2話 過去。山中にて。
改稿。十五行程ですが、設定上必要な説明文を追加。後の描写へ繋がるものです。ご指摘、ありがとうございます。恥ずかしくも、とても嬉しいです。
改行と空行を増やしての細部の調整。読み易くって難しいですね。参考にさせて頂いた、多くの方々に感謝を。
——時は遡る事、三年前。
「はぁ、はぁ、はぁ。……何とか撒いたか?」
登録から三年での鉄位階への昇格は早い方で、レンツォは有望な若手冒険者として注目されていた。
本格的に武器を握ったのは十五になってからの高等学園進学後であるが、彼には恵まれた体躯と、天性の運動能力とがあった。
冒険者組合で戦闘技術を学び始めたのは兵を目指している為である。
熱心に励まぬ筈もない。メキメキと力を付けていた。
在籍する学府でも理論を学ぶ事により、様々な有用な術式を習得している。
彼はこの四年程の期間で低層に出現する霊獣達ならば、さしたる苦労も無く屠れるようになっていた。
故に、驕っていたのだろう。だからこその現在の窮地であった。
この状況。なんとかなるのでは。という甘い見通しが呼んだものだった。
それまでは教導に従い慎重に中層へと登る機会を窺っていたレンツォだが、中々その機会は訪れなかった。
不幸にも、十八という若年にして錬鉄の士となったという経歴が彼のパーティ編成を阻んでいた。
レンツォが通っていたのはカターニアで十二ある高等学園の中で、五番目と評価された学園だった。
カターニアにある学園は最上位に三校あって、彼の出身校ともう一つがそれらに次ぐ。彼の通っていた学園以外の四校は学府進学を目標としたものだった。
反対に、彼のいた学園は卒業後、すぐに働きに出る為のものである。
学園入学と共に冒険者登録をして、在学中には学園での実習という形式であるものの、エトナ中層でも幾つかの依頼を熟していた。
とはいえ、それは冒険者組合の査定に繋がるものではない。この実習。教職員や引率により、安全が担保されている。
レンツォも学園生時代には幾つかパーティを組んでいた。彼等は皆仲間であり、好敵手でもあった。
彼らと共にエトナ低層での依頼などを数多く熟していて、そのお陰で学園卒業と共に鉄位階として認められている。
その数は、彼を含めて十六名。三学年、二千名弱の中では充分な上澄みだった。
だが、彼等とは袂を別つ事となる。
レンツォは両親の勧めにより学府へと進学し、他の卒業生達は勤めに就いた為だった。
州兵となるのは二十歳を超えてからなので、彼にとっては既定路線であった。だが共に歩んだ。と思っていた仲間達には別の思惑があった。
レンツォの居た学園は就職を主眼に置いている。
同窓である仲間達の多くは商人や、職人の家などの子であった。
彼等は学園生時代にこそ精力的に冒険者活動をして実績を積み上げたのだが、その目的は業績の先取りだ。
就職し、職を極めんとするならば冒険者活動になどかまけている暇はない。
だが、鉄位階は社会的に非常に有用だった。時に、学府修了以上に。
それだけで企業では幹部候補と認められるし、研修なども免除された。
そしてこの資格さえあれば、融資の際の信用情報は確かなものとなる。
そして何より、法人設立をする場合や一定規模以上の施設、店舗の責任者となるにも必須となる資格でもあった。
故に、早くに欲した。勤め人である兼業冒険者が鉄位階となるのには時間が掛かるものだった。
そんな彼等が、その後に冒険者として活動するのか。それはない。
あくまでも、資格取得が目的であるからだ。時には小遣い稼ぎに細々とした依頼を受ける事もあるだろう。
だが危険を伴い、生命を賭すかもしれない中層になど渡る筈もなかった。意識の違いがあった。
そして十八となって扶養を外れ、冒険者登録をしたばかりの学府生達にとっては錬鉄など、遥か格上の冒険者である。
パーティとなるなど恐れ多く、また大抵の学府生達は学園生の内に将来へ向けてのパーティを組んで訓練をしている。
格や力量に差がある異物など、迷惑なだけだった。
なのでパーティを募ろうにも手頃な相手がいない。
欠員の出たパーティなどに応募をしても、芳しい返答はなかった。
丁度良い年頃の相手では恐れられて断られるし、経験を積んだ位階の合う冒険者達には信用が足りないでいる。
そして、それ程に社交性のある訳ではないレンツォは仕方なく、ソロ冒険者として活動していた。
そんな鬱屈した日々に飽いていたから、魔が差した。
低層の霊獣にはそれ程の力は無く、訓練にもならないでいた。
異界には『異界常識』と呼ばれる世界そのものに備わる独自の法則がある。
低層にあるのは『薬効無効』。エトナという異界由来のものでなければ、水や糧さえも無意味な存在となるものだった。渇きは癒えず、腹は満ちない。怪我や病を癒す薬なぞ、効能はなかった。毒ならば、一定の効果があるのに。
だが、低層では問題とならなかった。その程度には鍛えられている。
これ程に実力差があるのだから、更なる『異界常識』、『機巧制限』の敷かれた中層でもやれるのではないか。そう慢心して、彼は中層へと一人昇っている。
各異界へ敷かれる世界法則。異界の特性。それがこそが、異界常識。
エトナ中層に敷かれた異界常識は『薬効無効』と『機巧制限』の二つ。
低層にも敷かれた、山由来の物でなければその効能を発揮しない『薬効無効』に加わるのが、弓や銃などの強力な武具の威力と効果が減衰される『機巧制限』だ。
この異界常識。物理的な運動などが肉体を離れると減衰される。強力な遠距離攻撃手段や火器が、無意味なものへと変わった。おまけに、体外へと干渉する多くの術式もまた大幅に減衰された。
強力な遠隔攻撃手段である破壊系術式のみならず、防御の為の障壁などは無効に近い。偵察用の探知は違和感を覚える程度に弱まるし、交信の様な意思伝達手段にも制限が多かった。
その癖、山に棲まう霊獣達は当然の様にそれら術式を行使する。
人類種に大層不利な条件ばかりであった。
かくして、霊峰エトナ火山は身体強化による近接戦闘こそが主力となる高難易度大異界として、認知されていた。
そういったものへの対策をしていて、鍛えるのがシシリアの冒険者達だった。
レンツォだって闘う為に鍛錬を積んでいるし、近接戦闘力には自信もあった。
事実。虫や小型の爬虫類、小動物型の霊獣などは問題なく狩れている。
毒や術式などの厄介な特徴を持つ種もあったが、予め対策をしていたレンツォには問題とならなかった。
それらの素材も良い稼ぎとなるもので、強力な収納術式など持たない彼には持て余してしまう程だった。だが、そういった体験が慢心に繋がった。
「どこまでやれるか、試してみようか」
相手取るのは小物ばかりで、身を弁えたレンツォにとっても物足りない。他に獲物は無いかと探している。これこそが、慢心だった。
この時彼は、パーティで挑むべき霊獣達の脅威を知らないでいた。
知識としては知っている。だが、感覚としては知らなかった。特に、植生の変化などには気を払いながらも、来るなら来い。という心持ちで、山中を歩き回っていた。
だからこそ。その一撃を喰らってしまう。エトナ中層においても要注意とされる中型霊獣、エトナボアによる一撃を。
——エトナボア。中型に分類される猪型の霊獣で、生態は姿の通り猪に似る。
頑健かつ強靭な霊獣だが、この種はとうの昔に家畜化されており、品種改良の末、食用になるエトナ豚という新種も生まれていた。彼等と人類種は、緩やかな共生関係にある。筈だった。
遥か過去には、エトナボアの種としての脅威度は、そう高いものではなかった。
だが、シシリア統一戦争の終盤において、その関係は一度断たれている。
毒により土や水を汚し、山を崩した。
生態系が乱れぬ筈もなく、弱き生物から、滅んでいった。人類種が、保身の為に保護しようとした家畜は、弱き生物達だった。
そこで目を付けたのが、食用にもなるエトナボアなどの、中型霊獣達だった。
大型霊獣達は脅威だ。討伐が可能としても被害は大きい。
小型霊獣は身に毒の影響を受け易く、食用とはならない物が多かった。
だが、中型霊獣ともなれば、強力な術式の遣い手だ。自己治癒能力なども高く、短期的には毒や環境悪化の影響も受けにくい。
その上、準備を怠らなければ、比較的安全に狩れた。それに目を付けた人類種は、短期間の内に、食用となる中型霊獣達を乱獲している。
食う為に。生き残る為に。
それは種としての存続を脅かす迄の行為であった。巫女による二度の調伏により絶滅を免れた霊獣達とシシリアであったが、その業により霊獣達は人類種を敵対者として襲うようになっていた。
長い時を掛けて、霊獣達との再度の融和や家畜化などは、ある程度までは成功している。エトナボアが家畜化されたエトナ豚だって、視力を奪う事により再度養殖されている。
どうやって判断しているかは謎であるが、現代においては多くの中型霊獣達は敵対さえしなければ、人類種を避けて行動するようになっていた。
賢い生物で、敵対による損害などを計算する事が出来て、必要が無ければ、隠れている。
だが、野生のエトナボアなどはそうではない。猪突猛進という言葉もある様に、敵対者である人類種を見つけると、理性を失い一直線に突進し、発達した下牙により貫こうと襲い掛かる。生きる為に、滅ぼせられぬ為にと。
そして、その速度は音よりも速い。
探知により異変を察知したレンツォは、反射的に身を翻す事により躱した。同時に斧を振り下ろす。手に痺れが走った。脇腹に激痛を感じた彼は盾を構えたものの、遅れて来た衝撃波により吹き飛ばされる。
状況の把握に務める冒険者。
自らの脇腹を穿ったのはエトナボアの牙。直撃は避けている。先端は鋭いが、刃の様に鋭利なものでもない。
それでも掠めた牙は金属鎧すら貫通し、脇腹を抉られてしまっていた。
レンツォは即座に採集していた薬草を飲み込み、また傷口に擦り付ける。
エトナには薬効無効の異界常識が敷かれている。どのように強力なものであろうとも、外部より持ち寄った回復薬では効果が出ない。道中の薬草採集は探索の嗜みだった。
そしてレンツォだが即死は免れたものの、エトナにおいては致命傷の自覚があった。
位置的に、腎臓や肝臓などの臓器にまでは損傷はないだろうが、抉られた箇所からは臓器である腸がまろび出ている。
出血を防ぐ為、薬草を握りしめて患部に当てていた。手にしていた盾は衝撃波に耐えられず、手放してしまっている。
そして視界には、冒険者の得物である斧を身に食い込ませた獣。
大樹へ牙を刺してしまい身動きの取れぬ、怒りに燃えるエトナボアがいる。
レンツォは思考する。
エトナボアが身動きの取れないこの状態であっても、止めを刺すのは難しい。
大斧ですら、皮こそ裂いたが筋肉を断ち切る迄には至っていなかった。
レンツォの振るえる技において、最も強力なものが斧を用いての両断だ。
死中に活を得るが為に無我で振るった技さえも致命傷とならないならば、屠る術はない。
決断し、逃走を決意する。
中層へ向けてと用意した高額な斧と盾であるが、命には代えられない。
彼は邪魔な荷物などを放り捨て、出口である結界へと駆け出した。
この程度の傷ならば、異界より出てさえしまえば完治させられると。
だが、不幸にも暴れるエトナボアの牙は大樹より抜けてしまう。
反転した獣は爛と輝く瞳を敵対者へと据えて、弾丸もかくやという勢いで突貫した。
レンツォには、その起こりが見えている。突進の前には予備動作があった。
エトナボアの攻撃は速くとも直線的で、軌道を読むのは難しい事ではない。思い切り横に跳ぶ。再びの轟音が響いた。
それは先程の再演だった。だが、状況はいささか異なる。
レンツォは無傷で済んだ。
しかし別の大樹へぶちかましをしたエトナボアはすぐさま反転し、再び身を撓め始めた。
大斧は抜けており、傷口から血は流れているものの、徐々に治癒されていた。
兵を目指して鍛錬を積んできた男の、命を賭けた逃走劇が始まった。
そうして暫く後となると、エトナボアは視認出来る範囲にはいなかった。
探知を維持するだけの集中力は既に無くなっている。
不安は残るが、どうにか死ぬ前に撒けたかとレンツォは密かに安堵した。
この崖沿いをもう少し歩けば結界に辿り着く。そうすれば、命は助かった。だがそこで——。
「ねぇ。お姉。なんか、ここ。雰囲気が怖いよ」
「恐れるな。ジュリア。お前は私が護る。だから、なんとかして帰り道を見つけてみよう。花畑からもそう離れていない筈だ」
「う、うん。でも、この崖とか道も、全然地図と違うんだけど……」
気が抜け掛けた痛みから、ノタノタと結界へ向かっていたレンツォは見てしまい、聞いてしまった。
崖沿いの小径を地図を手にしながら恐る恐るという風に、周囲を伺いながら話し合いつつも歩む、年若く、美しい少女二人を。
そして、その小径の先を爛々とした燃える目で眺め、身を撓ませてゆく霊獣。エトナボアを。
「チッ!」
思わず舌打ちが漏れる。
撒いただと? 違う。そうじゃない。見えなくなった俺の代わりに、奴は新しい獲物の存在を嗅ぎつけただけだ。奴の鼻面は、二人が歩む小径の先を捉えている。
現在の二人と一頭の間には大岩が聳えているので、突貫はしていない。
エトナボアは人類種を視認して、初めて理性を失う獣である。それまでは音や匂いを注意深く観察する習性があった。
レンツォの脳裏に最悪の予感が過ぎる。
その時には、既に彼は全身にありったけの強化を施して、雄叫びを上げながら駆け出していた。
このままではエトナボアという砲弾は、二人を潰す事となる。
獣と二人との間には木々が生い茂っているので、運が良ければ直撃を免れるかもしれない。
だが、その先は崖だ。
エトナボアは頑健で、自分の突貫程度の衝撃であるならば、崖にぶつかろうがすぐさま獲物へと照準し、再び弾丸となった。
そうなれば、華奢な少女でしかない二人は死ぬだろう。
こんな結界付近にまで、中型霊獣を連れて来てしまった自分のせいで。
それは許されない。許せない。
目指して来たのは災厄から民を護り、平和を維持する為にある兵だ。
確かに冒険者ならば自己責任というものはあるが、それを自分の不手際に被せる事は違った。
侵食期でもなければ、結界付近には中型霊獣などの出現がない。というよりも、中型の生息領域からは大きく外れている。
出現した場合は例外なく、外的要因からのものであった。それは、今回の様に。
自分のせいで、敵でもない無辜の民が死ぬ。
もしもそうなってしまっては、夢である兵になど、なる資格はなかった。
赦されない。
身勝手な怒りであるが、レンツォは止まれと叫んで、音速を越える弾丸となって迫り来るエトナボアへと向き合った。
強度の高い強化の恩恵により、獣の挙動をはっきりと捉えている。
狙うは急所である鼻だった。
鼻は毛皮に鎧われた全身と比べ刺激に弱く、強い衝撃と刺激を与えれば戦意を消失させ、場合によっては絶命に至らせる事も可能であった。
手甲越しに握るのは、小さな袋である。
嗅覚鋭い霊獣避けの為に、この袋はあった。
非常に効果があると実証されている獣避けだが、単純な毒ではない。
その袋の中身の名はミステリアス・ペイン。
大陸最高の辛さを持つエトナ産の唐辛子を粉末状に煎じた香辛料であった。
レンツォの作戦は単純なものだった。
エトナボアの前に立ち、正拳突きにより鼻面を殴りつける。その後の一瞬の停止を狙い、ミステリアス・ペインを鼻面に浴びせるつもりであった。
腕は牙よりも長い。突進を止めらられば、貫かれる事はなかった。間違いなく片腕は駄目になるにせよ、致命傷とまではいかないのならば、必要な犠牲である。
そこへミステリアス・ペインだ。
大陸最強の、辛さそのものである香辛料である。まさに切り札であり、これを用いれば中層最上位種であるエトナベアすら撃退出来るのだ。
そんな物を使っては、至近距離にいるレンツォとて、無事では済まないが。
認識能力は既に獣にも勝った領域にある。直線的にしか動かない的ならば、合わせる事など容易だ。
衝撃音に、衝撃波。
音速を越えるエトナボアへ、それすらも優に越える速度の正拳を合わせた。
拳が、腕が、肩が。砕けてゆく音を聴いた。同時にそれぞれの箇所で皮は破れ、肉は弾け飛ぶ。
腕一本を犠牲として、エトナボアの突貫は止まった。
「息を止めろっ!」
「お姉っ!」
「承知っ!」
一瞬の静寂など許さず、三つの声が重なった。
砕けた右手を前に出したまま、左手に持つ袋を前へ前へと脚を掻くエトナボアの鼻先へ叩きつけようとしていたレンツォは、信じられないモノを見た。
極限まで強化を重ねていた彼すら気付かぬ内に足掻くエトナボアの隣に立った、綺麗で華奢な年若い少女。
彼女は巨大な戦斧を振りかぶっていた。それも、彼女どころかレンツォの体躯を超える程の大きさの。
呆然とも、愕然ともする前に、目にも追えない速度の大斧が、その幅広の刃が、エトナボアを両断した。
噴き上がるは熱く紅い血液。
全身を血に染めて立つレンツォの脇腹に、柔らかいものが当たった。
そこは負傷している脇腹だ。
貫かれ、抉られて、腐臭を放ち始めた腸まで出てしまっている脇腹だ。それに触れるは手。汚れなどなく、白く華奢な綺麗な手。
「お兄さん。すっごい無茶するね。お姉。重ねてね」
「当然だ」
そして声を聴く。柔らかくも朗らかな声と、少し硬いが真摯な声。それは少女達の声だった。そして。
「「我はここに集いたる人々の前に、厳かに主に誓わん。我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんことを。我が望みたるは、癒し。地に踊る、強き力の躍動よ。水に宿りし、生命の誕生よ。火に揺れる、熱量の再生よ。風に流れし、息吹の循環よ。天の星々、夜の帷。そして儚き人。森羅万象全てのモノへ、我が愛を捧げよう。慈愛深き、救いのラッパを吹く御使よ。我に御力を貸し与えたまへ。優しき光を賜りたまへ。治癒」」
聴こえたのは詠唱。重なる言葉。顕現する秘蹟。
それは、主に侍る五つの御使が一人、ガブリエラによる秘蹟を人類種が再現しようとして、辿り着いた技術の一つの果て。
超高等術式に分類される、治癒の術式だった。
そして光に包まれて、抉られた腹が、砕け散ってしまった腕が、再生してゆく。
同時に、身体の中からごっそりと生命力が失われていった。この感覚は、気絶や昏倒の前兆であると瞬時に悟ったレンツォだ。
助かった。そう安堵しながらも、負け惜しみであろうとも、皮肉の一つも言いたくなった。
何せ、美しい少女二人が泣きそうな顔で心配げに、申し訳なさそうにして、見ず知らずの血まみれの男を抱いているのだ。
「なぁ。お前等って凄ぇのな。助かったけどよ。これが本当の、骨折り損のくたびれ儲けってやつだよな」
渾身の冗談にポカンとする少女達。右手を振ってやれば、やがてそれが性質の悪い冗談だと判ったようだった。
「何それ。全然面白くないし。身体張り過ぎだよ」
「そうだぞ。それに男性にとっては、右手は恋人なのだと聞く。大事にしてやらねばいかん」
「ぶふぉっ」
膨れっ面をする治癒の少女はともかくとして、突然とんでもない言葉をぶっ込んできた少女には思わず咽せる。どういう事だと尋ねれば、得意顔をされた。
「兄上達が、良くそう言っているからな」
どういう会話だと思ったレンツォであったが、そんな事より大切な事があった。
今でこそ見る影もなく血に汚れてしまっているものの、見るからに綺麗で真新しい装備と地図が役に立たないという会話。
力量に似合わず、何の警戒心も無く他者を助けるという無謀な行為からも、推測が出来る。
彼女達は、迷い込んだ新米冒険者。
薬草が数多く自生する通称『花畑』付近には妖精がいて、悪戯に人々の『運命』を弄ぶとされている。
妖精は人類種の運命を面白おかしく観察する為に試練を与える。
例えば、前途有望な新米冒険者を、気付かぬ内に穏やかな低層から危険な中層へと転移させるなどだ。
何も知らない二人には、現状と結界の位置を伝えねばならなかった。
「運の悪い事に、ここは中層だ。崖に左手を着けながら元来た道を戻れ。目に見える物だけを信じるな。途切れた位置に、結界はある」
それだけ言い残すだけで、限界だった。治癒の反動としての肉体が求める休眠には抗えず、錬鉄の士であるレンツォは、グースカと鼾を掻き始めた。
* エトナ豚とエトナボア
霊獣は親の特徴を強く引き継ぐ。この性質を利用し、捕獲したエトナボアから眼球と視神経を摘出し、その状態を魂へ定着させたもの同士を交配した種が食用として家畜化されたエトナ豚である。視覚はなく、大人しい獣となった。
このエトナ豚。同種間での交配を続けると五代程で高い滋養と生殖能力を失うが為に、時として視覚を奪い家畜化したエトナボアと交配された。
* 社会制度について 法人編
法人は便宜上の人格とされ、個人へ責任を負わさない為に作られた。
過去の人類種は生命の価値が軽く野蛮であり、責任の取り方を自死によるものとしやすかったからである。
それで問題が解決する事は少ない。法人は概念として責任の所在を引き受ける存在となった。便利であるので今では諸々の社会制度と共に一般に普及している。
感想とか評価とか欲しいので、読み易さ、頑張ってみます。
少しは読まれればと思ってしまいます。