9つの命と1つの命
綺麗な話でも書こうかなと思った結果こうなりました
猫には9つの命があるという。
ということはつまり、8回までなら死んでも生き返ることが出来るようだ。
対して人間の命は1つっきり。一回まで死んでいいとか、そんなことさえ許されない。
死んだら終わりだ。
幼心にこう母に言ったことがあった。
『猫はずるい』
死んでもいいなんて、何で人間は死ぬことが許されないのか。疑問を素直に母にぶつけてみた。
『そうね……』
我が家で飼っている猫を撫でていた母は少し悩んだ素振りを見せた後私の目を真っすぐ見て、
『猫はね、自由なの。私達人間が思うよりも遥かにずっと。それでいて孤独。ううん、孤独じゃないわね。たくさんの出会いがあるけどそれを気にしていない。すぐに他の出会いを見つけてしまうのよ』
『人間だってたくさん出会うよ』
丁度学校の授業で一期一会という言葉を習ったばかりだった。
人間だって出会いの数なら猫に負けてはいないはず。
それを母に言うとニッコリと笑って
『たくさんお勉強しているのね。偉いわ』
そう言って私の頭を撫でる。
子ども扱いされているようでくすぐったい気持ちになるけど、母に触れられた箇所が温かくなっていくのを感じた。
もう一方の手で撫でられている猫は撫でられることが当たり前とばかりに偉そうに寝転がっている。
『人間はね、出会いを大事にするのよ。私があなたと出会ったことも、私がお父さんと出会ったことも』
『私がお友達と学校で出会ったことも?』
『ええ、そうよ。人間と人間が出会ったことは喜ぶことも後悔することもあるけれど、何でもないって切り捨てることはない。良くも悪くも出会いは人生を変えるのよ』
少し話が難しくなってきたと思った。
まだ10年も生きていない私にとって出会いがそれほど無かったからか、それとも後悔するような出会いが無かったからなのか。
母はそんな私を知ってか知らずか、
『でも猫は違う。自由な猫は出会いで人生を変えられない。勿論、他から害されれば別だけど、出会っただけじゃ猫はそれに影響されないの』
『うーん……』
分かるような分からないような。
『それが猫の命と何の関係があるの?』
母の話は難しく理解したかどうかは分からないけれど、全く分からないわけではない。何となく、言いたいことは分かったような気がした。
だけど、話がどう続いているのかが分からなかった。
『人生というのは出会いの連続。ここまでは分かったわね?』
『うん』
『人間の命が1つなのは出会いの1つ1つが人生の影響するから。道から逸れたり戻ったり。右に曲がったり左に曲がったり』
『分岐点?』
『そう。良く知っているわね』
『シゲ君が電車好きなの』
シゲ君というのはクラスで良く話す男の子だ。
彼は毎週末父親と電車を見に行くという。自分のカメラまで持っているだとか。今思えば鉄オタというやつだったのだろう。
『分岐点……そうね、その言葉を知っているなら分岐点と表すのがいいかもしれないわ』
母が頷く。
私がその言葉を知らないと思って簡単な言葉だけで説明しようとしていたようだ。
母は相変わらず猫と私を撫でたまま、
『分岐点がたくさんあるっていうことはそれだけ疲れちゃうのよ。勿論、楽しいこともたくさんあるわ。だけれど、人生を生きていくうえで自分を変えるのってたくさんのエネルギーが必要なの』
『エネルギー』
『水をそのまま放っておいてもそのまま水でしょ? 氷にしたかったら冷蔵庫に入れる。水蒸気にしたかったら火にかける。どちらも冷気やガスっていうエネルギーが必要』
『猫の人生にはエネルギーが必要ないのね』
『そして人間の人生にはエネルギーが必要。1回で使い切ってしまうのよ。9回なんて疲れてしまって動けなくなってしまうわ』
隣の家に住んでいるアカリちゃんはとっても元気だけれど、それでも1回だけなのか。
そんなことを思ったけれど、頭の中とは違うどこかでそういうものではないと、分かっていた。
『出会いというものはそれでも大切よ。私達は、だから生きていく中で誰かを愛することが出来る。誰かと関わることが大好きになれる』
母は私の頭と、猫から手を離した。
猫はもっと撫でろとニャーと鳴く。
私はお利巧だから名残惜しいけれど何も言わずに母の言葉を待つ。
『猫の人生は出会いではなく自分で生きていけるから9回もある。それはきっと9回生きることで自分を完成させているのね。人間は1回の人生で完成できる』
『じゃあ、私も家に引きこもっていたら9回生きられるの?』
そんなことを言ったら母が少し悲しそうな顔をした。
『いいえ。人間は1人じゃ生きられない。それに、あなたが家から出なかったら学校のお友達が心配するわ。悪い影響になっちゃう』
『それは駄目』
『9回の人生なんてきっと盛り上がることが少ない人生。1回の冒険を楽しんで頂戴。それが私とお父さんの何よりの幸せ……人生の完成なのよ』
だからあなたは自分の人生の完成を目指してまずは宿題をやりなさい。
最後にそう言われて私はちょっとだけ嫌な顔をして、でもそれは母が自分のためを思っているからなんだなって思い直して宿題に取り掛かった。
「うー、ん……」
カーテンを透けて朝日が顔に差す。
うとうとしていたようだ。
徹夜で持ち帰った仕事を片付けており、ようやく終わったとソファに座ったらいつの間にか寝入っていた。それでも時計を最後に見てから一時間程か。
随分と昔の夢を見ていた……いや随分は言い過ぎた。せいぜい10年もないくらい前のことだ。
私と母と猫の話。
何でこの夢を見たのか。それは10年以上前から飼っていた猫がいなくなったからだろう。探そうとした私だが知り合いに、それは死期を感じ取った猫が自分の死に場所を探しに行ったからだ。探しに行ってもきっと見つからない。そう言われて探すのを止めた。
見つからないと諦めたわけでも納得したわけでもない。
その時に母との会話を思い出したのだ。
猫は8回生き返る。きっと生き返る姿は私には見せてくれないのだろう。
……いや、そんな子供みたいなことは言わないが。
猫には猫の人生がある。それは私には口出し出来る事じゃない。人間に猫の人生に影響を与えることは出来ない。
尤も、私は母との会話の後も猫に影響を与えるべくあれこれと構っていたのだが、構いすぎて何処かへと行ってしまうことが多くなりやはり猫は出会いを気にしないで自由に生きるんだなと思った。
きっとあの猫はもう戻ってこない。
母と同じだ。一度何処かへと行ったならば二度と戻ってこないのだ。だから私達人間はその時その時の出会いを大事にする。人間も猫も関係なく出会いそのものに喜びを覚える。
ニャー。
ふと玄関の外から鳴き声が聞こえた。
うちの猫のものではない。もっと幼くて弱々しいものだ。
私は反射的に家から飛び出してその鳴き声の主を探す。
「……こんなところに」
玄関を出てすぐそばの電柱の下。段ボール箱に入れられたその小さな猫はミルクも何も入っていない皿をぺろぺろと舐めていた。
「おいで」
私が手を伸ばすと最初は警戒したように体中の毛を逆立てていたが、私がジッと見つめながら手をそのままにしているとやがてペロッと私の手を舐めた後に体を摺り寄せる。
私は怯えさせないようにそっと持ち上げると家の中に入れる。
まずは体を洗うところからかな……。
いや、それよりもご飯をあげるところから?
いっそのことお風呂場でご飯をあげようかななんて考えながら私は猫を抱える。
「君は私にどんな出会いをもたらしてくれるのだろうね」
人間は猫に影響を与えずとも猫は人間に影響を与えるだろう。
この子も私にとって良い出会いでありますように。
もっと長い短編を書けるようになりたい
でもそうなると異世界ものになりそうだなぁ