第五十九話
【第五十九話】
ロボーグから話は聞いていた。
Dが黒い次元のポータルを解き放ったとき、デザートアントたちとともに『干支』の魔物があふれ出したと。
聞いていた。まさに最深部のここが、Dが全てを解き放った地点であり、ロボーグがダンジョンを作った場所だ。
聞いていたが、まさかそんなことがあり得るのか!?
「解き放たれた瞬間から今まで、戦い続けていたのか……!?」
俺は、頭から溢れた疑問を口から漏らす。
カオスメーカーによって強制的に連れてこられ、解放された『干支』の魔物は、同じタイミングで解き放たれたデザートアントと敵対していたはずだ。逃げ足の遅い魔物はきっと、その場でアントと戦っていたと考えられる。
だがそれにしても、アントの大群を前にここまで拮抗できるのか。
「あれはなんだ?トーマ」
「『干支』の魔物と言われている魔物だ。それの丑と寅」
「なるほど」
多くを語らなくても理解してくれるオレンジ。彼は『フロンティア』の攻略をプレイスタイルとしているため、未知を目の前にしても動じない胆力がある。
「で、どうするかなんだよな」
目の前の光景を見て、グレープが呟く。
中央右より『寅』の魔物の白と黒のギザギザ模様の前足が振るわれる度、アントの波が湧き立つ。中央左より『丑』の魔物がいななく度、アントの甲殻が歪み砕ける。
そして、部屋の中央にいる女王アリらしき塊が卵を産み続けている。無数の兵隊アリが彼女を護衛しているため、その姿ははっきりと見えない。
大部屋の前に来るまで気づかなかったが、小刻みの振動が絶え間なく伝わってくる。『干支』VSアントの戦いは、まだまだ終わりそうになかった。
「ウチの『爆発魔法』で蹴散らそうか?」
ハッパが提案する。
正直、それしかないな。魔力の枯渇による過労死が心配だが、アントの絨毯に風穴を空けることはできそうだ。
「頼めるか?」
「うん、任せてーな!」
早速準備してもらう。
ハッパが両腕を掲げ、右手の杖を部屋の中央に掲げる。
「顔を背けて耳を塞いで!」
「目をつぶれっ!」
「どっ、かああああああんっ!」
グレープと俺の注意喚起とともに、爆発の号令がかかった。
俺はその場で伏せ、両手を耳に当てながら目をつぶる。
パアアアアアアアアッ
その瞬間、強烈な閃光と爆音が目と耳を刺激した。
久方ぶりだな、この感覚!
……そろそろいいか。
俺は膝立ちになりながら目を開け、耳を塞ぐ手をどける。
「相変わらず、すごいな」
率直な感想が口から出てくる。
ハッパは女王アリに狙いを定めたようだ。デザートアントのトッピングは剥げ、女王アリの白っぽいぶよぶよの腹部が露わになっていた。周囲には、砂色の兵隊アリたちの破片がいくつも転がっている。
そして、爆心地から少し離れていた『丑』と『寅』は頭を振って光と音に耐えていたものの、ノーダメっぽかった。
開戦の合図としては、十分すぎるな。
「今だ!行くぞおおおっ!」
とここで、オレンジが出しうる限りの声量で咆哮する。
爆破で不意を突くという作戦は、もう二度と通用しない。『丑』と『寅』は今ので耐性ができただろうし、女王アリはより強固に兵隊を纏わせるだろう。
だから、今。
今この隙に乗じて、攻めるしか勝機がない。そう考えての判断だ。
「うおおおおおおっ!」
少し前の方にいたグレープが勝鬨を上げながら、アントの軍団に突っ込んでいく。
ハッパ、俺、オレンジ、ストロベリーがその後に続く。さながら、戦国時代の合戦のようだ。
砂色の軍団と今、衝突する!
……まさにそのとき、『丑』が頭を少し上向きにし、鼻から大きく息を吸い込んだのが見えた。
「っ耳を塞げえっ!」
「ン、ンモォォオオオオオオオオオオッ!」
『丑』が鳴いた。
「ぐ、っうわあああっ!」
「きゃあっ!」
『爆発魔法』に匹敵する音と衝撃に、前にいたグレープとハッパが叫び声とともに吹き飛ばされる。
かくいう俺も、無様に吹き飛ばされる。
「くく…くぐぐぐっ!」
「……これは強烈ね」
転がる視界の中で、重心を落として必死に耐えるオレンジとストロベリーの姿が見えた。
『丑』のいななきによって、俺たちと彼らの立ち位置が入れ替わる。
「……」
動けないオレンジたちに、屈強な『デザートアント・ソルジャー』たちが群がらんとする。
「『甘い炎』」
が、それは許されない。
一番手前のアントに赤紫の炎を付与したストロベリーが、大きくバックステップを取って魔法を発動した。
乾いた地面を転がりつつ、俺は体勢を整えて立ち上がる。後ろでも、二人が同じことをした気配を感じた。
「行くぞっ!」
「おう!」
「はいさ!」
「はは、こうでなくちゃな!」
前で暴れ始めたオレンジに加勢するように、俺たちはまずストロベリーの方へ急いだ。
「『甘い炎』『甘い炎』、『甘い炎』!」
さらに、固定砲台として『甘い炎』を連発し続けるストロベリー。一応『丑』と『寅』にも撃っているが、『丑』にはまるで効いている気配がなく、『寅』は俊敏に躱して当たらなかった。
魔法系のスキルは対象にではなく、対象の座標に向かって発動する。ハッパの『爆発魔法』もそうだ。
だから、あまりにも素早い『寅』には当てられない。偏差命中というか、動きを予測したエイムが必要となってくる。
「私は『丑』『寅』に向かって撃ち続ける!その方が周りのアントと良い勝負になりそうだから!」
「お願いしますっ!」
すれ違う瞬間、ストロベリーと作戦を話す。
彼女が牽制しておけば『丑』に鳴かれることはない、と思いたい。
「はあああっ!」
俺は自らの存在を誇示するかのように走り、少しでもアントの気を引く。
さあ、ここからが乱戦だ。プレイヤーとアントの戦いが始まる。
……そう思った瞬間。
思いっきり跳躍した『寅』が、鋭い爪の生え揃った前足を俺に向かって突き立ててきていた。
「うっ、そっ!!」
だろ!?予備動作がまるで見えなかった。
ちゃんと視界内に収めていたはずなのに、俺の網膜では攻撃を準備してから攻撃に至るまでのシーンが、まるで再生されていなかった。
「ぐぅっ!」
逸る足に急ブレーキをかけて減速するが、避けられない。大型のダンプカーほどもある体躯に、俺も後ろのグレープたちも轢かれてしまう。
頭に浮かんだのは、さっき死んだときに学んだ慣性の法則。
外部から力が加わらない限り、動いているものは動き続け、止まっているものは止まり続けるという法則だ。
それに従えば、俺が今『寅』の魂を抜いたとしても、収まらない運動現象によってミンチにされてしまう。
なら、どうするか。
「こう、すっ…るっ!」
俺は一息に短剣を引き抜き、その場にしゃがみ込む。
眼前に迫った『寅』の黒い両目が、俺の姿を険しく見下ろす。
慣性をコントロールしたいなら、外部から力を加えればいい。
俺は短剣の切っ先を真上に向け、膝が壊れるほど力強く、一気に立ち上がった。
「はあああああっ!」
短剣を、白黒模様の腹に差し込んでいく。
そして勢いを殺すことなく、『寅』の軌道を逸らすかのごとく体を持ち上げる。
いなす。それがまさにぴったりな動詞だった。
「グルアアアッ!」
『寅』が短く鳴き、苦痛を露わにする。しかし、空中にいるこいつは、身動きを取ることができない。
ただその圧倒的な質量と速度に、俺の腕と肩は悲鳴を上げる。
長いようで短い、一瞬が過ぎた。
「ぐわあああっ!」
「トーマっ!」
俺は『寅』をいなした反動で、再び地を這いつくばるようにして転げ飛ばされる。
が、軌道を逸らすことに成功した。『寅』は腹に短剣を突き刺したまま、真上へ放り投げられた体勢となった。
「今だ…、ベリー…!」
「『甘い炎』!」
俺は再び後ろへと押し戻された形になったが、なんとか決まったようだ。
俺が『寅』から皆を守りながら、上へ弾き飛ばす。そこに、ストロベリーの『甘い炎』を炸裂させる。
素早さと力強さに全振りしたような相手だ。ひとたび『甘い炎』が入れば……。
「グルララ、ラアアアアアアッッ!!!」
文字通り、ひとたまりもない!
『寅』は一際大きな鳴き声を上げて、全身を炎で包み込まれながら勢いよく燃え盛った。
「『丑』に気をつけつつ、進めっ!」
俺は地面を擦りながら、グレープとハッパに声をかける。
燃えた塊が上昇を終え、ゆっくりと自由落下し始める。
かすかに、その炎が揺らいだ気がした。
まずい!
「ベリー!」
「分かってる!『甘い炎』っ!」
すかさず、ストロベリーが『寅』の着弾地点に向けて『甘い炎』を行使する。
苺色をした弾ける炎が落下した『寅』を待ち受ける……。
はずだった。
まただ。また、シーンが消えた。
「危ないっ!」
と俺が叫ぶと同時に、灼けた流星がストロベリーを轢き裂いた。
空中を蹴った?
疑問に思う時間すらなく、次の攻撃が来ると察知した俺は思いっきり横に飛び跳ね……瞬く間もなく第二波が、俺のすぐ横を通り過ぎていった。
「まさに化け物……」
俺は呟く。
流星が輪郭を成し、少し離れた地面に姿を現した。
位置関係では『寅』、俺、グレープとハッパ、オレンジ、女王アリと『丑』といった形。つまり、俺がここで『寅』を倒さなければ、前の皆が絶望的ということだ。
「これは……」
二度地面を舐めたものの、『甘い炎』の効果でじわじわと傷が癒えている俺。対して、腹部に短剣を刺され、全身を『甘い炎』で焦がされている『寅』。
どちらが有利かと問われれば俺の方かと思うかもしれないが、全然そんなことはない。手負いの獣が恐ろしいのは、OSOでも同じだからだ。
「面白い」
俺は、無手で構えを取る。
もはや慣性を気にできる段階ではない。俺のこの身が砕けても構わない。
『寅』を倒す。
「グルウウウウウゥゥ……!」
『寅』も、俺を警戒しているのが分かる。
「……」
「グルルゥゥ……」
勝負はおそらく一瞬。俺が『寅』の魂をパリィするか、『寅』が俺を八つ裂きにするか。
その一瞬を決めるべく、しかけた方が負ける。
だから待つ。
待つ。
待った方が……、『寅』が燃え続けるので、待つ。
「グラアアアアッ!」
「『ソウル・パリィ』」
勝負は一瞬で決まった。
視界から消えるので目には頼らず、鳴き声が聞こえた瞬間に腕を振り抜く。
魂を弾き飛ばした感覚が、確かにそこにはあった。
「っぐっ……」
確かに、『寅』の魂を抜くことに成功した。
そこは褒めてほしい。
「…わあああああっ!」
が、俺は気にしないようにしていた慣性により、完全に脱力した『寅』の肉体に巻き込まれて死んだ。
「ええ…?」
爆杖術を駆使して、アントを翻弄していたハッパの困惑した声が耳朶を揺らす。
悲しいかな。OSOの世界にも天丼があったとは。