風の音を聴いて
商店街の雑貨屋で買い物をすると福引券を一枚もらった。紙面の中央にはでかでかと福引券と記され、それ以外は利用期間が書かれているだけの手作りめいた紙切れだった。
もらったはいいものの、どうしたものかと迷っていた。片田舎のさびれた商店街の福引だ、どうせたいした景品はないだろう。足を運ぶだけ時間の無駄だ。そう決めつけ、このまま帰宅して家のごみ箱に捨ててしまおうかと思ったが、福引やくじ引きといった自らの運を試すもので、ぼくは幼い時分から一度も、何かにあたった経験がないことを不意に思い出した。
お祭りの紐くじをはじめ、子供会のビンゴはもちろんのこと、ガリガリ君やチョコボール、おみくじは決まって末吉以下、あみだくじの行き着く先はバツ印。運というものが人に備わった能力に左右されるのか定かではないが、生まれてから一度も何もあたっていないという状態は、自己能力の低さを思わずにはいられず、自らの存在意義すら疑ってしまいそうになるのだ。なるのだが、しかし、まぁ、ここらで一発あたっておけば、今までの不運も帳消しになり、笑い話で済むのではないだろうか。
そのような意気込みを胸の内にし、手に持った福引券を手汗で湿らせながら福引の会場へと赴いたのだった。
会場は商店街の出入り口となるアーチの脇に設置され、数人の列ができていた。待つのは嫌だったが、ここまで来て後には引けないと、ぼくは列の最後尾に着く。ただ突っ立って順番が来るまで待っているのも退屈だったので、列から一歩半ばかりはみ出た位置に立ち、先頭で行われている福引の様子を見守ることにする。買い物帰りのオバさんがちょうど抽選器をガラガラと回すところであった。
あの切れ目のない風車のような抽選器にも良い思い出などない。まだ小学生にもなっていない頃の話だ。四等の駄菓子の詰め合わせがどうしても欲しく、駄々をこねて母親に頼み込み、一度だけと約束して回すことができた。福引ができると決まった時点で、ぼくはもう駄菓子の詰め合わせがあたったような心地になっており、あの大量の駄菓子のなかからどれを最初に食べようかと考えながら抽選器の取っ手を握り、ぐるりと一回転させた。
現れた白色の玉を見た係員のオジさんが、ハハハと笑ったのでぼくもつられて笑ったのだが、駄菓子の詰め合わせではなくポケットティッシュを差し出され、ぼくは状況がうまく飲み込めなくて戸惑った。助けを求めるようにして母親の方を見たのだが、母親の顔に浮かぶ微苦笑を見て、自らが望んだ結果にならなかったことをようやく悟ったのだ。
悟りはしたものの納得のいかないぼくは、係員の隙をついてさらに抽選器を回した。しかし、いくら回せど排出口からは白色の玉しか現れず、このなかには白玉しか入ってないのではないか! と母親に抽選器から引きはがされながら憤るその横で、後ろに並んでいた人々が回すと黄色や青、緑、赤色の玉が続々と転がり出てくるのである。色とりどりの玉を見て喜びの声を上げる人々の様子を憮然と眺めながら、金輪際この風車には触れぬと心に誓った幼きぼくである。
当時を思い起こさせるかのように、オバさんが回した抽選器からは白色の玉が出る。係員は「はあぁん、残念!」と情感たっぷりに慰めの言葉をかけながら、下に置かれた段ボールから忌々しいポケットティッシュを取り出し、それを手渡した。
がくりと肩を落として帰っていくオバさんを見送り、ぼくは一歩前に進む。次は母親と女の子の親子連れだった。まるで過去の自分を見ているかのような想いになり、ぼくは心中で、少女よ、どうかハズレても嘆かないでくれ、と励ましの言葉を送ったのだが、抽選器を勢いよく回した女の子のもとには、青色の玉が出たのであった。
係員の背後にある景品の一覧が掲示されたパネルを見ると、青色は四等で昔と同じ駄菓子の詰め合わせであった。女の子は満足げに景品を受け取り、母親と一緒に帰っていった。ぼくは一歩前に進みながら、景品のパネルをじっくりと品定めするかのように見る。
五等(白) ポケットティッシュ
四等(青) 駄菓子の詰め合わせ
三等(緑) お米
二等(黄) 箱根旅行
一等(赤) あたり
と書かれていた。
あたり? と疑問に思っていると、ぼくの前に並んでいたおじいさんが取り出したのは、この商店街とは無関係の券だったようで係員に追い返され、いよいよぼくの順番が来たのであった。
ぼくは握りしめていた福引券を係員に渡し、おそるおそる抽選器の取っ手に触れる。指先が接したその瞬間、緊張感が電撃のように全身を駈けめぐり、手を止めさせる。やっぱりやめます。今にも口にしそうな辞退の言を大きな吐息で吹きはらい、ぼくは抽選器を思いっきり回した。
すると!
驚くことに!
一等の!
赤玉が!
出た!
のであった。
係員は机に置かれたベルを素早くわしづかみ、ガンガラと鳴らして「あたり〜! あたり〜!」とぼくの積年の想いを大声で叫んでくれた。ぼくは思わずこぼした一雫の涙をそのままに、深く、深く、呼吸をして、朗々と響き渡る祝福のベルに耳を澄ませ、全身を満たしていく幸福を味わった。
そのままいつまでも多幸感に包まれていたかったのだが、係員はぼくのあたりを周囲に吹聴してくれはするものの、一向に景品らしきものを取り出す気配がないことに気付いて不審に思った。しばらくの間待ってみても状況は一変しないので「景品はなんですか?」と笑顔で訊ねた。その途端、係員はニヤッと嫌らしく笑って「あたり、だよ」と言った。何かの冗談だと思い、ぼくも笑い返したのだが、係員はニヤニヤとするだけで進展がなく、ぼくはもう一度、景品一覧のパネルを見て、念を押すようにして係員に「一等はあたりなんですよね?」と問うと、間髪入れずに「そう、一等はあたりだよ」ときっぱり返された。
確かにぼくが望んでいたものはあたりであるが、それは何か景品があたることであるはずだ。何もあたらない、あたりなどあるのか。
こんな顛末になるなど予想だにしていなかった。あたりの際の興奮はみるみるうちに萎んでいき、気落ちしたぼくは、それ以上の問答を放棄してその場から立ち去った。
歩いているうちに気が紛れると思ったのだが、逆に鬱憤がたまり、どうしても不満が残った。一等のあたりとは一体なんだったのか、これならば二等をあてた方が、いや何かもらえるのならハズレの五等の方がよっぽどあたりではないか。くそっ、と知らず知らずに悪態をつき、足もとの石ころを蹴飛ばす。それは道角にあった地蔵の顔にバシリとあたった。罰あたりなことをしてしまったと一瞬凍りついたが、もう罰でもあたりたいぼくは、地蔵の前にひざまずき、どうかあててくださいと懇願する。すると地蔵はニヤニヤと笑いながらぼくを指差す。示された通りに自分を見ると、そこには誰も何もいなかった。
これではいよいよ何もあたらないと、嘆いたところで吹き寄せた風がぼくをさらった。ぼくと風に境界はなく、ぼくは風だった。風だったぼくはビルの隙間をごうごうと走り抜け、びょうと広場を吹き抜けながら、そこにいた人々に体あたりを繰り返したが誰にもあたらず、せいぜい髪形を乱すのがやっとだった。自らが人々に与える影響などその程度なのかと失望した。しかし止まってしまえば無風、ぼくは本当に存在できなくなってしまうのだから、突風吹き続けるしかなかった――
逆巻いて逆巻いて
木の葉を散らし
見上げたあなたの
帽子を飛ばし
たたずむ彼女の
スカートめくり
野垂れたお前の
まぶたをかすめ
静め静かに
ささやきで
ところ構わず
吹き寄せる
人々一向我気付かず
ついには吹き止まりて
塵交じり
薄弱蹌踉
漂うた
かすめかすめて
消えゆくか
少女は大きく
息吸い込む
花つぼみのくちびるに
フエラムネ
吹き出されては
かすれた音鳴らし
くるくる、
くるりと舞い落ちて
またして少女に
吸い込まる
繰り返される
吸気呼気
吹かるる音色の
未熟さよ
いつまで経っても
未成熟
しかして決して
諦めず
何度も励む
少女のために
ラムネの輪の
おぞけるような瀬戸際を
すばやく
すばやく
くぐり抜ける
ついに少女のラムネから
透明音色が吹き出して
吹き出たぼくは
びょうびょうと
少女の笑顔に手を振り返し
次こそ人々にあたるため
颯爽宙を駈け出して
ビョウンとして
ビューと吹いて
ピューピュー、ヒュー
ビョウンとして
ビューと吹いて
ピューピュー、ヒュー
ビョウンとして
ビューと吹いて
ピューピューヒュー
ヒューヒュー
ヒュー
ヒュー
ヒュー
・
・
・
風の音
聴いて
決心する
少女
バコ
通う
小学校の
工場見学の行き先がフエラムネ工場に決まったのだが、バコにはどうしても行きたいところがあった。そのため担任の先生に必死に頼み込み、自分だけ特例として行き先を変更してもらった。
バコの行きたかった工場は、通学路半ばの森林にある。登校中にその近くを通ると、しゅんしゅんと林立する木々の合間から小さな工場がうかがえる。目を凝らせば、開け放たれた出入口からのぞく立ち働く人、名前も知らない謎のキカイ、そして何より心惹くのは、そこから漏れて聴こえてくる何とも愉快な音色たち。足は自然とそちらへと、誘われるようにして傾いていくが、あそこへ行ってしまえばゼッタイに夢中になって遅刻してしまう、それはいけない、ゼッタイに。バコはうんと力を込めて進路を学校へと戻すのである。
この毎朝の葛藤も、いよいよ今日で報われる。時刻は七時半、普段ならばようやく起き出した頃であるが、今日のバコは違う。太い鼻息をふんすと吹き出し、念願の工場を前にしている。ついに来られた喜びを噛みしめていると、工場から迎えの男がやって来る。
「今日はよろしくね。私はここの工場長だよ」
「よろしくお願いします、コウジョウチョ」
コウジョウチョはにこりと笑い、緊張と興奮でカチコチになっているバコを工場内へと導いた。
工場のなかに踏み入ったバコの瞳に、室内をぎっちりと埋め尽くしたキカイの数々が飛び込む。何に使うかもわからない未知のキカイたちに圧倒され、ばちばちと目を瞬くバコであったが、いつも耳にするあの音はどこからも聴こえない。天井を隅々まで見上げ、油臭い床にへばり付いてキカイの下をのぞき込むも、音が鳴るようなものは見当たらない。来て早々に奇妙な行動を取るバコを、コウジョウチョは物珍しそうな目で見ながら
「さぁ、こっちだよ」と言い、
「これから、みんなに挨拶をしてもらうからね」
バコを連れたって狭い通路を通り抜け、開けたスペースに到着する。そこにはすでに五名のジュウギョインが立っていた。その前に連れ出されたバコは、
「今日ここを見学させていただくことになりました。バコです。よろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をする。しかしジュウギョインたちは、身に着けた作業着の灰色のように無反応、困ったバコは助けを求めてコウジョウチョへと顔を向ける。コウジョウチョは口元に深いシワをつくって苦笑いし、
「それじゃ、今日も元気よくがんばりましょ」
と口にして、パンッと手を打ち合わせた。それを合図に無愛想なジュウギョインたちはのろのろと動き出し、それぞれの持ち場についていく。
「バコはどうすればいいですか?」と、あとに残ったバコが訊ねる。
「そうだね、まずはあの人のところを見学しようか」
コウジョウチョが指さしたジュウギョインのもとに向かったバコは、
「バコです! よろしくお願いします!」
そう元気よく言ったのだが、やはりジュウギョインに反応はない。胸元を見るとオノと刺繍されていたので、
「オノさんよろしくお願いします!」
と言いなおしたものの、ジュウギョイン・オノは鬱陶しそうに目を細めて睨むだけである。どうやら歓迎されていないようであるが、バコはこの工場に来られたことが嬉しくて仕方なかったので、そんなことは意に介さずにオノの作業風景を楽しそうに眺めた。
オノによって電源が点けられたキカイは赤緑黄のランプを点灯させ、ブブフォーと大きな音を立て始める。襲い掛かってきた埃っぽい風気を両手で防ぎ、のけ反って咳をするバコのことをオノは一瞥したが、とくに何を言うでもなく黙々と作業を続ける。キカイの側面に向かい、そこにある投入口に黒色の塊をぽこぽこと入れ、再び正面の操作盤に戻って液晶パネルをいじる。それからパネルの隣にあるレバーを引っつかみ、がちゃがちゃとリズミカルに上げ下げし始めた。レバーの上下運動に合わせてキカイ全体がどちゃどちゃと揺れ、投入口と対称にある排出口から立方体に加工された塊が現れて、ベルトコンベアで運ばれていく。オノは何度も動作を繰り返し、どんどん塊を送り出していく。
その光景を熱心に見ていたバコであったが、ふと耳に入ってきた音につられて辺りを見回した。工場内には、毎朝聴くあの音が、少しずつ鳴り始めていたのであった。
キカイの動く音だったんだ! とバコは思った。しかし、すぐにそれが早とちりであることに気付く。音はキカイだけでなく、目の前で作業にふけるオノからも聴こえてくるのである。
「ガチャンとして
ガーとやって、
ブルンブルン、ドゥンッ!
ガチャンとして
ガーとやって、
ブルンブルン、ドゥンッ!」
キカイの作動に合わせ、オノは大声を上げながら作業をしていた。
その珍妙な掛け声をバコも真似して発したかった。しかし、オノの邪魔をしてしまうかもしれないので、小声でつぶやくだけにした。
しばらくすると、コンベアの先から
「オノさぁあんん! ちょっと軟らかくなってきたぁああ」
と別の声が乱入してくる。それを訊いたオノは、チッ、という舌打ちに「くそ」という悪態を重ね、一旦レバーから手を放して、液晶パネルをいじってから再びレバーをがちゃがちゃする。その操作によって、出てくる塊がどう変化したのか素人目には全く分からないが、コンベアの先から、「おっ! いいよぉ! いいよぉ!」と反応があったので、どうやらそれでいいようだ。
オノが再び「ガチャンとしてガーとやって、ブルンブルン、ドゥンッ!」を口にし出したのだが、今度はそのあとに「いいよぉ! いいよぉ!」と軽快な合いの手が入るようになり、工場はますますにぎやかになっていく。
合いの手のことが気になったバコは、その場から離れてコンベアの先を見に向かった。そこには小太りの男がおり、オノから送られてくる塊をひとつひとつ手に取っては、その感触を確かめ、「いいよぉ!」と叫んでコンベアに戻していた。次に塊が向かうキカイからは、チュインチュイーンと硬いものを削り取る音が響き、表面を滑らかに研磨された塊が出てきて、続く工程に進んでいく。
あれはさいご、どんな形になるんだろ?
疑問を持ったバコはそのあとを追う。
コンベアで運ばれていく塊は様々なキカイを通過していくが、その前後で形状はほとんど変わらない。これらの工程は本当に意味があるのかと思ったバコであったが、工場内で響き鳴る、硬質無機なキカイ音、それらを操る者たちの、軽快愉快な肉声を、聴いていると胸踊り、どうでもよくなってしまうのだ、んだん、だんだん心地よくなって、夢見心地の口からは、知らず知らずに鼻唄が、フンフ、フフンフ、口ずさみ、時も忘れて追いかける、場所も忘れて追いかける、我も忘れて追いかけていったその肩を、突然叩かれたバコ、仰天しいしい振り返る。そこに立つのはコウジョウチョ。
「はい、今日はお疲れさまでした。さぁこれはお土産だよ」
そう言って手渡された小箱を受け取り、辺りを見渡す、と、つい先ほどまで動いていたはずのキカイたちはピタリと止まり、ジュウギョインの姿もどこにもない。そしてあの愉快な音も、まるですべて夢だったかのように、消え失せている。
不思議に思いながら出入口の方を向けば、外は日が暮れまっくら闇、驚くバコの前から、いつの間にかコウジョウチョもいなくなっており、暗い場所にひとり残されたバコは怖くなる、逃げるようにして工場から飛び出す、が、目前には深い夜闇に群れ立つ、不気味な木々林、バコは怖くて一歩も先に進めない、その間にも時間は刻々と過ぎていく、このままじゃ、帰れない、今にも泣き出しそう、その手のなかで、小さく震える小箱、驚きながら、そこから漏れてくる僅かな音、気付き、おそるおそる、耳よせる、そこには、工場で聴いた、音たちが――ァチャンとしてガーとやって、ブルンブルン、ドゥンッ! いいよぉ! がちゃぽこがちゃぽこ、どちゃくそどちゃくそ、チュインチュイーン、ガチャンとしてガーとやって、オノさん、いいよぉ! ガチャンとしてガーとやって、ブルンブルン、オノさぁあんん! いいよぉ! パンッ、ガーとやっていいよぉ! ブルンさぁあんん! ブブフォッ、チュイーン、ちゃかぽこどちゃくそ、パンッ、ブブフォー、チッチッチッチッ、ガチュイゥンッ! ブルンブルン、ドゥンドゥンッ! オノさんドゥンッ! ちゃかドゥンッ! ぽこドゥンッ! ちゃかちゃかドゥンッ! ブブとしてチュイーンとやって、オノオノ、ドゥンッ! ドゥンッ! オノドゥンッ! いいよぉ! いいよぉ! ガチュイーン、ブルンブルゥン、ドゥン! チッチッチッチ、ドゥゥウウゥン――たっぷりと詰まっていたから、もうバコはちっとも怖くなかった。
もとは、文芸バトルイベント「かきあげ!」に書いた『颯爽不当風来坊』と『オトマトメ』というふたつの掌編です。同線上にある物語を想定して書いたので、ひとつにまとめて投稿しました。
感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。