4話 冒険者組合での日常。あるいは、珍しい一幕。
投稿してみると、感想とかダメ出しとか欲しくなりますね。宜しくお願いします。
「レンツォさーん。そろそろ起きてくださいなー。お掃除しますので、邪魔なんですー」
目を覚ましたばかりのレンツォの頭に姦しい声が響いた。少し待ってくれと怒鳴った彼は急いで身嗜みを整えようと起き上がる。
そこで、下腹部の違和感に気付いた。
違和感というのは正確ではない。
下半身のある部位に血が集い、硬化するのは健康な男性にはごく普通の事である。毎朝のそれは既に日常であり、まったく異常ではなかった。
「早く起きないと、お外に出しちゃいますからねー」
「ま、待てっ! 少しだけ、待ってくれっ!」
異常であるのは現在の状況だけである。実に珍しい事に、レンツォは寝坊をしたのだ。当然ながら、飲み過ぎたからだった。
兵とは規律正しい生活を送るもので、志していた彼も基本的には規則正しい生活を送っている。朝は日の出前には目覚めているのが日常だ。
股間の硬化は時間を置くか、自己処理をしてしまえば収まった。
イキリ勃ったモノを世間様へ晒すのは風紀的に良くないものである。レンツォは常識的で良心的な男であった。
「もー、待てません。開けてくれないとー、おっぽり出しちゃいますからねー」
「ま、待ってくれ。今はマズイ。た、頼む、他の部屋を先にしてくれっ!」
その声は殆ど悲鳴である。
「何を言ってるんですかー。もうお昼近いんですよ。後はレンツォさんのお部屋しか残ってませんよー。開けてくれないならー、勝手に開けちゃいますよー」
「ま、待て!」
それは尊厳の問題である。さっきからレンツォのそれを脅かしているのは、下宿先の娘さんであった。
その彼女は彼の同級生で、学園卒業後には家付き娘として所有する家屋の世話をするのが仕事となっている。
そして、開かれる扉。男女二人の悲鳴が重なった。
すったもんだの末に、部屋を追い出されたレンツォは冒険者組合へ来ている。
依頼票を眺めるも、目を惹くようなものはない。
既に大分日は高くなっており、安息日でもあるこの日、目星い依頼は翌日以降のものばかりとなっていた。
「やぁ、やぁ、レンツォ殿。奇遇にごさるなぁ」
声を掛けられて、振り返る。そこに居たのはグフグフと笑う太った男。パツパツの厚服の上から革鎧を纏い、油ぎった長髪を靡かせる不審者だった。
「セッシさん。お久しぶりです。ご壮健そうで」
「貴殿も元気そうで何よりでござる。近頃のご活躍は聴いておりますぞ。それにしても、早起き三文とも呼ばれるレンツォ殿が、こんな遅い時間にとは、珍しい事ですなぁ」
「某、寝坊してしまいまして、おっぽり出されたのです。それにしても、この時間ともなると依頼も寂しいものですな」
レンツォはセッシとは顔見知りである。見た目こそ不審であるが、黄金位階という実力者だ。彼は一線を退いた四十半ばとなる冒険者で、レンツォが冒険者に成り立ての頃から既に、 戦闘訓練を教導している講師でもあった。
「安息日ですからな。毎日忙しなく働き回っておられるのだろ? たまには、のんびりとしては如何か」
「そうする事になりそうです。しかし、何をすれば良いのやら……」
苦笑するレンツォが好むのは日雇いの労働依頼で、朝に請け負い、夕暮れには終わるものだ。
その後の余暇を鍛錬や学問、情報収集などに充てるのが日課であった。それらは彼なりに密度を濃いものとしているので、空いた時間に組み込むのは負担が大きい。そうなると、空いてしまった時間の使い方が見つからない。
「まぁまぁ。組合内を眺めているだけでも情報収集にも、良い目の保養にもなりますぞい。ほれ。茶店で好きな飲み物でも買ってきなされ。拙者のは、冷たい緑茶で頼みますぞ」
紙幣を渡される。奢りらしかった。セッシは組合の受付達や女冒険者達を眺めてニタニタしている。レンツォは「ご馳走になります」と断って、組合内にある喫茶店へと向かうのだった。
まだまだ小僧扱いか。変わらぬ師の態度に安堵を覚えた。
昔の話であるが、セッシは州兵を志すレンツォに目を掛けてくれていた。ど素人であった彼に戦闘の基本を仕込んでくれた師でもあり、冒険者や兵としての心構えなどを彼からも教わっている。
彼には良く、講習の前後などにお使いに出されたもので、良い歳をしたレンツォは当時を懐かしんでいた。今となれば、セッシの細やかな気遣いが判る。
田舎であるエンナからやって来て、十五で冒険者登録をしたレンツォは金欠だった。両親からの仕送りで暮らしていた学園生なのだから余裕がなく、飲み物や食べ物を自由に買う真似など、とても出来はしなかった。
労働依頼も平日は学園があるので、短時間のものしか出来ない。
冒険者証明があるだけの何の能も経験も無い学園生に出来る仕事など、単価の安いものしかなかった。
これらは小遣い稼ぎを目的とした普通の学園生であったのならば充分であるが、レンツォには州兵になるという目標があった。
冒険者登録はその為の手段であり、労働依頼による収入だけが目的ではない。
兵として、冒険者としてある為には何が必要となるか。
心と力だと、彼は考えた。
心の方は己を見失わず、学問を積み知見を広めていけば問題はないという自信があった。
ところが力となると、課題は山積みである。
平凡な農家の三男であるレンツォには戦闘経験は愚か、本物の武器を握った経験すらない。術式への造嗜も深くなく、あるのは農作業で鍛えられた頑丈な身体だけだった。
それを補うのが組合の講習だった。
武器の扱いを学び、戦闘訓練を受けて肉体を闘う者へと鍛える。それには纏まった時間が必要となった。
更には装備だ。
装備の性能は重要な要素となる。手に合う良い装備を揃える必要があった。
そういった物品は高額で、例えば数打ちの武器であっても一般的な労働依頼での日当では、十日分程が必要となる。
いわんや強力な武器防具、術具などとなれば価格は青天井であり、標準的な装備でも、一揃えを用意するのには結構な大金が必要となった。
そういった事情から、当時のレンツォは金欠であったのだ。
訓練と実用を兼ねて、最初は数打ちの斧を用意した。次に盾。そして防具といった具合に必要に応じて少しずつ、その質を上げていった。
稼いだ報酬をそう使うのだから、倹約しない筈がない。
とはいえ、当時は食欲旺盛な若者だ。いつも腹を空かせていた。
飲む物も組合や教会などに無償で置かれている聖水ばかりであった。
レンツォにお使いの名目で飲食を楽しませてくれたのが、師であるセッシだ。
その優しさには、今でも感謝をしている。
「お待たせしました。セッシさん。良ければこちらも摘んでください」
冷たい緑茶と一緒に差し出したのは甘い蜜の掛かった団子である。セッシは非常な甘党だった。
「デュフフ。これはこれは、かたじけない。そういえば、三番通り沿いにある焼き菓子店に、新作が出ておりますぞ。女性に人気と聞きますし、帰りにでも、寄られてみなされ」
見た目は不審者そのものであるセッシであるも、気遣いの出来る大人だ。それなりの常識はある。だが、釣りを受け取った事がない。
いつしかレンツォはお使いの駄賃だと言い張る彼へ土産として、甘味を買ってくるようになった。
共に楽しむ為である。彼も甘味は嫌いでない。寧ろ好きな方だった。
「ま、ま。掛けなされ。某と一緒に、組合内に咲き誇る花達を愛でましょうぞ」
彼の言う花とは受付を初めとする組合職員や、容姿の佳い女冒険者達の事である。セッシは講師をしていない時にも頻繁に組合内部へ入り浸っている。
それは趣味の為だった。彼の趣味は見抜きである。
三度半振れば逝く。旺盛な煩悩と、鍛え抜かれた神速とも呼ばれる手技が、それを可能としている。
レンツォの師にして、組合の戦闘講師でもある、黄金位階の冒険者。三擦り半のセッシはその特徴的な容姿だけでなく、言動全てが立派な不審者であった。
「控えてくださいよ」
「わかっておりますぞ。拙者、歳を取り申してな。無駄撃ちは、せん主義となりました。グフフ」
その性癖以外は立派な冒険者なのだが、それが故にか、彼の講習は質が高くとも人気が低かった。女性冒険者達からは特に。
「そういえば、セッシさん。本日の講習はお休みですか?」
レンツォは組合内の女性達を視姦し続けるセッシと共にぼんやりとしていたが、ふと、思い付いて尋ねた。
「グフフ。休憩時間でござるな。拙者、ここ暫くは、安息日の講習は夕刻からしか行っておりませぬ。まぁ、元来が人気のない拙者の講習ですからな。多少サボった所で、どこから苦情が来るものでもありませんぞ」
年齢を重ね、体力的にキツくなってきたのであろうか。
昔は安息日には一日中講習を行っていたものだ。安息日であるからこそ、時間に融通が効き、鍛錬に打ち込めたものだった。
「最近は学園でも講習を行いますからな。大抵の若者は成人まで学園通いをしますので態々、安息日にまで励もうという物好きは、あまりおりませんのですぞ」
世相の変化というものか。義務教育期間を終えたからといって、即社会に出るという若者は、ほぼいない。
学府へ進学せずとも仮成人からの数年間を学園で学び、社会に通用する実力を養うなり、学府へ進学するなりするという家庭が増えていた。
それに合わせる様にして、学園の教育方針もより実践的なものとなっている。
進学校でも、レンツォの通っていた学園のようにして、戦闘講習などを授業へ織り込むようになった。
新米向けである組合の講習は相対的に価値を落とす事となる。熱心な者もいるにはいるが、安息日の講習には往時程の賑わいは無くなっている。
「それにですな。ここカターニアでは、安息日の午後に、女神様が顕現されるのでござる。女神様を拝む為にも、某、午後の講習なぞ、しておられませんぞい」
「は?」
寂寥感を覚えたレンツォに、謎発言をぶっ込むセッシであった。「何を言っているのだ?」と問い返そうとしたその時。
「アンナ。本日の牛乳配達による巡礼を終え、無事、冒険者組合へと戻りました。皆様、ただいまです!」
「キター」
組合の扉が開き、幼い声が響いた。続いてセッシによる野太い悲鳴が上がる。そして組合内部には「お帰り」やら、「お疲れ様」やらの、多くの挨拶が溢れた。
扉を開いたのは、小さな女の子。動き易い地味な厚服を纏い、金の髪を高く括って結っている。彼女は小さく華奢な体躯で、姿勢良く淑女の礼をしていた。
「おかえりなさい」
その彼女へ、受付から、一際耳に響く声が掛けられた。受付に座るアリアのものだ。彼女はレンツォの一つ下の組合職員で、ソフィアとジュリアの姉である。つまりはアルティエリ家の令嬢だった。
「ほらほら。依頼は達成報告までがお仕事だよ。おばちゃんが一緒に並んであげるから、今日の大冒険のお話を聴かせておくれ」
年嵩の女冒険者が、はにかむ女の子の手を引いて受付へと並ぶ。嬉しそうに微笑む少女。否、幼女。
白い肌は汚れなく柔らかで、高揚を伝えるかのように薔薇色に染まっている。よく見れば、左右の紫瞳の色彩が微妙に異なった。それは妖しくも神秘的であり、また幼くとも目鼻立ちは寒気がする程に整っている。
造りだけで言うならば、傾国の美貌と呼んでも差し支えはなかった。
「今日は新しいお客様がいらしたんです。配達の時にご家族で迎えてくださってくれて、三つになる娘さんにも、「おねーたま。よろちくね」って言って貰えました! すっごく、すっごい可愛かったです!」
だが、コロコロと表情の動く美幼女は元気いっぱいで、大好きだよ。愛しているよ。という感情を隠さない。
お話する事が楽しくて、話を聴いて貰える事が嬉しそうだった。まるで陽だまりの下、薫風のような、暖かく心地良い気配を醸している。
誰もが幸せそうに、愛しそうにして彼女を見ているのだ。中には感極まったかのように、咽び泣く年配の者達がいる。だが、それも喜びから来るものだと感じられた。
——俺は今、一体何を魅せられている? なんだあのアリアの緩みきった表情は。あんな表情、ソフィアやジュリアにだって滅多にしないぞ。おい。そこの破落戸や碌で無し共。お前ら強面で通ってなかったか? なんだその慈愛に満ちた視線は。お前らの視線はもっと下衆いヤツだろう。何、後方理解者面してやがる。冒険者組合ってなぁ、もっと殺伐としていて、女子供は黙って引っ込んでいろって風な、ヒリつくような空気でだなぁ。いや、なんだココ。なんで組合内部がほっこりとした、幸せ空気で満たされてんの?
レンツォは盛大に混乱しており、思わず精神抵抗を行う強化術式を発動している。まったく意味はなかった。
どう考えてもこの元凶はあの少女であると看過したレンツォだ。彼女へ向けて注意を向ける。
すわ魅了系の異能者か。あの見た目は実は擬態で、強大な術師なのかとも疑った。
冷静でない彼には自身よりも遥かに優れた術士達が魅了されていて、自分が影響を受けていないという、明らかな矛盾には気付けない。
組合の奥の方からは、なんか物凄い情念が漂ってくるのも怖かった。
だが、レンツォの心は力無き者を護る為の牙。州兵である。
恐れるな、侮るな。と心を強く持ち、幼女観察を行った。物凄く綺麗で可憐であり、とても可愛らしい。
使命感に燃える彼の視線は傍から見れば、隣に立つド変態と同じものである。
その視線に気付いたのだろう。幼女は此方を向いて首を傾げる。そして隣にいるセッシに目を止めて、コクリと頷いた。ニコニコしている。
幼女は隣で手を引く女冒険者に頭を下げて、トテトテと歩きながら近付いてきていた。やがて、彼女はタンと音を立て跳んだ。
「セッシおじ様! アンナは今日も巡礼をちゃーんと終えましたよ! 褒めてくださいましっ!」
「おう、おう。よく頑張りなさったな。今日も一日、お疲れ様でござる」
キャッキャとセッシに飛び付く美幼女。不審者は満面とも言える笑顔で、幼女をくるくると回す。
「ちゃんと食べてるでごさるか? ちょっと、軽すぎますぞ。もっとお肉を食べなされ」
「もうっ! おじ様まで、トトみたいな事を言うのね。でも、おじ様はお肉と甘味を取り過ぎでございますよ。病気は怖いものですからね。お野菜も、ちゃんと食べないとダメです」
「グフ、グフ。善処するでござるよ」
メッとする幼女を降ろす不審者。彼はとても幸せそうである。一方で、地に降りた彼女はレンツォに向き直る。そして淑女の礼をした。
「初めまして。でございますね。お兄様。ごきげんよう。お騒がせして、申し訳ございません。私、アンナと申します。ここカターニアで認められた、冒険者の一人にございます。どうかお見知りおきを」
綺麗な所作のご挨拶だ。幼女は首に下げているブローチの中から紙の冒険者証明書を取り出して、自慢気に微笑んでいた。
「お、おう。錬鉄のレンツォだ。セッシさんには昔お世話になっていて、今も良くして貰っている」
レンツォによる自己紹介に、まあ! と瞳を輝かす幼女。ソフィアとジュリアに自己紹介した時も、こんな反応だったな。そう思い出したレンツォは今、とてつもない重圧に晒されている。背中には冷たい汗が流れた。
「拙者は黄金にござるっ!」
それは何も張り合う様に自己主張し始めたセッシによるものだけではない。組合内にいる受付のみならず、冒険者達全員からも物凄い圧力が掛けられている。その理由を想像して、レンツォは思わず頬を引き攣らせた。
美幼女による賞賛に気を良くしていたセッシだが、やがて達成報告に並びなされよと言った。
拙者もそろそろ講習の準備に戻りますぞ。などと、イヤにキリリとした表情をひて宣っている。
幼女が暇乞いの挨拶をして去ってゆく。彼女が先程の女性冒険者の隣へ並ぶと、その後ろへも数名の冒険者達が並んだ。
「彼女が、アレですか?」
既に圧は掛けられていない。こうもあからさまであれば、レンツォとて気付く。あの幼女こそが、噂に聴く最年少冒険者なのではないかと。
「詮索は無用ですぞ。我等は大人としての責任を果たせばよろしい。……手前勝手な理想ではありますが、あの子を見ていると、子供達には健やかに育って欲しいという気持ちになりましてなぁ……」
感慨深く語り出すセッシにレンツォは頷いた。僅かな接触だが、伝わるものだ。アレは無垢な子供であると。
世界が、人が大好きで、全てが愛しいモノで溢れている事を疑っていない。
故に、危ういと感じた。アルティエリ姉妹達もそうだった。愛されて生きてきた者達は、本物の悪意を知らない。
「大丈夫なのですか?」
「そうあれかしと、望みまする」
なんとも言えない表情をするセッシであった。
レンツォは考える。噂が真実だったとすれば、小規模ながらも異界を単独攻略している筈だ。それが可能という事は、英雄への入口、中級冒険者である銅位階並の力があるという事となる。印象論でしかないが、とてもそうだとは思えなかった。
「ぶっちゃけると、才能はともかくとして、現在の単純な身体能力はクソ雑魚でござる」
「ですよね。では、優れた術師なのですか」
術式は未確認だが、動きや佇まいに強者の風格はない。
どう見ても、身体的な性能は年相応にも満たないものでしかなかった。
そうと感じられたのならば、術式の扱いに目を見張るものがあるのかもしれない。そう考えるのが一般的である。
大陸の実力者達は戦士であれ、武芸者であれ共に、同時に優れた術者であった。
「そちらならば結構な技量でござるがな……。転用は可能であろうが、攻撃的な術式はあまり習得しておらんようでしてな……。そもそも、性格的に戦闘などまったく向きませんですぞ……。それでも。準備をし、心構えを持ったのならば、戦力的には問題ござらん」
「不味くはないですか?」
言い淀むセッシであった。だからこそ、彼女を直接的にも間接的にも知る者達は、気を付けているのだと察せられた。
「人の心は弱きもの。人たるは、悪心邪心の誘惑に負けぬ様、己を律する事が出来てこそ」
この言葉はセッシからの受け売りだ。冒険者としての、兵としての、戦士としての心構えであった。
収納が付与されたブローチは、恐らくだが保護術具であろう。身に付けている間、常に指定者へ装着者の生体反応と位置情報を送り続ける優れた術具で、とても高価なものだった。着用者から外れた際には強い警告で報せが入る。
その様な術具を用意出来る者は余程の資産家で、身代金目的の誘拐なども有り得た。
それに、ちょっと類を見ない程に美しく、愛らしい幼女である。変態共が劣情を催したとしても不思議はない。
「そういった輩に目を付けられないと、何処の誰が言えましょう。大体、保護者は何を考えている。態々、危険の種を持たせて、それで護っているつもりなのか」
つい、強い口調になってしまうのも仕方がない。保護術具を持たせるくらいだから、他にも様々な術具を持たせているのだろう。しかし、そんな物だけで安全が担保される様な社会ではない。人の力や悪意には際限がないものなのだから。
「もしも、虚栄や箔付けなどの為にやっているのだとしたら……」
「誤解されるでない。彼女の保護者達は、そういった者達ではない」
——ああ、やはり。と、カマをかけたレンツォは思う。移民や混血の進んだ現代で、本来劣性遺伝である金髪や紫瞳などは珍しい。虹彩異色症はそれなりにあるが、特徴的なその色彩がシシリア島内を席巻したのは数年前。オリヴェートリオ・シシリア辺境伯家に第一子が誕生した時期だった。
秘されるべし、主と国家との間の愛し子。
彼、もしくは彼等か。多くの者達がその保護者を特定しているのだという事は、つまりはそういう事である。平凡なレンツォであっても、その素性への推測は付いた。
「掘り下げはしませんが、幼子に無理をさせている訳ではないのですな?」
「うむ。そこは信じてくれて良い。先の事までは判らぬが、元気一杯に楽しんでおるであろ? ただまぁ、迷惑でなければレンツォ殿も気に掛けてあげてくだされよ。……拙者から言うまでも、なさそうであるな」
不思議なもので、最年少冒険者誕生の噂は殆ど広がらず、大きな騒ぎにもならなかった。
十二未満の個人情報であるので秘すべしものであるが、人の好奇心は果てのないものであり、人の口に戸は立てられないのにだ。
「まぁ、俺に出来る事など殆どありませんがね。精々が、健やかに。そうあれかしと祈るだけですよ」
「それは重畳」
レンツォは呵呵と笑うセッシと共に、アリアへ達成報告をしている新米冒険者に目を細める。
隣の女冒険者や周囲の冒険者達にも伝わる様にと、大きく身振り手振りをして話す幼女。
可愛らしいものだ。なんとなくであるが、受付達や他の冒険者達の気持ちが伝わる。それは心浮き立つもので、誰かに伝えたいものだった。情報ではなく、気持ちを。
「さてと。碌な仕事も無さそうですし、もうそろそろアイツも落ち着いただろうから、帰りますよ」
「夫婦喧嘩は、犬も喰わぬと言いますからな」
「俺達は、そういった関係ではないのですが」
どういう訳だか下宿先の娘。学園の同級生でもあったイラーリアとの仲を、昔からそういう風に見られる事が多かった。
愛だ恋だという関係ではないのだが、常にすぐ側になんとなく纏わりついていて、自らの領域内に在る事が自然であるのは間違いない。だが、それを夫婦や恋人の様に親密なのだと扱われる事は心外だった。
そういった勘違いは、お互いの為に否定する事にしている。
そのせいで婚期を逃したと騒がれても、堪らないからだ。
実際、学園生時代から二人が交際したという事実は無いし、なんなら、別に恋人がいた時間の方が長い。
そもそもとして、レンツォはイラーリアを抱いた事すらないのだ。
距離感が近過ぎて、そんな気が起こらないという事もある。彼は肉体関係すら無い相手を恋人とは呼ばないものだと思っている。
「何にせよ、円満の秘訣などというものは、「ごめんなさい」と、「ありがとう」にござるよ」
蘊蓄めいて語るセッシには別れを告げて、土産に焼き菓子でも買って帰ろうかと考えるレンツォだった。
詫びのつもりはない。過失の殆どはイラーリアにある。
だが、日頃の「ありがとう」替わりとしては悪くないと思えた。何せ、新作である。
人の世話焼きばかりで、家の悲願の他に何の趣味も持たない彼女だ。
偶には喜ばせてやるのも、悪くはなかった。