恋心には気付いていない。


 それでも、良かった。なんとなく、側にいて、何かあった時に、僅かにでも力となれるなら。

 何気ない日常を送りながらも、無茶をする想い人の無事を祈る乙女であった。

 もう十年が経っている。約束の時までは、あとは五年。

 それまでに、誰にも身を触れさせる気はないし、彼の為に、身に付けたい事も沢山ある。

 恋する乙女イラーリアはそんな気持ちを、お首にも出さないでいる。


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