18話 騎士の意地と貴族達の婚活事情。
ありがとうございます。感想、お気に入り、評価。どれも大変嬉しく思います。
申し訳ございません。前回後書き書いた通りに説明回となってしまっております。好まれない方もいるかもしれませんので、後書きに二行で要約してあります。
苦手な方は後書きへどうぞ。でも、すっごく読まれたい。
岩畳の床に敷かれしは、毛羽立ち踏み重ねられた絨毯。余程に古いものなのか、元色の面影さえも褪せている。
剥き出しの壁には黒い煤や脂の痕が染み付いていて、清潔感があるなどとはとても言い難かった。
鼻腔を擽ぐるのは様々な香りが煙るものだ。
最も濃いそれは、肉の脂の焦げる臭いである。
パチパチと、火にくべられる牛の肉。
静かにカチカチとした僅かな音と、力強く、されど下品でない静かな咀嚼音が奏でられている。
国名であるビタロサは、仔牛の大地を意味する古語である。その名の通りに牛食の文化も豊富である。
ここは、その中の一つへ特化した場所。
肉の味付けは塩と、練り辛子を香辛料などで整えたマスタードのみである。大変力強い姿勢であった。
この味付けには鉄板である赤ワイン。それとモロコシを原料とする強い蒸留酒などが良く合った。
焚き火を囲む者達もそれぞれにグラスを抱え、酒と肉を貪り食っている。椅子はあるが屋根はない。
いや。強いて言うならば、夜の星々瞬く空こそが天蓋か。炎の明るさに照らされた煙は、ゆらゆらと天へと還っていった。
大勢の男達が囲む。
だというのに、そこに言葉はない。また余計な音もなかった。年嵩の者が多い事が、無駄口を叩かぬ風潮を産んでいるのかもしれない。
篝火と肉の二重奏と、彼等の僅かな所作の立てる無骨な物音だけが場を支配している。
これにドン引きするのがレンツォだ。
ここは居酒屋『騎士の店』。パレルモでも人気の各地の地酒と美味い牛肉を提供する、大衆居酒屋であった。
そんな店である。
もっと賑わっているのかと思ったが、そうでもない。席こそ埋まっているが、喧騒などなかった。
そして、焚き火を囲む面子の中に、女が一人。
パチパチとした火を見詰める。若く美しい女。
この掃き溜めと言っても過言でない中で、輝く女であった。物憂げに視線を上げた、彼女が唇を開く。
「来たか。先輩。なんだその、怯えた視線は」
月の女神を思わす麗人か。はたまた機織りを嗜む佳人であるか。神話にでも居そうな手弱女が、静かに呟く。美しい。
そう思った男はレンツォ一人ではないのだろう。彼女が顔を上げただけで、周囲の男達。
むくつけき、歳経た荒くれ者共達の時さえもが止まっている。
「何? お前。こういう店が好みなの?」
「騎士っぽいだろう? ここは、良いな」
レンツォの質問に答える美女。
周囲は生唾を飲み込んだ。女が艶やかであったから。だけではない。彼女の足元に転がる比較的若い男達が、白目を剥いて呻いているからだ。恐らくだが、息はある。
「彼等は?」
「しつこくてな。仕方がないから、黙って貰った」
彼等は皆、原型を留めている。顎が割れたり手脚がひしゃげてはいるが、致命傷ではない。
多分、きっと。
「癒してやらねーのか?」
「少しは反省して貰わねばな。婦女へ騎士がしつこく言い寄るなぞ、らしい姿とは言えぬ。己の騎士道を見詰めなおすのには、丁度良い機会だろう」
そう言って、麗しき白い顔を綻ばすのは『ゴリラの騎士』。アルティエリの冒険者姉妹の片割れである、ソフィアであった。隠し二つ名なので、呼ばないが。
まぁ座れ。などと言いながら赤ワインのボトルを掲げるソフィア。乾杯への備えである。
「ちっと待ってろ。酒取ってくるわ」
反転しようとしたレンツォの腕が掴まれた。強い力だ。それは隣にいる男によるものだった。五十程の彼もまた、ボトルを掲げている。
「新顔だな。一杯奢るぜ」
短かな言葉。また因縁の類かと、身構えていたレンツォの力が抜ける。
黙礼での略式の騎士礼を見せて、ボトルを受け取った。
ソフィアが立ち上がる。店内の男達もまた、立ち上がっていた。
「新たなる騎士道を歩む者よ。ようこそ。我等が道へ。新たなる門出を祝して、乾杯」
乾杯の歓声が上がった。それぞれが、手にしたボトルに口付ける。レンツォもまた、ボトルに口付けた。
モロコシを原料とする強い蒸留酒。度数四十一度を超える、癖のある濃い琥珀色を一口飲み下した。
「悪ぃ。割り物取ってくるわ」
「心配するな。用意してある」
「かたじけない。恩に着る」
言った男の足元には、二つのアイスペールと二つのグラス。加えて何本かの小瓶が置いてある。
格好付けたものの、強い酒であった。タダ酒であろうが、キツかった。
そう思うのは何もレンツォだけではない様で、居並ぶ男達もまた、めいめいに酒をグラスに注ぎ、水や炭酸水で割っている。エールやワインで割る、豪の者もいた。
「お姫様には着いて居なくて良いのかな?」
「お姫様ってな柄じゃねぇだろう。どうも不安でな。先達に学びに来た」
「感心な心掛けだ。で、何が知りたい?」
「まぁ、空気感とかか? 考えてもしょうがねぇから実物の騎士を見に来たって所よ」
この『騎士の店』。ソフィアが言う所に拠れば、パレルモの騎士達が好んで通う店だという。
彼女は貴人であって騎士ではないが、とても騎士被れであった。
心根が騎士であれば、それは騎士。というのが彼女の主張であり、真実は騎士ではなくとも子供の頃からこの店を好んで通っているらしかった。
ここに来れば、素晴らしい騎士達に会えるぞ。そう言われてもいた。
来賓用の宿では食事は出るが、酒は出ない。
男爵は健康のために酒を控えているし、女性陣はあまり嗜まない。三馬鹿も何処かへ飲みに出ている様であり、暇なレンツォはせっかくだから。と来てみたのである。
「ふ。遠慮せず、知りたい事があったのならば、尋ねてみると良い。偶に不心得者もあるが、この店へ訪れるのは、気持ちの良い騎士達だ。己を磨く鏡にもなるだろう」
「渋いってか、質実剛健って感じだよな。良い男達だとも、感じられる。騎士ってなぁ、かっけぇな」
得意顔のソフィアである。とても美人だが、この店へやって来ているレンツォの目当ては彼女ではなかった。寧ろ、居ない事をこそ望んでいた。
居るかどうかは、五分と五分。賭けに出た彼は、見事に敗れている。
この『騎士の店』、老舗である。
島の玄関口であり、騎士の街とも呼ばれるパレルモでは長く続けられていた。
当然、口コミや評価の様なものだって数多くもあって、その印象は今日の様なものではなかった。
騎士達が篝火を囲んで語り合う、それなりに賑やかな店。そういった印象だった。
年齢層が高目である事もあり、節度こそあれど、ここまで堅苦しい場所ではない筈だった。
実はこの状況。ソフィアの存在に原因があった。
事前調査により、それを知っていたレンツォだ。だからこそ、居ない事に賭けていたのである。
ドン引きしたのも、空気感から、いるんだろうな。と思い至ったからだった。
いくつかの古い口コミに、書かれていた事がある。
この店には時折り、さる貴人のご令嬢が訪れる事があるのだと。一番古いのは、十五年も昔のものだ。
一目でそうだと判る幼いご令嬢は騎士達へ、お話をせがんだ。
普段の生活や騎士としての仕事、冒険や騎士物語のお話などをである。彼女は騎士に憧れる、幼子であった。
大人である騎士達も、幼くも麗しきご令嬢に懐かれて、憧れられて、悪い気はしなかった。
持てる知識や経験を、面白おかしく、だけれども教訓を込めて伝えていた。
男達だって、子供が好きなのだ。
未来や可能性に溢れていて、健やかに、良き人として成長すれば、そこに喜びがあった。
しかも、貴人のご令嬢である。
女騎士として誰かに仕える事があるかもしれないし、騎士を抱える主君となるかもしれない。騎士教育を惜しまなかった。
そしてご令嬢は健やかに、美しく成長してゆく。騎士を志しながら。
パレルモからは離れた都市カターニアの学園に通うご令嬢も、やがて愛し子から抜ける十二となった。
常連達は祝宴を開いた。
幼い頃から見守って来たご令嬢だ。大陸では十二の歳に飲酒が解禁されるので、喜びと共に楽しもうと。
彼等は皆、騎士達だ。仕える主君があるし、節度も良識も備えた良い大人である。
美しい少女相手でも、邪な気持ちなどあろう筈もない。眩しく成長してゆく少女を寿いで、幸福を願っていただけだ。
だけれども。そういう者達ばかりでないのもまた、現実だった。
彼女へ野心を持つ男達がいた。主な客層と比べて少し若いが、彼等もまた騎士だ。
最低限の倫理観はあると誰もが考えていた。
若い騎士達が美しい少女に想いを寄せるなど、ありふれた話でもある。だからこそ、油断していた。
無難に躱わしていた少女であるが、言い寄る男は次々と現れた。まだ、十二の小娘。であるのにだ。
肉体の成熟を果たしてもいない、未熟な肉体。身を震わせる程の端麗な容姿に、騎士達への憧れを隠さない情熱が滾っていた。
それはまさに、男を狂わす魔性であった。
だからこそ、数名の血迷った者が出たのだ。
昔における仮成人。十二を迎えた相手とならば、どの様な関係となろうとも、極刑とまではならない。
肉体的には当然未熟であり、精神的にも知的にも未熟であれば、言いくるめる事や、脅しを用いる事など訳もない。そう考えた者がその日、三名いた。
彼等は宴が終わるのを待った。初めての酒に紅潮した頬を見せながら、小さな淑女は店を辞した。彼等はそれを追っている。
店の常連達は街中の騒動を聴く。天井がないのであるから街中の喧騒などすぐに伝わった。
驚愕と恐怖。そして興奮の声が聴こえる。官憲達が集う声もした。
無惨な結果があった。
暴虐の限りを尽くされた、小さな遺体があった。骨を砕かれ、肉を挽かれ、身を潰された、ほんのわずか前までは人であったもの。それが、三つ。
美しい少女が俯いて、涙を流している。純白のドレスを紅き返り血で汚し、悲しそうに。
美しくも、残酷な光景であった。
口コミに詳細までは書かれていなかった。だが、途中から怪談めいた物語となっていく書き込みは読んでいたレンツォの背筋を震わせる。
その少女こそが、幼き頃のソフィアだと知っていたからだ。それに、姉妹二人の新人時代に花畑で食い物としようとした四人組の末路も知っている。
彼女達と出会った後には色々と話も聴いてもいたし、他にも聴かされてもいた。
レンツォが彼女達へ行った新人講習で主に力を入れたのは、平常心の保ち方であった。
ソフィアは心優しく倫理観も確かで、騎士物語の理想の騎士に憧れる、純真な娘である。才能があり、素質もあった。生真面目であるし、正義感も強い。
だが、強過ぎた。特に肉体的に強靭過ぎた。
稀に、なんの加護や祝福もなく、何一つ努力に拠らない強者という者達が存在する。そういったものは単純に才能と呼ばれる。
彼女は、彼女達の不幸は、そうである事だった。
更に彼女達姉妹の不幸は、この頃まで家族達などの存在しか知らなかった事にもある。
家人や使用人、学友達も同類であった。だから、それ程に加減を覚える必要がない。
されど、彼女が屋敷を抜け出て訪れていた『騎士の店』は、只人が集う大衆居酒屋だ。
腕に覚えのある騎士は数あれど、文字通りに彼女達と庶人では、住む世界が違った。
恐ろしさに振った手が当たって肉体が爆ぜるなど、思ってもいなかった。手当てをしようとしたら潰れてしまうなんて怖かった。彼女はそう証言をしている。
それでも普段ならば問題はなかった。
肉体的に強靭な自覚があって、ちゃんと加減なども覚えていたからだ。そういった教育もちゃんとされていた。
だから騎士達も安心し、可愛がりながらも、色々と教え込んでいる。
ソフィアとジュリアの姉妹。彼女達はずっと、お互いに愛情で満たされていた。
母に愛されて育った。
母が亡くなった後も父が現れて、沢山のお母様達とお兄様達。そしてお姉様と一緒で、幸せだった。
知り合う誰もが良い人で、彼女達は怒ったり、悲しんだりする機会さえもなかった。
だからこそ、純粋なソフィアは自分に向けられた何かを恐れ、悲しみ、怒った。憧れが強かった分、余計に裏切りへの悲しみや怒りは大きい。
強化などの術式は、この様な感情の昂りから発現する事もあって、彼女はこの時に発現している。
元々の異常な身体能力に、制御のない強化。
その結果が、惨劇だった。
泣き崩れたソフィアを、誰も責める事も、慰める事も出来はしなかった。そして——。
そこまで考えて、レンツォは止めようと頭を振った。過去は変わらないし、変えられない。
それにソフィアは既に自分の足で立っている。
彼女がこの場所へ訪れる意味は、贖罪と鎮魂。そして、己の誓いの為だった。
だからこそ、それを知る騎士達も付き合っているのだ。そういった、同調圧力を嫌う者もあるだろう。
だが、そうする事こそが彼等のケジメで、誓いであるのだと察せられている。
お互いに、何かしらの運命を共有する仲ではない。
それでも、僅かにでも関わる者として出来る事はある。
「お前さんは御免だが、今の俺が騎士に意地を張れるか試したい。誰か、お薦めはいないか?」
「ほう。大きく出たな。彼等は私の憧れだぞ。私なんかよりも、遥かに強い」
男達が手を振った。無理無理という意味で。
とはいえ、ソフィアの言う『強い』の意味は知っている。彼女は己を『弱い』と、思っている事も。
——これだから、才能のあるヤツは。
呆れもあるが、そんな愚痴を零しても、己が磨かれる訳ではない。誰かに何かを届けたければ、やれる事を広げるしかないのだ。
「誰でもいいさ。女一人に燻った騎士様達よ。生意気な新入りをいたぶって、鬱憤を晴らす機会だぜ。死なん程度に頼むが、【決闘】よ。我こそはという、気高き騎士はおらずや?」
挑発と、誠意を込めた口上だ。騎士とは、やはり気持ちの良い奴らだ。彼等の目の色が変わった。
「闘技場に行くかの若いの。暇人が相手してやるわ。お主が負ける度、交代よ。死ぬんじゃねぇぞ」
隣から、言葉が返った。上等だ。鼻を空かせてやるぞ。胸を闘志で燃やし、グラスを呷る。
「赤金を、舐めんじゃねぇぞ。お山の化け物共を相手にしてきた経験。刻み込んでやるぜっ!」
当然。とレンツォも思っていた事であるが、ボコボコにされた。だが、そこそこ楽しんで貰えた様で、嬉しくもあった。
彼目線の意見であるが、結果以上に実力に、大きな差があるとは思ってはいない。この結果は適性や、経験の差なのだろうと考えている。
そして、ここまでボコボコにされた原因にはソフィアの存在があった。
彼女は超高等術式である治癒を修めている。脳筋騎士バカの癖して、結構得意であった。
なおかつ、お金持ちで優秀な冒険者なので生命力を回復せしめる霊薬などという貴重品も持っていた。
倒れる度に治癒されて、希少な霊薬により意識を飛ばす事もない。
死なない弟子の出来上がりであった。
これを楽しんだ騎士達に、思うが儘にされていた。
腕が飛び、脚が散り、胸や腹を突かれる。頸だって、何度も落ちている。だが、死なない。死ねない。
ソフィアがせっせと治癒するせいだ。
ついでに無理矢理、一個でも家一軒を買える様な高価な霊薬を口へと突っ込まれ、生命力の枯渇さえも許されない。鬼め悪魔めと罵るものの、どこ吹く風だ。
彼女が満足するまでは、この拷問に終わりはなかった。負ける度に交代だからか、もう二十人目にもなるか。つまり、既に二十回は致命傷を負っていた。
それでも、気力だけは折れずにいる。
今回のこの【決闘】は、条件がレンツォに向かぬものである。
得物は剣だ。不得意な上、持つのは鈍らであった。
対して騎士達は対人剣術を修めている。得物である剣はその性質上、斬撃と刺突に向いた。
人体の急所を狙い、効率的に殺傷する剣術と、レンツォの棒振りとも変わらない力任せの剣術未満では、話にもならなかった。
盾はある。普段使いの大楯だ。これの扱いには自信があった。確りと受ければ、格上の攻撃だろうが抜かせない。斬る為の剣ならば、折れるとさえも考えていた。
だが、技術を持つ者達は霊獣とは異なった。その技術は以前にも見ていた筈なのに、慢心があった。
以前見たのは黒装束達だった。
盾で受けられた際、刃を滑らせ衝撃をいなす術だ。
騎士達の腕は彼等に比べると、ずっと洗練されている。盾で受けさせても貰えない。触れる前に軌道を変えられた。その隙に、剣を振る。
「んなくそぉっ!」
気合いというより罵声である。速く、鋭く振らなければ剣など当たりはしない。
重い音。手に響く衝撃。
盾で受けられている。重く硬い、レンツォの持つ鈍らを。
「兄ちゃんよ。騎士になるんなら、どっちであっても対応出来て、初めて意味がある」
力が強い。というよりも、巧いのか。
粘りのある小盾の動きに剣が『居着いて』しまっている。押すも引くも出来なくて、レンツォは足を出す。
「蹴りじゃ、ねぇんだよ。こういう場合は」
激痛。脚の指からだ。脛狙いの蹴りは受け止められて、踏み込まれた足で足指をつぶされる。親指だ。そのままの蹴り上げ。下腹部に備わる内臓が潰れる。
「かはっ……」
「たまにゃ、どうしようもない化け物みたいな奴らもいるが、人ってなぁ怪物程にゃ頑丈じゃねぇ。意外と急所も剥き出しで、痛みなんかにも敏感だ」
突き。心臓を抉られて吹き飛ばされる。すかさず聴こえるは治癒の詠唱。またもや霊薬を口内へ突っ込まれていた。
「良い時間だし、ここらで潮時だ。よく頑張ったな先輩。騎士の心というものを、多少は感じて貰えただろうか」
「嫌になる程にな。騎士ってなぁ、こんなに滅茶苦茶なんだな」
「いや。慣れない環境でよく頑張ったものだ。ほら、皆の顔を見てくれ」
四十名程が並んだ、騎士の半数は笑顔である。もう半分は不満そうであった。
「自分は暴れられたから、満足しているだけじゃ?」
「充分ではないか。二十もの騎士と当たって生き残れるなんて、武勲だぞ。しかも平服で」
「完全介護のおかげだからな。普通は一人目でお終いだぜ」
レンツォの不利は装備にもあった。着ているのは背広だ。胸当てなども着けていなかった。
当然ながら斬られたり突かれたりしているので、ズタズタで血みどろである。襤褸となっていた。
「実際に完全装備ならば、ここまではやられはしないだろう」
鎧兜を着込んだ状態ならば、ここまでやられはしなかった。剣の刃は通らぬし、急所への打撃でも痛みを受ける事もない。対人剣術の多くは封殺出来る。
剣戟で防具も強化も抜かれる相手ならば、どうなるものでもない。その場合は諦めが肝心であった。そんなのは、余程の遣い手。今は一般論で充分だ。
「騎士達も完全装備なら?」
「立派な肉壁となって散れ。兵の仕事だぞ」
そんな事。戦士である彼等が克服していない筈もなかった。レンツォがそうである様に、彼等にとっても剣はあくまでもサブウェポンである。
公的な場所においての武装が認可制であるからだ。王宮や夜会などの催しなどは丸腰が基本となる。
「はぁ……。自信なくすぜ。俺ってコレでも入り口に立ってるんだよな?」
「誇って良いぞ。彼等は『英雄』として道の先を歩んでいる。それを楽しませられたんだ。あとは精進あるのみだな」
丸腰といってもそれは手持ちする武器や、見苦しくもなる防具についてであり、拳銃の所持や帯剣は認められている。護身用であった。
騎士達は同時に従者でもあって、そういった状況下においても主人を護らねばならない。そうする事こそが誉であった。故に、対人武術を修める。
「今更身に着くもんなんかな……」
「武と武がぶつかりあっても、結果は碌でもない事しかない。皆、弁えているよ。先輩は精々、イラーリア姉様の肉壁になれれば充分だろう」
実際にはそこまでお行儀が良い筈もないのだが、現代社会においては暴力を喜ばない風潮が強い。
人と人の争いは憚られた。その為に礼節などを身に付けて、不要な諍いを慎もうと努力するのが人類種の美徳とされている。
「んな事言ったってなぁ……。何とかなるのか?」
努力して身に付けるべきものであるからして、誰もが持つ美徳ではない。というよりも、当然そうでないものの方が多かった。
ただ、王や指導者といった上流階級などが平和主義を志向する為に、社会がそうなっているに過ぎない。
滅ぼされないためである。王や指導者は強いからこそ、その立場にあった。
「何とかするのが、先輩だろう。少なくとも、我が同胞達は先輩を受け入れている。行ってやれ。私はお先に失礼するよ」
ソフィアは綺麗な騎士礼と淑女の礼を披露して去ってゆく。どちらも、とても洗練されている。
その夜のレンツォは騎士達に朝まで歓迎されていて、どんちゃん騒ぎを楽しんだ。当然ながら翌朝は寝坊してしまっている。
彼の肝臓はそれなりにしか強くない。朝から二日酔いに悩まされるのも当然の報いであった。
「それでは、大陸における貴族の婚姻制度と、慣習的な騎士制度についてのご説明をいたしましょう。少し長くなりますけど、頭の片隅にでも残しておいて下さいね。きっと役に立つ事もありますから」
「よろしくね。アンナ先生」
「お任せください。お勉強済みですからね!」
ユウさんに先生と呼ばれ、ない胸を逸らす得意顔の幼女であった。転ぶぞ。
イラーリアが背中を支えている。過保護め。
痛む頭を抑えながら、暫くゆっくりしておこうと考えているレンツォであった。
出席だけでも単位となった、学府時代の講義を思い出す。貴重な休憩時間であった。
受講者は六名。レンツォ、ユウさん、三馬鹿、そして男爵であった。
イラーリアと奥方は先生を文字通りに支えている。
演台に立つための、踏み台へと登っているからだ。不安定で危なっかしいので、二人で支えていた。
この講義の様なもの。朝食の間の会話にて、ユウさんから貴族の婚姻や騎士制度についての質問があったのが始まりだった。
女性なので興味があるのだろう。だが、三馬鹿までもが興味津々であるのは意外であった。
そういった知識の講釈なら奥方が適任だろうと思っていたのだが、奥方は幼女へ、皆さんに教えてあげてね。と譲っていた。
遊びの一環なのだろう。朝から雨が降り出しており、幼女がむくれていたからだ。
女性陣は本日の予定をお出掛けとしていた。それが雨によりお流れとなったからだろう。
少し面倒だと思っていたレンツォは安心している。
護衛として付き従う必要がないからだ。女性達のお出掛けへの付き合いなど、面倒なだけだった。
それに大変ヤル気に溢れる幼女であるが、レンツォには真面目に聴く必要もない。気楽であった。その辺りの知識は既に履修済みである。
以前、イラーリアから騎士の誘いを掛けられた時から学んでいる事なのだ。貴族達の婚活事情と慣習としての騎士制度には、切っても切れない関係があった。
貴族。というよりも、当人である貴人の婚姻には結構面倒臭い取り決めがあった。古来よりの伝統としてなので、別に改革も進んでいない。
まず爵位を賜る当人以外。その家族である貴族の婚姻には特に縛りはない。
関係性や立場上においてのしがらみなどこそあれど、それはそれとして可能かどうかで言えば法的な問題はなかった。
例えば現状でレンツォがイラーリアと婚姻を結んだとする。これに問題はない。爵位を賜るのは男爵当人であるからだ。
イラーリア自身は貴族籍からは抜ける事となるものの、それ自体は可能であった。
しかしそれが爵位を賜る当人である場合、いささか扱いが異なった。
貴族といえど、実はそれ自体に立場がある訳ではない。貴人の家族。即ち貴族であるからだ。
一般的な認識とは異なり、法制上では厳密な違いがあった。
基本的に実力主義を標榜するビタロサ王国。だけでなく王制の敷かれた大陸各国では婚姻による立身出世が認められていない。
例えば、独身の公爵が子爵の娘を娶るとする。この場合、子爵の娘は公爵夫人とはならない。
公爵は子爵の娘の夫として、子爵を継ぐ家族として遇される。降爵となった。
公爵は空位となり、別の者が任される。そして、この元公爵であるが、叛逆者扱いとされた。
考えれば当然であるだろう。爵位制度は支配と統治の為にある。
支配者である王に賜った爵位を、自ら投げ捨てたのだ。叛逆以外の何者でもない。そして支配者は叛逆を赦してはならない。処罰する事となる。
この例外は支配者たる王のみだった。
爵位は王が与えるものであるからだ。
ただし、同格の爵位同士での婚姻である場合はそれ程に問題とされない。爵位の横移動や複数所持は認められていた。
とはいえ、爵位の複数所持者はそれぞれの義務を果たさなければならない。俸給は増えるが、基本的に義務を果たせば足が出る。
こういった取り決めは王権による統治と支配の為にあった。
その様な事情があるので、貴族子女は叙爵以前に婚姻を結ぼうとし、早婚となりやすい。
爵位を継ぐ前の貴人の家族。貴族であれば、特に厳しい取り決めはないからだ。
そしてこの規則をレンツォとイラーリアとの間に当て嵌めたとする。
正式な叙爵は年明け以後のものとなるが、それはそれとしてアルトベリ男爵は隠居してイラーリアが跡を継ぐ。
彼女の立場はイラーリア・ルチア=アルトベリ女男爵となる。
男爵称号の前に女を付けるのは言語上で紛らわしいからである。他の爵位の場合には特に付かない。
その女男爵が無位無官であるレンツォと婚姻を結ぶとすれば、どうなるか。
爵位を投げ出したとして叛逆扱いとなった。
そういうものであり、また、そうする訳にはいかない。
これへの抜け道はないものか。実は二つある。
一つには冒険者の位階制度が関係していた。
その成立には様々な経緯があるものの、今のレンツォには無関係な話である。
彼にとって必要な知識は一つ。
冒険者位階である銅位階。彼の場合は赤金だ。この銅板へ記されし者は、一般的な認識においては下位貴族や騎士並として扱われている。
筈なのだが、それはあくまでも信用情報などが意味するところであった。
国家としての身分としては、厳密には相当していない。庶人のまま、それらに匹敵する力を持つのだ。と認められているだけである。
冒険者位階で、国家により叙爵相当として認められるのは魔銀を御せし卿。俗に呼ばれる魔銀からであった。この位階であれば、爵位の最下位である男爵相当として認められている。
それぞれ、公侯には宝石。伯爵に白金。子爵には黄金。男爵に魔銀としての対応がされていた。
同格の場合の席次としては、国際法上では冒険者としての位階が優先される。
魔銀と男爵であれば、婚姻を結んだとしても男爵も叛逆とは見做されない。二人が同一の爵位にあるものとされた。この場合、俸給の支払いは一名分となる。義務は二倍として課された。
支出は結構苦しいものとなるが、レンツォが魔銀であれば婚姻に問題はない。
しかし彼はまだ赤金だ。故に実質的に男爵との婚姻は認められない。
五年。あるいはもっと待たせる事となるかもしれない昇格に期待する事は出来なかった。
魔銀へと至るには、多大な功績と力を必要とした。
そこで、もう一つの抜け道である。
家人としての騎士制度であった。
制度というが実の所は習慣で、これのお陰で多くの貴族家は断絶や廃爵を免れている。
現代のビタロサや各国で、家人として主家へと仕える騎士に公的な身分はない。
誰ソレのお弟子さんといった具合であって、雇用契約を結ぶものではないからだ。
侍従の様に傭人として、労働者としても契約を結ぶ事もあるのだが、それは絶対ではなかった。
そして彼等の間には、ソレを不純な物として嫌う風潮もあった。
割と面倒臭い事に、無私を尊ぶ文化というものが強かった。どう考えても損な筈なのに。
そういった背景により、騎士が増えれば増える程、職歴のないものが出る。
大昔ならば職歴などそれ程まで見られはしなかったが、現代ではそうもいかない。
仕事のない武人なぞ、犯罪者予備軍でしかない。
貧すれば鈍する。衣食足りて礼節を知るというものだった。
その解決策の一つとして、大陸法の一つがあった。
法的な扱いにおいては騎士として一人の主人へ五年も仕え続ければ、家の者。即ち家族相当の立場として扱われるというものだ。
これが結構使い易いものであり、力を求める貴族達は、我が家へと仕える騎士を求めた。
求めるのは、自らに。そして家へ。忠誠を尽くす騎士である。騎士は主人へ忠義を捧げ、主君は騎士へ庇護を与える。
古来より続くこの習慣が、この大陸法と上手く噛み合っていた。
力を得る為に、騎士を迎え入れる貴族達。騎士の誓いは婚姻とも並ぶ神聖なもの。
それに長年仕えれば互いに情も湧くものだ。五年はあくまでも現行法上での区切りでしかない。
これにより貴族達は合法的に家へ迎え入れる者を選ぶ事が出来た。血は繋がらなくとも、家の者として扱われる。
家付きの者であるので、婚姻の契約を結ぼうが降爵はない。
爵位の横移動もないし、元々が婚姻での昇爵はないので俸給も義務も一人分となる。
今も昔も法的な婚姻可能は十五で、成人もある時期までは十五であった。
婚約はともかくとして、流石にその年齢で婚姻を結ぶ者は多くない。今も昔もだ。
義務教育は古代ロウム帝国時代より制定されている。救世主以前からの普遍的な習慣であった。
十五で一人前。成人と看做されて、それで社会で通用する程浮世は甘くはなかった。
更なる研鑽を積む為に学ぶ、学府や士官教育の修了などは二十前後となるものだ。
現代社会においては教育課程などとの兼ね合いからか、二十二での学府修了が一般的となっていた。
十五での義務教育を終えた後、社会に通用する力を付ける為に更に学ばんとするならば、その位の時間が必要とされるものだった。
名目上は戦士階級である貴族達が若年にして死亡するのは特に珍しくもない。人同士でも争いはあるし、異界や怪物などもある。事あらば戦闘となった。
跡を継ぐのは大抵が子や弟妹などであり、若さから婚姻などを結んでいる者も少なくなる。
こらいかん。と慌てて配偶者探しをしても、丁度良い相手など簡単に見つかる筈もないものだ。
それを補うのが家人としての騎士達だった。
貴族の相続では対象者の中から最優の者が選ばれる。そうでなければ、家を維持する事が難しい。
かといって、継承権を有するから優秀であるものでもなかった。それを補う力としての騎士が認められている。
この曖昧さや明文化されていない規則が、広く利用されている。それは人類種の知恵によるものか。
貴族が他家へと騎士として仕える場合、本籍を抜ける事となる。これは継承権を放棄する事と同義であった。個人が家を抜け、他家へと入る。
爵位を賜る貴人ではないので、叛逆にあたらない。
貴族だって人だ。煩わしい法から逃れ、自由恋愛を楽しみたい。そういった層もある。
実社会においては異界や怪物のみならず、戦争や災害、事故や病だってあるのだ。
いつ爵位を賜り不自由な立場とされるかなど知れた事ではなかった。
家人としての騎士制度は便利で手軽な保険としても利用される手段であった。
とまぁ、この様な長話を幼女先生は一生懸命に語ってくれるのだが、レンツォは知っている話であった。
ユウさんは成程と頷いている。三馬鹿は理解が及ばぬ様子であったが、幼女先生に、「騎士になれば、仕えるお家のお嬢様と、恋仲となる権利が得られるのです」と言われていて、とても興奮していた。
実はこの騎士制度。結構社会の闇の部分があった。
主君は騎士へと庇護を与えるが、無私の忠義を求めるものだ。
一労働者と、家人としての騎士。掛かる経費はどちらが高くつくものか。
労使の関係には定められた法がある。最低賃金に職務に応じた報酬や福利厚生だってあった。結構お高くついた。
一方、私的な主従関係にそういった法はない。習慣や常識はあっても、取り締まる法がなかった。しかも神聖な誓いを元としている。どちらの立場からでも法で縛られる事を嫌った。
このせいで、黒い労働と呼ばれる悪質な関係が存在していた。
詳細は語るまでもないだろう。なくそうという努力はあれど、根絶は遠かった。
誰もが誇りや名誉を重んじるではない。目先の欲望に流される事は珍しくもないのである。
だが、己を高め、周囲を引き立てる事を美徳とする貴族達には、そんな庶民の感情がわからない。
文字通りに住む世界が違うというのは、そういう所からも来ている。
お貴族様ってなぁ、本当に面倒臭ぇなあ。
そう思う、庶民であるレンツォだった。
申し訳ありません。やはり説明回となってしまいました。
情報の出し方などの不味さは相談先各所で散々指摘されているのに、修正出来ず。苦手な方や嫌う方もいると思いますので、今回を要約すると。
作品における騎士や貴族の面倒臭さと、結婚って本人達だけの問題ではないよね。って所です。
読んで貰えたら嬉しいのですけど。指摘された難点が修正できないのは心苦しいです。好いてくれる方もいるので、物語書きをもっと向上したいです。




