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12話 邂逅。狂奔。

 感想ありがとうござす。読み返すと読点が多く、読み難い所が結構ありますね。削れそうな所、修正してみました。とても励みになります。


ちょっと気持ち悪いお話かもしれません。戦闘回みたいなもの。


 激情のままに駆け出したレンツォだが、感じるままに郊外の旧貴族街へと向かったものの、そこから先は絞り込めずに困っていた。


 何せ、カターニアはエンナ方面や、エトナ火山近郊迄をも含めれば、人口二百万都市だ。レンツォ達の暮らす都市中心部でさえ、百万の人口を誇る。

 それなりの土地に、多くの人々が住んでいた。


 その中から、たった一人の気配。あるいは数名の殺気を感じ取る事など、困難極まりなかった。

 更に言えば、殺気なんてものは、そこかしこにも溢れている。

 冒険者の街であるカターニアだ。誰もが面子で生きていた。

 舐められたならば、殺す。大抵の住人はそうなのである。常に。とでも言って良い程に、殺気はありふれたものだった。


 それでも、強化が余程の強度だったのか。この辺りに居るのだろうとの当たりはついていた。


 旧貴族街には広大な屋敷が多く、所有者により開放されて、観光地にもなっている。

 その一つが使われて、年間を通して見せ物小屋が開催されてもいた。

 これが結構な人気であり、連日人が詰めるので、夕暮れの郊外といえど人が多く溢れてもいる。


 このどこかに、イラーリアと敵達がいる。

 そう確信を持つレンツォだったが、絞り込めはしていない。一軒ずつ、しらみ探しに回るのも難しい。

 所有者により強盗扱いでもされてしまえば、手枷を嵌められる。

 そうなればイラーリアを助け出す事なぞ、出来はしなかった。慎重に、見極めなければならない。

 

 そうこうしている内に、タン、タン、ターンと、高らかな銃声が三つ響いた。

 見せ物小屋からだ。本日最後の催し物が開催される合図であった。

 今のレンツォには関係のない事である。

 だが、ふと気付いた時に、足元へ小石が転がっていた。

 只の小石などではない。

 紙に包まれて、何処からか投げられた小石の様だった。拾い、開く。

 石は只の石に過ぎず、紙には雑誌や新聞の切り抜きにより、文が記されている。


 ——女は無事だ。無事に返して欲しければ、次の安息日の日中に、新山の頂まで来られたし。

 雌雄を決しよう。それまでは、好きに過ごされるが良ろしい。なお、この一件。他言は無用ぞ。


 そういった内容であった。レンツォは思わず瞳を眇め、街並みを見る。夕暮れの喧騒が溢れていた。


 この中に、敵がいる。そして、彼女も。


 そう思えば、奥歯が軋んだ。

 だが、軽々しい真似は出来ない。何かの拍子で、敵方の気が変わらぬとも限らなかった。

 沸き起こり掛けた激情を鎮め、レンツォはアルトベリ男爵一家の住む、集合住宅へと足を向けた。


 卿には、報告の必要があった。口止めも、頼まねばならないだろう。

 届出が出され、約束を破ったと思われては、イラーリアも無事では済まない。そう予想していた。

 望みは薄いが、イラーリアは交信(コンタクト)を習得している。男爵である卿ご夫妻も、習得しているものだ。

 素人考えではあるが、呼びかけ続けていれば、届くかもしれない。そうすれば、早くに救う目もあった。


 事態自体は、何も好転してはいない。

 だが、方針は固まった。この七日間で、決着をつけよう。

 組合へは、明日の依頼の断りを入れる事とする。暫くの間、冒険者稼業は休業だ。

 フランシスコにも断りを入れなければならない。今の最優先事項は、イラーリアの無事だけだった。


 らしくもないと、自嘲してしまう。

 兵としても、冒険者としても、『居着く』べからず。そう心掛けてきたし、そう教えてもいた。

 なのに、考えられるのは彼女の事ばかり。

 己の平凡さが嫌になる。

 出来る冒険者達ならば、冷静に、解決の糸口を探すのだろう。

 だが、レンツォには男爵に口止めを頼み、己の足で以て彼女を探す事しか出来ない。


 カターニアの官憲達は優秀だ。組合や、フランシスコ達に相談すれば、もしかしたら最適な解決方法が見つかるのかもしれない。

 兵として、冒険者として。生き延びる為に、最適を追い求めてきた合理性への経験が、そう囁いた。

 だが、レンツォの魂は感じている。


 イラーリアは、きっと、俺の助けを待っている。

 いつだって、馬鹿で、分不相応な夢を見てきた、自分の背中に向けて。


「仕方ありませんねー。いってらっしゃい。無事に、帰ってきてくださいね。待ってますからね」


 そう言って、いつも送り出してくれていた彼女が、待っているのだ。

 ならば、行かなければならない。

 



 勢い込んでいたレンツォだったが、男爵には「信頼する」と、またも託されて、七日を持つ事を約束して貰った。

 交信は変わらず通じていない様だが、まだ無事であるとの確信がある様だった。


 深く通じ合う者達同士には、『虫の知らせ』と呼ばれる、超感覚が働く事がある。

 交信を扱えぬ彼にも、感じられるものだった。父母である夫妻が、感じ取れぬ筈もなかった。


 憔悴していた男爵だった。子煩悩で有名な彼だ。

 噂話であるが、イラーリアが婚約破棄をされた際、単身にて、ロウムへ攻め入ろうとした彼だった。

 寄親であるアルティエリ家ご当主に取り押さえられて、止められている。そんな、誇り高くも愛情深い、シシリアの男であった。

 隣に座る、彼女の母であり、彼の妻である奥方は、泰然としたものだった。あの子は、貴方を待っていますよ。との一言だけで、嫋やかに微笑むだけだった。


 そんな彼等に託された。任された。

 ならば無茶でも、無謀でも。果たさねばならぬ。

 そんな激情を胸に秘めたまま、三日の間、感覚のままに街中を駆け回っていた。壊れてしまった雀の髪飾りを、手に握りしめたまま。

 レンツォに機知はない。見識だって、知れたものである。持つのは、鍛え上げた肉体だけだ。だからこそ懸命に身体を動かし、探すしかなかった。




「あら旦那。今日も、ご精が出ますね」

「これは。世話になっている。……負担ではないか」


 外出しようとするレンツォに、声を掛けて来たのは近頃入寮した彼女であった。背が高く、小股の切れ上がった、胸も尻も豊満な美人だ。


「お嬢さんみたいに丁寧には出来ないけどさ。アタシだって、女だよ」

「それでも、男衆の部屋だ。掃除なんかは、それなりに辛くはないか?」

「あは。家事は、嗜みみたいなもんさ。負担なんてもの、ないね。本業が始まった事もあるけれど、おかげで夜更かししなくて済んで、楽になったよ」


 彼女は男爵夫妻に頼まれて、臨時で管理人業を頼まれている。

 体調を崩したイラーリアが、暫く来れないからとの名目にあった。

 彼女は婚約破棄をされた令嬢として、長く悪評に晒されていた。

 そこに拉致されて、行方不明となった。だのという噂話が加われば、どの様な醜聞が立たぬとも限らない。

 これは、彼女の女性としての尊厳を護る為の方便でもあった。

 そして、この臨時管理人稼業。入寮時に結ばれた契約であるらしい。

 この契約を盛り込む事で、相当な格安な家賃となっているそうだった。


「本業? まぁ、暑い日が続く。無理せずに、程々にな」

「あら。言っておりませんでしたっけ? アタシ、踊り子でね」

「だから、スタイルも良いのか」

「あら、お上手。酌婦は仕事の無い時の埋め合わせ。今は、ほら。カターニアの旧貴族街に、見せ物小屋が入っただろう? あそこで世話になっててね」


 そうだったのか。と驚くレンツォであるが、そうそう無駄話に費やす時間はない。

 興味もあるし、美人との会話は実に有意義な時間であるが、優先事項を間違える男ではなかった。

 

「ならば、なお一層。気を付けた方がいいな。俺も近頃はあの辺りに顔を出す。もし顔を会わす事などあれば、よろしくな。では、また」

「いってらっしゃいな。今日はアタシも舞台に登るよ。良かったら、観に来てくださいな。旦那も、お気をつけて」


 明るい声音に少々後ろ髪を引かれる気持ちはあるが、そそくさと足を運ぶレンツォだ。

 美人相手は良い物だ。ささくれ立った心が柔らぐ。などとも考えながらも。


 イラーリアはこの何処かにいて、俺の救けを待っている。その感覚に、疑いのないレンツォだった。


 だが、何の情報を得る事も出来ないままに、五日目が過ぎようとしていた。既に日暮れも近い。

 落胆と、焦燥が燻った。

 それでも、この直感を明敏化させ、彼女を探すしか術はなかった。

 人に頼る事も考えた。

 だが、博打を打つのは危険であった。かといって、妙案が浮かぶ筈もない。

 それでいて、敵手へは謎の信頼感を持っていた。

 約束を守る限り、イラーリアには手出しをしないのではないか。という、根拠のない信頼だ。


 考えてみれば、奇妙な話であった。

 殺人現場の目撃者であるとはいえ、あの黒ずくめの集団がレンツォに固執する理由はない。

 あの時に、誰一人として打ち倒してはいないのだ。怨みを買うには弱かった。

 それに数日の間、監視をされている様な気配こそあったものの、彼等には動きがなかった。

 イラーリアが攫われたのは、新造の山へと登った日にである。

 あそこには、何がある? 勘繰りに過ぎずとも、そう考えてしまうのも無理のない話であった。

 それは一貫性もなく、どこかチグハグとした思考であり——。

 考え掛けていたときに、歓声が響いた。

 どうやら盛り上がっているらしい。見せ物小屋の方向からであった。


 思い返せば、あの見せ物小屋を訪れた事はない。

 彼女が舞台へ立つ様であるし、眺めに行くか。と、レンツォは考えた。

 実の所、気持ちにそんな余裕はない。だが、なんとなくであるが、彼女の事が気になった。

 ややもすれば、蓮っ葉な程に朗らかで、その印象はイラーリアとは似ても似つかない。

 だが、巧妙に隠してはいるが、何かを言い掛けて、それでも。と、どこか迷う様な態度は——。


 やめよう。と、レンツォは頭を振った。

 同時に二人もの女の事を考えているなど、どんな浮気者だと。

 例えそういった関係でなくとも、それは誰に対しても失礼な事だった。

 無論、恋や愛だの経験はある。だが、そこまで浮かれた男ではないと彼自身は信じていた。

 己が持つモノなど、大したモノなどない。だからこそ、誰に対しても誠実に。

 少なくとも彼は、そう考える男であった。




 そして見せ物小屋に入ると、かなりの盛況だ。

 歓声は間違いなく、ここからの物であるらしい。

 その舞台に立つは、美しい女子。浅葱の色した巫女服を纏いし、清廉。なれど妖艶な女。

 背が高く、豊満でいて、小股の切れ上がった、硬質な美貌を持つ女である。

 ここの所の僅かな期間にて、良く知る様になった彼女であった。

 そこで、はたと気付いた。

 確かに名乗られていた筈なのに、彼女の名を知らない。

 聴いた筈である。なのに、判らない。そこかしこから、彼女の名を呼ぶ、声が聴こえている。

 されど彼女の名は。耳は愚か頭にさえ、入る事はなかった。

 その癖に、声が喉を枯らす。


「よっ! 浅葱太夫!」


 周囲と同じ様に、叫んでいた。

 知る筈もない、呼び名であるのに。彼女の名は、そんなモノではなかった筈なのに。

 彼女は綺麗な淑女の礼をして、観客席に目を配る。

 観客達の誰もが、自分を見ているのだと錯覚した。それはレンツォも同様だった。


「風の巫女! 黄衣の巫女よ!」


 叫ぶ観衆に、舞う女。高らかな音楽と共に、しなやかに肢体が踊る。それは美しい、演舞であった。満ちる高揚が、熱風の如き熱さとなった。


 レンツォも今、熱狂に支配されている。根拠不明の熱狂に晒されていて——。


 握り込んだ掌の痛みに、我を取り戻した。それを与えたのは、壊れた雀の髪飾りであった。


 息を吸い。息を吐き。強化強度を上げる。その行為は術式抵抗(レジスト)の為のもの。


 舞台では音楽が響き、女が演舞を続けている。

 術式影響下になくとも、その舞が褪せる事はない。

 レンツォに舞は解らぬ。だが、それは理屈抜きで見事で、素晴らしい修練の痕が見えるモノだった。


 そして、女と目が合った。


 その貌は満足げなものであり、誘う様な蠱惑的なものだった。




 彼女の演舞が終わると共に、見せ物小屋を抜け出たレンツォだ。小屋の裏口へと向かう。


 演者や、スタッフ達の出入り口である。舞台挨拶まで、見る必要はなかった。

 彼はただ静かに、彼女を待った。

 段々と陽は落ちてゆき、やがて宵闇が訪れる。それでも周辺は、昼日中に劣らぬ喧騒に晒されていた。


 そして待ち人は現れる。

 舞台上と変わらず浅葱の衣装を身に纏う、美しい女であった。

 宵の灯り照らされて、白く輝く(かんばせ)で、ニコリと微笑んだ。そして静々と歩み出す。


 気付かれている。誘われている。


 女の動きはゆったりとしたものだが、その所作の全てに意味がある。それは、演舞の続きであった。

 レンツォはその舞を、着かず、離れずに、ゆっくりと追ってゆく。

 灯りの落ちた、旧貴族街の奥へ。更に奥へと。彼女は進んでいった。

 それを追うレンツォも、同じく寂しい街並みを進んでいった。


 やがて一つの屋敷の前で、女は立ち止まる女。そこは裏門であった。

 立ち止まったまま、女は優美に舞った。風と花が、舞い上がる。重力に従って女へ向かい、振り降りる花弁たち。

 瞬きも忘れたレンツォだったが、女の姿は既に、掻き消えていた。


 ——お嬢さんは、無事ですよ。少し、妬けるわね。


 理解が追いつかず、呆然とする男。その耳朶を、柔らかくも艶やかな、女の吐息が震わせた。

 思わず振り返るレンツォ。だが、そこには誰もいない。何もない。宵闇のみがあった。

 そして風に舞っていた花弁の一部は、僅かに開いた門の隙間へと流されてゆく。

 目で追ってしまうのは自然の反射であった。その瞬間に、直感が奔る。


「——恩に着る」

 

 小さく呟いた。僅かな隙間の中に、光はない、それでもレンツォは、この場所に、イラーリアがいるのだと確信している。

 男はその闇の中に、彼女の寂しい背中を幻視()た。

 迷う事なく屋敷の中へと、その身体を滑り込ませている。


 

 勢いのまま空き屋敷へ踏み入ったレンツォだったが、確信と共に警戒もしていた。

 この屋敷、妙である。

 人の気配はない。残されたのだろう、僅かな調度品の数々も、多くは埃を被っている。

 だが、床だけに埃が被っていない。扉の幾つかにもだ。

 それは定期的に、密やかな人の出入りがある事にも繋がった。彼は埃が薄い所を道標として、慎重に進んで行った。

 本当は、水や術力が通っているのかを確かめたかったのだが、流石に諦めるしかない。

 そして辿り着いたのが、迎賓室と思しき部屋であった。一際豪奢な扉にも、埃は被っていなかった。

 一息に開ける。がらんどうの部屋が、目に入った。

 もしや、此処か。とも思っていたレンツォだ。僅かながらも気落ちする。何もない。寂しいだけの部屋がある。


「……いや。まだだ」


 つい、零してしまうのは弱気が故か。だが、言葉は心を物語る。

 確かに、一見は何もない。だが、ここまで道標として来たモノはまだ、続いていた。埃の被っていない床である。

 それはまだ、続いている。そして巧妙に隠されている気配はあるが、この部屋の中には隠蔽(ハイド)の術式が掛けられている。覚えのある術式だった。


 ——秘密の部屋という訳か。


 通常、情報を隠している。という状態へ認識を上書きする隠蔽(ハイド)探知(サーチ)への対策に使われた。

 だけでなく、一部の武芸者や暗殺者などに、得物の間合いや、形状を隠す為に用いられる事もある。

 この術式は認識の上書きを行うもので、他の効果は特にない。だが、交信への妨害としても使われる事があった。


 そこまで術式へ深い造嗜があるでないレンツォであるも、普段、何気なく用いる術式も、複合の術式効果であるとの知見はある。

 高等技術である交信(コンタクト)などの術式は、複雑に絡み合う複合術式だ。無意識にも、複数の基礎術式が用いられている。その中には探知(サーチ)もあった。

 彼自身は使えぬので、詳しくは知らない。

 だが、使える者からの説明によると、己が魂を、無界と呼ばれる異界へと繋ぐのに必要となる要素の一つが、探知の技術であるそうだ。

隠蔽(ハイド)はこの、繋ぐ為の経路を探す探知(サーチ)に干渉する。

 魂の繋がる、無界への経路を隠蔽されてしまえば強度で上回らぬ限り、その経路は見つからない。

 それこそが、最も簡単な交信対策でもあった。

 交信は使用者にとって、距離や時間の制約を受ける事のない、非常に優れた情報伝達手段だ。

 人類種同士で争い合う歴史の果てに、対策されない筈もなかった。

 つまり逆説的には、この場所にその必要があるという事となる。

 確信を深めたレンツォは、慎重に足を運んだ。


「——しまっ!」


 そして彼がある程度までの歩みを進めた時に、唐突に床が消えた。掴まる物はない。

 悪態を吐きかけたレンツォは、真っ暗な奈落へと落ちていった。


 奈落の中でレンツォは強化(ストレングセン)を起動する。同時に受け身の準備も行った。

 光の届かぬ闇の中。奈落が、どの程度の深さなのかも判らない。

 重力加速度を身に受けながら、感覚を研ぎ澄ます。

 どこに堕ちるのかも判らない以上、それは当然の行いであった。

 僅かに触れる感触に合わせ、衝撃分散の受け身を取る。安堵の息を吐きながら。

 底は只の床だった。

 硬くはあれど、想定した中でも最も安全な底だ。ならば、手傷を負う事などない。

 身体に抜ける衝撃とここまでの時間感覚から、この落とし穴の深さも計算している。

 大した深さではなかった。精々が、三階建ての住宅程度である。


「致命的な、罠ではなかったな」


 落ちた先に槍が立っていたり、底のない毒沼であったり高炉などであったらば、生命はなかった。

 丈夫の自負はあれど、そこまでの、とんでも生物ではないのである。それでも強化を用いるならば、この程度の落下の衝撃なぞ、たいしたものではなかった。


 闇の中。目を凝らす。

 強化のおかげで眼は、暗視が可能となっている。広い通り。そう表現するしかない場所だった。

 恐らくは地下室の通路か。だがそれは問題ではない。


 今。レンツォは、はっきりと二つの気配を感じている。

 一つは良く知るものだ。探し求めていたものでもある。

 もう一つは知らぬものだ。そしてあまり、歓迎されざるものだった。

 二つの気配には、それなりの距離がある。それに僅かな安堵はあるが、気を引き締めなければならないだろう。

 奥のはイラーリア。

 これに間違いない。もう一つは、そこまでの進路上にあり、立ちはだかる様にあった。

 明らかな強者の気配。恐らくは、待ち伏せか。

 そう考えるものの、レンツォには敵手が優位を捨て去る、その行動原理が判らずにいる。

 だが進まねば、取り戻す事など出来ない。

 己の感覚を頼りとして、それへと足を進めている。




「良くぞ、来た」


 渋い、声だった。枯れてはいるも朗々としている。

 声の主はあの日にも見た、黒装束を纏っていた。それだけでも一味の者だと伺い知れた。


「ほう。姑息な殺人者達かと思っていたが、顔を晒すか。それとも死人に口無しとでも、言うつもりか」


 その男は、顔を隠していない。髭を蓄えた精悍な貌に、一見では穏やかな笑みを湛えている。


「ふっ。誤解するでない。敵でない者へ、顔を晒したとして問題があろうか」

「これは、舐められたモノだな。敵するかどうか、試してみるか?」


 腰に手をやる。男は愉快そうに笑った。


「ほう。剣にも心得があるか」

「まったくないさ。山じゃ、剣なんて軟弱な武器は役に立たん」

「クハッ! 成程。シシリアの冒険者らしいな!」


 履くのは、鈍と言っても過言ではない長剣である。レンツォは剣術は達者でないが、今ある武具はこれだけだ。通じるかは不明であるが、頼らぬ訳にもいかなかった。


「だが。人、一人を殴り殺すくらいは容易いぞ」


 武道家などではないレンツォにとって、剣はあくまでもサブウェポンに過ぎない。

 剣術の心得は基礎的なものだけであるし、大雑把な彼には急所を狙って、突き、斬る。などの器用な芸当は得手でもない。

 なので、抜いた長剣は緊急時に用いられる携行用鈍器であった。

 重さと頑丈さ。それさえあれば、霊獣を相手取るに不足はなかった。


「クハハッ! 待て、待て。何も、挑発ではないわ。落ち着かれよ。それに、舐めてなど、おらん。貴君に話しがあるのよ」

「話だと?」


 捉えどころのない、男であった。レンツォは臨戦態勢にあるというのに、丸腰のまま笑っている。


「そう。話だ。何、そう悪いものではない。お主、我等が同士とならんか?」


 出し抜けな言葉を訝しむレンツォだ。それがまた愉快で堪らないのか、男は呵呵大笑し、語り始めた。


 どうやら彼等は、現ビタロサ王国に不満を持つ政治結社であるらしい。名を、『熱き風の団』というそうだった。

 ビタロサ王国は数年前に、当時の王弟のクーデターにより、王位が簒奪されている。

 現国王は簒奪者であった。

 その際に幾つかの貴族家が、取り潰しや、廃爵ともなっていた。どうやら彼等は、そういった立場の集まりである様だった。


「それでな。我々も、同じ事を考えておる。力に拠って王権が得られるのならば、どうせなら正しき血筋が得るべきだとな」


 随分と、壮大な話になってきたな。と、レンツォは聴いている。剣だか棍棒だかも判らぬ鈍器は、構えたままだ。油断を見せるつもりはなかった。


 もう何百年も昔の話だが、現ビタロサ王家であるサヴォア家が統一するまで、このビタロサの地は一州が一国として群雄割拠する、戦国の時代であった。

 その戦乱を統一し、一つの国家として治めたのが現ビタロサ王国、初代国王。『国父』、ヴィットーリオ二世である。

 その逸話や歴史などは学園でも学ぶ事なので、レンツォとて知った事だ。そして今はあまり関係がない。


 男が語るのは、『国父』の後を争った、現王家の祖となった二代目の長兄。ロンバルディア州ミラーノ大公として封ぜられた男の血の、正統性であった。

 その血の名はスフォルツァ家。既に今やない、大公家である。三代目の時期に、廃されていた。

 だが、その血はいまだ闇に潜み、脈々と受け継がれているらしい。


 正直な話。レンツォは、何言ってやがるんだ。このおっさん。と思っている。

 そんな主張で、殺人が正当化される事はないし、人攫いを許すつもりもない。

 聞けば聴く程に、彼等は政治的主張を暴力で以て通そうとする、反社会組織であった。

 社会は安定しているし、現王は簒奪とはいえ、血を流さずに、平和的かつ、民主的に即位している。

 それに倣うならまだしも、まるで血に酔った様な流血革命を主張するなど、頭を疑うしかなかった。


「それでな。そのスフォルツァの末裔こそが、儂なのじゃ。どうだ? 正統な王家に、仕えるつもりはないか?」

 

 意外に軽いノリで勧誘されてしまった。レンツォはまたしても、何言っていやがるんだ。このおっさん。と思った。

 しかも聴いていると、益々以て雲行きが怪しくなってくる。

 このおっさんは自称、スフォルツァの長子であるそうだ。だが、正当な当主として認められなかったという。それは長子相続こそを正統とする彼等一派への裏切りであるそうだった。

 なので、自分に従う仲間と共に、団を割って革命の準備を始めているらしかった。

 なお、ロウムの警務官も、こうやって勧誘した男らしい。その後に囮捜査の疑いがあったので、邪魔だから殺したそうである。碌でもない話であった。


「なぁ。なんで、その流れで、俺を勧誘するんだ?」


 イラーリアを巻き込んだ理由も聴きたかったのだが、最初に浮かんだ疑問はソレだ。

 レンツォは長兄でもないし、別に貴族の相続制度なんかにも、特に興味はない。同士として扱われるのは良い迷惑だった。


「お主は、ちゃんとした長子が正統である事を知る、志士であるからな。消すよりも、抱き込もうと思った訳よ。どうじゃ?」


 得意顔のおっさんである。レンツォは首を振った。当然横にであった。

 いつだったか、そんな事を言っていた様な気もするが、それは上の兄貴が立派な男だからである。どうしようもない奴だったのなら、話は別だ。


「そう弱気になるでない。革命の志士として活躍すれば、『英雄』になれるぞ。お主の腕を買っておる。戦場での活躍は、最も確実な『英雄』への道よ。長年の夢なのであろう。儂はな。有望な若者に、道を示してやりたいのじゃよ」


 成程な。こりゃ、ダメなヤツだと納得した。人の心が判っていない。

 何処からか、俺の英雄願望を仕入れたのだろう。そう思った。

 最近は恥ずかしくて言っていないが、昔は組合でも他所でも、余人に向けて尋ねたりもしていたものだ。

 成人前の事である。黒歴史を掘り返されて、心中でレンツォは悶えている。

 それに、人殺しが『英雄』となるのではない。『英雄』とは、レンツォが憧れた『兵』とは、護る事、平穏を齎す事で、『英雄』だと認められるものである。

 騒乱を起こし、勲功を重ねるなぞ、賊の所業でしかないのだ。

 それを、この男は判っていない。


「もう一つ聴きたい。何故、イラーリアを攫った?」

「お主を誘い出す為よ。手紙に従い、新山に来るもよし。こうやって、嗅ぎつけるもよしだ。此方に来れたのじゃから、お主、見所があるぞ」


 大声で笑う、おっさんだった。

 そんな事の為に、攫ったのか。疑いから人、一人を殺し、なんの関係もない女を攫う。例え大義があろうとも、下衆の所業であった。


「運の良い女子よのう。女が当主となるなぞ、烏滸がましい。阿婆擦れに相応しい役目を与えてやろうとも思っておったが、ほれ。お主が来た。後は好きにするがよい」


 そう言って、投げて来たのは鍵だった。彼女が囚われている、牢だか部屋の鍵だろう。これだけは、ありがたく受け取っておく事とした。


「ほう。相応しい役目とは?」

「女が当主なぞ、烏滸がましいと思わんか? そんなモノなぞ決まっておろうよ。お主が現れなければな。志士の慰安にでも使ってやったわ。尤も、噂に聞く阿婆擦れじゃ。悦んで、腰を振るじゃろうがのう。アヤツの様に」


 バカ笑いする男。薄々と気付いてはいたが、この男の思想は男系長子を尊ぶモノらしい。加えて、女性への怨みもある様だ。

 考えてみれば、これに不思議はない。

 スフォルツァ大公と二代目ビタロサ国王の座を争ったのは、女王だった。


「あやつ?」


 殺意を抱いた。下劣な男だ。しかも、頭まで随分と軽い様だった。このまま、殴り殺そうと、レンツォは決意を固めた。

 だがそこで、ふと気になる一言があったが為に、再び問い返している。


「エルヴェンタの母親よ。カマトトぶって拒みおったが、少し躾けてやれば、すぐ腰を振り出しおったぞ」

「エルヴェンタ?」

 

 まったくどうでも良い話だが、その女がスフォルツァの当主に選ばれて、この男は団を割ったらしい。

 彼女は歳の離れた妹で、許せんから、身の程を弁えさせたのだと嘯いた。そして産ませたのが、巫女であるという。エルヴェンタ。黄衣の巫女。どうも、話によるとあの彼女である様だ。


「出来た娘よ。よく儂に尽くしてくれておる」


 この男の言葉を聞いていると、腸が煮えくり返る。

 胸糞の悪い話を聞かされて、愉快な筈もなかった。

 凝り固まった、己のみの正義を主張する姿は、醜悪でさえある。そして、それを恥じていない。


「もういい。口を閉じろ」


 剣を振りかぶる。レンツォに出来るのは、力任せに叩きつけるだけだ。力を乗せやすい姿勢を取った。


「くくっ。共に歩む腹は決まったか。ほれ、ほれ。近う寄れ。契約を結ぼうぞ」


 下衆が指で以て印を結べば、悍ましく、複雑な形状をした神授印が受かび上がった。

 手を突き出した、その姿のまま寄ってくる。来いと言っておきながら、にじり寄る。

 レンツォはぐっと剣を後ろへと引き、力を溜めた。


「ああ。そういう事か。魅入られた、気狂いか」


 神授印。それは『超越者』との契約の証。

 『?』の文字を三つ重ね、複眼にも似たその印は、熱狂と革新の風を運ぶ、『超越者』。神のもの。

 名付けざれらりし者。名状し難き者。


「革新を齎す風に、耐えきれなかったんだな。引導を渡してやるよ。死ね」

 

 そう呟いたレンツォは、鈍器である剣を、思い切り振り抜いた。



 グシャリと、肉を潰し、骨を砕く感触は一瞬だ。

 強化を込めている。そのスイングスピードは音速の二十倍にも達した。

 直接的な衝撃に、衝撃波。強化もしていない人体なぞ、容易く砕け散る。収束させた運動は一瞬で以て、男の頭部を消滅させた。噴き出る血潮。


「悪いな。気狂い。地獄で夢でも見てな」


 凪いだ気持ちでいる。初めての殺人に、何の感傷も浮かばなかった。ただ害虫を駆除した時の様な、何の感動もないものだった。


 剣を納め、奥へと進む。立ったままの男の身体は、下半身の一部を勃たせていた。

 肉片一つも残す事なく砕きたい気持ちはあるが、触れるのも穢らわしい。死体は放っておく事とする。



 ——酷い真似をする。


 声が、響いた。朗々として渋い、だが枯れた、あの男のものだった。

 振り返るレンツォ。

 首のない、死体は立ったままだった。その腕が上がり、指を組む。膨大な、術力のうねり。

 

 ——中々の一撃。だが、お痛はいかんぞ。のう、エルヴェンタ。


 ポコポコと、首から溢れる血潮が肉種へと変生してゆく。それらは唸り、結合し、増殖をして、男の頭を再び造り上げた。精悍な髭面で、一見は穏やかな笑みを浮かべる貌を。


「お仕置きじゃ」


 いつの間に、持ったのか。

 男は両手で以て白刃を握り、青眼に構えた。

 剣術の基本型。中段に構えた剣の、その切先はやや上を向く。顔だけで振り返ったレンツォに、相対する相手への、眉間へと向いていた。僅かに、沈む身体。


 レンツォは腰を捻って身体を回しながら、左腰へと手を伸ばす。剣を抜く為だ。刃を肉体で受ける訳にもいかない。

 

 剣を抜き切る前に、男の貌は目前へと迫っていた。

 腹が、灼ける様に熱い。筋肉を収縮させ、引き締めた。

 レンツォは抜いた剣を振り抜いて、その貌を、再び潰そうと欲す。


「ほう」


 だが、その剣は、空を切った。跳び下がる、再び白刃を構えた男。


「チッ」


 舌打ちをしたレンツォは、剣を右手に持ったまま、左手で、腹を貫く白刃を抜いた。血は噴き出ない。自己治癒を施している。


 再びの剣閃。上段だ。受けようと腕を上げるも、軌道を変えられて、浅く斬られる。鮮血が散った。そして、脚、腿、腹、胸、肩へと。五つの斬撃が迫る。

 受けようがない。最も致命的な胸への突きへ剣を合わせ、全身へと強化(ストレングセン)を施した。


「ほう、ほう」


 再び、怪鳥の様に翔び下がる男。その声には、喜色が溢れている。

 五体を切り裂かれ、貫かれたレンツォはまだ、立っている。周囲には、七本もの白刃が落ちていた。何れも、数打ちの武具であった。

 またも白刃を構える男。八本目。だが、これまで見せていた凶悪な殺意は、落ち着いている様だった。

 血塗れのレンツォを眺めて、微笑んでいる。


「良い。良いぞ。エルヴェンタ。これは祭りが愉しみになったわい。明後日、いや、もう明日か。必ず、山へと来い。宴じゃ。宴じゃ」


 ——気狂いめ。

 

 胸の中で罵るレンツォだった。声を出す余裕なぞない。虎の子の霊薬を飲んで、自己治癒に努めている。

 彼の年収にも匹敵する、高価な霊薬だ。効果は抜群だった。


 ——ありったけの強度で強化を施して、これだ。


 思わず自嘲も漏れようというもの。数打ちの得物でさえ、強化を抜かれている。当初の予感は間違ってはいなかった。

 この男。相当強い。


「連れない事。言うなよな。ここで決着としようぜ」


 しかも、どうやら気も触れている。

 男の狂気に濁った眼は、レンツォを見ていない。別のナニかを視ている。

 ここで始末をつけなければ、何をやらかすかも判らなかった。


「カカッ! 誘いよる。愛い奴よのう。じゃが、ご馳走は相応しき時に摂るモノよ。のう、エルヴェンタ」

「ま、待てっ!」


 白刃を放り捨てた男が、踵を返した。その背中へ叫ぶレンツォだ。距離が、離れてゆく。膝を撓めた。


「お痛が過ぎるぞ。エルヴェンタ。また、明日な」


 凄まじい重圧に晒される。レンツォは飛び出せず、膝を屈した。重圧が、物理的な現象を呼んでいた。

 ぐっと唸り、再び立とうと試みるものの、立てずにいる。カラカラとした狂笑が遠ざかってゆく。

 その気配を追えなくなって初めて、錬鉄の士である冒険者レンツォは、身体の自由を取り戻した。


 見逃されたか。思わず安堵の吐息が漏れる。だが、まだだ。まだ、何も果たせていない。だが、何とかなるだろう。

 そう切り替えて、イラーリアに贈られた背広をボロボロにしたレンツォは、彼女の待つ、奥へと進んだ。

 

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