悪役令嬢は蛙になんて戻らない
夢を見た。まだ、石竜子と出会ったばかりの頃だ。好きだった絵本を石竜子の膝の上で読むのが日課だった。蛙の王子様。誰でも知ってるあの物語だ。この頃は知らなかった。まさか、自分がこの王子様の立場になるなんて。想像なんてできなかった。まさか、この王子様より不幸になるなんて。
いつの間にか朝になっていた。あの後、石竜子は私から離れて部屋から出て行った。私は無言で見送り、眠りについて、今、目が覚めた。
堂本とのドライブデートをしたあたりから薄々気がついていた。だけど、知らないふりをした。聞くのが怖かったから。でも、もう、知らないふりは出来ないだろう。
…やめましょう…
甘い言葉で誘惑された。何故そこらの皮膚科で治せるニキビが北帝の病院で治せなかったのか?跡すら今では殆ど気にならない。何故、一流の美容院が匙を投げた髪がどこにでもある美容院であっさり綺麗になったのか。何故、常識外れの厳しいジムに連れて行かれたのか?服を用意するのも、食事の管理も全て石竜子がやっていた。
私が醜い姿を晒して生きてきた理由の一端を石竜子は握っていたのではないか。お父様の命令を忠実にきいたのだろうか。いや、昨日の言葉はそれでは説明がつかない。…まるで、自分から進んで私を醜くしたかのような…。私は唇に触れる。昨夜何度彼に奪われたのだろうか?数える事に意味を見出せない程だった。思い出すのは彼の言葉とあの鋭い目だった。あの目に見つめられて熱い言葉をぶつけられて、平静でいられる女なんているのだろうか。平静ではいられないが、何もなかったかのように振る舞うくらいは出来る。私は北帝。そういう風に躾けられてきたのだから。
私は寝返りをうつ。まだ起きるには早い。石竜子のおかげと言っていいのか、屋形の事は頭の外に出て行ってしまった。屋形よりも石竜子の事が知りたい。屋形は嘘をつき私に近づいてきた、唯の北帝狙いの男だった。それだけだ。北帝が欲しいのだ、甘く優しい言葉などいくらでも吐けるだろう。私には全く理解できない事だが。だが、石竜子は違うと言った。それも嘘なのか。石竜子もまた北帝が欲しく嘘を吐いているのだろうか。
「惑わされるな、わかっているだろう」
独り言が口をつく。屋形の件でわかっただろう。私に言い寄る男は皆北帝狙いだと。そこに例外はない。石竜子も所詮そういう男なのだ。私は彼の手によって醜くされていた。私が醜ければ石竜子以外の男が寄ってこなくなり、必然的に石竜子が私の伴侶になり、時期北帝の当主になる…そういう未来を思い描いたのではないだろうか。石竜子にしては実に浅はかだが、可能性は0ではない。実際、私を醜くする事で言い寄る男の数は減り、私は引きこもり、石竜子しか男はいない状態にする事が出来たのだから。さながら、石竜子は王子様を蛙に変えた魔法使い。物語では王子様を蛙に変えたらさっさといなくなるが、石竜子は魔法が解けぬように厳重に囲っていた。物語は現実になると途端に残酷になる。王子様は紆余曲折を経てお姫様と出会えたが、私は出会えず、醜いままだった。
じゃあ、ずっと蛙のままでいるの?嫌だと思ったのはヒロインのおかげだった。ヒロインと出会い、恋のバトルを繰り広げ、結果前世の記憶を呼び覚ましたのだ。でも、彼女はきっかけをくれただけで、魔法を解いてくれるお姫様ではない。だけど、私にはお姫様がくる予定なんてなかったから、もう、お姫様が齎す真実の愛のキスなんてあてにせず、自力で人間に戻ったのだ。キス1つで戻るより遥かに多くの人に出会い助けてもらい、ここまできた。人間になった事で苦しい事もある。辛い事もある。
でも。でも。
蛙では決して知る事のない世界を見る事が出来た。だから、また、蛙になりたいなんて思えない。たとえ、本来の戻り方ではないが故に歪な人間であったとしても。
いつの間にか二度寝して…ドアのノックの音で目を覚ました。
「おはようございます。お嬢様。」
予想通り、何もなかったかのような顔で挨拶をする。と、いうより、本当に何もなかったのかもしれない。そんな訳ないが、そう思えてしまう。
「おはよう」
私はいつも通り挨拶をする。
「石竜子、私は人間でいたい」
私は立ち上がり伸びをする。
「悪いけど、今更蛙になんて戻らないから。」
私は悪役らしい意地悪な笑顔を石竜子に向けた。
「で、早速調べて欲しいのだけど。」
私は楽しげに石竜子に仕事を頼んだ。