第七十八話
【第七十八話】
ガイアが掻き分けた木々の間から顔を出したのは、どでかい真っ黒なゴリラだった。
「ンゴオオッ!!」
こちらを認めた黒い霊長類の魔物が雄たけびを上げ、むくりと立ち上がる。
「来るぞっ!」
ガイアが注意喚起する。
戦闘があまり得意ではないシャボンが後ろに下がり、俺とニヒルが構えながら前に出る。
「ンゴアアアアッ!!」
両腕をしならせ、ゴリラが突っ込んでくる。
標的は岩の装甲に包まれたガイアだ。
「はあああああっ!」
気合いを入れ、黒い剛腕を受け止めたガイア。
両者の力が完全に拮抗し、ゴリラの動きが止まる。
すごいなガイア、ゴリラ並みの馬鹿力だ。
「隙あり」
なんて、変なこと考えている暇はない。
俺は素早く前進し、ゴリラの体に手をうずめようとする。
「ンガッ!」
「うおおっ!?」
気配を察して俺の方を向いたゴリラは、怪力でガイアを持ち上げる。
そして、俺に向かって投げ飛ばしてきやがった。
「すまんガイア」
豪速球だが、避けられないほどではない。
俺は飛んできたガイアの体をひょいと躱し、ゴリラに肉薄する。
ゴリラはスローした体勢で硬直しているはず。あの太い腕に掴まれる危険はないだろう。
「はっ」
「ンゴア?」
予想通り、隙だらけの格好で立っていたゴリラの目の前に現れた俺は、その分厚い胸板に手を突っ込む。
さらに、肉体の中にある魂を掴んで引っ張り出す。
「……よし」
魂の引き抜きは無事成功した。
ゴリラの目が光を失い、黒い巨体がゆっくりと倒れる。
「やったね、トーマ」
「いきなり現れてどうなることかと思いましたが、なんとかなりましたね」
ニヒルとシャボンにけがはないようだ。
しかし、とんだスタートダッシュだったな。
「すまない、尻拭いをさせたな」
「なに、これくらいはちょろいもんだ」
ガイアも謝れるくらい無事みたいだな。
「ゴリラ、『ジャングルゴリラ』がいたから、周りには他の魔物はいないよね。今のうちにここら辺のスパイスを回収しよ?」
「そうだな」
ドロップした『ジャングルゴリラ』のアイテムを拾ったニヒルのアドバイスに従い、俺たちは周囲を探索し始める。
カレーに必要なスパイスは四種類だ。コショウ、クミン、ウコン(ターメリック)、カルダモン。
コショウは辛み成分の付与、クミンとカルダモンは香りづけと苦み成分の付与、ウコンは黄色の色づけのために用いられるらしい。コショウ、クミン、カルダモンは種子だが、ウコンは地下茎の部分を採取する必要がある。
「ありました!コショウの草です!」
シャボンが見つけたようだ。
三人で彼女の下へ向かう。
「これがコショウか……」
ひょろひょろとした、どこにでもありそうな緑色の草。この草の種がコショウになるとは到底思えなかった。
「この草はコショウソウと言います。リアルの世界にもあるんですよ」
どうやら調べてきたらしいシャボンが解説してくれる。
これは、探すのは彼女に任せた方がいいかもしれないな。
「早速泡で包みますね」
そう言うと、シャボンは輪が象られた独特な形状をした杖を振るい、シャボン玉を生み出す。
「草を包んで、あっちへ」
さらに杖を操作してコショウソウを包み込んだシャボン玉は、オースティンの街の方へ飛んでいった。
ふわふわと空中を漂うシャボン玉にちょっとほっこりする。
「こんな感じで、私の【泡沫魔法】でスパイスの苗を運搬していきます。トーマさん、ガイアさん、ニヒルさん。戦闘の方はよろしくお願いします」
「了解」
「任せてくれ」
「分かったよ」
律儀にお辞儀してくれるシャボンに、俺たち三人は快諾を返すのだった。
※※※
探索を再開した俺たちは、ガイアを先頭にして森の中を分け入っていた。
「もうちょっと楽だといいんだが……」
『生命の大密林』は木々や低木、草などが茂りすぎていて、スパイスの苗を見つけるのに苦労している。
まさしく前に進むのでやっとの状態だ。視界が悪すぎて、探し物どころではない。
「とりあえず深くまで行ってから、しらみつぶしで探すしかあるまい」
「ローラー作戦ってやつだね」
ガイアの一言に、ニヒルが付け加える。
「ああ。一度奥まで行ってしまえば、帰りは行きで薙ぎ倒して作った獣道を頼りに探索できる。その方が効率的だろう」
なるほど。一理あるな。
「ガイアの作戦で行こう。その方が生きて帰れる確率も上がるしな」
「あ、一応生きて帰ろうとはしてるんだ」
当たり前だろう。
いつもみたいに、肝心なときにデスするなんてまっぴらごめんだからな。
「じゃあ、進んでいくぞ」
そう言いながら、岩の鎧を纏うガイアが先行する。
手近な巨木を膂力で薙ぎ倒し、邪魔な木立は岩の足で踏み潰す。
道中出てくる魔物の相手は、俺とニヒルの出番だ。
「そっちにトラが行ったぞっ」
「りょーかい」
森を荒らされたことを悟り、侵入者を排除すべく弧を描くように接近してきていたトラが、ニヒルの前に躍り出た。
「『ジャングルタイガー』。相当厄介な魔物です」
シャボンが小さく呟いた。
クロックが注意しろと言っていた相手か。見たところ普通のトラにしか見えないが。
「ガッ、ガウッ、ガガアッ……」
「……このトラ、機動力がとんでもないね」
枝に足をかけ、樹皮に爪を立て、木を蹴って立体的に移動し、倒木を踏み台に大ジャンプ。
まるでパルクールのように周囲のものを利用して動き回るトラに、ニヒルは辟易としていた。
「ナイフが当てづらいね」
「当てづらいなのか?当たらないではなく」
俺の方は暇なので、あえて挑発的に聞いてみる。
「当てづらい、でいいの。絶対当てられるんだから」
「言うなあ」
「ンガアアアアッ!」
おっと。俺とニヒルが問答をしている間に、枝の上から強襲してきたか。
狙いはもちろん、ニヒル。俺ではなく挑発とも取れる言葉を発していた方を狙うとは、相当頭に来てるぞ。
「無駄だよ」
落下してくるトラに向かって、ニヒルは短剣を放った。
何度も繰り返してきた構えで、寸分の狂いもなく投げられた一本はトラの顔面に吸い込まれていき……。
「ガウッッ!!」
ニヒルの一投が、トラの眉間を裂いた。
急所への一撃。普通の生き物ならば絶命するはずの傷。
が、ここは『生命の大密林』。生命力に満ちあふれた魔物の巣窟だ。
「ン……ガウウ……」
トラがゆっくりと起き上がる。眉間に短剣が刺さったままで。
「第二ラウンドだな。助けは?」
「いらない。ハリネズミにしてやる」
あまりに現実離れした生命の神秘を前に、ニヒルの闘志に火が付いたようだ。
トラを警戒しつつ軽く柔軟運動をし、ぶらぶらと歩いて適正距離に身を置く。
「さて、いくよっ!」
意気消沈しているトラを攻め立てるため、ニヒルが走り出した。
彼女もしくは彼の両手には数本の短剣が握られている。ここぞというタイミングで投げるつもりだろう。
「ンウ?……グアアアッ!」
ニヒルの接近に気づいたトラが咆哮を上げる。
だが、気づくのが少し遅かった。
もうニヒルは射程圏内に入っている!
「はあっ!」
かけ声とともに、幾筋もの銀の線が投げられた。
「ガウッ、ガアアウッ」
数々の凶刃を、トラは自慢のフットワークで躱していく。
が、その全てを御しきれたわけではない。
「ほら、ほら……」
ニヒルが怒涛の連撃を繰り出す中、数本の短剣がトラの肉体に刺さる。
「ほらほら!」
さらに短剣を投げるニヒル。
「ガ…ウ……」
短剣が刺さりすぎて、ハリネズミのようになったトラ。
「避けてみなよ!自慢の身体能力でね!」
「……ガ」
「それくらいにしておけ。もう死んでる」
舞い上がったニヒルに対し、付近で土木工事をしていたガイアが口を挟んだ。
「珍しく熱くなっていたな。なにか嫌なことでもあったか?」
「なに、私もこれくらいできるってアピールしたかっただけさ」
「アピールって、誰に?」
「さあ?」
「……そうだな、お前とまともに会話できると思っていた私が馬鹿だった」
俺とシャボンで草の根を掻き分けている間に、ガイアがニヒルと漫才をしている。
おい、探すの手伝ってくれよ。
「ありました、クミンです。苗ごと掘り出すので、周囲の警戒をお願いします」
「「「了解」」」
俺とニヒルとガイアは異口同音で承諾した。
スコップを取り出して周りの土を掘っていくシャボンを横目に、俺は短剣で丈の長い草をしばいていく。
視界を確保するのはなによりも大切だ。特に見通しの利かない密林の中では特に。
「はあああっ!!」
左ではガイアがブルドーザーのように植物を根こそぎ刈り取っていた。
ドガドガバリバリと音がうるさいが、雑多な緑の中に茶色の地面が現れていくのは見ていて気持ちがいい。
「せこせこいくのが馬鹿らしくなるね」
生み出した短剣の二刀流で道を切り開いていたニヒルが、愚痴をこぼした。
「そうだな。俺たちは索敵に注力するか?」
「だね。あんまり離れられないけど」
俺は短剣をしまった。
工事のせいで耳は頼りにならないので、できる限り目で情報を集める。
ガイアによって切り開かれた地面の向こう側、森との境界線を集中的に見ていく。
「っ!」
すると、でかいひも状のなにかが境界線に面する木の枝から地面に落ちた。
「頼んだよ」
「ああ」
ヘビだ。
でかいというか図体が細長いので、ニヒルより俺が相手した方がいい。
「……終わりました。いけます」
「ちょっと待っててね、シャボンちゃん」
後ろの話し声を聞きつつ、俺はのたうち回るひも状の魔物へと歩いていく。
「……」
俺の気配を察し、ヘビが鎌首を持ち上げてこちらを向く。
無言だ。音にならない音を立てて、切れ長の口の中央から舌が出たり引っ込んだりしている。
「って、こいつ……」
俺とヘビが見つめあってからややあって、とぐろから持ち上がったもう一本の頭。
この魔物、俺は戦ったことがある。ユルルンの街の中にあるダンジョン『螺旋の塔』で俺を丸呑みにした双頭のヘビだ。
「もう一度狩ってやる」
燃えてきた。今度は食われずに倒す。
俺は両腕を構え、迎撃の準備を取る。
来い。
「……」
左の頭がしなり、そこそこのスピードで突っ込んできた。
遅いな。
「はっ」
短く息を吐き、あえて右に避ける。
ネタは上がっている。こうすれば……。
「右の頭がつられてやってくる!」
予想通り俺めがけて迫ってくる二撃目を、左に回避する。
ちょうど、左の胴体と右の胴体に挟まれる形に位置取った。
「……」
ヘビは挟むように胴体を閉じ、俺の体を圧迫しようとする。
が、その動きは緩慢だ。
俺に対してボディプレスなど、倒してくれと言っているようなものだな。
「はあっ!」
俺は左の胴体に向けて腕を突っ込み、肉体の中にある蛇の魂を掴む。
「……!」
ヘビが慌てて左の頭を差し向けてくるが、遅い。
俺は右腕に力を込め、思いっきり引き抜いた。
「終わりだ」
ヘビの魔物は沈黙し、丸太のような胴体が地に伏した。
完全に挟まれなくてよかった。抜け出すのが手間だ。
「お疲れ」
「とりあえず半径五十メートルほど掃除してみたが」
「これで見晴らしがよくなりましたね。……休憩にしましょうか」
ものの数秒で戦闘を終わらせた俺を見ても、もはや誰も驚いてはいなかった。
※※※
ドロップしたヘビ肉を焼きながら、ひとまず雑談する。
「これでゴリラとトラとヘビと戦えたわけだが、余裕だな」
「まあトーマがいるからね」
ニヒルは魔物との戦闘で苦労しているのだろう、今の一言に得も言われぬ重みがあった。
「『生命の大密林』は、『フロンティア』の中でも特に戦闘向きのスキルが重宝するフィールドだ。トーマにはぴったりなんだよ」
「逆に私などのサポート寄りのスキル持ちだと厳しいんですよね。森の中を進むので精一杯なのに、魔物がたくさん出てきますし。おかげで検証や探索があまり進んでないんです」
ガイアとシャボンがしみじみと言う。
『フロンティア』攻略や技術の発展のために色々なパーティの魔法職として動いている二人にとって、どんな魔物も瞬殺できる俺は救世主のようなものなのだろうか。自分で言うのもなんだが。
「なるほどな。……まあ、俺でよかったらいつでも力を貸す。『フロンティア』でもどこでも呼んでくれ」
「ありがとうございます。頼りになりますね」
シャボンが頭を下げて嬉しいことを言ってくれる。
なんという真面目ぶりだろうか。ニヒルとガイアには見習ってほしいものだ。
「シャボンはこいつの裏の顔を知らないからな」
「そうそう。ユルルンの外壁をぶち壊すようなサイコパスだよ?」
うるさいぞ、二人とも。
「そうなんですか。でも、私に対しては優しくしてくれてるのですから、それ相応の感謝を返すのは当然です。事実、トーマさんがいなければミッションを達成することはできませんでしたし」
「そう言ってくれると助かる」
シャボンはあれだな。恩や仇をきっちり根に持つタイプだ。
受けた恩も被った仇もしっかり記憶し、その人と付き合うときの指標にする。彼女はそうした、強かな生き方をしている。
「あまり信用しすぎるなとだけ言っておく。……さて、そろそろ焼けたか」
余計な一言を付け加え、ガイアが席を立った。
今、彼女は岩の装甲を解いている。周りが開けているので、警戒の必要はないだろうという判断だ。
「トーマがいたらこの先も楽勝だね!」
焼いた肉をインベントリにしまいつつ、ニヒルが死亡フラグを宣言した次の瞬間。
トラの胴体にゴリラの上半身とヘビの首がくっついたキマイラのような魔物が、俺たちの前に立ちふさがった。
「『生命の大密林』って、そういうことかよ……」
「ンゴアアアッ!!」「ガウッ!」「……」
俺の呟きは、三者の鳴き声によって搔き消された。