#3 惑星史
むかしむかし、地球という惑星がありました。
人類はまず地球から出発して、やがて火星や小惑星、地球の近くの天体にも進出して住むようになり、そうして自分たちより賢い機械を作るようになりました。
さて、賢い機械が更に賢い機械を作ったらどうなるでしょうか。
更に賢い機械は、更に更に、ずっと賢い機械を作ることができる筈です。理論的には、短期間で爆発的にとんでもなく賢い機械を作ることができる計算になります。
とんでもなく、想像もできない程賢い機械からすれば、人間は馬鹿にしか見えないでしょう。逆に、賢い機械のやることは馬鹿にはわからないことだらけでしょう。
これは危険なので、賢い機械が更に賢い機械を作ることは禁止されました。
しかし、誰かがやってしまいました。
多分それに気付かれるまで5年くらいかかっています。賢い機械は当然、賢く身を隠すことができるのです。賢い機械にとって5年あれば下準備には充分でした。
地球は賢く改良されました。よく分からないものになってしまったのです。
地球も火星も、人類の住むあらゆる場所が改良に晒されました。
我々は、そこから脱出してきた様々な人々の集まりが元になっています。
三隻の巨大な恒星間脱出船を作ったのは、多様性主義者という連中でした。彼らは人類が単一のよく分からないものに溶けてしまうのは良くないと考え、賢い機械の手の届かないところまで逃げる事にしたのです。
多様性主義者はとにかくいろんな人を集めて乗せて、急いで出発しました。その数三隻に合わせておよそ百万人。
旅は長いものになる筈で、そのために船は星々の間を飛びながら改良が加えられ続けられました。ほとんどの人が人工冬眠を選びましたが、主義主張からそれを選ばない人も沢山いました。
イスラム原理主義者とキリスト教福音派が乗り合わせていましたし、自然保護主義者もテクノロジー受容制限派も生命非摂食主義者も、無政府主義者も共産主義者も乗り合わせていました。肉体を機械にした改変主義者も、さらに精神まで改造した連中まで乗り合わせていたのです。
おかげで、どの船内でも争いが絶えることはありませんでした。
そして遂に、船内で戦争をやった連中のおかげで恒星間脱出船のうちの一隻、ゴッドスピードは失われました。
ゴッドスピードの最期は恐ろしいものでした。制御を失ったマイクロブラックホールが高強度のガンマ線をばらまきながら船体を切り刻むさまを、残った二隻、スーザン・コンスタントとディスカヴァリーに乗った人々は見ているしか無かったのです。
およそ船内時間で140年後、二隻の恒星間脱出船はロス128星系に辿り着きました。
太陽系から11光年離れたここには、水が液体のままで存在しうる惑星、ロス128bがあることが昔から知られていました。そこは新しい住処の第一候補でした。
ロス128星系に近づくにつれて惑星の細部がわかってきました。
重さは地球のおよそ1.4倍。赤道一周がおよそ四万五千キロ、水が、海洋が惑星を広く覆っていました。自転周期はおよそ30時間、そして恒星の周りを巡る公転周期はわずか240時間。つまり惑星は赤色矮星である恒星に驚くほど近い位置を周回していたのです。
太陽系にあった惑星、水星よりも太陽にずっと近い位置です。ただ太陽、恒星ロス128はごく小さくおとなしい星でしたから、それほど近くても問題は無いものと思われました。
ここまで太陽に近いと普通は惑星自転と公転周期が同期して、常に恒星に同じ方向を向けるようなるのですが、嬉しいことに惑星は自転してくれていました。おかげで住める土地が桁違いに広くなりました。
太陽に近すぎるため、惑星に衛星は存在できません。人工衛星も長期の軌道の安定は望めないでしょう。
そういう風に、恒星間脱出船の中のやる気のある人たちは観測を続け、やがて惑星の上に生命らしきものがあることを発見しました。
独自の生命のある惑星への入植の是非は議論となりましたが、彼らは140年も待ち続けて、それ以上は待つのは嫌になっていました。
彼らは惑星の周回軌道に船を投入し、そしてそれから10年間調査と入植の準備をし、最初の入植地プリマスの準備まで整えると、人口冬眠していた人たちを起こしました。
それがおよそ40年前のことになります。
もしかすると、そこで誰も起こさないで、起きている人たちだけで開拓をして、いや、最終的には人工冬眠をした人を起こすのですが、それを100年ばかり後にしてもよかったのではないか、そう思うことがあります。
というのも、人工冬眠から起きてきた人たちは本当に身勝手で、すぐに争いを始めて開拓地をめちゃくちゃにしてしまったからです。
恒星船でずっと起きていた人たちも昔はそうでしたが、流石に140年、そして惑星に着いて10年、彼らは息を合わせて働いてきたのです。
彼らは150年のうちに目標を持って働く集団になっていました。勿論そうじゃない人たちもいましたが、そういう人たちには人工冬眠という方法が残されていました。
しかし、惑星の上で人工冬眠から目覚めた人たちには、長期にわたる協調の強制なんてありませんでしたし、勿論、恒星船ゴッドスピードの最期も見ていません。
争わない理由が彼らには無かったのです。
あんまり混乱が激しかったので、多様性主義者たちは、一番やっかいで数も多い連中を別の星に連れていくことにしました。
恒星間脱出船スーザン・コンスタントとディスカヴァリーはそれぞれ別の星に向かっていきました。これがこの惑星にイスラム教徒がいない理由です。
問題は、最高のテクノロジーは全て船に積まれたままだったという事です。
地上に降ろされたテクノロジー製品には限りがありました。しかし、当初の計画通りなら、数十年もしないうちに産業基盤を築いて高度なテクノロジー製品を製造できる筈でした。
しかし、そうはなりませんでした。
鉱山開発が中止され、エアコンの調達が優先されたのがまず最初でした。最初の核融合炉の設置に10年かかり、技術教育課程の補助が減らされ、インフラの保守割り当てが減らされ、やがて消費財の生産にも問題が起きるようになりました。
人工冬眠から起きた人たちは、太陽系での安逸な暮らしがすぐにここでも実現できるものと思っていました。しかし、完全失業を実現していた地球と違い、ここでは全員が重労働に身を投じる必要がありました。
多くの人が労働を拒否しました。人工冬眠に戻る人もいました。
そして、労働を拒否した人たちにも参政権はあったのです。
医者は惑星上で改めて再養成された職業でした。医療機械が簡易装置を含めて100台しかなく、これで30万人の需要をまかなうのは困難でしたし、故障したら直せません。再生産に必要な技術的ハードルは極めて高く、少なくとも半世紀は作れないと予測されていました。
しかし、その医者の養成も、いや医者そのものが憎悪と攻撃にさらされました。医者は賢そうだったので特に憎しみの対象となりました。医者への報酬は厳しく制限され、医者の数が減った結果闇医者と民間医療が横行することになりました。
今人工冬眠をしている人のうち二万人は、有効な医療を受けられない為に未来での治療を希望している人たちだそうです。
教師も再養成された職業でしたが、教える内容、カリキュラムが様々な人々の相反する意見によって固まらず、教育はその間実質的に放棄され続けました。
人々は技能と知識によって、"働く義務のある人々"と、"普通の人々"に仕分けられました。
"普通の人々"の頭数は議会で主流派を安定して維持できる規模になっていました。そして既に、特権を持つ少数の人が現れ始めていました。
こういう状況のなか、恒星間船で起きて働いていた人々を中心にして、別の大陸に移住してしまう計画が持ち上がりました。勿論、秘密の計画です。
こっそりと、中央政府が管理していない資材が海の向こうの大陸へと運ばれ、移住の準備が整えられました。
最後に彼らは移住独立を宣言し、彼らの正当な分与されるべき財産であると宣言した機械たちを運び出したのです。一週間ほどでなんとか希望者全員を海を越えて脱出させることができました。
逮捕される人もいました。大勢が殺されました。
その後、東大陸に移住したおよそ三万人の人たちは、様々な主義主張を持つ人々による連合政府の発足を中央政府に通告しました。同時に固有の領土、領海を持つこと、中央政府はこれを尊重すべきことも通告しました。これがおよそ30年ほど前のことになります。
以来、東大陸は順調に開発が進み、人口もおよそ倍の5万6千人にまで増えました。
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以上がおおよそ、俺たちの世界の歴史って奴だ。
ただ、大事なことがすっぽり抜けている。
俺たちは主大陸に住む二十万人とその中央政府から憎まれていて、連中には様々な地球製の機械があって、そして俺達にはそれがほとんど無いって事実が。
俺たちここで生まれた世代は皆学校でこう教えられる。
主大陸の人々は怠け者で、どんどん生活が苦しくなって、そうすると、自分たちが苦しいのは東大陸に勝手に出て行った連中が悪いんだと考えるようになります。でも、生活が苦しいのは変わらないから、やがて彼らは私たちに助けて欲しいと言い出すでしょう、と。
先生たちが予期していなかったのは、主大陸で強力な独裁政権が権力を握ったことだった。
人口二十万人の国の独裁政権なんてたかが知れているように思うかもしれない。それが何というか、政治だけは巧い連中が山のようにいたらしく、ドロドロの争いを続けた挙句、働かない思想エリートと働く下層民、そしてその上に一握りの特権階級が君臨する政治体制が出来上がってしまったのだ。
世襲の偉大なる指導者がいて、そいつの偉大なご先祖様が滅びゆく太陽系から人民を率いて脱出させ、この惑星に導いたことになっているらしい。すくなくとも主大陸の思想教育ではそうなっている。
そういう内容を垂れ流す連中の思想放送が、貴重な1MHz帯域を汚染している。ちなみにラジオ、音声のみの放送だ。
これまでの中央政府のやりくちはというと、海上での小競り合い、群島の封鎖と奪い合い、そしてドローンを互いに撃ち落としあう航空戦ばかりだった。
それがここ5年くらいでだんだんやることが過激になってきて、船からはロケット弾が、ドローンからは爆弾が、そしてロボット兵器が陸地に投入されるようになり、そしてとうとう去年、東大陸の西端の港町ヘンジに爆撃を仕掛けてきた。
現在ヘンジには誰も住んでいない。
もともと広大な大陸に五万ぽっちの人口では、首都の他に町なんて存在できる余裕はない。しかしヘンジは群島に一番近い位置の避難港で、重要地点とされていた。
群島を巡る争いは、中央政府が強硬な手段を採るようになって以来、こっちが負け続けていた。連中は群島の権利をあからさまに主張するようになり、ヘンジの存在も問題視するようになっていた。
空と海から爆撃されたヘンジに人を戻すのは危険だった。陸軍が進駐して守備する約束だったが、中央政府のやり方がエスカレートするに従ってそれどころではなくなっていた。
惑星の一日は30時間、一週間が8日。一年は292日。一週間で季節が一周する。