過去から来た男
とある休日、男が部屋で横になり、ふーっと息をついた。その瞬間、インターホンが鳴った。男はしぶしぶ起き上がり、玄関へ向かう。
「どちらさまで……うわっ、なんだあんた!」
「うわっ、ああ、いえ、私は怪しい者ではありませんよ。えっと、とりあえず、中に入ってもいいですか?」
「なんだよ、なんなんだよ、強盗か……?」
「いやいやいや、そんなんじゃないですよ。うわあ、とにかく、さささ」
彼は半ば強引に押し切られる形で、その訪問者を部屋に入れてしまった。彼は訝しがりつつ、男に訊ねる。
「なあ、あんた、いったいなんなんだよ……なんか変な感じがするな……」
「ああ、違和感を覚えるのも当然です。私はタイムマシンで過去からこの時代にやってきたのですから」
「タイムマシン……? ははっ、そんなまさか、ん? 過去から? え、未来からじゃなくて、過去から来た?」
「ええ、そうです。私は科学者でして、百年以上前の時代から来ました。どうぞ、博士と呼んでください。まあ、長居はできないんですけどね。タイムマシンといっても乗り物じゃなくて、装置の中に入った人間だけが未来へ送られる仕組みなんです。いやあ、装置の中は狭くてね。もう少し改良したいところですな。ああ、それで、このベルトについているタイマーが点滅を始めたら、ボタンを押して現代に、つまり私の時代に帰るというわけでして。もう少し詳しく説明しますと――」
「ああ、いい。仕組みを聞いてもわからん。おれは科学者じゃないんだ。それに信じられない。この時代でもタイムマシンが完成したなんて話は聞いたことがないのに、過去から来たなんて……」
「まあ、どの時代にも天才というやつはいるもんですよ」
「自分で言うんだな。それにしたって、過去にも聞いたことがない。タイムマシンを作ったのなら、世界に発表しなかったのか?」
「まだ作ったばかりですからね。それに発表する気はないんですよ。名誉欲なんてないですし、悪用される恐れがありますからね。ええ、悪の組織どころか、各国の政府から目をつけられ誘拐、最悪殺されるかもしれない」
「まあ、それもそうか……とりあえず信じるとして、それで、なんでここに来たんだ?」
「それは当然、科学者として未来の世界を一目見ておかないと」
「そうじゃなくて、なんでおれの家に来たんだよ」
「ああ、実は街を見て回りたかったのですが、歩いているだけで、どうも皆さんから変な目で見られてしまいましてね。ええ、もう警察に通報されそうな雰囲気だったんですよ」
「まあ、あんたの風貌は目立つからな。過去から来たと言われればそれも納得だが」
「ええ、それで慌てて建物の中に逃げ込んで、こちらのお部屋を訪ねたというわけです。隠れるついでに未来人に直接話を聞ければと思ってね。個人なら対話も可能だろうと」
「そうか。じゃあ、うちを選んだのは適当だったのか」
「ええ、この街、蟻塚みたいな建物ばかりで、もう目が回りそうでしたよ」
「ははは、確かにな。人が多すぎて土地が足りないからな。こんな建物ばっかりだよ」
「なるほど。それに失礼ですが、この部屋、狭いですね……」
「ああ、でも風呂とトイレはちゃんとあるよ」
「えっと、家具は……」
博士はそう言って首を回した。それから、箱に目を留めると指さして言った。
「あの箱は?」
「あれか? 冷蔵庫だよ」
「はあ、冷蔵庫ですか……」
「まあ、収納にも使っているけどね」
「はあ、どうもあまり物を持たない方のようですね」
「つまらないか? でも、どこもこんなもんだよ。昔はあれだろ? テレビに洗濯機に、ステレオだのピアノだの扇風機に電話機にタンスに、とにかくやたらでかい家具を部屋にどかどか置いていたんだろう?」
「ええ、まあ」
「物に占拠されていたわけだ。でも現代は違う。これ一つで何でもできるからな。音楽にネットに買い物にゲームにカメラに――」
「えっと、そのゴーグルですか?」
「その通り、これを付ければ、仮想空間に入れるのさ。こうして部屋で横になっていても、走り回ったり、風を感じることだってできるんだ。どうだ、すごいだろ?」
「ええ、確かに……」
「あんたにやらせてあげたいけど、あいにく個人IDが必要なんだ。悪いね」
「ええ、それは仕方ないですな。いてて」
「ん、大丈夫か?」
「ああ、首を曲げていたから、ははは、痛くなってきました……おっと、そろそろ時間だ」
「なんだ、そうか。また機会があったら、うちに来てくれよ。部屋番号は覚えてるか? 1235号室だよ。G棟のね。まあ慣れないと迷うと思うけど」
「ええ、どうも話を聞かせてくれてありがとう。では、失礼します」
博士はそう言うと、ベルトにあるスイッチを押した。すると、その姿はスーッと消えていった。
彼は一瞬驚いたが、すぐに無表情になり、ゴーグルをつけて部屋に横たわった。
そして、未来の世界から現代の自分の研究室へ戻った博士は、タイムマシンの前でため息をついた。
「あれが未来の世界か……。より小さく、コンパクト重視という風潮は現代にもあるが、まさか人間までも縮んでしまうとは……。順応したのだろうが、あの部屋はまるで棺桶の中って感じだった」
博士は机の上に置かれたスマートフォンを見つめ、そう呟いた。