24話 暗雲。月光。
「「乾杯」」
チンとグラスが合わさった。一息にグラスを干せば体内に水分と酒精が巡り渡る。
思ったよりも消耗していたのかもしれない。小皿に盛られた付け合わせの岩塩に旨味を感じている。
ここまで来ておきながら、どう声を掛け、話を切り出そうかと考えているレンツォだった。
先に希望は伝えてある。パーティを組まないかというものだ。条件は緩いものだし、そう悪い話ではない筈だ。
【決闘】の結果としての要請でもあるので、断り難いだろうとも考えている。だが、まだ返答を受け取ってはいない。
「……先程の話、本気か?」
「俺としちゃ、頷いて貰えれば都合が良い。稼ぎたいし、安心して背中を任せられる仲間が欲しかった」
「……安心か。……ならば考え直せ」
が、どうも乗り気ではない様で、そんな言葉を受け取っている。お断りという訳ではなさそうなので、目顔でこそあるが、その理由はよ? と問い掛けた。
逡巡する気配。
迷いを断ち切るかの様にグラスが呷られた。紅い瞳がレンツォへ向けられる。
「見よ」
ファビオは口を開き、唇を捲り上げた。見えるのは白い歯。長く伸びた二本の犬歯。その鋭さはまるで牙の様である。
「え、あ、おい。……お前って……」
「呪われた。俺の魂は、もう俺だけのものではない」
鮮やかな瞳の色と鋭い牙を身体的特徴とし、高度な術式を得意とする人類種達がいる。
独特な信仰からの特異な生活習慣と、『血』による盟約と契約により連帯する彼等は、吸血種族と呼ばれる少数民族であった。
民族であり、既に種族とは定義されていない。
救世主以前である古代ロウム帝国期以前から『超越種』との混血は進んでいた。その一つである吸血種とも同様だった。
特に存在としては強大であるものの、生命維持を他人類種の血液に依存する彼等は、最も親しき友として伴侶として共に生きる同胞でもあった。
現世人類種の遺伝子の中には、彼等の痕跡が残されている。
吸血種族とは、この祖先の生活様式や文化を尊び独自の掟により連帯した文化的集団であった。なので、民族なのである。
そういった知識はレンツォの中にもあった。学園で学ぶ事でもあるからだ。
のみならず、彼は学府では文化人類種学科を修了している。多少は専門的な知識も蓄えていた。
何も、そういった学問に興味があった訳ではない。
文学部文化人類種学科では試験結果よりも論文の提出が重視されていて、目に見える努力を惜しまなければ修了となり易かったからである。
学府進学者の中にはレンツォの様に、学問を積む事よりも修了を優先とする者も少なくなかった。
「呪いなら……」
「否。契約でもある。彼女の浄化では対象外だ」
ここ三、四年の話であるが、二月に一度ばかりの割合で、偉大なる御使ガブリエラは顕現している。
救いのラッパを吹く彼女の権能は癒しであった。総じて浄化とも呼ばれていた。
彼女の顕現と共に齎される祝福は体調を健康な状態へと近付ける、軽度の快癒だ。
軽い風邪や食中りなんかは即治る。ちょっとした怪我なんかも治癒された。
序での様に生命力増強効果なんてものがあり、自然と元気が湧くものとなる。
そして解呪は破格であった。
一方的な悪意を形として、他者へ障害を与える呪いは厄介な術式である。
思念術式の一つであり、呪術などとも呼ばれるソレは思念そのものである為に悟られ難く、密やかに侵害する。気付いた時には重篤な被害を被るものだった。
呪術と呼ばれる術式は、明確な意思を持っての解呪でなければ祓えない。
それなのに、強制的に解呪されるのだ。それも以前の様に極稀にではなく、二月に一度程度の周期で。
呪術を修めた者達は嘆いた。思念は積もる程に強力になるものだ。準備期間が物を言う。二月の制限が掛けられてしまえば、強力な呪術行使は難しかった。
とはいえ、ファビオのものは一方的なものでなく、双方合意の元に結ばれる契約であるらしい。ガブリエラの顕現で浄化がされない。
「なんでまた、そんなけったいな契約を」
「運命の巡り合わせとでも言えば、良いものか。疎ましくはあるが、解除する手がないでもない」
経緯を深く語る気はなさそうだった。だが、答える気がないではなさそうでもある。
推測こそ立つものの、確定的なものではない。少しずつ情報を引き出してゆく事となった。
「そんなに痩せてんのは、我慢のせいか?」
「……血を吸われ、喜ぶ者などなかろうよ」
やっぱり、悪い奴じゃないんだよなぁ。そう思ってしまうレンツォだ。
吸血種族には食事の必要がなく、生き血を栄養源とする。食事は摂れるが滋養となる事はない。
だからこそ、食事を摂らずに水だけで済ませたのだろう。
酒も意味がない。
先程の一杯は、気分転換や景気付けの為の儀式の様なモノだと察せた。あれ以来、ファビオは酒を口にしていない。
「変わり者やお人好しなんかは沢山いるぜ。世話にはなんねーのかよ」
喜んで、血をどうぞ。とでも言いそうな幼女後輩の姿が頭を過ったが、放り捨てた。あの貧弱さでは生命に関わる。周囲も許さないだろう。
彼女でなくとも、教会ではそういった特殊な事情持ちへの援助も行っている。敬虔な彼等ならば社会奉仕や慈善活動の一環として、献血を行う筈だった。
「血の味なぞ、覚えたくはない。それに……」
「なぁ。お前だから聞くんだが、吸血に纏わるあの学説ってマジなのか?」
苦い顔をして頷くファビオであった。
吸血種族にとって、食事である吸血行為には定説とされる学説がある。
食事の様に様々な味付けや種類がある訳ではない吸血だ。その味覚に対し、学者達が興味を抱かぬ筈もなかった。
そしてその学説とは、吸血対象により味が変わるというものだ。
異性の方が美味に感じられ、互いの好意によりその味も。とも言われている。また、吸血は性行為にも似た快楽を伴うとされていて、魔薬によるものと似た依存性さえもがあるのだという。
これらは吸血種族にでもなければ確認出来ないものであり、彼等は少数民族なのでシシリアには恐らく存在していない。
レンツォとて好奇心が湧かぬ筈もなかった。
「……泥水を啜るというものだ」
どうやら最低限の生命維持の為、教会を頼る事もあるらしい。
だが血の味に酔いたくないファビオとしては異性であるシスターに頼るのを良しとしない様だった。
結果、大変マズイものであるそうだ。とても深く掘り下げる気にはなれなかった。という訳で、話題を変える事となる。
「しっかし、契約だとしたら解除は神殺しなのか? 無理じゃね?」
「巫女による代理契約となっている。可能性はある」
「殺せるのか?」
「……その為に、この島へと戻って来た」
殺せるかの問い掛けは二重の意図があった。無論、一つは実力的な意味でだ。もう一つは罪を重ねるという意味で。
深く頷いた旧友へ、疑問が浮かんだ。
「あ? 何、そうすっとお前が契約を結んだんだか結ばされた巫女って、シシリアに居るのか?」
大抵の宗教団体においてだが、巫女や神官という役目は彼等の信仰する『超越者』。神とか魔だとか呼ばれる存在との契約により、代理契約を行う権能を与えられている。
契約とは、信仰を対価として加護を得るという単純なものである。
信仰には様々な行いがあり、それぞれにもやり方がある。それは千差万別、多種多様なものだった。
これを得る事で『超越者』は現世に影響を与える事が出来た。強力な加護を与える事や、化身を産み出す事などだ。
また、顕現や降臨などと呼ばれるより直接的に『世界』へ影響を与え得る手段は、巨大な信仰を必要とするとされていた。
そして加護は、単純に言ってしまえば力を得る為に求めるものだった。
力が強くなりたい。足が速くなりたい。手先が器用になりたい。
そういった様々な欲望を叶える為の手段であり、強力な加護には死からの蘇生や、死人を操る術などという特殊なものまであった。
『超越者』の助力を得られれば強大な力を持つ事に繋がる。生存と発展の為に力を求める人類種達が縋らぬ筈もない。
しかし、『超越者』の顕現などそう頻繁にある事ではないし、例え顕現したとしても意思疎通が取れるとも限らない。契約を結び力を得るのは困難だった。
そこで巫女や神官だ。その役割を持つ者が代理で契約を結ぶ事により、信者は力を得る事となる。
その際に刻まれるものこそ、神授印。契約の証。
唯一神教会での洗礼にて刻まれる聖痕もまた、神授印の一種であるとされている。
結ばれた契約は本人死亡により破棄される。『超越者』、あるいは『人』のどちらかの。
文字通りに死さえも超越した存在だ。一度殺したからとして、滅せる存在ではない。
だが、それを為したならば神殺しという明確な拒絶となった。契約が解除となる事が赦された。
また代理人である巫女や神官による契約の場合、彼等を殺害せしめれば、契約は解除となった。
「春先からシシリアに潜伏しているらしい。ガムランのグループ企業であるザガリアという機巧販売企業に重役として名を連ねておる。シシリアにて登記しており、奴は恐らくだが、この島で隠れ潜んでおろうよ」
「は?」
レンツォが、あまりに呆けてしまったのも仕方がない。この場でその名を聞くとは思いもしていなかった為である。
だがその態度とは裏腹に、脳内は大忙しであった。
ガムランは巨大商社であり、ビタロサ王国南部にあるカンパニア州を拠点としている。
ファビオが就職したのもガムラン支配下にあった新興企業であり、その影響力は一州内に留まらず、ビタロサ王国内全土にも及んだ。
そして、ザガリアという機巧販売企業こそが、アルトベリ男爵が稲刈り用重機を購入した企業であった。
「霧化が扱える程に馴染んでしまった俺には、もうあまり時間がない。ヤツを殺し、人に戻る。もし、叶わぬならば……。? どうしたレンツォ、間抜け顔を晒して」
「おっし。パーティ組むぞ。これ決定な。お前の獲物は多分、俺が探している奴らの仲間だ」
利害は一致している。情報源としても有力だろう。実力だって、問題がなかった。
ただの消去法であるが、まだザガリアの役員達がシシリアを出ていないのならば、潜む場所への心当たりがある。
まずは確かめねばならない。先に州への出入記録を確認せねばならないだろう。これはそう難しくもない事だ。フランシスコにでも尋ねれば、記録の複製くらいは見せて貰える。
そうでなくとも、パレルモへ行けば直接見れた。基本的に、王国民の所在などは公的な情報となる。
詳細な情報こそ秘されるも、現在誰がどの州にいるものか。程度の情報であるのなら隠される事もない。
「……どういう事だ?」
腑に落ちない。という顔だった。
後で説明してやるよ。代わりに知っている事、判っている事も洗いざらい吐いて貰うけどな。レンツォはそう考えている。
出島の記録がなければ、シシリア州内にいる筈だ。密航はありえない。
シシリアを囲む四つの海、マルメディテッラネオもまた、海という大異界である。
この世界の七割を占めるとされる海を体現する『超越者』海神が夢見、偉大なる九頭龍ク・ルッフが支配する海を赦しなく渡るのならば只では済まない。
海難事故などはあるものの、幸いにして『超越者』達の怒りによるものではなかった。
彼等を出し抜ける様な出鱈目であれば、諦めるしかない。だが、ファビオが殺せると判断する以上、それもなかった。
島を出ていないのならば、居場所など想像に難くない。
既に男爵は警務官並びに行政府へと届出をしている。売買契約成立の後に、連絡を取れなくなるのは違法ではないかと。
残念な話であるのだが、これ自体に違法性はないとされるだろう。であるにせよ、届出がされた以上、調停の為にも双方から事情聴取を行う必要があった。
当然ながら官憲達が探す。お互いの主張を確かめる為にも、情報は男爵へと流される事となる。それもまだだった。
男爵が届出を行ったのは夜会からカターニアへ帰って来た翌々日である。その前日に稲刈り用重機の件を報告していた。
男爵はしこたま叱られて、反省の為に力を尽くしている。その翌日に即届出を行ったのも、反省しておりますアピールだった。
救世主の生誕祭も近い今日。それからは一月以上も経っている。優秀なシシリアの官憲達が探し出せぬ事があろうか。
それもまず、ないだろうとレンツォは確信していた。エトナ以外にも複数の異界はあれど、官憲達が複数の、それも名士を含む集団の消息が掴めぬ事などありえない。
そう断言出来るくらいには、官憲達を、行政府を信頼していた。ならば、考え得る可能性は。
大異界、霊峰エトナ火山。
それも中層以上であった。低層の可能性もなくはないが、敷かれる『異界常識』は『薬効無効』のみである。如何に広大であろうと、探せぬものではない。
ならば、中層以上に敷かれた遠隔に作用する術式や機巧による効能が制限される『機巧制限』。この『異界常識』を有するが故に、エトナ中層は未知と不思議に彩られた獣達の楽園と呼ばれている。
生命を対価とするならば、シシリア島における最高の潜伏場所であった。
信頼という最も大切な資産を投げ捨て、目先の小金を選んだ愚物共だ。愚行を重ねる公算は高かった。
それでも、代理契約者である巫女はまだ生存しているのだろう。どの様な形であるかは不明であるが。
ならば、ファビオと共に中層の探索へ向かうのは理に適った事だった。
そしてそれは、レンツォにとっても非常に都合の良い話である。
中層に昇るなら、霊獣は避け難い。自衛の為にも倒さねばならない。ヤツらは金の卵であった。冒険者らしい冒険をしながら稼げる。更には腐れ企業も探せて八つ当たりも出来るのだ。
人助けにもなった。まさに三方よしである。彼の頭脳では、これ以上に最高の方法など思い付かない。
まさに、たった一つの冴えたやり方というモノである。自画自賛したい程だった。だから、言ってやる。
「お前さんが向かいたいのは、お山の中層だろう?」
「……そのつもりだ」
果たしてファビオは頷いた。
「だったら、俺とバディを組むのが正解だ。俺とお前なら、中層でも充分やれる」
「だが、俺は……」
不安を覚えるのも仕方がない。契約は対等に結ばれるべきものであるが、力の差がある相手であれば道理も引っ込む。
繋がりから、心や肉体の支配権を奪われるなどの危険があった。
そういった不利からも神殺しは難事とされる。契約者本人が契約神を殺すならば契約解除となるが、それ以外が神殺しを為した場合は不特定、無作為で契約が解除される。これは今回に関しては心配ないだろう。
一方、代理人に関しては対象者全ての契約が解除となった。解除を望まない者達は死力を尽くすだろう。
だが、殺せば済んだ。
例えファビオが操られ、背中から刺されようが代理人を殺せば、契約は解除されるのだ。分の悪い賭けではなく、寧ろ勝ち目のある勝負であった。
「大体よ。久しぶりに会ったダチだろうが。俺はダチとは美味い酒が飲みてーんだよ」
手を差し出してやる。他にも色々と都合や事情もあるものだが、そんな気持ちが強かった。
酒を飲めない相手と飲んでもつまらないという、酒飲みならではの理屈であった。
「……」
まだ、迷ってやがるのかとレンツォは考える。痩せ我慢しやがってとも思う。
こいつは、友達を傷付けたくはないと気遣える優しい奴だった。鍛冶屋のマルコに告白の先を越された時だって、痩せ我慢をして二人を祝福している。
脈があったかなんて、レンツォには判らない。それでも。
「なぁ、勝者の特権だぜ。俺と組め。安心しろよ。お前みたいな貧弱モヤシに後ろから刺された所で、痛くも痒くもねーよ」
腕をもう一度上げる。
力になりたいものなのだ。共に青春を過ごし、これからも、一緒にやって行きたい友達だから。
「舐めんじゃねーよ。格下が。俺が本気出せば、お前くらい瞬殺だっつーの」
腕を上げたファビオは、レンツォの掌を思いっきりひっ叩いた。高い音が鳴る。
「はっ! よく言うぜ。口だけファビオ君よぉ。クールぶった格好付けはお終いかよ。負け犬は負け犬らしく、大人しくしてやがれ」
「……テメェ」
「負け犬の飲む酒はねーかんな。あ、お前はそれ以上飲むんじゃねーぞ。勿体無いかんな」
そう言った側から、ファビオは一息にグラスを呷った。レンツォも負けじとグラスを飲み干す。
酒を注ごうとボトルに手を出すが、空を切る。
ファビオがボトルを傾けて、氷の満載されたグラスへ向けて注いでいた。しかも二杯分。
レンツォが罵声を放つが知らぬ顔。
そしてグラスが渡される。お互いに、グラスを握っている。
「ただいま。腐れ縁のレンツォ=ガッリ」
「おかえり。我が友、ファビオ=ファビアーノ」
二人の目元に皺が寄り、唇は吊り上がる。
「「乾杯」」
チンと音が鳴った。
コイツは良い奴だ。気持ちの良い友達だ。レンツォはやはり、そう思う。友達でいれて、良かったと。
それに伝える気こそないが、実はレンツォはファビオには借りがあった。
今更どうなるものでもないが、それを僅かにでも返したい。
借りというか、気持ちの負債か。
卒業年のあの頃、実はファビオとマルコ、二人の想い人である少女から相談を受けていた。
第三者の視線であるし、どちらにも近い距離にいたので不思議はなかった。その相談とは。
——どちらも好きで、選ぶ事なんて出来ない。どちらも同じくらいに想ってくれているから嬉しくて、でもだからこそ、どちらかを選ぶ事なんて出来ない。どちらにもお別れを告げて、居なくなる方が良いのかな。
というものだった。
これに当時は少しモテていた恋愛事の先輩として、こう答えている。
——んーな誰も喜ばない選択なんてしなくてもよ。先に告白された方と付き合ってみて、上手くいかなければ別れりゃ良いだろう。そうすりゃもう一人も動くだろうし、そうじゃねーなら、お前さんから気持ちを伝えてやっても良い。
かなり無責任な言種であった。だが、かなり冷静で的確な判断だった筈である。
何せ彼女は小柄で優しそうなホンワカとした娘さんで、乳と尻は貧しかった。良い子だとは思うが、レンツォの好みからは外れている。であるならば、嫉妬は湧かないものである。冷静な兄貴目線で見ていた。
レンツォによる冴えた助言により、彼女と先に告白をした鍛冶屋のマルコは交際を始めた。波長が合っていたのか、恋に酔っていたのかまでは判らない。
順調に交際は続き、二人は滅茶苦茶にイチャつくダダ甘なカップルとなっていた。
この卒業も間近な時期に、レンツォは僅かながらに悔いている。
少女は幸福感からか成長し、お胸もお尻もご立派に育っていた。正直に言えば羨ましかった。
この頃から彼は、成長性というものにも注目する様になっている。
最近の注目株はやはり委員長であった。
今は少々貧相であるが、かなりの潜在能力を秘めてそうである。
反対に、薬草好きのあの子は打ち止めだろう。
貧しい族とまでは言えないが、物足りないサイズで落ち着くだろうと予測している。
そんな事を考えていながらも、ファビオを見る。
正直な話、コイツが先に想いを告げて、マルコと同じ結果を得られたかは判らない。もっと悪い今だってあったかもしれない。
だが、無責任な助言をし、ファビオの機会を奪ってしまったのはレンツォ自身の責任だった。
過去は変わらないし、変えられない。
そんな気持ちの負債や借りからか、コイツには幸せになって貰いたいもんだと願っている。
意地っ張りで格好付けのコイツが自分の力で、幸福ってヤツを掴むのには協力したいと思ったしまう。
色々とあろうが、ついそうあれかしと願ってしまうものなのだ。
共にかけがえのない時間を過ごした、また一緒に飲みたいと思える友達だから。
だが今飲ませるのは勿体無いので、レンツォはグラスをガンガン空けてゆく。飲みやすいので余裕であった。結構良い値段の酒だ。味も判らず酔いもしないヤツに飲ませる道理はなかった。
そしてやがて。少し考えの甘いレンツォは酔い潰れ、眠ってしまった。バールの個室内で。
明日から中層に昇りたいのなら、準備は今日にでも終えておかなくてはならないのにも関わらず。
「あらあらー。ファビオさん、お久しぶりですねー。レンツォさんがお世話をお掛けして、申し訳ごさいませんでした」
ファビオ=ファビアーノが酔い潰れたレンツォを彼昔からの下宿先、旧アルトベリ男爵邸にまで送り届けると、エプロン姿で綺麗な所作にて淑女の礼をして、頭を下げるイラーリア・ルチア=アルトベリ男爵令嬢がいらっしゃった。
年明けには男爵家の後を継ぎ、叙爵の栄誉を賜るという事なので女男爵になるのか。
「はい。いいえ。ご無沙汰しております。少し飲み過ぎたらしく、連れて参りました」
「これはこれはー。ありがとうございますねー。さぁさぁ、どうぞお入りくださってー」
「はい。いいえ。お邪魔するのも忍びなく、私はここまでで。少々酒を飲み過ぎてはおりますが、怪我などはございませんのでご安心下さい」
とてもそんな貴人となるとは思えない、ホンワカとしたご令嬢であった。夕食の良い匂いがしている。
この香りはクリームシチューかな。美味そうだ。そう思ってしまうファビオであった。
既に食事を必要としなくなってしまった身体だ。味覚は変化してしまい、味わう事に意味はない。
だが嗅覚は強くなったものの、以前と変わりのない価値観を保っている。記憶に残る匂いは、酷く空腹を刺激するものだった。
目の前には白く美しい女の頸がある。情動が湧き上がる。目の前に、ご馳走があるぞ。と。
それに首を振り、なんとか抑え込むファビオであった。
「あのー。お部屋まで送って頂かないと、私じゃレンツォさんなんて運べませんよー。どうか物のついでではありますが、お慈悲を頂きたくー」
それもそうかと思い直し、寝台へと運んでおいた。
多少雑に扱った為か、呻き声を上げたが問題はないだろう。グースカと鼾を掻くコイツは昔から頑丈だ。
その後に奥方には丁寧なお礼のご挨拶と共にお茶を振舞われている。お夕飯もご一緒にいかがですかと尋ねられたが、固辞しておいた。
正直な話、理性を保つのも辛かった。新婚さんの部屋にお邪魔するなど、拷問でしかない。
と思った所でファビオも気付く。
ごく自然に新婚扱いしてしまっていた非礼を。二人を幸せな友人夫婦に見えてしまっていた誤謬を。
苦笑いをしてお暇を告げれば、少し残念そうにされるのが嬉しい。この身体となり茶の味なぞ判らぬが、仄かに薫る甘みは優しい味をしている様だった。
彼女は特に、何も尋ねる事なく送り出してくれている。学園生時代の噂話からは想像も出来ぬ対応で、少々自らの不明を悔いない訳にはいかなかった。
あのレンツォが気に掛けて、護り続けた女性だ。
そんな事さえ気付家ない盲であるから、付け込まれたのだと自嘲する。それでも、今の気分は悪くない。
陽は落ちていて、既に空には星々が瞬いていた。細い月は優しい弧を描いている。
この身体となって、暑さも寒さも感じない。不要なものであるからだ。
それが、とても勿体無い事に思える。
——それにしても、あれで主従で主人と騎士ねぇ。
つい呆れてしまう。あれではまるで、夫婦ではないかと。その面影に、眩しいものが重なった。
——マルコ。幸せにして、やってるんだな。
アイツに会ったのは病院だった。州立カターニア総合病院だ。昔から大きな病院で、市民の誰もが頼りにしている。今では施設内に新生児室と名付けられたとんでもない『人造異界』を構築しており、新たに産まれし生命を寿ぎ、また消えゆく生命を救う、医療の砦を標榜している。
思えば優しい故郷であった。
偶然に出会してしまったアイツは、赤子に乳を与えていた。マルコによく似た元気な男の子だった。
あまりに急な事であり、つい逃げ出してしまったが驚かせてしまっただろうか。幼馴染の痩せこけた姿に胸を痛めてはいないかと心配してしまう。
あまりの自意識過剰に呆れ、自嘲してしまう。その後は所用を果たした。輸血用パックの調達だ。
生き血に比べれば滋養も味も遥かに劣るが、欠かせない物だった。
高額ではあるが、融通してくれる事になっていた。
司祭や修道士達のは、酷い味である。本当は二度と口にはしたくない程だった。
だが、流石に敬虔なシスター達を毒牙にかけるのは憚られて、解決方法を相談している。
その結果が輸血用パックであった。携行も可能であるし、これならば補給ともなる。味は薄く滋養も物足りないものでもだ。血の味なぞ、覚える気がないファビオであった。
それにしても、とファビオは思う。
カターニア、美人多過ぎじゃないかと。
女医や看護師、事務員から患者達まで。
美人揃いであった。少し前までカンパニアのナープラに居たファビオは、故郷の顔面偏差値の高さに今更ながら驚いている。
だか、悲しいかな。美人を意識してしまえば吸血衝動を抑えるのが辛い。だからこそなるべく人に出会わぬ様、人の顔を見ぬ様にして、調査をしていたのである。
まったく優しくない故郷に恨みが募った。
——だが、まぁいいか。俺には心強い仲間がいるぞ。何とかしてやる。何とでもしてやるぞ。と気持ちは昂る。
レンツォは考えが浅いし、あまり頭も良くない。
それでも、良いヤツだ。自分の出来る事、やれる事を諦めない、凄いヤツなんだ。
——俺は、罪人だ。だけど、凄いヤツの友達で、相棒になるファビオ=ファビアーノなんだ。何も諦めないし、誰もこれ以上不幸にはしない。だから見ていてくれや。
そう夜空に向けて誓った。
吸血種族の成り損ない。呪われた殺人者。例え、魔銀灰に御されし卿へと堕ちた冒険者であっても。
友の、仲間の、そして誰かの幸せを護りたい。そう祈っている。
夜は変わらずにいて、月は優しい弧を描き、一人の男を照らしていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
前話と併せて主人公と相棒の掘り下げ紹介回でした。友情を見せたくて分割したのですが、くどすぎましたかね?
感想、評価、お気に入り、もちろん不満点や稚拙さへの叱咤激励も、とても嬉しい事で励みになります。
2章も頑張って完結させるぞ。




