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上海の思い出

 西山さんのお母さんの名前は、西山トキさんと言い、1920年に満州で生まれた。

 

 トキさんの父は、南満州鉄道で働いていたが、1931年の満州事変をきっかけに反日運動が激化したのを受け、中国人の友人のツテで、家族で上海に移り住んだらしい。当時11歳だったトキさんは、イギリス、アメリカ、日本、イタリアなどの国際共同租界に住み、満州時代に学んだ中国語が得意で、同年代の友だちと楽しい時を過ごしていたという。


 西山さんが、送ってくれた写真は、中学生くらいと思われる外国人の女の子5人とトキさんが一緒に写っているもので、大きな木をバックに楽しそうに笑っている。


 ところが翌年1932年に上海事変が勃発し、トキさんを取り囲む環境は一変した。それまで仲の良かった友だちと会うことができなくなったり、突然、家族ごとどこかにいなくなってしまったりということが続いたという。


---それでも母は、わずか数か月ながら、上海で過ごした日々の記憶を今でも鮮明に覚えているらしく、上海の景色が見たいと言っています。


---振り返れば、戦争という残酷な時代に生き、辛い思い出ばかりが頭に焼き付いているはずなのに、ふとした時に、あの上海で過ごした華やかで楽しい日々が思い出され、どんなに心が救われたかわからないと言っていました。


 多くの人が歴史の大きなうねりに巻き込まれて、自分の思い通りに生きることが許されなかった時代である。せめて人生の最後の瞬間くらいは、辛い思い出を抱いて眠るのではなく、華やかで楽しい思い出に包まれるようにして送ってあげたいと心から思った。


---この写真は、母が住んでいる家の近くで撮ったものらしく、地図で言うと赤い丸印をつけたあたりではないかと思います。唯一の手掛かりは、写真の後ろに見える大きな木で、写りも不鮮明で分かりにくいし、そもそも、もう焼けてなくなっているかもしれませんが、わずかでも昔の面影が残るものが何かあれば、それを写真に収めて持ち帰りたいと思っています。


 西山さんのメールにはそう書いてあるが、送ってくれた古い地図には、北京路、南京路などと道路名が書いてはあるものの、細かい情報が何もなく、トキさんの記憶がどこまで正しいのか、そして本当にこの地図を信じて探してよいのか自信がなかった。


 そこで僕は、インターネットの掲示板を使ってそのエリアに詳しい中国人がいないかどうか呼びかけることにした。


 まず、この古地図とトキさんの写真をアップロードして、このエリアの地理に詳しく、しかも日本語が話せる人を探した。

 

 上海の戸籍人口は1400万人、それに常住人口を合わせると2400万人もの人が住んでおり、一人でいいから誰か興味を持ってくれる人がいないかと期待した。


 探し始めて3日目の夜、一人の女性から掲示板に返信が来た。


 ---私は、上海に住む20歳の大学生です。大学の日本語学科で日本語を勉強しています。掲示板を見て興味を持ちました。私は、宝山路駅の近くに祖母と母と3人で住んでいます。私にできることがあれば、ぜひ協力させてください。


 僕は、そのメールを見て飛び上がった。


---宝山路。


外灘の北部に位置し、当時日本人が多く住んでいた北四川路と虹江方面の中心に位置する駅だった。


 僕は、早速彼女に連絡を取って、「ぜひお会いしたい」と伝えると、彼女は大喜びで返事をくれ、僕たちは早速会うことになった。

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