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#8 量産準備

 でかスーツは予算と生産計画、そして正式名称を手に入れた。H型1号スーツ。半年後に量産開始。生産台数は一年間で二千台。

 二千というのは、俺たちの社会ではあまり例の無い数字だ。消耗品の量産でしか見ることの無い数字である。この規模の耐久財の生産は前例がない。

 いや、もしかすると消耗品扱いなのかもしれない。戦争、大規模正規戦というものがそもそも前例がない。

 更に例が無いのは、二千というこの数を配備する陸軍とその構成だろう。一人が一台づつこのスーツに乗る。陸軍は常時は全員合わせて1000人ほどしかいない組織だったが、それが5倍、五千人まで組織は拡大されることになっていた。


 五万七千人しかいない人口のうち、一万八千人は子供、二万人は育児保育関係者や老人、病人や公共サービス従事者など戦闘従事を免除され、残りは一万九千人、このほぼ半数が軍隊に配置され、残りが軍事生産に配置される。これが戦時体制だった。

 つまるところ徴兵制で、そして高い確率で陸兵として、そしてまた、かなり高い確率でH型スーツに乗ることになる。これが歩兵の基本装備になるのだ。


 そしてまだ彼らには装備は届いていない。既に徴募は始まっていて、陸軍式の訓練も始まっているというのに。

 一度に訓練できる員数が限られているので、訓練がある程度終わったら一端生産現場に戻して、入れ替わりで訓練を進めるのだそうだが、訓練機材は今のところ5台の試作機のみ。


 戦争は既に本格的に始まっていた。

 群島を巡る争いはこちらの敗北でおおよそケリがついてしまった。群島の攻防はこちらが体制を構築できるまでの時間稼ぎだと言われていたが、しかし必要なだけ粘ることは出来なかった。

 時間稼ぎの筈のこの段階で百人以上の死者が既に出ていた。戦闘艦コマロフの喪失と乗組員の死は衝撃的で、隠しようが無い痛手だった。


 敵、中央政府軍は高性能なバッテリーを用いた潜水艦を運用しており、こちらは常に不利だった。バッテリ―式魚雷の航跡を発見するのは困難で、コマロフもこいつを食らって沈んでいた。


 専用の対潜哨戒機はようやく試験飛行が始まったばかりで、試験場からもその飛ぶのを見ることができた。ソノブイは量産準備が始まっていて、航空投下水雷は既に量産が始まっているという。

 海軍の下請け工場を廻れば、そういう噂は容易に耳に入ってきた。スパイがいれば情報収集は容易だったことだろう。


 俺の役目はH型1号スーツの量産のうち、歩脚の量産を進める事だった。


 新しい歩脚を作った連中と会い、生産体制の規模をざっくりと見積もると、まず彼らを量産設計者として確保した。通知書を書きまくって、まだ影も形も無い生産体制の一角にまず彼らを嵌め込む。


 量産用の図面を書かせながら、生産見込み書をでっちあげる。どういう資源、設備、人員が必要だという報告で、これを受け取った戦時生産局は他の要求と勘案して、こっちに廻せる資源や設備や人員を割り当ててくる。

 問題は予算の総枠が既に決まっていることだ。この総枠は試作機での見積もりに沿って決められていた。つまり以前の俺自身の見積もりミスが今になって俺の首を絞めていた。


 上がってきた図面をチェックする。量産性なんて微塵も考えちゃいない代物だ。

 すぐに直せる部分を直させる。スパナの入る余地のない隙間にボルトを作図するような酷いものは無いが、無駄な精度要求は多い。

 加工面を揃える。使うボルトの太さと向きを揃えさせる。組み付け時のガイドになる印を設計時から入れさせる。コネクタを逆に差せないようにピンを幾つか抜かせ、対応するソケットを埋める。


 歩脚に取り付ける様々な機器のうち、新規に開発するけど自分たちでは開発しない、どこかが開発してほしい、なんて物品があることが判明、やがてずらずらと物品リストが流れ出てきた。何で今頃言うかなぁ。量産設計者たちに要求仕様書を書かせる。


 この頃だったか、試験場に電子卓上計算機がやってきた。

 中身は例の8ビットマイクロプロセッサで、キーをポンポンと叩くとLEDで数字が表示される。これで計算仕事はすごく楽になった。


 図面と要求仕様書の束を抱えて、あちこちの小さな工場や工廠の片隅を廻る。

 ラジオを生産していた会社にあたりをつけて要求仕様書を見てもらい、出来るかどうか聞く。できそうならその場で生産見込み書をまとめてしまう。このラジオメーカーは正式な戦時生産体制に組み込まれて、必要な材料が廻ってくることになる。必要な技能者を調達するために求人票を書いてもらう。

 そうして図面の手直しをお願いする。実際の生産手順を考えた注文を書き留めて設計者のもとに戻る。この時に治具の図面も作ってしまう。


 とりあえず作れるか試してくれる、と言ってくれるまでに一週間かかった会社もあった。特殊な機器の製造は断られることが多く、大手には全て断られた末に、特殊な調圧弁を専門にやっている個人事業者に辿り着いたのだ。事業者本人は本業は農家だという。

 添付した図面を見た途端、これは駄目だと言われた。要求仕様を満たしていればいいから、そう言って拝み倒す。

 そんな数を作れない、ならば人を集めると言うと、絶対に嫌だ、と言われる。要するに本当に独りで作業するのが気に入ってこういう業態にしているのだ。

 なんとか、設計だけ、仕事を受けてもらえた。


 海軍の仕事を主に請けている工場群は、造船所の周りに集中している。造船所近郊には製鉄所や化学産業も集中していて、東大陸最大の工業地帯となっている。とは言っても、人間の数は少ないのだからさほど見物ではない。


 その筈が、久しぶりに訪れると、狭い湾の周囲の風景は一変していた。

 まず人が多い。搬送台車が列をなして走っている。繁殖体を固めた新しい舗装はまだあの生臭い匂いがしていた。


「あれは何」


 打ち合わせの最中に、作業場の端にある変な建物が気になって聞いてみた。


「防空壕だよ」


 敵が沖合いの潜水艦から巡航ミサイルを撃ってくるのだそうだ。大丈夫なのかと聞いたが、防空網はここではそれなりに機能しているらしい。


「あれが見えるかい、マイクロ波レーダだ」


 これまで中央政府のプロパガンダ放送でしか見た事がなかった代物が、鉄塔の上で回転していた。パラボラアンテナだ。

 とうとう出来たか、マイクロ波。


   ・


 でかスーツ改めH型1号スーツの組立にはそれなりの規模の施設が要る。

 スーツの量産委員会が立ち上がると、最初にこの施設をどう確保するかが議題となった。この施設は組立てが始まるまでは、様々な部品や完成品を集積する倉庫となる。どこに製品を集積するかはできるだけ早く決めたかった。


 この小さな委員会のボスには開発主任が、その下には俺が横滑りで就任していたが、事務局として陸軍から人間が派遣されていて、こいつが俺たちの作る書類を全て精査することになっていた。その下に量産の生産管理だとか試験だとかを担当するのが5人ばかり。それで委員会は終わりだった。


 当初俺たちは陸軍の工廠を当てにしていたが、目を付けた時には既に高射砲の生産で手一杯らしく、別の場所を探さねばならなかった。

 結局、この試験場に建屋を新たに建設するのが一番手っ取り早いという話になってしまった。


 問題は作業者のための設備、宿舎や衛生設備、食堂や医療室、食事の手配、交通の手配、これらが何も無いことだ。幸い当分は組立作業の始まることは無い。とりあえず必要なのは当面倉庫となる主建屋だ。


 定期的な打ち合わせに演習場に戻る度に、主建屋の工事は進んでいた。

 工事担当と打ち合わせる。


「もうほとんど出来たんじゃないか」


「まだ水が来ていない」


 しかし既に電力は供給されていた。工作機械を据え付けるための基礎工事も行われている。


「組み立てだけじゃなかったのか」


「一部機材の生産はここでやる」


 つまり、生産してくれるところも見つけられなかったのか。一部宿舎の建設も前倒しにするし、食堂もシャワールームも医療室も先に作ってしまうという。

 今は食品衛生に関する認可を待っている最中だという。先にし尿処理の認可が必要で、それを待って作業は遅れていた。大変だな。


 そういう打ち合わせの度に持ち帰る案件がまた沢山出てくる。


 いきなりコネクタのひとシリーズが丸々廃番になると聞いて頭を抱えた。

 コネクタは高い精度と信頼性を必要とするシステムの要だ。代替コネクタの品番を教えてもらったが、全く違うものだし、必要なピン数のものが無いし、コネクタ廻りの再設計はとにかく影響が多すぎる。


 コネクタはシステムとシステムの境界だ。

 別々のメーカーが製造する機器はコネクタによって結合される。コネクタを利用する機器が勝手に再設計していては接続できなくなる。思い込みが勝手な仕様変更になっていることもある。綿密に打ち合わせ調整していても細部で間違いが発生するのがコネクタというものだ。


 仕方が無いので、事務局で機器間のコネクタは全て管理することになる。つまり俺だ。量産設計者たちには、その管理文書に厳密に従ってもらう。つまり管理文書は超厳密でなければならない。

 大急ぎでインターフェイス管理文書、コネクタのピンやオスメスなど必要な内容をすべてまとめた文書をでっちあげると量産設計者たちに内覧してチェックしてもらい、協力企業や工場にコピーを配布する。これからは修正が発生したら、すべてに修正分をまたコピーして送付しないといけない。

 

 そうこうしているうちに各地から、量産設計でつくった試作品がぽつぽつと届き始めるが、試験をおこなうとゾロゾロと不具合が見つかる。

 詳細なレポートを付けて送り返す。機器それぞれの設計は各工場に任せているし、仕様書に適合していれば良いと思っていたが、これは出荷前にちゃんと試験をおこなっているのか。


 工場を廻って設計生産と、そして試験体制のチェックを始めた。もちろん工場側は面白くない。が、品質を確保して生産を間に合わせなければならないのだ。


 要求仕様をパスした機器が試験場の組立棟に積みあがっていき、ようやくスーツ本体の組み立てが始まった。まだ部品は揃っておらず、組みあがった部分から結合試験をおこなっていくだけの作業だが、既に大きなその姿は形になっていた。


 ここにきて、油圧系に使う肝心の作動油の入手性が極端に悪くなった、もう使えないという話が入ってきた。造船所の近くにあった生産プラントが敵の攻撃で操業休止になったというのだ。

 この代替油を探す役目にならずに済んで俺はほっとしたが、見つかるまではかなりやきもきもした。


 見つかった代替油は油ではなく、俺にはよくわからない新型の流体だった。

 これから量産設備を確保しないといけないが、在庫分で先行試作機は動かせるという。性能はかなり良く、特に耐熱性と熱輸送性能は元の油の性能よりかなり良い。但し、ぎょっとするくらい鮮やかな赤色をしている。

 漏れ箇所が見つけ易いと喜んでいた奴も、耐衝撃試験で各所から真っ赤な流体が血のように噴き出すのを見て、色を替えろと言い出した。たしかにこれは駄目だ。


    ・


 ふと気が付くと量産準備を始めてから休みなく五か月、この辺りで休みを取れと、開発主任から強制的に蹴りだされて、俺はとりあえず実家に戻る事にした。


 これがいつもの事なら山にでも籠ってリラックスするところなのだが、森林伐採は各地で更に進んでいると聞く。日々作っている書類の量を思うと罪深く思えるが、忙しい間は醜く裸になった山河の事を忘れていられた。だが流石にじかにその様子に直面する勇気は無かった。

 山籠もりが出来ないとなると、行くことのできる場所と言うのはあまり思いつけなかった。となると実家しかない。


 幸い、末の妹たちは生産動員とかで家にいなかった。学校を休校にして泊まり込みでひたすら働かされるのだ。


「でも結構楽しいって言ってたわね」


 母はそう言う。物性というより繁殖体絡みの生化学者である母は、今は週に4日の割で繁殖体由来素材の物性についての相談を受けていた。机の前に居ても仕方がない仕事だからと、就業時間は自由に設定しているという。俺たち四人も、研究をつづけながらそうやって育ててきたのだ。


「テリオの部屋使いなさい」


 弟の部屋は昆虫標本だらけだ。いやだ。

 この惑星の上で放虫して環境に定着した昆虫はそう多くない。が、わずか半世紀で既に種分化が始まっていると、かつて弟は言っていた。

 この惑星環境で生きていける地球由来生物にとって、この惑星はパラダイスだったに違いない。瞬く間に惑星中に広がって、更に過酷な環境へ適応を果たしたものが現れている。


 そもそも弟はどこへ行ったのかと聞くと、随分前に微生物研究所を休職して空軍に志願したという。へぇあいつが空を飛ぶのか。しかしどうやら、母の言うには、あいつは山に登っているらしい。どういうことだろうか。


 父の部屋で寝ることになった。父は連合首都で搬送台車の整備の仕事にかかりきりだという。あさってには戻ってくるそうだが、それまでに休暇は切り上げよう。


「あんた、出会い支援は使わないの?」


 政府の見合い支援システムである出会い支援は良く出来た仕組みで、安全に出会いの機会を作ると共に、安全な売春の機会を提供さえしていた。

 以前試しにと、性欲を満たす方の目的で出会い支援を使ったことがある。相手の相性と要望を考慮に入れた上で、プライバシーを保護して互いに一度きりの仮名を割り振ってくれる。システムから郵送で送られてくる仮名と連絡方法に従って相手に会うと、あとは自由だ。


 俺の場合はただ、どうしたことか、出会ったばかりの名前も知らない相手から三時間ばかり説教を受けて、それで解散だった。

 あれは一体何だったのかと今でも考えることがあるが、多分、変なもの同士でくっつくのではないかとアルゴリズムが判断した結果なのではないかと思う。


 そもそも母数が少ないのだ。マッチングサービスとは言っても、実際にはランダムに出会いの機会を与えているのと大差はない。変人に出くわす可能性もそれなりにあるし、報酬次第でセックスへとなだれ込む可能性もずっと高かった筈、あの時はただ単に乱数の具合が悪かったのだと考えることにしている。

 だがもう、出会い支援は勘弁してほしい。


 夕食の間、誰か付き合っている人はいないのかという母の言葉を曖昧にかわし続ける。この社会の、結婚せず子供を作らない人間に対する風当たりは強い。俺はこの社会では変人なのだ。


 まったく安らぐ気持ちを得ることなく、翌日には俺は仕事に戻った。

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