燃える感情と冷えた現状2025/05/07am08:26
温度の差がますます私を卑屈にさせ空を仰ぎ見る。
おはようございます。
おかげさまで第24回になります。
今朝目が覚めて、覚めた途端に思考が現状への危機感と”このまま死にたくない”という感覚で包まれました。
泥臭く生きたいというより、死に様が嫌な意味でこのまま死にたくないって感じました。
昨今、電車を利用するのですがみなさん外見が見目麗しい。
いいな、と思える人が増えました。
如何にも楽しそうな雰囲気を捉え。私は思います。
私もそうなりたい。
善悪を説いて大衆に迎合し。気分が悪くなるという理由でマスメディアから悪口から離れた私。
集団からも外れ独りであることを、乾杯と音頭を取ったにも関わらず。
なんだこの虚しさは。
挙句、ついに群れることを解禁しようとしている。
違う、本来の目的である自由。
集団とは私には足枷であり不自由だった。
自由に行きたかった。
他者に踏み潰されず、かといって楽しい時間を過ごしたい。
そも、楽しいとはなんなのか。
なぜ他人といると楽しいのか。
違うだろう。
心を、精神の柔らかい部分を共有できる人間と分かち合えるのが幸せなのだ。
まあ知らぬ体験えぬものが語るのはいささか問題あるような気もするが。
きっとそうなのだ。
幸せを求めて今もこうして書き連ねるが、どうも最近は精神状態が良くない。
心当たりはある。
食事もそうだし、腸内環境、金銭、職務。
これからや今までの自分の行い。
それらがいま、燃え始めている。
家の倉庫にしまいにしまいこんだ、可燃性の突発的に発火する問題らがいま火を吹き始めた。
今にも家に燃え移りそうなほど、炎は勢いを増している。
わたしはそのうち業火に包まれるだろう。そんな予感がする。
感情だ、この炎は。どうしようもなくまとわりついてくる。
息ができないのも、この燃える炎と燃えた問題らが私の酸素を奪うからだ。
また次回、良い人生。を。




