第四十九話
【第四十九話】
大量の土砂と岩とともに、俺は漆黒の奈落へ落ちる。
「くそっ…」
だが、ただでやられてやるつもりはない。まだなにもしてないしな。
うつ伏せになって落下しながら、なけなしの【自己再生】の『スキルジェム』を飲む。
この状況をどうにかしてくれそうな【大地参照】持ちのガイアどころか、グレープもニヒルも姿が見えない。
よって、今俺ができるのは、落下のダメージを癒すことだけだ。
「……」
といっても、生存は絶望的に思える。
落ち始めて数十秒経っても、まるで底が見えない。キロメートル単位で落ち続けているのではなかろうか。
しかし、ダンジョンの仕様で空間が拡張されているであろう『打ち棄てられた炭鉱』ならともかく、『坑道』がそんなに広いはずが…。
そう諦めかけていた瞬間、黒く閉ざされた面が迫る。
地表にぶつかる!
「…うっ!」
とっさの防御反応が出て、両手で顔を覆い目をつむってしまう。
頭から地面に激突した俺は、全身を強打されて…。
「ん?」
もう何回も体感した、いつもの死んだ感覚が来ない。
代わりに訪れたのは、糸がより集まったハンモックが弛むような、ぐいぃぃ…という音。
なにが起きた?
そこかしこから岩や破片が衝突する音も聞こえるので、地面に到達したことは間違いないはずだが。
「ここは…?」
おそるおそる目を開けると、開けた空間が広がっていた。
懐中電灯はどこかにいったため予想になるが、多分『休憩エリア』よりは狭いだろう。
ただそれよりも、なぜ俺は生きている?
「ふっ!…はあっ!」
そう思って手のひらを地面につけようとするも、ものすごい抵抗を感じる。
なにかにまとわりつかれているような動きづらさだ。
「…っ!?」
OSOでは触角が実装されていない。なにかに触れていると理解するためには、視覚で確かめなければならない。
俺はその慣習に倣い、まぶたを持ち上げて自分の体に目をやってみると…。
ネバネバとした、透明な糸の数々に絡め取られていた。
これは、クモの巣か?
「…ぅわぶうぅっ!!」
そのとき、情けない声を上がって天然のハンモックが揺れた。
数メートルの先も見渡せない暗闇だが、充分に分かる。
この声と見た目は…。
「あんだこれっ!?」
やはり、俺の隣のスペースにグレープが落ちてきたようだ。
仰向けで、全身に糸が付着した状態で宙に固定されている。
「グレープ、大丈夫か?」
「トーマっ!?生きていたのか!?」
「俺たちはどうやら、クモの巣に落ちたみたいだ」
「なるほど…」
最低限の会話を交わすと、グレープは少し考え込む仕草をした。
俺も彼も場慣れしている。偶然九死に一生を得たということが理解できれば、一切の身動きが取れない状況でもパニックに陥ることはない。
それに、何回も鉱山へ出入りしている彼ならば、恐らくクモの魔物の正体に心当たりがあるだろう。
「この糸は、ジュエルアイスパイダーのものだな。八つの目が光り輝く宝石になっているクモの魔物だ」
「宝石か。なかなか魅力的な魔物だが、どうやってここから抜け出せばいい?」
「それは…、無理だ」
「ん?」
聞き間違えたような気がするが、もう一度言ってくれないか?
耳に手を当てて問いたいところだが、全く動けないだ。
「自力では無理だ。何度か試したことがあるが、粘度と伸縮性が絶妙で、もがけばもがくほど絡まる」
「じゃあ、助けを待つしかないということか?」
「ああ。外から強い力で引っ張れば、まだどうにかなる…!?」
なんて話していたら、グレープは突然黙った。
俺も確認できた。視界の隅でキラリとなにかが光るのを。
いくつかのまとまった、赤い光。
これは…、いよいよ猶予がなくなってしまったか。
「きたな」
「目がルビーに置き換わった、ルビーアイスパイダーだ。残念ながら、ジュエルスパイダーの中では珍しくない方だな」
言ってる場合か。
俺たちがなにもできずにいると、赤いシグナルが一つ、また一つと増えていく。
どうも前方は大きな穴になっているようで、下からふっと湧く光もあれば、壁に空いた横穴からにゅっと飛び出す光もある。
大小様々な輝きが大きく、強くなるにつれ、何匹ものクモのシルエットが浮かび上がる。
その数、目視できるだけで数十匹。
音もせず後ろからもやってきていると考えると、百はくだらないか?
「っ!……ふうっ!」
最後の抵抗とばかりにもがいてみるが、ダメだ。
「やめとけ。なにもしないのが最善だ」
グレープはもう、死ぬ覚悟ができているみたいだった。
「そうか…」
まさしく針に糸を通すような確率で奇跡的に助かったものの、ここまでか。
そう、死んだ目で最期を迎えようとした次の瞬間…。
「…ぉぉおりゃあああああああっ、ですよおおおおっ!!!」
聞き知らない女性の声とともに、ドオオオンッという轟音が響き渡った。
「っ!?」
地面が大きく震え、糸を伝わって俺たちの体を振動させる。
この声はニヒルでもガイアでもないが、もしかして落盤に巻き込まれた人が他にもいたのか?
「プレイヤーだ!助けてくれ!!」
「この声は、グレープさん、ですね!」
ハキハキとした特徴的な声だ。数メートルほど後ろから聞こえる。
いやそれよりも、グレープのことを知っている?
【自己再生】の評判が先行している可能性、鉱山で有名なプレイヤーという可能性もあるが、誰もが知るくらいの知名度は彼にないはず。
なのになぜ、すぐ声と名前を結びつけられた?
「もう一人いますね?もしかしてトーマさんですか?」
「…ああ」
「それなら安心ですね!」
暗闇で背を向けている格好の俺に、謎の女性プレイヤーは質問してくる。
グレープが善人でも、隣の人は悪人かもしれない。特にプレイヤーキラーを助けると面倒ごとしかないので、前もって聞いたのだろう。
なにも考えてなさそうな声色だが、意外と用心深いな。なかなかにできるプレイヤーと見た。
「そろそろ、助けてもらえると助かるんだが…」
「そうでしたっ!」
みっともないが催促してしまった。
ただこうしている間にも、ルビーアイスパイダーの大群が迫ってきている。なりふり構ってはいられない。
「それじゃあ、いきますよおっ!」
快く俺たちを助けてくれるらしく、女性プレイヤーは心機一転とばかりに気の抜けたかけ声を上げた。
なんとなくハッパみを感じてならないんだが、大丈夫か?
「はああああああっ!!!」
そう、失礼なことを心の中で思った瞬間。
真後ろで鳴り響いたのは暴力の音だった。
ゴゴゴゴゴ、ブチブチッ、キーッ、グシャッ。
岩が擦れ、糸がちぎれ、魔物が喚き、潰れる音が絶えず繰り返される。
一体、なにが起きている?
気になって仕方がないが、首を捻ってそちらを見ることができない。
「…余裕があったら、先に俺たちの拘束を解いてくれないか?」
「あっ、確かに!」
捕まっている立場でありながら渋々言わせてもらうと、彼女は今気づいたことを隠そうともせず、なにかをした。
耳の裏に圧倒的な質量の気配を感じると同時に、体全体を大きなものでまさぐられる。
「動かないでください…」
女性プレイヤーがごそごそとすると、なにかが視界に入ってきた。
これは、なんだ?
黒っぽい金属光沢を放つ丸太のような前腕と左の手のひらが、俺を縛る糸を無理やり引きちぎっている。
「…オッケー!」
「もう動ける。助かった」
すぐに全身が自由になった。
地面を踏みしめた俺とグレープは、まず周りの糸を払っていく。
「サンキューな!ええと…」
「カイナです!」
さらに礼を言いつつ、それとなく名前を聞き出したグレープ。
本人は狙ったつもりはないだろうが、お手柄だ。
カイナ。
その名は、『ネクストフェーズ』のプロゲーマーの一人が持つハンドルネームだ。
「なぜ奈落に落としたやつの仲間が、俺たちを助ける?」
『カイナ』という名を聞いて、俺は真っ先に浮かんだ質問をぶつけてみる。
今俺たちは三角形の頂点を向く形で背中合わせとなり、それぞれの戦い方でクモの群れを迎撃し始めた。
俺は素手、グレープは剣。
そしてカイナは、彼女の側に浮かんだ二本の黒い腕で。
腕の正体については気になるが、とりあえずはっきりさせなければならないことがある。
「あれは、私たちにも予想外だったんです!」
メキョッ!ゴリッ!
魔物に強い衝撃が加わる音を鳴らしながら、カイナが言い訳を始めた。
「なにかにつけてセツナにライバル心を燃やしているメイサが、彼女に食ってかかった結果といいますか…」
そんなことだろうと思っていたが、本当に他愛もない理由だったか。
これはリアルの話になるが、セツナとメイサに当たる人物は他のゲームのプレイ配信やゲーム大会などで、よくいがみ合う関係だった。
今回の落盤事故?事件?は、そのいざこざの延長線が原因らしい。
「この状況については謝ります。謝るしかありません。ですが…」
とここで、空気のしなる音。
腕を振りかぶったか?大技が来るな。
「…これで、チャラってことでお願いします!」
「伏せろっ!」
目の前にいたルビーアイスパイダーが飛びかかってくる。
が、俺はそれを気に留めず、グレープに呼びかけながらその場にしゃがみ込む。
「っしゃらああああっ、ですよおっ!!」
カイナが自身の右腕を払うと、鬼神のごとき黒い腕がそれに連動して振るわれた。
ピンと張った右の拳と前腕が、先ほどまで俺の上半身があったところを通り過ぎ、周りのクモたちをばったばったとなぎ倒していく。
「この調子で、全滅ですよおお…!」
「ちょっと待った!」
「…おおおおっ、え?」
獅子奮迅の勢いのカイナに対し、俺はブレーキをかける。
「全て倒すのもいいが、もっといい手がある。俺のスキル【魂の理解者】で、クモを配下にするんだ。目が明かりになって先に進みやすいだろう」
「あ、そうでしたね。トーマさんは対生物最強だったんでした!」
俺が魔物を使役したいことを伝えると、カイナは変なことを言い出した。
対生物最強って、俺は『ネクストフェーズ』のプレイヤーたちにそう思われてるのか?
まあ、脅威とみなされてるならある種、光栄ではあるが…。
「配下にする…?って、危ないぞトーマっ!」
なんて考えてたら、グレープの声が飛ぶ。
彼の視線から察するに、俺の背後から一匹のルビーアイスパイダーが突っ込んできたようだ。
「大丈夫だ」
クモの近づく音は極限まで無音だが、全く音がしないわけではない。
俺は聴覚と直感を頼りに、素早く振り返りながら左手を突き出してクモの体の中に手を埋める。
「まずは一匹」
そして魂を掴み、一息に引き抜く。
実に呆気なく、魔物の無力化が完了した。
「これが、【魂の理解者】ですか…」
「これだけじゃない」
さらに俺は、空いている右手を自分の胸に入れ、粘土をちぎるようにして自らの魂の一部を取り出した。
「こいつの魂と、俺の魂。二つを混ぜることで、俺の魂を植えつけることができる」
グレープは、【魂の理解者】を利用して魔物を使役できることを知らない。
ちょうど周りの魔物がはけたことだし、丁寧に説明しながら実践していく。
「そんなことができんのかよっ!?っていうかトーマ、今まで隠してたな!」
「説明するタイミングと必要性がなかっただけだ」
「そんなの、いくらでもあっただろ!!初めてユルルンの街に行ったときとか、オオカミを使役してたじゃんか!」
「そうだったか?」
「こ、こいつめ…!」
都合の悪いことは忘れる。
それが、俺のモットーだ。
「あのお…、それでこのルビーアイスパイダーは…」
「ああ、すまないな」
置いてけぼりのカイナに気まずい思いをさせてしまった。
「この編集した魂を戻すことで、俺の意識を刷り込んだ魔物になる」
「そう…、なんですか」
俺は実際にやってみせる。
といっても、生物の魂は魂を扱うスキルを持つプレイヤーにしか可視化されない。
なので、今の俺は眼に見えないなにかを持って空中をまさぐる怪しい人に見えているだろうから、彼女を更に気まずくさせるかもしれない。
「まあ、見てもらった方がはやい」
新しい魂をルビースパイダーに戻し、俺は自信満々に言う。
検証によると、この方法で配下にした魔物の忠誠心はそんなに保証されていない。
『魔王』の【魔物図鑑】で召喚した魔物などを『完全使役』と例えるなら、『半使役』と言った方がいいだろうか。
「ほれ、これでこのルビースパイダーは俺の配下だ」
「おおっ!!」
俺はでき上がった配下の魔物をなんでもないように触ると、カイナは興味津々といった風に近づいてくる。
「友好的でも、クモには触りたくないんだが…」
「えーでも、こんな大きなクモ、リアルにはいませんよお?」
グレープの泣き言にもなんのその、カイナはクモのぷっくりとしたお腹をさわさわし始めた。
どうやら、彼女は虫が平気なようだ。
「意外と硬い?感触がしないとおさわりが楽しめないのが残念ですね…」
「技術の発展に期待だな」
OSOを始めとするVRゲームには、触覚と嗅覚が存在しない。
手でなにかを触れたときは、押し返してくる力の強さで硬さを判断するしかないのがもったいないな。
重量や圧力が加わったことは分かるんだが、熱さ冷たさ、毛触りなどは再現できないらしい。
「お楽しみ中悪いが、追加がきたぞ!」
なんてほっこりしている中でも、グレープがしっかり警戒してくれていた。
大声で呼びかけてくれると同時に、横穴と中央の大穴からルビーアイスパイダーの大群が湧き出てくる。
「耐久が低そうだから、もう数匹は欲しい。一匹ずつおびき寄せられるか?」
「マディウスによくやらされてたから、いけるぜ!」
「さっすがグレープさん!」
それは果たして、流石なのだろうか?
というのは置いておいて、前にグレープ、後ろに俺とカイナという形でクモたちを迎撃することになった。
「……」
「まずはこいつでいいな…」
正面から三匹のスパイダーがグレープに迫るが、彼は余裕そうだ。
構えた剣を寝かせて一匹のとびかかりを受け止めると、体をこちら側にターンさせて押し飛ばしてきた。
「ナイス」
「でもそれだと…」
「大丈夫!」
明確な隙を見せたグレープの背中に、他の二匹が襲う。
あわや、死に戻りかというその瞬間…。
「…っ!」
グレープは姿勢を低くし、強靭な顎による噛みつきを鎧で受ける。
「っはあああっ!!」
そして叫び声とともに腕を回し、二匹を振り払う。
「おらあっ!」
最後に、腹を上にして体勢を崩したクモの胴体を突き刺して、トドメ。
「よしっ」
お見事だ。
「まだくるぞ」
しかし、魔物はどんどんやってくる。
俺は念のため、グレープに注意を促した。
ちなみに、彼がこちらにふっとばしてきたクモはすでに魂を抜き、配下に調教済みだ。
「もう一匹頼む」
「あいよっ!」
一つ一つの行動に意味を持たせ、少し先の自分が死なないように立ち回る。
これぞ、攻撃的なスキルを持たない剣士の戦い方。
今のグレープなら、ルビースパイダーが何匹かかってこようが返り討ちにできるだろう。
「おらあああああっ!!!」
先ほどよりも多く、おそらく十匹はくだらない量のクモがなだれ込んできた。
それらに相対するグレープは、自らに発破を入れるがごとく雄たけびを上げる。
「これは…」
一時はどうなるかと思ったが、いけるかもしれない。
この調子で何匹かの配下を従えてクモのテリトリーを出られれば、かの『ダイアモンドゴーレム・サクラ』並びに『子』の魔物を探しに行く体制が整うかもしれない。
もしくは『打ち棄てられた炭鉱』に到達し、ダンジョンを攻略することもできるかもしれない。
そんな、一縷の望みが俺の胸中に湧いてきた。
が、ここで問題が発生する。
「こんな戦い見せられたら…!」
グレープがわざと見逃した一匹が近づいてくると同時に、カイナがぽつりと呟いた。
そして、大きく握りこぶしを振りかぶる。
彼女、カイナというプレイヤーは、一見理性的に見えて直情的だ。
セツナを襲った別の女性、メイサほどではないが、その場のノリでいくらでもおかしなことをしでかす。
それが、彼女がリアルでもプロゲーマーとして愛される理由の一つではあるんだが…。
「…疼かないわけないでしょおおおおっ!!!」
ザッ、という地面を踏みしめる音。
それに続き、限界まで引き絞られた黒い腕が拳を打ち出す。
「あっ…」
俺の静止など、間に合うはずがなかった。
ブチッ───
音を置き去りにし、数秒後に俺の部下になるはずだったクモが押し潰される。
ああ、なんてことを…。
「ふううううっ…」
熱のこもった息を吹きながら、カイナが腕が引く。
一方、クリアになった視界の奥の方では、グレープが大立ち回りを演じている。
「っおらあああああっ!!!」
「っはあああああああっ!!!」
ルビーアイスパイダーの群れを退けるべく本気モードで戦い始めたグレープと、触発されて暴走したカイナ。
こうして、最高に昂った剣士と格闘家(?)の宴が始まるのだった。
「あのー…」
さらに、それを遠くで眺めるのは俺。
一応、作戦みたいなものがあったんですが…。