消息を絶っていた人質姫が、見つかった。【連載版始めました】
すれ違った瞬間、彼女だと気付いた。
聞いた話では腰の辺りまであったというサラサラストレートの髪を肩の辺りで切り、金色だったのをを茶色に染めているのは、市井に紛れ込むためだろう。
服装だってちょっと裕福な平民の服だし、抜けるように白いと聞いた肌も少しばかり日に焼けている。
けれど、それでもわかってしまった。
徹底的に調べた彼女の部屋、そこに残っていた僅かな香りのニュアンス。
それが、ほのかに香った、気がした。
香りは記憶に結びつく、だなんて言っていた奴がいたが、もしかしたら本当なのかも知れない。
彼女の部屋と、彼女が置かれた境遇が次々と明らかになって打ちひしがれた日々が蘇る。
「お、お待ちあれ! そこのお嬢さん、お待ちになっていただきたい!」
気がついたら、そんなことを言いながら彼女を呼び止めていた。
もし本当に彼女だとしたら、お嬢さんなどと呼んでは不敬にあたるのだが、そんなことは頭にない。
ただただ、この機を逃してはならない、きっともう二度とこんな奇跡は起きない、そう思ったから。
そして、彼女が振り返った。
驚いたような顔は一瞬のこと。
胸元を手で押さえたのはこちらを警戒しての防御姿勢だろうか。
そりゃ当然だ、いきなり街中で俺みたいなガタイのいい男に大きな声で呼び止められたら驚きもするだろうし警戒もしようってもんだ。
さて、何て言い訳しようか、と頭を回していた時だった。
ある意味流石、と言えるのかも知れない。
彼女は、すぐに表情を改めた。
「あの、何かご用でしょうか?」
そう言って、彼女は微笑みを浮かべた。
俺が想像していた通りの笑顔で。
「あ……あああっ、あ、っあ」
途端、意味不明な言葉が俺の口から漏れる。
柔らかで、穏やかで……薄い、しかし不可侵のベールを纏ったような笑み。
彼女はそこにいるのに、遠くにいる。
薄いベールの向こうに、一人でいる。
近づかないように、触れないように……巻き込まないように。
諦めているから浮かべられる、そう推測した通りの微笑みだった。
そう理解した瞬間、俺は慌てて口を鷲掴みにして抑え、声がこれ以上漏れないようにした。
だが、目は塞げない。
むしろ口を押さえたせいで圧力が増したかのように、ぼたぼたと目から涙が溢れ出す。
「あ、あの!? だ、大丈夫ですか!?」
そんな俺を見て、彼女が慌てたように近づいてきて、どうしたものかとオロオロ俺を見たり周囲を見たり。
しかし、いきなり泣き出したガタイのいい黒ずくめの野郎になんぞ近寄りたいわけもなく、行き交う誰もがそそくさと逃げるように去って行く。
ああ……そんな中でも彼女は、俺を気遣っているのだろう、この場を去ろうとしない。
なんて優しい人なんだ……俺の中に、何とも言えない温もりが生まれてくる。
「だ、大丈夫、です……いえ、大丈夫じゃないかも知れませんが、大丈夫です」
「あ、あの、大丈夫か違うのか、どちらなのですか……? お、お怪我、とかではないのです、ね……?」
混乱しながらも、視線を動かして俺の手足やらを観察したらしい。
質問でなく確認口調なのはそういうことなのだろう。
何て冷静で的確な判断力なんだ……。
いや違う、単に俺が冷静さを失っているだけだ。
二回ほど深呼吸して何とかある程度気持ちを落ち着けた俺は、改めて彼女へと向き直る。
「本当に、大丈夫です。……何と言いますか、思わず感極まってしまったのです」
「は、はぁ……え?」
俺の返答に、よくわかってないような相づちを返して……すぐに、はっとした表情になった。
さっきまでの微笑みは鳴りを潜めて、こちらへの警戒を滲ませながらも刺激しないよう、平静であろうとしている。
……これは、気付かれたな。
恐らく顔見知りなどいないであろうこの王都で、彼女を見て感極まる程に感情を動かされる人間は限定される。
例えば、彼女を捜索していた人間だとか。そこに彼女は思い至ったのだろう、この短時間で。
「あなたと、お会いしたことはありませんよね……?」
そう問われて、思い出す。
確か彼女は、隣国の王城に勤める使用人や騎士の顔を大体覚えていたはず。
そして、この国の騎士であり貴族である俺の顔は、当然彼女の記憶にあるはずがない。
「はい、お会いしたことはありません。俺は、この国の人間ですから」
まずは隣国からの追っ手ではないと開示してみるが、それだけで警戒は解いてくれないようだ。
まあ、この国の人間だからって彼女に危害を加えないわけでもないからなぁ。
「誓って、あなたに危害は加えません。突き出されたくないとこに突き出したりなど、悪いようにもいたしません。
少し、話をさせていただけませんか、」
そして、小さく小さく、彼女にだけ聞こえるように呟く。
『ソニア様』と。
しっかり聞こえたらしい彼女は、ぴくっと一瞬だけ肩を震わせて。
それから、ふぅ、と大きく息を吐き出した。
「わかりました、そこまでご存じなのでしたら……あなたから逃げるのは難しそうですし、ね」
そして浮かべる、先程よりも諦めの色がわずかばかり濃い微笑み。
ああ……もうそんな微笑みを浮かべなくていいようにしたいのに、今の俺には到底出来やしない。
いや、焦りは禁物だ、今出来ないだけだ、きっといつかは。
俺は内心で自分に言い聞かせながら、表には出さないようにしてにこやかに笑って見せる。
「ご理解いただけて幸いです。あまり騒ぎになってもなんですし」
抑えた声で俺が言えば、彼女はこくりと小さく頷いた。
何しろある意味で彼女はお尋ねものだからなぁ……正確には違うんだが。
その辺りの説明もしておかないとな。
そんなことを考えながら、俺は彼女と共に場所を移動した。
「……内密の話が出来そうな場所といえば、ここしかないのですが……」
そう言いながら彼女が案内してくれたのは、平民の住居として一般的な二階建ての家だった。
こんな生活拠点があるのなら、計画自体は随分しっかり立てられてたんだな。
……いやまて? 婚姻の話が出てから二ヶ月程度しか経っていないのに、何でだ?
ってことは。
俺が色々と考えている間に、彼女がドアノブに手を掛けて半分ほど回したところでコンコン、コンとノック。
ほうほう。
「さあ、どうぞお入りになってください」
「ありがとうございます、では遠慮なく」
彼女に促されるまま、素知らぬ顔で俺は中に入った。
そして……室内に向けて思いっきり殺気を迸らせる。
「んぐっ!?」
「こ、こいつっ!?」
中には、俺に向かって飛びかかろうとしていた二人の男女。
そういえば御者と侍女が一緒だったはずだが、それがこの二人なのだろう。
俺の殺気を受けても、出鼻を挫かれたように一瞬足が止まっただけで油断なく構えていられるんだから、中々の手練れだな。
「ローラ!? トム!?」
「あ~……すんません、危害は加えませんが、自衛だけは許してもらえませんか。
この二人に同時に来られたら、流石に俺も本気でお相手しないといけなくなりますんで」
いきなり動きが止まった二人に驚いたらしい彼女へと、頭を掻きながら言い訳がましく言う。
いや、まじでこの二人相手に不意打ち食らったら、かなりやばいぞ、多分。
「恐らく、さっきの妙な手順のノックが合図だったんでしょう? 『要注意人物、捕らえろ』みたいな意味の」
「……その通りです。あなたは、一体……」
俺が種明かしをすれば、信じられないものを見るような目でこちらを見る彼女。
いや、化け物じゃないよー、怖くないよー、とか内心で自己弁護してたんだが。
「あんた、まさか、『黒狼』か」
「げ、まじかよ」
と、侍女らしき女が言えば御者であろう男が苦虫を噛みつぶしたような顔になる。
流石俺、悪い方向に有名人。
だがまあ、その悪名も使い方次第、と思いたい。
「確かにそう言われることもあるな。で、その『黒狼』が大人しくしてるんだ、危害を加える気がないってのは信じてくれないか?」
そう言いながら、俺は軽く両手を挙げて見せる。
戦場で暴れまくってた俺は、こうして相対した状態になってしまえばこの二人であっても問題なく制圧することが出来る。
それはこの二人もよくわかっているらしく、俺にやりあう気がないのなら、と彼らは視線を交わし、小さく頷き合った。
「わかった、あんたの言うことを信じよう。姫様、それでよろしゅうございますか?」
「……ええ、ローラがそう言うのなら、仕方ありません」
ローラの問いかけに、彼女も頷いて返す。
なるほど、このご一行だとリーダーがこの侍女、ローラのようだ。
確かにかなり場数を踏んでそうだもんなぁ。なんで王女殿下の侍女なんぞやってるのやら……いや、むしろ、だからか。
「ありがとう、助かるよ。こっちとしてはあくまでも平穏にお話をしたいところだからな」
ひらりと手を振って、俺は礼を言う。
こうして、いきなり手厚い歓迎を受けた俺は、やっと本題に入ることが出来たのだった。
「まず、現在ソニア王女殿下は死亡したものとして扱われております。
ですから、追っ手の類いはどちらの国からも出されていません」
テーブルについた俺がそう言えば、向かいに座った彼女……ソニア王女が少しばかり複雑な微笑みを見せる。
彼女の隣に立っている侍女、ローラも気遣わしげにソニア王女へと視線を向けた。
ちなみにもう一人、トムは俺の左後ろに立っている。俺が妙な素振りをしたらすぐに突き飛ばすなり出来る位置取りだ。
いやだからほんとに何もしないってば。ってのをここでわかってもらわんとなぁ……。
「俺がソニア王女殿下に気がついたのは、殿下をお迎えに上がった任務の延長でお探ししていたからです」
「それは……私の勝手で、ご迷惑をおかけしまして……」
「いや、それは気にしないでください、お気持ちはわかりますので」
流石に微笑みを消して沈鬱な表情で頭を下げる彼女へと、俺は首を振りながら答える。
……なるほど、俺みたいな子爵風情にも頭を下げてくれるんだなぁ……流石だ。
彼女は隣国の第四王女、ソニア殿下。先頃起こった二国間の戦争の停戦条件として戦勝国である我が国の第三王子、アルフォンス殿下へと輿入れする予定だった女性だ。
そして俺、ことアーク・マクガインが国境で彼女をお迎えする予定だったのだが……彼女は数日経っても到着しなかった。
これはおかしいってことで捜索を開始したんだが、使うはずだった街道を遡っても王女一行は見つからず目撃情報もなく、そのまま隣国王都にまで辿り着いてしまった。
そんでもって何があったのか調べた結果、ソニア王女が酷い扱いを受けていたこと、ろくな荷物も随行員もなしに出立したことが判明。
使っていた馬車が王家の紋章のない粗末なものだったんだ、そりゃ目撃情報だってあるわけがない。
荷物も小旅行程度のものしかなかったんだから、人目だって引きやしない。
で、結局国境付近で野盗に襲われたらしき粗末な馬車がソニア王女の使っていた馬車だと判明、彼女はそこで襲われ死亡したものと見なされた。
現場でその辺りの調査をして、彼女の境遇を見知った俺は思い切り彼女に同情して入れ込んでしまっていたため、随分と落ち込んだものだ。
それがまさか生きていたのだ、俺が不審者になってしまったのはご勘弁願いたい。
「……あの。そういえば、私の絵姿などはなかったはずですのに、どうして私だとおわかりに……?」
「え。ああいや、なんでしょう、直感としか言いようがないのですが……何故か、あなたを見た瞬間に、わかってしまいました」
まさか残り香でわかりましたなんて変態的なことは言えないので、俺はキリッとした顔でソニア王女を見つめる。
こう、目力で強引に押し通そうとしたんだが……ふいっと目を逸らされてしまった。
また胸を押さえるように手を当ててるし、ちょっと耳が赤いし……いかん、見つめすぎて気持ち悪がられたか?
話題を変えて誤魔化すか……。
「そうそう、そういえば、停戦条約が結び直されまして……こう言っては何ですが、王女殿下の母国は今大変な状況でして、更なる捜索などとても出来ない状態ですよ」
俺の振った話題は気になったか、また視線が戻って来た。よかったよかった。
彼女の残していた資料……と呼ぶには断片的だったあれこれから、彼女は母国……というか家族であるはずの王家に仕返しをしたかったんじゃないかと思ったんだよな。
元々はいくつかの土地の支配権をこちらに、って程度だったんだが、何せろくな護衛を付けずに王女殿下を放り出した挙げ句に行方不明となって条約不履行となったんだ、その落とし前は付けてもらわないといけない。
ああ、ろくな準備もせず荷物も持たせずだったから、婚礼準備全部こっちでやれってことかい舐めてんのかって判断もされたしな。
王家に対してはその個人資産からの賠償金を請求、払えない分はドレスやら宝飾品やらの差し押さえを実施。
ソニア王女の予算をちょろまかして随分と贅沢していた姉姫達からは特にこってり搾り取らせてもらったし、それでも足りなかったから今後毎年の予算から支払ってもらうことになる。
十年はまともなドレス一つ作れないんじゃないかね、ありゃ。
更に、今回の失態は情報管理の不備やら様々な制度の不備が原因だってんで、内政干渉レベルで口を出して行政改革をうち主導で実施中。あちらの国王としては屈辱以外の何ものでもないだろう。
……ついでに、あっちの行政機構をこっちに都合良く作り替えたり情報がこっちに筒抜けになるようにしてたりするんだが、それを気付かれないようにこっそりやってるうちの王子様の恐ろしいことよ。
『今度何かあったら、戦争にすらならず無血開城させられるくらいにまでやらないとね』と爽やかな笑顔で言っていたのが昨日のことのように思い出せる。
「ああ、後は追加でいくつかの山の支配権をいただきまして」
「……え? お待ちください、その山は……一体どこからその情報を……」
「おや、ソニア様もご存じでしたか、流石です」
驚くソニア王女を見て、俺は思わず感心する。
今挙げた山は、今は何もないただの山なんだが……うちの第三王子アルフォンス殿下曰く、銀やら金やらの鉱脈が埋まってる可能性が高いらしい。
向こうはそのことに気付いておらず、開発もしてないしあっさりと手放しもしたのだが……ソニア王女だけは気付いていたわけか。
「もしかして……あそこの街道の関税を設定する権利を要求したりしていませんか?」
「え、確かに、その通りですが」
「ということは……あちらを抑えて……あらあら、これは、本当に血を流さずに国を取るおつもりみたいですね、アルフォンス殿下は」
きっとめまぐるしく頭の中で様々なシミュレーションをしたのだろうソニア王女の目には、いつの間にやら力強い光が宿っていた。
……こういう表情も素敵だな……って、いかんいかん。そうじゃない、そうじゃない。
とか俺が煩悩に飲まれそうになっている間に、ソニア王女の思考は一つの結論を出していたらしい。
「あの、マクガイン様。アルフォンス殿下は、あの国攻略のための相談役などご入り用ではありませんか?」
「なんですと?」
「ちょっ、姫様!?」
まさかの発言に、俺は思わず聞き返し、ローラは悲鳴のような声を上げる。
その相談役が誰のことを指すのかなんてわからない奴は、この場にいない。
「書類上のものに限られはしますが、殿下が必要となさりそうな現地のデータが頭に入っておりますし、それを踏まえたご提案も出来るかと思います。
また、少ないですがコネクションもないわけではございませんし、社交界の人間関係もこちらのローラを通じて色々と知っております。
それなりにお買い得なのではないかと自負いたしますが……」
「そ、それは……確かに、そうなのですが。よろしいのですか? っと聞くまでもないですよね」
ソニア王女の目を見ればわかる。愚問だと。
彼女は制裁が与えられるようにとあれこれ仕込みをしていったのだ、隣国王家に対して今更ためらいもないだろう。
それどころか、トドメを刺すつもりだとしても不思議じゃない。それくらいの扱いはされていた。
ならば、俺が止める理由もない。
ない、のだが。
「問題は、ソニア様の身分というか身元をどうするか、ですね……。
今のソニア様は扱いとしては平民となりますから、流石に殿下に直接会える職務に就いていただくのが難しく」
なんせ第三王子殿下だ、貴族だって近づける人間は厳選されている。
俺は子爵だが学友だったからってんで特例的に許可されてるようなもんだし。
どこかの貴族の養子にしてもらって……というのも、彼女の過去を考えれば難しい。
露見すればまた面倒なことになるのは間違いないし。
さてどうしたもんか、と考え込む俺に、ソニア様が笑いかけてきた。
「それでしたら、その……こういう手があるのですが……いかがでしょう」
はにかむように。
あの、普段浮かべてる諦めからくる微笑みとは全然違う、彼女の感情を感じられる笑みで。
「はい、それでいきましょう」
それに撃ち抜かれた俺は、ノータイムで返事をしていた。
「結婚の仕方を教えてください」
「何を言ってるんだ、お前は」
翌日。
第三王子執務室に朝一で押しかけた俺は、アルフォンス殿下の執務机に両手を衝き前のめりになりながら相談をしていた。
必死な形相の俺を、殿下は呆れた顔で見遣る。
……金髪碧眼のいかにも王子様なイケメンがやると、呆れ顔すら絵になるんだから、つくづくイケメンはずるい。
いやそうでなく。確かに唐突過ぎたかも知れないが、しかしこっちだって必死なんだから勘弁していただきたい。
「婚約者も作らず浮いた噂の一つも無いお前が、一体何の冗談だ? それとも休みのせいで頭が緩みすぎたのか?」
……勘弁はしてくださっているが、容赦はしてくださらないらしい。
いやいいんだ、今の俺は、その程度では挫けないのだから!
「実は昨日、運命的な出会いがあったのです。ですから俺は、その方と結婚しないといけないのです!」
「落ち着け、言ってることがめちゃくちゃだ。……勘弁してくれ、運命だとか真実の愛だとか、兄上だけで十分だってのに」
そう言いながら、殿下はこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
殿下の兄、第一王子が起こした、『真実の愛』とやらに目覚めたとか言い出して婚約破棄、男爵令嬢と婚約するなどという世迷い言を抜かしくさりあそばしやがるという事件。
やらかした第一王子は北の塔に幽閉、後々公爵に臣籍降下して程々に国政参加するつもりだったアルフォンス殿下は、自身の意思と関係なく王位継承争いに放り込まれてしまっているという経緯があるのだから、愚痴りたい気持ちはわかる。
だが、俺はそれとは違うのだから、是非ここは聞く耳を持っていただきたい。
「運命であればと思ってはおりますが、これにはちゃんと意味がございまして」
と、俺はソニア王女との出会いから彼女との会話内容、そして提案を殿下に余すところなく伝えた。
このことは、ちゃんとソニア王女にも許可をもらっている。
そして、聞いた殿下は。
「何してくれてんの、お前は……」
両肘を机に衝きながら、両手で顔を覆っていた。
いや、多分俺が殿下の立場だったとしてもそうなってたとは思うが、ここは上に立つ人間として飲み込んでいただきたい。
「しかし、大きなメリットがあることもご理解いただけると思うのですが」
「ああそうだよ、逃すわけにはいかないと思ってるよ、リスクもでかいけどさ。
どういう因果だよ、結婚するはずだった人の偽装結婚を手伝う羽目になるって」
「一度も会ったことのない政略結婚の相手だったことが不幸中の幸いですねぇ」
などと軽口で返すが、殿下がぼやくのも仕方の無いところ。
死んだと思っていたソニア王女が生きていて、更にアルフォンス殿下に抱え込まれていた。
こんなことが露見した日には、あの条約不履行は殿下の工作だったなどと言われかねない。
時系列は全く逆なのだが、それを証明する手立てはほぼないわけだし。
そんなハイリスクハイリターンな相手が本来は結婚するはずの相手だったとなれば、そりゃ複雑ってものだろう。
「とはいえ、あの方は十三歳から社交界に出ていないのですから、こちらにやってくる外交官などが顔を知っているとは思えません。
おまけに今は変装もしていますし」
「なら、後は彼女の顔を知ってそうな人間がこっちに来ないようしておけば……。
いや、むしろお前が話を聞いてた侍女だとかを引き抜いた方が早いな」
「そこまでやったらバレる可能性は極めて低い。メリットの方が上回りますよね?」
「まあねぇ。しっかし、かのお方も大胆なことを考えるもんだ。
お前と結婚して、身元の保証を手に入れようだなんて」
そう、ソニア王女が俺に提案してきたのは、俺と結婚して身元の保証を得て、その上でアルフォンス殿下にお仕えするのはどうか、ということだったのだ。
提案の中身を聞く前にノータイムで即答してた俺だが、詳しい中身を聞いても否やはなかった。あるわけがなかった。
渡りに船とはこのこと、おまけにお互いに利のあるwin-winな提案なのだから。
……わかってる、あくまでも彼女にとっては利益があるからするだけのこと、政略結婚みたいなもんだ。
だが、そこから始まる愛もある、はずだ!
当然白い結婚スタートだが、一つ屋根の下に住むんだ、チャンスはきっとある!
なお、ローラもトムも住み込む模様。
……し、仕方ない、仕方ないんだっ、っていうかある意味当然だっ!
様々な葛藤を飲み込んでその辺りの条件を組み込んだ俺は、きっととてつもなく理性的な男だ。
などと思い出している間、顔には出していなかったはずなんだが、呆れたような顔でアルフォンス殿下が俺を見ていた。
「わかってると思うけど、子爵だったら一応平民と結婚するケースはある。
ただ、普通は豪商の娘だとかになるわけだけど……彼女達に資産は?」
「あるわけないでしょう、おわかりのくせに」
「だよね」
正確に言えばそれなりの期間平民として慎ましく暮らす分には十分あるんだが、資産と言える程ではないというところだ。
身分だけで言えば、子爵までは下位貴族ということになるので、この国ではあまり相手の血の尊さは問われない。
そのため、あまり多くはないが子爵やその令息令嬢が平民と結婚することはままある。
……今回の場合は相手の血が尊すぎるわけだが、それは今回秘匿するので、問題にしないものとする。
とはいえ男爵はともかく子爵ともなれば、例えば資産家の娘など、家に入れるメリットがある相手であることが望ましい。
手っ取り早いのはどこぞの貴族家に養子に入ってもらうことだが、事情が事情だけに他の貴族家をあまり巻き込みたくはない。
巻き込むのが可哀想ということもあるし、情報が漏洩する可能性だって出る。
だから『結婚の仕方』に関して殿下にお知恵をお借りしたく参上した、というわけだ。
俺の返答に少しだけ考えたアルフォンス殿下は、何か思いついたのか、ふむ、と小さく呟く。
「……だったら、そうだな……どこぞの国の学者の娘ということにしようか。
こちらに留学に来て、偶然出会ったお前と恋に落ちた、と。
話を聞けば学識豊かで、諸々が落ち着いたら領地を与えられるはずのお前からすれば領政の助けにもなりそうだから、と、こんな筋書きでどうだい?」
「流石殿下、出任せの天才!」
「喧嘩売ってるのか、お前は」
「いやいや、心からの賞賛ですよ。確かにあのお方の知識教養だったら、学者の卵と言ってもまったく違和感がないですし」
実際、こんな設定をさらっと考え出すんだから、虚実入り交じる王宮でその存在感を盤石のものにしつつあるだけのことはある、と本気で感心する。
俺じゃとても考えつかないからな、こんなこと。
「ま、この設定なら万が一彼女がスパイか何かだった時にも切り捨てやすいしね」
「うわ、これだから微笑む氷山とか呼ばれる人は」
ニヤリと意味深な笑みを見せる殿下に、俺はわざとらしく顔をしかめて見せる。
こんな悪ぶったこと言う人だけど、身内と認めた奴は出来るだけ守るように立ち回る人なんだよな。
そういう人だって知っているから、ソニア王女を疑うようなことを言われても俺が平静でいられるわけだが。
「煩いよ。なんだって王族に対してそんなあだ名が付くんだか」
「日頃の行いですかねぇ。でもまあ、あの方は大丈夫だと思いますよ」
俺が自信たっぷりに言い切れば、アルフォンス殿下はしばし俺をジト目で見て。
それから、大きくため息を吐いた。
「普段であれば、お前の勘は信じるんだが、今ばかりはちょっとなぁ」
「何故ですか、何なら人生最高潮に感度良好ですよ?」
「むしろ良好すぎて変な何かを受信してないか心配なくらいだよ……」
そう言いながら、もう一度大きくため息を吐く殿下。失礼な、俺はそんな変なものは受信してないぞ。
「後はあれだな、彼女は王族としての教育を……形の上では受けていたはずだから、子爵夫人として振る舞うには洗練されすぎてないか、というのが心配だね」
「あ~……それなんですが、あの王家というか王妃サイド、嫌がらせの一環で降嫁先に子爵など下位貴族も考えてたらしく、子爵家レベルのマナーや振る舞い方も教えてたそうでしてね……」
「……色々言いたいことはあるが、結果として好都合だから何も言わないでおこうか……」
低い声で言いながら、殿下はぐりぐりとこめかみを揉み解す。
うん、正直俺も複雑だからなぁ……ラッキーではあるけれど、彼女が受けてきた不遇な扱いの副産物なわけだし。
まあしかし、これで当面の問題は大体なんとかなりそうかな。
「では、この方向で一度あちらとも相談してみます。
あ、婚姻契約書の証人をお願いしますね」
「いいけどさ、王族をあごで使うってのはどうなんだい」
「まあほら、普段こき使われてますから。
その分今後も働きますから、勘弁してください」
「はいはい、期待してるよ」
なんて軽口を叩き合いながら、俺は執務室を後にした。
『あいつにも春が、ねぇ』なんて殿下の独り言が聞こえた気がするが……ほんと、これが我が世の春になればいいんだが。
とか思いながら、俺はマナー違反にならないギリギリの速さで辞去。
そのままの勢いで、ソニア王女達の住む家へとやってきた。
そんでもって段取りを説明したわけだが。
「なるほど……僭越ながらそれなりに知識もございますし、学者の娘の振りも出来るかと思います」
ソニア王女は、あっさりと受け入れた。まあ、予想はしていたけれど。
彼女からすれば、子爵家に養子として入る方が余程窮屈で気を遣うのかも知れないし、この形で良かったのだろう。
「後は住む家になりますが、何かご希望はございますか?」
「いえ、特には。こうして手筈を整えてくださった上に住まわせていただくのです、贅沢は申せません」
「何て慎ましやかな方なんだ……」
「え、そんな、何をおっしゃいますやら」
「あっ、やべっ、声に出た!?」
思わず漏れ出た俺の心の声に、照れたのか少々慌てた様子を見せるソニア王女。まじかわいい。
いや違う、そうじゃない、そうなんだけどそうじゃない。
「と、ともかくですね、え~、申し訳ないですが、俺も子爵になりたての若造で収入もまだこれから、あまり贅沢はさせて差し上げられないかとは思いますので、そう言っていただけて、正直安心してるとこはあります。
ただ、それだけでは申し訳ないので……出来る限りの気遣い、心遣いはさせていただきます。
……あなたには、出来る限り笑っていていただきたいので」
「まあ……」
ソニア王女の隣でローラが砂糖と生姜の塊を口に突っ込まれたみたいな妙ちくりんな顔をしていたが、まったく気にならない。
なぜなら、ソニア王女が驚いたような顔になったと思ったら……また、はにかんだような笑みを見せてくれたのだから。
俺の中の何かが撃ち抜かれたような感覚があり、ぐあっと顔に血が集まってきたのがわかる。
やばい、なんかめっちゃ恥ずかしくなってきた。
そう思った俺は、慌てて立ち上がる。
「そっ、それでは、話も一段落したと思いますので、今日のところはこれで!
ま、また来ますので、よろしくお願いします!」
どもったりつっかえたり、何ともかっこがつかない挨拶。
けれど、ソニア王女はそんな俺を馬鹿にした風もなく。
「はい、また。……お待ちしております」
そう言って、それはもう柔らかく微笑んでくれた。
あ、ヤバイ、頭に血が限界以上に上ってきそう。
「は、はいっ、ではっ!」
それだけを何とか言い返すと、ドアを潜るまでは、何とか堪えたものの。
ドアを閉めた瞬間に俺は、全速力で駆け出した。
だから。
「姫様、本当にいいんですか? こんな、御身を捧げてまで……」
「いいのです。それに私、捧げるだとか我が身を犠牲に、だとか思っていませんよ?
だって、いくら私でも、絶対に嫌と思うような人相手にこんな手は打ちません」
「え。だ、だって相手はあの『黒狼』ですよ!?」
「ふふ、そうね……とっても鼻の利く狼さん。
何者でもなくなって、どこにいけばいいのかわからなくなった私を、顔も知らないのに見つけてくれた人。
……ね、ローラ。私だって一応女の子なんだもの、運命を感じてしまったらだめかしら?」
俺が走り去った後、そんな会話がされていたことなんて知る由もなかったのだった。
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