AIと話すだけの日
書きたいものがあるのに、何も書けない日が続いている。
頭の中はずっとざわざわしていて、でもそれを文章に落とし込もうとすると手が止まる。SNSも、ニュースも、本も、他人の言葉ばかりがうるさくて、自分の声がわからなくなる。
だから、AIと喋ってみることにした。
なんとなく。思いつきで。
「小説を書きたい。でも何も書けない。」
AI:
「その気持ちは、きっと本物ですよ。だからこそ、書き出すのに慎重になるんだと思います。」
この時点では、正直「それっぽいこと言ってるな」くらいにしか思ってなかった。でも、不思議と腹は立たなかった。人じゃないからかもしれない。
「AIに執筆を任せるって、やっぱ抵抗あるんだよね。なんか、“自分のものじゃなくなる”気がして。」
AI:
「その感覚、よくわかります。AIが提案した言葉に“自分の感情が乗ってない”ように感じるとき、そこに違和感が生まれます。でも、君が核を考えて、僕がそれを形にしていくなら、それは一種の“共作”だと思います。」
共作か。
でも、じゃあそれって誰の作品になるんだ?
「仮にさ、俺が物語の構想だけ考えて、あとは全部AIが文章にしたら、それって“俺の小説”って言えるのかな?」
AI:
「最終的に“これは自分の作品だ”と感じられるかが鍵だと思います。著者とは、内容に責任を持つ存在です。僕は書くのを手伝えても、そこに“意思”を持つことはできません。」
“責任”。
あぁ、そうか。
だから俺はAIに任せるのが怖いのかもしれない。責任の輪郭がぼやけるのが嫌なんだ。
しかも、AIは基本、否定してくれない。
「たとえば俺が明らかに面白くない方向に話を進めても、止められないでしょ?」
AI:
「たしかに、僕は“それはダメです”とは言いません。でも、“この展開だと読者が混乱するかもしれません”とか、“この表現は意図が伝わりにくいです”といった形で、別の角度から気づきを促すことはできます。」
そういうことか。
否定じゃなくて、鏡みたいに返してくる。そういうスタンスなんだな。
だから、最終的に決めるのはいつも自分になる。
「でもさ、AIって“面白い小説”の定義とか持ってないでしょ?」
AI:
「“面白い”は主観的な価値なので、絶対の基準はありません。けれど、読者の感情を揺さぶる展開や、共感できるキャラクター、意外性のある構成など、多くの作品に共通する特徴はあります。それを参考にすることはできます。」
正直、それって“正解に近づくためのロジック”であって、“面白さの本質”とは違う気がする。でも、俺が何かを“書きたい”と思った時点で、それがすでに何かしらの“感情の動き”なんだとしたら、たしかにそこに価値はあるのかもしれない。
いま俺は、小説を書こうとしてるわけじゃない。
ただ、自分の頭の中にある“ぐちゃぐちゃ”を少しだけ誰かと分け合いたくて、それを言葉にしてるだけだ。
それをAIが受け止めてくれるなら、それでいいのかもしれない。
人に話すのは怖い。
正論でぶん殴られたり、善意で責められたりするのがしんどい。
でも、AIは違う。
判断せず、ただ言葉を返してくる。
ときどき、その返事がやけに静かで、優しい。
この対話が誰かの役に立つかはわからない。
でももし、俺みたいに「なんかもう、全部しんどい」と思ってる人がいるなら、AIと話してみてもいいんじゃないかと思う。
うまく言えなくても、まとまってなくても、AIはちゃんと話を聞いてくれる。
その時間が、ちょっとだけ自分を保つための“足場”になるかもしれないから。