#11 量産の子と荒野
斥候隊に戻った後しばらく、司令部で少佐の書類整理の手伝いをした。
組織拡大が斥候隊には予定されていた。従来の東大陸の巡回査察に加えて群島の巡回査察の仕事が加わる。その為に群島に分室が置かれることになる。
そして更に、主大陸への上陸浸透を目指すなんて話が始まっていた。
主大陸からの情報はプロパガンダ以外は乏しく、もしその社会に浸透できれば様々な貴重な情報を得ることができるだろう。
勿論そんなのはまず無理な話だ。捕虜への尋問が進んでいたが、やはり主大陸の社会、中央政府の支配は完全な警察国家のそれである。強烈な管理社会でもあり、下層民は移動や富の蓄積は勿論、自由時間に何かをすることすら禁じられているという。
中央政府の支配下では、下層民は管理されるべき資産でしかないのだ。
斥候隊にとりあえず求められていたのは、主大陸への上陸そのものだった。
将来は地雷原や陣地の有無などの偵察が求められるだろうが、まずは上陸の可能性を探るという話になっていた。
広大でほぼ無人で手つかずの主大陸だったが、頭上の偵察衛星から身を隠すのは難しいだろう。
偵察衛星は実際には資源観測衛星で、その搭載AIはプライバシー保護機能を持っているため個人や家庭の詳細につながる情報の提供を拒むという噂だが、居場所そのものは知れてしまう。
何か偵察衛星から身を隠す方法を見つけなければ難しいだろう。
問題は、俺がどこに廻されるかだ。
理想は勿論、ここ東大陸の巡回任務を続ける事だ。群島にはろくに地球産植生が根付いていないと聞く。荒涼たる風景が続くばかりだと。
だが俺は既に、一度よそに廻された身である。別の所に廻そうという時に一番候補になり易いのではないだろうか。
特に、主大陸への上陸なんて仕事には。
逃げるなら、今しかない。
・
俺は久しぶりに長距離視察任務に出た。
スーツを着用しない単独行だ。荷物は重いが一人で歩く喜びの前には大した問題では無い。
計画書を提出し、連絡通信の符丁を交付され、物資の給付を受ける。
じっくりと荷造りをする。装具をチェックする。通信機と小銃は新型への更新が始まっているようだったが、使い慣れた銃以外を使う気にはなれなかった。通信機はH型1号スーツに内蔵した奴と中身は同じ代物らしい。こちらは新型に乗り換えて大丈夫だ。
動作確認をして、チェックリストを埋める。他の用具は相変わらず古びたものだ。使い慣れた道具たちであり問題は無い。
チェックリストの最後の項目は、無線機を使って視察任務の開始を告げることだ。了解を示す符丁を受信する。
全てを埋めたチェックリストをバインダーに刺すと、出発した。
道路は補修されておらず街路樹は全く手が入っていない。枯れているもの、伸び放題なもの、倒れているものと様々だ。
街灯はまだ灯火統制中と書かれた張り紙がそのままだ。使われなくなった搬送台車が錆びつくままに街路脇に長く列を作って放置されていた。
この東大陸の社会が一年以上の戦時体制に耐えないというのは、なるほど正しかったのだろう。
郊外の、再び人の手の入るようになった畑の中をひたすら歩き、山道へと入る。
伐採された木々はまだそのまま、再植林は行われていない。しかし既に切株からはひこばえが萌え始めていた。藪は盛大に繁茂しており、数年もすれば雑木林へと植生を遷移していくだろうと思われた。
繁殖体を砕いて均しただけの道は、至る所で菌糸類の繁殖によって崩壊に瀕していた。重車両が通ることが出来るか危ういように見える箇所を記録する。
避難小屋はここしばらく使われていなかったようで多少がたついていたが、それ以外は問題無い。
人口希薄な辺境ではこういう避難設備がいざという時の命を繋ぐ。浄水器に雑菌の繁殖が無い事、太陽光発電パネルに性能劣化の無いことを確認する。
翌日は週末の嵐がやってきて、そのまま避難小屋に足止めされた。みぞれ交じりの雨が叩きつけるように降り注ぐ。
その翌日にはきれいに晴れたが、まだ風は強い。鳴り響く風がケープの端を掴んで離さない。
一面ススキの野原を歩いていると、足元から小鳥が飛び立つ。哺乳動物の姿は見えないが、ごく少数確かに生きている筈だ。
白いキノコが繁茂する谷を歩いていく。道はあるが足元はぬかるんでいて滑りやすい。ところどころに草が生えているが、枯れている所も多い。
下流の氾濫原は葦とよくわからない根を伸ばした植物が繁茂していた。水鳥が飛び立つ。
もう数日、人間の姿を見ていない。
丘陵地帯は地球産の植物の侵入をよく食い止めていた。菌糸類の枯れた跡が目立つ。よく成長した繁殖体が足元で砕ける。
大平原は見渡す限り地球産の生命の姿を見ることが無かったが、ミクロスケールでは確かに地球生命の侵略が進行していた。
薄いポリカーボンの避難小屋で土壌調査をおこない、過去の数字より細菌の繁殖が進んでいることを確認した。地球産の細菌の一部は既にこの新しい環境に適応、進化を遂げていた。
計画書に書いた道とは違う道に進む。しばらくは計画書の道とほぼ平行に道は進むが、やがて離れてゆくことになる。
数日後、道のりの先に再び地球産の植物が見えてきた。海岸が近いのだ。
週末の寒気の中、伐採を免れたクロマツの林でテントを設営する。枯れ枝を集めて小さな焚火をする。
定時連絡で、計画書の内容とは20キロほど離れた別の場所にいると報告する。どうせ相手は確かめる方法も無い。
翌日、谷間を降りてゆくと、次第に海の匂いが感じられてきた。
地球の海の匂いがどうかは知らないが、多分かなり違うだろう。塩分濃度が地球の海よりかなり薄いと聞いた。どうせ飲めやしないのだから大差無いと思うのだが。
海洋は原住生命の生命の園、楽園だ。この巨大な水の中では地球産生命もそのままでは生態系の中でその地位を見つけるのは難しい。
全長20メートルの巨大なレビヤタンをはじめ、大小さまざまなメッシュが組み合わさったような姿の原住生命が、その海面下にはひしめいているのだ。
しかし最近では、環境に適応した地球産藻類の一種が大量に繁殖していると聞いた。恐らくは地球産生命の進出は将来さらに多くなるだろう。
海岸線をしばらく歩く。海岸は古い繁殖体起源の地層が浸食されて崖になっているのが遥か彼方まで連なっていた。その下に目の細かい茶色の砂浜が、これもまたどこまでも続いていた。
波は強く、打ち寄せるときに波の砕ける音は大きく響いた。それがずっとずっと、浜全体で鳴り響いている。
その日は浜で夜を越した。風は湿り気を帯びていたが週の半ばの陽気で過ごしやすかった。
定時の報告では、俺はここから北に50キロは離れた浜にいることになっていた。
海に働く潮汐力は大きく、一日に二度、真昼と真夜中には砂丘の上近くまで海水が満ちるが、朝夕は大きく水が引く。太陽が近いためその潮汐力は大きく働くのだ。
遠浅の海では朝夕は水が見えない程潮が大きく引くそうだが、この辺りでは浜は高低差が大きく、そこまでは変化はない。
翌日は早く起きて、潮が引いてしまう前に目的地にたどり着く。
波が長い間削って作り上げた海蝕洞だ。潮が完全に引いてしまうと中に入ることが出来る。腰まで海水に漬かって奥を目指す。明かりは付けない。
突き当りに、大きな岩に偽装したカプセルがある。暗闇の中、表面に手を押し付けてしばらく待つと、プシュと圧搾空気の音がして、生暖かい空気が押し寄せてきた。カプセルの蓋が開いたのだ。
すかさず中に滑り入る。と、カプセルの蓋が閉まってゆく。
ここは斥候隊の退役を目前にしていた男から教わった。
「ラジオ放送が始まるまでは、連中は情報ならなんでも買ってくれたんだがな」
対価はちょっとした、管理番号が付与されていない程度の工業製品だという。昔は管理体制なんて無かったから、医薬品や切削工具など小さくて儲けの良い対価が得られたのだが、今だと消耗率の高いオモチャのコピー程度が関の山だ。そう男は語った。
要するに、もう旨みが無いのだ。だから俺にこの秘密を引き継がせた。
この秘密の交易は、ずっと昔から代々やってきたものらしい。
要するにスパイだ。情報を売る相手が違うだけで、斥候隊はやはりスパイの巣窟だったのだ。
さて、あとは潮が満ちるまで待つしかない。
・
いつのまにか寝てしまったのか、神経に障るブザー音で起こされた。
連中は既に来ていた。カプセルの中でコンソールが明るく輝く。広くて鮮やかでどこまでも詳細な表示装置、東大陸では実現まであと30年はかかるだろう技術水準だ。
「おまえは以前も来たことが有るな」
声は柔らかく優しく、前にも思ったことだが恐らくは本人の肉声ではあるまい。
「二年ぶりか。ふむ、お前たちは戦争なぞしていたのだったな」
こいつらはエタモーフ、海洋深部に住む不死の部族だ。
かつてこの惑星に植民したとき、自分自身の肉体と精神を大きく改変した改変主義者もまた入植したが、彼らは海洋奥深くにその生存拠点を構築すると、他の人類との交流を断ってしまった。
その頃に入植指導者と彼らとの間で取引があり、それによって彼らの存在そのものが消去、忘れ去られることになった。
かつては人類の一部として数えられていた筈の存在だったが、他の人類と一緒に恒星間植民船に乗ってこの惑星を立ち去ったことにされたのだ。
恐らく彼らエタモーフは、今も東大陸の政治指導者と秘密の取引がある。彼らが中央政府の連中の敷設した送電通信線の位置を教えたのだと、俺は確信していた。
そして多分、彼らは同様に中央政府の連中とも取引をしている筈だ。スパイの元締めはこいつに違いない。
だが、俺には関係ない話だ。
東大陸で生産している物資、入手できる物資のリストをコンソールの上に置く。彼らはコンソールの上に置いただけの文書を読み取ることが出来る。海中にいる彼らが手に入れることが出来ない物質もリストの中にはある筈だ。
「欲しいものがあるなら言ってくれ。幾らでもという訳にはいかないが、手に入れて見せる」
おんぼろの小船を仕立てて荷を船積みし、適当な所で沈めてしまえばいい。
だが、エタモーフは何も言わない。
「他にも望むものが有るなら言ってくれ」
焦れてくる。
「そろそろ良いだろ、俺をそっちに受け入れてくれよ」
俺の居場所は孤独の中にしかない。
東大陸の社会に俺の居場所は無い。あるとすれば、それは深海の底だ。
「俺はもう人間社会の中でごちゃごちゃと話をしたりするのが、本当に嫌なんだ。
人の気分を察したり、雰囲気で行動するとか、俺にはそういうのは無理なんだよ。
この一年俺はよく耐えたと思うよ。限界だったよ。挨拶とか取引とか連絡とか、もうそんなものやりたくないんだ!
わかってくれ、俺には完全な孤独が必要なんだ!」
もし受け入れてもらえるなら、俺は人の姿を捨てることになる。
彼らは全長10メートル程度の、完全閉鎖型生体システムを採用していた。熱さえあればほぼ永遠に生存を続けることが出来る。そして熱は、この惑星の地中から得ることが出来た。海底に点在する泥火山から彼らはエネルギーを得ることが出来る。
その巨体に、俺は脳を移植されることになる。更に脳には改造が加えられる。人間の本能を司る部分は大きく切除され、人工システムがとって代わる。アミロイドβタンパク質の沈着したグリア細胞は自動的に交換され、常に完全な機能を発揮するよう脳は半永久的に調整されるのだ。
怖くなどない。素晴らしい未来だ。
だが、エタモーフはこんな事を言う。
「お前は、お前たち自身についてわかっていない。
我々は生産を欲していない。我々は増える必要が無い。だが、対してお前たちの精神は、その根底を生産に根差している。
お前のその、ヒト社会から疎外されているという感情も、ヒト社会の外に居場所を求める動機も、全てはお前の社会の生産システムの特徴からくるものに過ぎない」
「何がだ。何がどっから来るって言うんだ」
「お前たちは自己増殖を社会の基礎に置いていながら、その本質、生産から目を逸らす社会に暮らしている。
子供を産む、育てるということは、つまり、人間の生産だ。
子供という名前のコピーを生産するコストに人間性を疲弊させながら、この生産システムこそが人間性だと信じている。
お前たちはその事実から目を逸らしたまま人間の量産に夢中になっている。お前を苦しめているのはその歪みだ。
自己増殖は究極の生産システムだ。それは制御なくおこなえば惑星一つ滅ぼすほど強い。
人類はその強力な生産性を愛という感情でごまかすことで、経済合理性を越えた無秩序な繁殖生産をしてきた。
昔から皆、人口増加率を気にするとき、同時に人間の量産について考えていることをごまかしてきたのだ。
お前の精神は正常だ。お前たちは自己増殖システムをあまりに強く機能させることによって疲弊しているのだ。
だが、お前の求めるもの、つまり生産バランスは我々のもとには存在しない」
ここで声は、一旦間を置いた。
「……我々は自己増殖をおこなわない。
我々は事実不老不死なのだから、自己増殖は必要ない。また、ごくわずかな消耗の補充を除けば、生産の必要も無い。
我々は大抵の場合、生産の概念を忘れて暮らしている。勿論忘れてしまった訳ではない。我々は何でも記憶している。しかしもはや、生産は取るに足りない概念なのだ。
対して、お前の求めているものは、単に水準の低い生産、水準の低い消費に過ぎない。ゆるやかな余裕のある生産や、消費の形式が単純であることに喜びを求める向きは、昔の地球にもいた。お前はその亜流だ」
スローライフ、だったか、そんな名前だったな、と、エタモーフは言う。
気づいていないのかも知れないが、お前のそれはただの懐古趣味の一種だ。我々は生産技術の果てにいるのであって、お前のその懐古趣味とは正反対の位置にいるのだ、と。
ちがう。
違うんだ、本当だ。そういうのじゃないんだ。
だが、そう言おうとして舌がもつれる。
本当に俺の求めているものがエタモーフの言うとおりだったら、海の底にはそれは無い。
消費を減らし、生産を減らした先にエタモーフがいるのだと思っていた。
もし、本当に違うのだとしたら。
「いつか、水の上に住む者たちも超生産性を達成して、生産に追われることの無い人生を得ることができるようになるだろう。
そうしたらおいで。何十年先かわからないが、そのうち達成できるだろうから」
太陽がフレアを起こす前においで、そうエタモーフは言う。
「我々は、この惑星の寿命80億年のあいだに2285回の大規模フレアの痕跡を検出した。この惑星の陸生生命の形態が貧しいのはフレアに滅ぼされたからだ。
我々はこの惑星に来てすぐ、フレアの可能性に気づいた。だから水中に隠れたのだ。
お前たちはいつかフレアに滅ぼされるだろう。
だから急ぐと良い。十万年以内にやってくれば、助かるだろう」
エタモーフはそう念を押した。
・
エタモーフの声が消え、コンソールが暗くなった。
カプセルの外部環境が安全になり次第、カプセルは自動で開きます、と柔らかな案内の声がして、コンソールの明かりは消え、そして俺は真っ暗闇の中に取り残された。