「お前じゃない」
私は、子供の頃から捻くれ者で、人と笑いのツボがずれていると思ってしまうことがたまにある
最近は、大学生のときに就職活動していた自分を思い出して、思わず笑ったりした
自分は何故あんなに力んでいたのだろう?
営業系の仕事にインターンシップに行ったり、同じ就活生同士で交流していて、あの場所に異様な活気を感じた
自分はというと、その空気にあてられて、「俺はこの中から頭ひとつ抜けてやる」と妙に張り切っていた
ひょっとすると、周りに居た人たちもそうだったのかも知れない
とにかく、そうして私は就職した
しかし、今にして思えば、私はそういう自分を演じていたのだ
そして、それが本当の自分だと思い込もうとしていた
振り返ると、あの時の自分に「誰なんだよ、お前は」と心の中でひとりでにツッコんで笑ってしまう
ピラミッド型の図形の中に人の欲求の段階が書かれている図をよく目にする。(マズローの5段階欲求というらしい)
自分一個の生命としての望みは果たして何なのだろう?
一体、何を満たしたいのだろう?
と最近、疑問に思うことが多い
それは人と同じものだったり、人から与えられるようなものなのだろうか?
ましてや自分を演じて得られることはあるのだろうか?
私は今、さながら広大な海の中で、安住の地を探して彷徨っている船乗りのような具合だ
必死に一面に広がる水平線の果てに何かを見つけようとしている
ただ、個人的には、一生をかけても探す価値のあるものだと思っている
探さずに終わるよりは、全面的にそれに向かい合っていきたいと思う
だから、あの時の考えなしの自分を思い出すと笑ってしまうのだ
「とりあえず、お前じゃないよ」と